🇯🇵 長野県/小諸市 2026年2月3日
『木曾路
はすべて山の中である。』
この有名な一文から始まる文豪・島崎藤村の名作『夜明け前』。
「日本近代文学の金字塔」とも呼ばれ、昔から一度読まねばと思いながら、長編ゆえについつい後回しにして今日まで来てしまった。
今回、長野の高峰温泉に宿泊することを決めてから、ふとそのことを思い出し、YouTubeで朗読を探してみた。
近頃、本を読んでいるとすぐに眠くなってしまうことから、朗読を耳から聴くことが増えているのだ。
こうして偶然見つけたのが、『シャボン 朗読横丁』という朗読チャンネルである。
ありがたいことに、『夜明け前』の全編を朗読しYouTubeに無料でアップしてくれていた。
私は高峰温泉を予約したその日からその朗読を聴き始め、出発の前日には何本もの動画をダウンロードして旅先でも聴き続けた。
黒船来航から明治維新までの激動期を、政治の中心地である江戸でも京都でもなく、遠く離れた山中の木曽路の宿場・馬籠を舞台に描いた長編小説である。
馬籠は藤村の生まれ故郷で、主人公の青山半蔵は激動の時代を生きた藤村の父親がモデルだという。
江戸時代末期ののどかな街道筋の日常が、歴史の激動とともにみるみるうちに変貌していく様が実にリアルに描かれて、朗読を聴き始めるとたちまち小説の世界に引き込まれてしまった。
黒船の来航をきっかけに、人々の不安とともに街道を往来する人の様子も変わり、江戸幕府二百数十年の秩序が徐々に綻びを見せ始める。
黒船に限らず、地震や病の流行も重なって山奥にまでさまざまな流言蜚語が飛び交い始め、異国を排斥せよとの攘夷論が高まり、庶民の間にもにわかに武芸熱が盛り上がる。
幕府の権威が弱まるとともに皇室に接近する雄藩の動きも活発化し、山中の馬籠にいても諸藩や尊皇攘夷を掲げる志士たちの往来が増え、従来の秩序が失われていくのがわかる。
この小説を聴きながら、今の時代とどこか似ていると思わずにはいられなかった。
従来の秩序を否定するトランプ大統領の登場とアメリカ資本が牛耳るSNSの普及は、紛れもなく現代版の黒船であり、それに触発される形で日本国内でも厳しい外国人政策と自前の防衛力強化を求める世論が急速に高まっている。
こうした力を重視する空気が高まると、決まって権力者の威を借りて従わぬ者を攻撃する輩が幅を効かせるようになるらしい。
戦前、政府に批判的な人たちを「売国奴」と呼び弾圧したように、攘夷派と佐幕派の激しい対立の中で世の中の空気はどんどんモノの言えないギスギスしたものへと変容していった。
今日の世界でも、ネット世論という正体不明の圧力が異なる意見を持つ者たちを集中攻撃し、時には物理的に抹殺するようになってきた気がする。
島崎藤村の『夜明け前』は、そんな時代だからこそ、改めて多くの人が耳を傾けるべき小説だと感じる。

さて、高峰温泉をチェックアウトした私は、JRバスに乗って山を下り、小諸駅に到着したのは3日の午前10時45分ごろだった。
天気は快晴。
ただ、降り立った小諸駅の北口には通行人もまばらな寂れた田舎の街が広がっていた。

小諸は、島崎藤村ゆかりの町でもある。
線路を跨いで南口に渡る通路の壁には、『小諸時代の藤村』と題した紹介文が記されていた。
『明治の中期、我が町の新しい時代のためには先ずもって新しい教育を、との願いから木村熊ニが招かれこの地に小諸義塾が誕生し、その義塾教師として明治32年4月、島崎藤村が着任しました。その年、秦フユを妻に迎え、緑、孝子、逢子の3人の女の子の父親となった藤村・・・。小諸の素晴らしい自然や、伝統的な産業、そしてここに住む人々の素朴な生活の有様が文学の道に新しい境地を開き藤村文学の礎になったといわれております。』

