<きちたび>ソロモン諸島の旅2025🇸🇧 108カ国目の訪問国へ!「餓島」と呼ばれたガダルカナル島で味わうリゾートライフと急速に高まる中国の存在感

🇸🇧ソロモン諸島/ホニアラ 2025年10月8日〜10日

そもそも今回の旅を計画したのは、戦後80年に合わせ、太平洋戦争の激戦地ガダルカナル島を訪れたいと思ったからだ。

しかし、ガダルカナルの位置を正確に言える日本人が今どれだけいるのだろう?

多くの日本兵が飢餓で亡くなったことから「餓島」とも呼ばれたガダルカナルは現在、「ソロモン諸島」という島国の中核となっていて、日米が激しく戦った激戦地の周辺に戦後できた「ホニアラ」という町がソロモン諸島の首都になっていることを、私は今回初めて知った。

そして、ソロモン諸島は私にとって108ヶ国目の訪問国となったのである。

日本からホニアラに行くルートはいくつかあるが、今回私はその中からオーストラリアのブリスベン〜ホニアラ往復のカンタス航空を選んだ。

エコノミークラス往復で8万8440円。

旅行者が少ない南太平洋の旅は、何かにつけて金がかかる。

ソロモン諸島で流通する通貨は、「ソロモン諸島ドル(SBD)」という聞いたのともない独自通貨だった。

ダメ元で空港の両替所で聞いてみると両替できると言うので、余っていたオーストラリアドル札をソロモン諸島ドルに替えることにした。

55豪ドルを渡して、返ってきたのは200ソロモン諸島ドル。

このレートがいいのかどうかさっぱりわからないけれど、オーストラリアでは一切現金を使わないため持っていても仕方がない。

ただ後で正規のレートを調べてみたら、なんと1ソロモン諸島ドル=0.18豪ドルだという。

それで計算すると、200ソロモン諸島ドル=36豪ドルなので、35%ほど手数料を取られたことになる。

昔から空港の交換レートは悪いとは言うものの、近頃では悪徳なぼったくり業者そのものである。

ソロモン諸島に行く客は多いないと見え、使用する機体は1列5席の小型機だった。

どうやらブラジル製の「エンブラエル190」という飛行機らしい。

定員100人ほどの小型の旅客機で、日本メーカーが参入を目指しているクラスなのだろう。

私は知らなかったが、この「エンブラエル」というブラジルのメーカーは航空機業界の世界3位だそうで、つまりボーイング、エアバスの世界二強に次ぐ地位を占めているのだ。

午前11時半、ブリスベン空港を離陸。

するとすぐ眼下にエメラルドグリーンの海が広がった。

ブリスベンが面するモートン湾は、砂が堆積した美しい海だ。

その先も、航路上にいくつか美しい環礁が見える。

しかしその数は期待したほど多くはなく、ただ茫漠と広がる海と積乱雲が続く景色はすぐに飽きて、スマホにダウンロードしてあったドラマを見て過ごした。

ブリスベンを飛び立っておよそ3時間。

はっきりと島影が見えてきた。

あれがガダルカナル島である。

飛行機は南から北へと島を縦断して飛ぶ。

ガダルカナル島の上空は厚い雲に覆われて、ただ南海岸がわずかに見えるだけだ。

私を乗せた旅客機は、分厚い積乱雲をかき分けるように高度を下げていく。

激しく機体が揺れる。

密度の濃い熱帯の雲だ。

その雲を翼で切り裂きながら突入していくと、窓の外を大量の雨粒が真横に駆け抜けていく。

雲の下でも、激しい雨がジャングルに降り注いでいるに違いない。

この圧倒的な南国の雲を見ていると、83年前、飛行場奪還の使命を帯びて密林の中を勇んで行軍し、やがて敗れて食料を求め彷徨うことになる兵士たちの姿が、リアルに想像できるような気になってくる。

ようやく雲を抜け、地上の様子が見えてきた。

森の中をうねうねと続く一本の蛇行する線が見える。

川か、それとも人間が作った道路だろうか?

