<きちたび>1泊2日広島の旅① 毒ガス・ウサギ・休暇村!瀬戸内海のワンダーアイランド「大久野島」

広島空港に着陸するのは今回が2度目だが、上空から見た瀬戸内海がこんなに綺麗だとは知らなかった。

世界でも有数の多島海である瀬戸内海。

岡山出身の私の目にも広島沖の海はとても魅力的に映る。

広島空港でレンタカーを借りて、そのまま海を目指した。

山の上に作られた広島空港から瀬戸内海への道は急な下り坂、そこにはのどかな景色が広がっていた。

広島県を巡る今回の旅、テーマはずばり「戦争」である。

忠海港

40分ほど車で走って、たどり着いたのは「忠海(ただのうみ)港」。

平安時代、海賊討伐に派遣された平忠盛(清盛の父)の名にちなんで名付けられたという歴史ある港だ。

私がこの港にやってきた目的は、この沖に浮かぶ「大久野島(おおくのじま)」を訪れること。

「大久野島」は旧日本軍が秘密裏に毒ガスの製造を行っていた「毒ガスの島」として知られ、一度は訪れたいと思っていたのだ。

ところが・・・

忠海港にやってくると、建物には「うさぎの島への玄関口」と書いてある。

「あれっ?」と思った。

「うさぎの島って、何だ?」

「毒ガスの島」大久野島は、いつの間にか「うさぎの島」として大人気になっているらしい。

そのことを、私はまったく知らなかった。

大久野島に渡る船の券売所は、うさぎ関連のグッズであふれていて、あまりのギャップにしばし言葉を失う。

しかし、行き先も知らずに私についてきた妻は、「うさぎの島って、この前テレビで見たよ」と言っている。

それほど人気の観光地になっていたのだ。

気持ちを切り替え、とにかく船の切符を買うことに・・・。

生憎、大久野島に渡るフェリーがちょうど出航したばかりで、次の船まではまだ40分ほど時間がある。

券売機には、「大久野島」ではなく「うさぎの島」と行き先が表示されていた。

「うさぎの島」までの往復乗船切符(大人620円)を2枚買って、後は時間を潰すしかない。

大久野島は一般車両の乗り入れが禁止されている。

その代わり、港に隣接して無料駐車場が用意されていて、レンタカーはそこに停めておけばいい。

この日は早朝出発で朝ごはんにバナナしか食べていなかったので、船を待つ間に何か食べることにする。

港周辺にはちゃんとした飲食店はなく、「うどん・そば」と書かれたノボリを見つけ「忠海港待合所」に入ってみた。

おばちゃんが一人で営む売店がある。

メニューも実にシンプルだった。

妻は「おにぎり」を注文した。

2個で150円。

安い。

私が注文した「うどん」は400円。

麺は柔らかいが、かつおだしの関西風スープが美味い。

高校時代に学校で食べていたうどんを思い出しながら、スープをすすりながらおにぎりを頬張った。

やっぱりうどんは関西風に限る、と改めて思う。

思いもかけず最高の朝食にありつけて、とてもハッピーな待ち時間となった。

この待合所では、「うさぎのエサ」(100円)も売られているので、ウサギと戯れたい人は買っていくといいだろう。

「忠海港」
電話:0846-26-0853 
営業時間:7:00〜19:45

大久野島へ

私たちが乗り込んだのは、10時25分発の「ホワイトフリッパー号」。

フェリーと交互に大久野島との間を往復している。

忠海港から大久野島まではおよそ15分。

船室からは窓越しに瀬戸内海の島々が楽しめるが、私は船尾のデッキに出て写真を撮って過ごした。

目の前に現れた山頂に大きな鉄塔が立つ島が大久野島である。

明治時代、ロシアの侵攻に備えて要塞が築かれ、戦略上の理由から地図からも消された大久野島。

昭和に入ると、日本で唯一の毒ガス製造工場が建設され、島全体が「毒ガスの島」となった。

しかし、船室に置かれていたのは、毒ガスの歴史ではなく「うさぎから みんなへ おねがい」と書かれた注意書きだった。

  • 追いかけまわしたり、抱っこしないでネ!
  • 道路や道路脇、玄関前でのふれあいはダメ!
  • 口もとに手をやらないでネ!
  • お菓子やパンを食べさせないでネ!
  • ゴミをポイ捨てしないでネ!
  • 島にウサギを捨てないでネ!