通路の窓からは、浅間山連峰の山々が見える。
街の様子は明治の頃とは違っていても、見上げる山の景色は藤村の頃と変わることはないだろう。

通路を渡り南口に出ると、すぐ目の前に白壁の建物が現れる。
ここが島崎藤村が3年間教鞭をとった小諸義塾だという。
この学校を開いた木村熊ニは、幕臣でありながら明治維新後アメリカに渡り西欧の新しい文化とキリスト教を身につけて帰国した人物だ。
明治の人たちはとにかく教育に熱心で、まともな学校がなかった小諸の若者たちに請われて木村熊二はこの山間の町にやってきた。
しかし、日清日露の戦いを契機に中央集権的な学校制度が全国的に整えられる中で、自由主義的な教育環境は失われ、開校から13年でその歴史を閉じることになった。

小諸義塾の敷地には、島崎藤村の歌碑が立っていた。
『遠き別れに耐えかねて この高楼に登るかな 悲しむなかれわが友よ 旅の衣をととのえよ・・・』
「惜別の歌」と題されたこの歌は、太平洋戦争の頃、学徒出陣で戦地に赴く学生たちを送る歌として広まり、戦後は中央大学の学生歌として歌い継がれて、昭和のスター小林旭によって流行歌ともなった。
この歌は1944年、中央大学予科生だった藤江英輔によって作曲されたものだが、歌詞は島崎藤村の「若菜集」に収められた『高楼』の一節が使われている。
藤村が小諸に赴任する以前、恩師の木村熊二と一緒にここ小諸城址を散策した際にこの歌の詩想を得たといわれる。

私も藤村に倣って、小諸城址を散策してみることにした。
今も残る石垣。
かつての「三の門」が残っていた。
小諸城は古くは源平時代に遡る歴史のあるお城だが、明治になって城としての役割を終えると旧小諸藩士たちに払い下げられ、公園として整備され「懐古園」と呼ばれるようになった。

城の南西を千曲川が流れる。
天然の崖を取り込んだ堅固な造りで、広大な敷地に複雑に石垣が配されている。

城内にはいくつもの深い谷が走る。
盆地に築かれた平山城ではあるが、まるで山城のような複雑な地形である。

表面をツルツルに磨かれたこの石は「鏡石」と呼ばれる。
武田信玄の軍師として知られる山本勘助が愛した石だという。
この堅牢な小諸城の原型は、武田がこの地を支配した時代、山本勘助によって造られたとされる。

武田家の滅亡後、仙石氏の居城となり、現在のような姿に改修された。
関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠率いる大軍勢がこの小諸城に陣取ったが、西軍についた真田一族に手こずり、天下分け目の合戦に間に合わないという大失態を演じた場所だ。
江戸時代に入ると領主が次々に入れ替わり、最後は「常在戦場」の家訓で知られる牧野氏に引き継がれて明治維新を迎えるのである。

この小諸城址、「懐古園」の一隅に「藤村記念館」がひっそりと建っている。
中に入ると客はおらず、受付の女性が一人で番をしているような資料館である。
小諸時代の島崎藤村にまつわる遺品や作品が展示されていた。
藤村は小諸に6年滞在し、その間に代表作の一つ『破戒』の執筆を始め、詩人から小説家へと飛躍していくのである。

この資料館に展示されていた藤村の年表を眺めながらあることに気づいた。
私がハマっている『夜明け前』の連載が中央公論で始まったのが昭和4年、すなわち張作霖爆殺事件が起きた翌年のことであり、大正デモクラシーから関東大震災を経て昭和恐慌へ、時代が暗転し始めた頃だったのである。
私が今も時勢を眺めながら、戦前に似てきたと感じるように、島崎藤村も世の流れが黒船来航以降の時代に似てきたと感じていたのかもしれない。
『夜明け前』の連載は満州事変を挟んで1935年まで続く。
単なる偶然ではなく、時代の空気が作家の心に強い衝動を与えていたことを想像せざるを得ないのである。