ガダルカナル島は東西160キロ、南北48キロの横長の島である。

中央部を山脈が貫き、最高峰「ポポマナセウ山」の標高は2335メートル。

太平洋を吹き抜ける湿った風がこの山々にぶつかるため、島の南部には常に分厚い雲が発生し、その雲がもたらす大量の雨が人間が立ち入ることのできないほどの熱帯雨林を育むのだ。

それに対して、島の北側は比較的地形もなだらかで、雨も南部に比べると少ないため集落が形成されていた。

丘陵の尾根に沿って道路が作られ、それに沿って住宅が建てられている。

人間の手が加わった森は、熱帯雨林に比べて密度が薄く、ところどころ禿山のようになった部分も目につく。

焼畑農業だろうか?

山の一部で樹木が伐採されて、その周辺から煙が立ち上っているのも見える。

人々は島を覆う熱帯雨林のごく一部を開墾し、農地に変えて作物を育てているらしい。

突然、飛行場が現れた。

周囲には平地が広がり、点々と民家が立ち並んでいて、空には嘘のように雲が消えていた。

この飛行場こそ、日米が熾烈な争奪戦を繰り広げ多くの人命が失われた戦略目標だったのである。

ここがホニアラ国際空港。

それは首都の国際空港とは思えないほど、素朴なローカル空港に見えた。

この場所に最初に飛行場を建設したのは日本海軍、ソロモン諸島空域の制空権確保が目的だった。

乗客はタラップを降りて、歩いてターミナルビルに向かう。

ブリスベンの空港ではよく見えなかった機体が、ここでは間近から好きなだけ見ることができた。

これがブラジル製「エンブラエル190」のスリムな姿である。

飛行機から降り立った乗客たちを、檻に入った大勢の人が見守っている。

おそらくあそこが送迎デッキなんだと思うが、なぜ動物園の檻のような作りになっているんだろう?

乗客の列の最後について私もターミナルビルに向かう。

見上げると、檻の中からたくさんの子供たちが興味深そうに私たちを見ている。

失礼ながらまるで猿小屋のようだが、昔テレビの特派員として多くの発展途上国を訪れた際にいろんな国でこうした剥き出しの好奇心を目撃した経験があったため、なんとなく懐かしいという感情が私の心に浮かんできた。

到着ターミナルの内部はこんな感じ。

日本とソロモン諸島の間にはビザ免除の協定はないが、日本人は到着時に無料でアライバルビザがもらえるそうで、事前にビザを取得する必要はない。

アライバルビザを取得する窓口もないため、通常の入国カードの記入してパスポートと一緒に入国審査の際に提出するだけで問題なく入国できた。

ただ、こんな注意書きがさりげなく置いてあった。

爆弾への注意を呼びかけるポスターで、爆弾や不審なものを見つけた場合すぐに通報することやお土産として持ち帰らないこと、地面の下に爆弾が埋まっている可能性があるため不必要に穴を掘ったり焚き火をしないことなどが呼び掛けられていた。