やっぱり、今の大久野島は「毒ガスの島」ではなく、「うさぎの島」なのだ。

船は大久野島の東海岸、第二桟橋に到着した。

ほとんど揺れなかったが、せっかくならもう少し青空が欲しいところだ。

港には休暇村行きの無料シャトルバスが止まっていた。

宿泊者でなくても乗せてくれるという。

私の目的地である「毒ガス資料館」までは歩いても300mほどだが、このシャトルバスで途中の「ビジターセンター」で降りると、資料館は目の前にあるはずだ。

バスはノロノロと進み、5分ほどでビジターセンターに到着した。

バスがゆっくり走る理由は人ではなくウサギを避けるためだった。

道端にはところどころウサギの姿が見え、観光客が餌をやったり写真を撮ったりしている。

ビジターセンター周辺

ビジターセンターの目の前にある「大久野島毒ガス資料館」。

大きくはないが煉瓦造りのしっかりした施設だった。

この資料館を見たら次の船でさっさと忠海港に帰るつもりだったのだが、思わぬ邪魔?が入った。

私の目の前を高校生の団体がゾロゾロと資料館に入っていく。

コロナ対策のため、この団体が出るまで40分ほど貸し切りになるという。

高校生の平和学習には逆らえない。

仕方なく、ビジターセンター周辺をうろつく。

ウサギがいた。

あそこにも・・・

ここにも。

でも、他の旅行者たちと違って、ウサギが私のお目当てではない。

まず「大久野島ビジターセンター」に入ってみたが、ここは子供たち向けの自然学習施設で、戦争のことはまったく扱われていない。

ただ、ビジターセンターの周囲には、戦時中の遺物もいろいろ残されていた。

資料館の隣にある小さな小屋。

ここには「陶磁器製毒ガス製造装置」が無造作に置かれている。

『毒ガスは、化学薬品を反応させて、複雑な科学操作を経て製造していきます。したがって、製造設備の主要な部分は、薬品に反応せず熱に強い陶磁器が用いられました。戦後それらの設備は、ほとんど焼却あるいは処分されましたが、ここに展示されているこれらの陶磁器製の器具は、その当時の一部です。』

なるほど・・・。

「研究所跡」も代表的な毒ガス関連施設だ。

『右手の建物は、毒ガス製造時代の研究室と薬品庫として使われていました。左手の建物は検査工室で、毒ガス製品の管理や機密書類の保管の他、毒ガスの検査などが行われていました。

大久野島に休暇村が整備された頃、これらの建物は一時、宿泊施設として利用されていたこともありました。』

山の斜面を利用した施設もある。

こちらは電話の交換機が置かれていた防空壕「自動交換機室跡」。

幹部用の防空壕の跡も残っている。

少し離れた海辺には荒れ果てた「大久野島神社」があった。

1929年に毒ガス工場が開所した時、従業員たちが神社をこの地に移転した。

境内では様々な行事が行われたが、住民がいなくなった今、神社は無残な姿になって放置されていた。

瀬戸内海の静かな海を望む場所には「毒ガス障害死没者慰霊碑」が立っていた。

たくさんの折り鶴が備えられ、添えられた碑文にはこう書いてあった。

『東京第二陸軍造兵廠忠海製造所は、日本陸軍の毒ガス工場として昭和4年に大久野島に設置され、昭和20年終戦後米軍により破壊された。この工場では各種の毒ガスや信号筒が製造されたが、イペリットの生産に重点がおかれていた。

従業員の総数は約5000名に達したが、その多くはせき、たん、呼吸困難を伴う難治の慢性気管支炎にかかり、イペリットが発癌物質であったため喉頭癌・肺癌・胃癌などが多発している。』

軍事機密の名の下に地図からも消された島。

そこで起きていた悲劇は、戦後少しずつ明るみに出た。

大久野島毒ガス資料館

高校生たちの見学が終わる頃を見計らって資料館に戻ると、まだ入り口の扉は開いていなかった。

私のほかにもう一組の老夫婦が扉の前で待っている。

予定の時間をだいぶ過ぎてようやく団体さんが資料館を出て、「さあ入れるか」と思ったら管理のおじさんは手で私たちを遮り、再び扉を閉めてしまった。

コロナ対策のための消毒作業をしなければならないらしい。

入館料150円を支払ってようやく中に入ると、資料館は撮影禁止だった。

どうして日本の博物館はこんなに撮影禁止にしたがるのだろう?

