バタバタしているうちに時は経ち、気がつけばもう3月も終わりである。
この2週間ほど、我が家は10年ぶりの引っ越しで、片付けやら諸々の手続きなどで連日慌ただしい日々が続いた。
数えてみれば、私にとって人生17回目の引っ越しである。

井の頭公園の桜もかなりほころび始めた3月23日。
私たちが10年暮らした吉祥寺のマンションを売却するため、不動産会社の事務所を訪れて残代金の決済をする。
今回は手間を省きたいという妻の希望もあり、個人への売却ではなく不動産会社による直接買い上げという方法を選択したため、司法書士による簡単な手続きののち、午前10時すぎには手付金を除く売却代金全額が私の口座に振り込まれた。
その瞬間、私たちはサンロード商店街の喫茶店で担当者からの連絡を待ち、「振り込みました」との電話を受けてから銀行に行き、通帳に記帳すると普段目にすることのない金額が確かに印字されていた。
これで、もうあのマンションは私のものではなくなった。
そう思うと、なんだか妙に呆気ない気分になる。

家に帰ると、もうそこは段ボール箱の山。
何事も早め早めに準備する妻は、2週間前から荷物の箱詰めを始め、私が岡山に行って帰ってくると部屋はもうこの状態だった。
普段使っていた食器などもほとんどが箱の中に収まり、私は自分の物を多少箱詰めしただけで引越しの準備はおおかた済んでしまった。
いつもながら、こういうところはありがたい妻である。

翌24日は朝から快晴。
この日は、買い替えるマンションを購入する手続きのため新宿まで行かねばならない。
ベランダから眺める井の頭公園の景色ともいよいよお別れである。

玄関を開けて外廊下に出ると、少し霞んだ富士山が私たちを祝福してくれた。
築56年の古いマンション。
今時のマンションに比べると耐震性能も遮音性能も劣っていて、長年の劣化によってさまざまな問題を抱えてはいるものの、ロケーションといい建物の雰囲気といい、捨てがたい魅力はたくさんあった。
引っ越しを決めたその決断に後悔はないけれど、やはり住み慣れた家を手放すのはそれなりに寂しいものである。

午前10時。
新居となる練馬区のマンションを仲介する不動産業者の事務所がある西新宿を訪れる。
久しぶりに見上げる高層ビル群は青空に映えて美しくはあるが、さすがに昭和の建造物だけに古めかしさも感じる。
こちらは現在所有されている個人から私たちが購入する中古マンションなので、売主さんと仲介業者、司法書士さんが集まり、必要書類を確認したり署名捺印したりと前日の売却時よりは多少面倒な手続きがあった。

書類のやり取りが終わると、仲介業者に案内されて近くの銀行へ。
さすが西新宿の銀行はビルの上層階にあった。
ここですでに支払った手付金以外の売主さんへの残代金、さらには仲介業者への手数料と司法書士への支払いもまとめて振り込む。
一時的に膨れ上がっていた口座の残高が一気に減っていく。
これも人生で何度も味わうことのない経験である。
かなり時間がかかって銀行での振り込みが終わり不動産会社のオフィスに戻ると、売主さんからマンションの鍵を受け取り、この瞬間、私たちは練馬区にある中古マンションのオーナーとなった。

こうして無事に一連の買い替え作業が終わり、私たちはその足で西武新宿駅に向かった。
バブル時代には、クリスマスにカップルたちの聖地となった新宿プリンスホテルも、よく見ると外壁のタイルが剥がれている箇所が目につく。
あの時代からすでに40年近くが経つのだから、建物が老朽化するのも無理はない。
ここから慣れない西武新宿線に乗り、武蔵関駅で下車した。
練馬区役所の支所である「関区民事務所」で転入手続きをするためだ。

武蔵野市の転出手続きは、すでに3月17日に済ませていた。
何事も心配性な妻に急かされて、もしも病気になったらいけないからと24日付での転出届を提出したのである。
昔は役所に行って転出届を出して証明書を受け取ってから転入先の役所に行って転入手続きをするのが当たり前だったが、マイナンバーカードが普及してからスマホからも転出手続きが可能になり、転出日の前に手続きをすることもできるようになったらしい。
そんなわけで練馬区への転入届と合わせて、印鑑証明や国民健康保険の手続き、マイナンバーカードの住所変更、さらには妻が受けている要介護認定についても一気に処理してもらったので、結構時間がかかってしまった。
それでも練馬区は武蔵野市に比べて面積が広く、練馬駅近くにある本庁舎に行くのに比べれば訪れる人も少ないそうで、関町の出先事務所で手続きを行なった方がだいぶ時間は短縮できるという。
どうせなら、もっともっと行政サービスがデジタル化してスマホから簡単にできるようにならないものだろうか。