お城の北側にある二の丸跡からは浅間山がよく見えた。
小諸から眺める浅間山は軽井沢方面から見るのとはかなり雰囲気が異なる。
右側の浅間山と左側の黒斑山などの間には大きな亀裂があり、過去の大噴火と山体崩壊の凄まじさを想像させる。

小諸城址の片隅には浅間山から吐き出された様々な溶岩石を展示した「浅間火山岩石園」という場所もあった。
自然の恵みも災害も、小諸の人たちは昔から浅間山と共に生きてきたのだ。

小諸城址の散策を終え、線路を横切って小諸の市街地を歩いてみる。
城下町を取り巻くように走るのはかつての北国街道。
中山道の追分宿から分かれ善光寺を経て越後高田に至る街道沿いには、今も立派な建物が残り、往時の繁栄ぶりをうかがわせる。

街道沿いに建つ旧本陣は小諸の主要な観光スポットらしいが、あいにく改修中ということでフェンスに覆われて中を見ることはできなかった。
島崎藤村の『夜明け前』では、宿場町の様子が克明に描かれており、通信が発達していない中世でも街道を往来する人々を通して様々な情報が伝わり、私たちが想像する以上に江戸時代の人たちが世の中の動きに敏感だったことを知った。

そんな城下町の一角に、島崎藤村の一家も利用したとされる井戸があった。
周辺は古い木造の建物とコンクリートのビルが共存するようなエリア。
井戸の前に立ち、藤村が暮らした明治の街並みを想像する。

そしてこちらが、藤村が暮らした屋敷の跡だ。
小諸にやってきた藤村は、明治32年に函館の網問屋の娘・冬子と結婚し、馬場裏にある旧士族の屋敷に新居を構えた。
藤村が小諸で過ごした6年間は、ちょうど日清戦争が終わり日露戦争が始まる時期になる。
そしてこの家で3人の娘にも恵まれた。
しかし、日露戦争が終わった1905年、藤村一家は小諸を離れて上京するが、文学者として当確を表す一方で3人の娘を相次いで栄養失調で失い、妻の冬子まで四女の出産後死亡するという悲劇に見舞われるのである。

島崎藤村ゆかりの町、小諸の散策を終えて、駅近くの蕎麦屋に入る。
「信州蕎麦の草笛 小諸本店」
信州といえば蕎麦だろうという安易な考えから、出発時間まで蕎麦でも食って次の電車に乗ろうと考えたのだ。

400年の歴史を持つ小諸蕎麦の歴史を受け継ぐ名店。
せっかくなので、煮物や天ぷら、ごまおはぎが付いた「そば定食」(1400円)を注文する。
そばは桶に入れられ、なかなかのボリュームである。

こ店の名物が「くるみそば」だということを知り、「くるみだれ」(600円)を追加した。
ペースト状にしたくるみにそばつゆを加えて、それにそばをつけて食す。
ごまだれをさらに甘く濃厚にしたような味で、想像以上の美味しさ、クセになる旨さである。
この「くるみそば」発祥の店と知られるのがここ「草笛」であることを後で知った。

さらに、もう一つの名物「くるみおはぎ」も食べてみたい。
そば定食に付いてくるごまおはぎの1個を、プラス100円払ってくるみおはぎに変えてもらう。
しかしその時、小諸駅の時刻表をスマホで確認すると次の電車の出発時刻が迫っていることに気づく。
次の電車は1時間後である。
せっかくのランチだがゆっくり楽しむ時間はなさそうだ。
大急ぎで残ったそばを口にかき込み、おはぎをラップに包んでもらって慌てて店を飛び出した。

小諸駅まで走って、なんとか午後1時の小海線の電車に間に合った。
小淵沢までは行かない電車だったので、佐久平で新幹線に乗り換えて東京に戻る。
帰りの新幹線の中でも、『夜明け前』の朗読を聴きながら、今私が生きている時代を想う。
そんな信州への旅であった。
「信州蕎麦の草笛 小諸本店」
電話:0267-22-2105(予約不可)
営業時間:11:00 - 15:00
(蕎麦が終わり次第閉店)
定休日:無休