遺族から提供された資料を展示しているので撮影禁止の品物があるのは当然理解するが、説明のパネルまで撮影できないのは、納得できない。

せっかく勉強しようという人に対して不親切すぎるだろう。

一人でぶつぶつ言いながら展示を眺めていると、後から入ってきたおじさんがバシャバシャ写真を撮り始めた。

私も数枚だけブログ用の写真を撮らせていただいたが、展示に基づく詳しい内容は書くことができない。

といっても、期待したほどの展示内容ではなく、大久野島に関する情報はウィキペディアや「観光コースでない広島」という本も参考にしながら書くことにする。

大久野島で毒ガス工場の建設が始まったのは昭和2年(1927)のことだった。

第一次大戦のヨーロッパ戦線で毒ガスが盛んに使用された反省から、1925年ジュネーブ議定書によって化学兵器の使用が禁止されたが、日本は署名はしたものの終戦まで批准しなかった。

つまり、国際条約に違反することを承知の上で、1929年、毒ガスの製造を開始したのだ。

大久野島で製造された主な毒ガスなどは、以下の通りである。

  • 黄1号 イペリット(びらん性)
  • 黄2号 ルイサイト(びらん性)
  • 茶1号 青酸(窒息性)
  • 赤1号 ジフェニール・シアンアルシン(くしゃみ性)
  • 緑1号 塩化アセトフェノン(催涙ガス)
  • 発煙筒
  • 風船爆弾
  • サイローム

「イペリット」は、戦場で使われる代表的な毒ガスで「マスダードガス」の名で一般に知られる。

砲弾に仕込まれたり車から撒き散らす形で使用され、『身体につくと水ぶくれができ化膿する強力な皮膚障害を起こし、吸い込むと呼吸器・消化器を冒す』という。

毒ガス工場建設が始まると、島内にあった農家はすべて立ち退かされ一般の立ち入りは禁止された。

毒ガス工場は、昼夜二交代の13時間労働。

労働者たちは船に乗って島へ通ってきたが、島内での情報はすべて極秘扱いとされた。

工場での作業風景を写した写真も展示されていた。

全身防護服で覆った物々しい姿の労働者たち。

しかし、ほぼ全員に重大な後遺症が残った。

大久野島で製造された毒ガスは、主に中国戦線で使われたそうだ。

しかし、私が最も知りたかった毒ガスを用いた「加害」の実態について、資料館ではほとんど役に立つ情報が得られなかった。

工場労働者の「被害」は伝えても、敵国での「加害」については歴史の闇に葬り去る。

残念ながら、これが我が国のスタンダードであり、平和教育が徹底された広島でもその傾向は変わらないようだ。

資料館の前にはこんな看板が立っている。

『大久野島は訴える。この歴史を忘れないために、二度と再び繰り返さないために、いつまでも平和であり続けるために』

しかし、本当にそのメッセージを伝える施設になっているのだろうか、私が少々ガッカリして資料館を出た。

休暇村大久野島

資料館を出て、妻が待つ「休暇村大久野島」へ向かった。

私は島内に点々と残る戦争の遺跡を見て回りたいのだが、妻はすでに退屈している。

しかも資料館を見学するのに待たされたおかげで、次の船まで2時間ほど時間を潰さなければならない。

とりあえず休暇村で一休みしようということになり建物の中に入ると、広いロビーはガランとしていた。

「休暇村」というのは、開発が制限された国立公園や国定公園に設けられたリゾート施設。

もともと厚生省が開発した「国民休暇村」だったが、今は環境省が管轄する「一般財団法人 休暇村協会」という天下り団体が全国37カ所の施設を運営している。

そのせいもあってか妙に官僚的な印象で、旅好きの私には旅行者目線に立っていないホテルと感じられた。

たとえば、ホテル1階の「レストランうさんちゅ」に入ってカレーとコーヒーを注文しようとしたら、コーヒーはロビーの反対側にある「うさんちゅカフェ」でしか飲めないという。

仕方なく「うさんちゅカフェ」に行って、カレーとコーヒーを注文すると、いかにも慣れてなさそうなおじさんがレトルトっぽいカレーとマシーンで淹れたコーヒーを出してくれた。

これでは、リゾート気分などあったものではない。

レンタサイクルを借りる際も、役所の書類のような申込用紙に記入させられ、デポジットまで取られる始末。

島の周囲を一周する道路しかない大久野島で誰が自転車を盗むのだろう?