区役所での作業をひと通り終えて新しく住むマンションにたどり着いた時には、すでに午後4時半になっていた。
もらったばかりの鍵を使ってオートロックの入り口を入った時、新たな生活が始まるという実感が湧いてきた。
今度のマンションは2019年に完成した築7年の物件、500世帯以上が暮らすビッグコミュニティーだ。
だから、これまで住んでいた昭和のマンションに比べてセキュリティーは格段に進歩している。
鍵をポケットに入れたままで正面入口の扉が開き、廊下に通じる扉もこの鍵で自動で開く。
部屋に入りベランダに出ると、西の空に夕日が沈もうとしていた。
目に映るのは井の頭公園の自然ではなく、見渡す限り続く東京の住宅街。
でも目の前を遮る物はなく、適度に木々も見える。

私たちがこの部屋に入るのは、前の住人がまだ暮らしている時に一度内見して以来2度目である。
だから、洗濯機のホースを繋ぐ蛇口の形状をチェックしたり、巻き尺を使って各部屋のサイズを測り家具の置き場を決めたり、引っ越しまでにやらなければならないことがいろいろあった。
中でも私が最も気になっていたのが、インターネットとテレビの受信方法である。
この今時のマンションは建物全体にフレッツ光の回線が張り巡らされていて、テレビもどうやらネット経由での視聴になるという説明を受けたのだ。
私はこれまでソフトバンクを利用していたが、NTTとの契約に変えねばならず、この件で2週間ほど前からNTT東日本に問い合わせているのだが、コールセンターの説明によれば前の住人が完全に解約してから新規の設置の申し込みを受ける規則であり、それからルーターを発送するのでインターネットが使えるようになるまでには最低1週間ほど必要だというのである。
何というお役所仕事。
NTTは相変わらず電電公社の体質から脱却できないと見える。
仕方がないので、仲介業者を通じて売主さんに1日でも早く解約の手続きをしてくれるよう依頼し、その結果この日の昼頃、26日にルーターが到着するよう手配したとの連絡が入った。
26日は私たちが実際にこのマンションに移り住む日、うまくするといいタイミングでネットが使えるようになるかもしれないとその時は思った。

引っ越し前日の25日。
朝から残った荷物の梱包をする傍ら、警察署で運転免許証の住所変更を行なったり引っ越し後すぐに必要となる大事な書類などをリュックに入れて自ら自転車で運んだりして過ごす。
午後から雨が降り始め、引っ越し当日も一日中雨の心配がありそうな予報だったので、自転車も予定を早めて転居先のマンションまで走らせ駐輪場に置いておくことにした。
天気予報は的中し、午後には雨が降り始め、これが私たちの吉祥寺生活最後の夜となった。

予報通り、朝になっても雨は止む気配もなく降り続いていた。
午前8時半、今回お世話になる三鷹市を拠点とする小さな引っ越し業者「ラビット引越センター」の若い担当者が我が家を訪れた。
3月下旬は一年でも最も引っ越しの依頼が殺到する繁忙期なので、大手業者に見積もりを依頼すると50〜70万円と査定された引っ越しをなんと30万円以下で引き受けてくれた。
作業員は全員若者ばかりだが、好青年揃いで元気がいい。
部屋に積み上げられていた段ボール箱が次々に運び出されていくのを見ると、妙に清々しい気分になっていく。

頃合いを見て、運び出しの立ち会いを妻に任せ、私は一足早く転居先のマンションに移動する。
小雨が降る中、リュックを背負いキャリーケースを引きながら一番近いバス停から武蔵野市のローカルバス「ムーバス」に乗る。
三鷹駅で関東バスに乗り換えてマンション近くの停留所で降りた。
練馬区と言っても「千川上水」を挟んで南はすぐ武蔵野市で、直線距離にすれば吉祥寺のマンションからは2キロほどしか離れていない。
こんな短距離での引っ越しに60万円も支払うのはどうしても納得がいかなかった。

2tワイドというトラックで2回に分けて荷物を運ぶというので早めに転居先に移動したのだが、昼を過ぎても引っ越し屋さんはやって来ない。
そうこうしているうちに午後1時半ごろ東京ガスの人が来て、ガスの開栓作業をしてくれた。
すると時をほぼ同じにして、引っ越し屋のトラックも到着した。
ガランとしていたマンションの部屋が俄かに慌ただしくなる。