ちなみにレンタサイクルは2時間で600円、歩いて回ると結構時間もかかるので自転車を借りる価値はあると思う。

休暇村には、プールやテニスコートも併設されている。

この季節プールは当然クローズだし、テニスコートにも人影はない。

寂れた印象だ。

ウサギと歴史と豊かな自然という恵まれた条件を備えた大久野島にどうしてこのような人工的で安っぽいレジャー施設を作ったのだろうという怒りにも似た疑問が私の心に湧いてくる。

ヨーロッパのリゾートなら、美しい自然を台無しにするようなこうした人工物は絶対に作らなかっただろうと思う。

島内には一部で遊歩道やキャンプ場も整備されているが、これも人工的な印象を受ける。

全国に変化に富んだ美しい自然を有する日本だが、国立公園内にはそうした自然を満喫できる洗練されたリゾートホテルが驚くほど少ない。

何故なんだろうとずっと疑問に思っていたが、世界標準からかけ離れた日本の観光行政に大きな問題があることを今回「休暇村大久野島」を訪れて痛感した。

瀬戸内海は世界でも有数の美しい海なのに、島を採石場にしたり、きれいな入江を埋め立てて工場を建てたりした挙句、国際的なリゾートホテルの建設は規制してこんなダサい休暇村を守るのが日本の観光行政なのだ。

かつて「グリーンピア」が槍玉に上がったが、「休暇村」という謎の組織にもメスを入れるべきだと強く感じた。

毒ガス貯蔵庫跡

休憩後妻と再び分かれ、休暇村で借りた自転車で島の外周道路をぐるりと一周してみた。

休暇村のすぐ脇にあったのが「三軒家毒ガス貯蔵庫跡」。

案内板には、こう書かれていた。

『ここには、猛毒で皮膚がただれる、びらん性毒ガス「イペリット」が貯蔵されていました。写真の様な10トン入る大きなタンクがそれぞれの部屋の台座の上に置かれていました。』

戦争遺跡の目の前には瀬戸内海。

静かな海の向こうにはサイクリングで人気の「しまなみ海道」の島々が連なっている。

外周道路の周辺には、ウサギ。

どうやら餌が撒いてあるようで、あちらこちらでウサギたちが食事をする様子を眺めることができる。

平日ということもあり、外周道路を回る観光客は少なく、ウサギたちも慣れたもので人間を恐れるどころか餌を求めて近寄ってくるものも・・・。

かつて大久野島のウサギは毒ガス実験にも使われたというが、目の前にいるウサギは休暇村のマスコットとして放したウサギが繁殖したものらしく、その数は1000羽とも言われている。

無人のテニスコートの奥にも、山の斜面に隠れるように毒ガス貯蔵庫が掘られており、そこには黒いウサギがうずくまっていた。

毒ガスとウサギと休暇村。

この何ともアンバランスな組み合わせが、他では見ることのできない大久野島の不思議さなのだ。

長浦毒ガス貯蔵庫跡

大久野島の外周は4.3km。

休暇村から北へ北へと自転車を漕いで行くと、北端の岬が見えてくる。

「毒ガスの島」を象徴する大規模施設「長浦毒ガス貯蔵庫跡」は、この岬の付け根部分に作られた。

大久野島で製造された毒ガスは多い時で年間1500トン、15年間の総生産量は6616トンだったという。

この貯蔵庫の大きさを見れば、いかに大量の毒ガスが製造されたのか容易に想像がつくはずだ。

この貯蔵庫は戦時中、迷彩色で塗られたうえに手前に小山を築いて海から見えないように偽装が施されていたという。

貯蔵庫の壁が黒く焼けているのは、戦後アメリカ軍が火炎放射器を使って毒ガスの処理を行なったためだと書いてあった。

毒ガス作りに励んだ労働者たちの前にも、今と変わらない静かな海が広がっていたのだろうか・・・。

北部砲台跡

長浦貯蔵庫を過ぎると、道は一気に登り坂となる。

観光客が集まる休暇村から一番遠い島の北側、この辺りにはウサギの姿が一段と多い気がする。

様々な色のウサギがそこら中にいる。

さすが「うさぎの島」と呼ばれる所以だ。

そんなウサギだらけの山の中に突然現れたのが「北部砲台跡」である。

この砲台が築かれたのは明治時代。

ロシアの侵攻から京阪地区を守るためにこの島に作られた「芸予要塞」の一部をなす。

大久野島には、北部・中部・南部の3つの砲台が設けられ、計22門の大砲が据え付けられていた。

ここ「大久野島保塁北部砲台」には、24cmカノン砲4門が海を睨んで設置されていたそうだ。

大砲の下には、石と煉瓦で精巧に作られた兵営が並ぶ。

大久野島の山頂に築かれた「中部砲台」への道は現在通行止めとなっていていくことはできなかったが、この「中部砲台」に設置されていた28cm榴弾砲2門は日露戦争の際に旅順に運ばれ、有名な二百三高地攻略戦に使用されたものだ。

日露戦争で勝利しこの芸予要塞の重要性が失われたため、地元では要塞に代わる軍事施設の誘致を働きかけた。

その結果やってきたのが毒ガス工場だったというのも歴史の一面である。

発電所跡

島の東海岸に進むと急な下り坂になり、自転車に乗ったまま降りるのが危険なほどだ。

ウサギに気をつけながらゆっくりと坂を降りていくと視界が開け、美しい海岸線に出た。

どんより曇っていた空がこの時間になると青空が広がり、瀬戸内海は一段と美しさを増す。

海に突き出た石造りの桟橋は芸予要塞時代に築かれたもので、毒ガス工場の時代にも使われたという。

この桟橋の近くに、大久野島で一番の撮影スポットが待っていた。

外周道路脇にポッカリと掘られたトンネル。

コンクリートの壁に書かれた「MAG2」の文字は「火薬庫」を意味している。

トンネルの先にあったのは、廃墟のまま放置されたコンクリート製の建物。

しかし、建てられた時には火薬庫ではなく、ここは発電所だった。

『この建物は、大久野島で毒ガスを製造する際に、電力を供給していた発電所跡です。当時ディーゼル発電機が8基設置され、いずれも重油を燃料にしていました。

また、この建物では1944年11月〜1945年4月までの間、「ふ号作戦」に使用する風船爆弾の風船を膨らませ、弱い部分を補修する作業も行われました。使用された風船は、動員学徒の女学生が和紙をこんにゃく糊で貼り合わせて作っていました。』

戦後、この島を接収した米軍は、大久野島を弾薬置き場として利用した。

この島に置かれていた弾薬は、朝鮮戦争で使用されたという。

発電所跡の壁に残された「MAG2」の文字は、アメリカ軍が書いたものだったのだ。

朝鮮戦争が終わってもすぐには島は返還されず、今度は米軍の弾薬解体処理場として利用された。

1902年にこの島に「芸予要塞」が建設されて以来、ずっと軍事機密のベールに包まれ地図から消された大久野島が、最終的に米軍から返還されたのは1957年のことであった。

そんな戦争と結びついた島の歴史を今に伝えるこの「発電所跡」にも、たくさんのウサギがいた。

観光客が降り立つ第二桟橋に近いこともあって、ここのウサギは人を見ると近寄ってくる。

大久野島が返還された昭和30年代、高度成長期を迎えていた日本では観光の大衆化が進み、大久野島も1963年、島全体が国民休暇村となった。

プールやテニスコートを作って国民のレジャーニーズに応えようとしたものの、令和の今となっては、人々を惹きつけているのは人工物ではなく自然繁殖したウサギだった。

なんだか人間の愚かさを感じさせられる。

毒ガス、ウサギ、休暇村。

いろんな角度から日本という国を体感できるという意味で、瀬戸内海に浮かぶ小さな島「大久野島」は日本人が一度は足を運ぶ価値のある面白い場所だと私は痛感した。

「大久野島」
広島空港から車で約45分、忠海港から船で約15分
JR三原駅からJR呉線で約20分、忠海駅から忠海港へ徒歩で約7分、忠海港から船で約15分
「休暇村大久野島」
電話:0846-26-0321

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