狭い廊下を無理やり通してソファーが運ばれてくる。
「これ、どこに置きます?」
作業員たちは入れ替わり立ち替わり重い物を持って声をかけてくる。
最初のうちは上手にさばけていたのだが、物が増えてくるに従って置き場に困り、最後はもう適当に段ボールを置いてもらうことになってしまった。

それでもなんとか、午後4時ごろには全ての荷物が運び込まれ、大きなトラブルもなく引っ越し屋のお兄ちゃんたちは帰っていった。
残った私たちは、荷物の山を整理したり、家具の配置を工夫したりして、どうにかベッドで睡眠できるところまでは整えた。
ホッと一息ついた頃にはすっかり日も暮れて、宵闇が迫っていた。
しかし、二人とも朝からの作業で疲れ果ててしまい、妻もとても新しいキッチンで料理する元気もでない。

「今夜は外食にしよう」と意見がまとまり、青梅街道沿いにある焼肉店「叙々苑」で引っ越し祝いの焼肉ディナーということになった。
テレビ局時代、六本木にある叙々苑には何度か行ったことがある。
芸能人や業界人御用達の「叙々苑」の支店というだけあって、練馬の端っこにポツンと佇むこの店も普通の焼肉屋に比べるとお上品で高級感があった。
その代わり値段もこの界隈としてはお高くて、店員のサービスも細やかである。
「家族や友人が遊びに来た時には使える店だね」などと言いながら妻と二人で食事をして、引っ越しの疲れが若干和らいだ美味しいディナーとなった。

こうして慌ただしく移り住んだ新しいマンション。
朝起きると西向きの窓からは雪を戴いた富士山が見えた。
吉祥寺のマンションは南東向きだったので、部屋からは都心方面が望めたが、今度は一転して西側の風景、田無タワーやその先に広がる奥多摩の山々が見える。
それはそれで新鮮で、「私はやはり引っ越しが好きだ」などと心が浮き立つのを感じた。

引っ越し翌日、空っぽになった吉祥寺のマンションを再び訪れ、ここを買い取った不動産業者に鍵を渡す。
今回の買い替えにあたっては「引き渡し猶予」期間を1週間いただき、売却日から1週間は私たちが吉祥寺のマンションにいられる契約にしてもらったのだが、大きな問題もなく新しい住居に引っ越すことができたので期限を待つことなく鍵と共に部屋を引き渡すことにしたのである。
一昨年リフォームしたばかりのキッチンは業者の依頼により、そのままの形で引き渡すことになった。
業者はこの部屋を全面リフォームして売り出す方針のようだが、場合によってはこのキッチンだけは残すかもしれないと担当者は嬉しそうに教えてくれた。
これでマンション買い替えに伴うすべての作業は終了し、私たち夫婦の新たな生活がスタートしたのである。

私にとっての一番の心配事であったネット回線については、引っ越し当日の26日に約束通りルーターが届き、売主さんが教えてくれた設置場所に自力で据え付けた。
同封されていたよくわからない説明書を見ながら半分勘で配線を行うと、テレビは見られるようになったのだけれど、肝心のインターネットはまだ開通していないようだ。
プロバイダーである「ぷらら」から送られてくるはずのパスワードなどが書かれた書類が届かないので問い合わせてみると、週明けになるという。
「そんなに待てない」と文句を言うと、コールセンターの担当者が調べてくれて「お客様の確認が取れましたので、明日にはインターネットが使えるようになると思う」と教えてくれた。
その言葉通り、28日の朝起きると無線LANがつかなるようになり無事にインターネットが使えるようになった。
今の時代、何がなくてもインターネットは生活に不可欠であることを改めて痛感させられたのである。

68歳にして始めた新生活。
うまくいけばこれが人生最後の引っ越しとなるかもしれない。
マンションの目の前を流れる千川上水沿いには美しいソメイヨシノが咲き誇っていた。
近くには見事な桜並木もあり、駅からは離れているが自然豊かでシニア暮らしには適した場所のような気がする。
吉祥寺での暮らしは楽しかったけれど、このところ慣れてしまって街を歩いていても好奇心が刺激されることが少なくなっていた。
そういう意味では転居もまた脳にはいい刺激になるだろう。
70歳になれば「シルバーパス」をもらってバスを利用した新たな楽しみを見つけることもできるかもしれない。
引っ越しから日が経ち、部屋が少しずつ片付くたびに、「このマンションも悪くない」「引っ越したのは正解だった」と感じるようになった。
妻も同様で新生活を楽しんでいる様子で、きっと二人にとっていい引っ越しだったんだと今は感じている。