ここがかつての戦場だったことを思い起こさせるガダルカナルにふさわしい呼びかけだと感じた。

そして同じく到着ターミナルにはこんな一枚の大きな写真が飾られていた。

顔に墨を塗り、貝の首飾りをつけた女性と子供たちの写真。

おそらくこれがこの島での客を迎えるための伝統的な衣装だったのだろう。

無事に入国審査を終えて、建物の外に出ると、写真とは出立ちが違うものの大勢の人たちが出迎えてくれた。

ただ彼らのお目当ては、私と同じ飛行機でこの島に来た宣教師のようである。

とりあえず両替も済ませているので、このままタクシーを捕まえてホテルに行こうと思った。

ところが、タクシーらしき車が見当たらない。

しかも普通の発展途上国ならば、空港から出てきた旅行客はたちまちタクシーの運転手に声をかけられるものだが、誰も私に声をかける者はいない。

これは困ったと思い、一人の男に私の方から声をかけ、「タクシーはどこだ?」と聞いてみた。

ソロモン諸島の公用語はありがたいことに英語なので、男は「付いてこい」と言って1台の車の前まで案内してくれた。

よく見ると、一般車両に「TAXI」と書いてあったり、屋根に小さな標識が取り付けられたりしているのに気づく。

私は男から紹介された運転手と料金交渉をしたうえで、彼の車に乗り込んだ。

市内のホテルまでの運賃は150ソロモン諸島ドル、日本円で2700円。

いくら値切っても運転手は言い値を譲らず、私が根負けした。

彼の車は中古で買った日産のXトレイルで、なぜかディスプレイには東京のラジオ局が並び、時間表示も日本の時間を示していた。

日本の中古車がそのままの姿で走っているのも、これまで様々な国で見てきた「途上国あるある」である。

市内に向かう途中、大勢の人を荷台に載せたトラックが何台も連なって走るのを見た。

これも途上国では何度も見た光景で、選挙でもあるのかなと思って質問してみると、「あれは結婚式だ」と運転手は答えた。

ソロモンの結婚式では、新郎新婦の親族や友人たちが車を連ねて街を走り回るのが慣例のようだ。

ホニアラ市内に入り、にわかに車の数が増えてきた。

空港から市内に向かう道路は完全な一本道、交通渋滞は慢性的に発生するらしい。

ホニアラの街には高層の建物はほとんどなく、私が途上国取材をしていた1980年代と変わらぬ町並みが続いていた。

何だか、妙に懐かしいな。

車窓からの眺めをぼんやり見ながら、そんなことを感じていた。

ホテルに到着したのは午後4時半ごろ。

空港からは10キロほどの距離ではあるが、30分ほどかかったことになる。

私が予約していたホテルは、ホニアラでも有数のリゾートホテル「コーラルシー・リゾート&カジノ」。

南国らしく吹き抜けになったロビーには、旅行客とは思えない男たちがたくさん屯していた。

その名の通り、このホテルにはカジノが併設されていて、それを目当てに訪れる地元の人も多いようだ。

若い頃は私もカジノに興味があって、マカオやモナコのカジノで遊んだものだが、今となってはもはや何の興味もなくなった。

チェックインを済ませ、ウェルカムドリンクであるヤシの実のジュースを飲んだ後、自分の部屋に入った。

今回は少し奮発して、海が見えるデラックスルームを予約していた。

2泊で8万3000円。

ソロモン諸島にはちゃんとしたホテルは少なく、輸入に頼る島国なので物価も総じて高い。

ホテルの隣はコンテナ倉庫のようで、左を向くと雑然と積まれたコンテナの山が見えて興醒めするが、この角度であればまあまあそれなりのリゾート気分は味わえる。

ただ、ベランダに出ると暑いし、マラリアを媒介する蚊もいるので、基本的にはエアコンの効いた部屋の中から海を眺めるのが良いみたいだ。

でも、水回りも綺麗だし、発展途上国のホテルとしては十分に合格点を挙げられるだろう。

翌日にはタクシーを借り上げて島に点在する戦跡を回る予定なので、この日はゆっくりリゾートライフを満喫することにした。

リゾートライフのスタートはまず、ホテルの全体像を知るところから始まる。

このホテルの客室は、平屋のヴィラが数棟と3階建てのホテル棟からできている。

私の部屋はホテル棟の2階海側にある。

一応、屋外プールも完備しているものの、泳いでいる人はほとんど見なかった。

私は泳ぐ気満々で水着も用意していたが、あいにくの体調不良で一度もこのプールで泳ぐことはなかった。

こちらがメインダイニング。

このホテルにはもう一つビーチサイドのバーもあり、それぞれ食事も楽しむことができるようだ。

ホテルの外にもいくつか食事ができる店があるみたいだが、クレジットカードが使える店は多くなく、何より体調を考慮して、今回は割高を承知でホテル内で全ての食事を完結することを決めた。

午後5時半ごろになると、もう夕暮れの時間だ。

とりあえず一度、海の方に行ってみることにした。

ヴィラの前には芝生が広がり、大きな木がシルエットを作っている。

なかなかいい雰囲気じゃないか。

ホテル前の海はビーチではなく、岩場に桟橋が伸びていた。

周囲の海岸線も決して美しいわけではなく、むしろこうして逆光で写真を撮った方が美しく見えるような感じである。

ホニアラ沖の海は「アイアン・ボトム・サウンド」と呼ばれ、日米の多くの船が今も沈んでいる世界でも有数の海の墓場だ。

停泊していたオンボロ船も廃船かと思ったら、よく見ると内部で人が作業している姿も見られ、どうやら現役の漁船のようである。

6人の男たちが漕ぐボートが港に帰ってきた。

あれも伝統的な漁船なのだろうか?

ソロモン諸島が属するメラネシアの島々に最初にやってきた人間たちも、東南アジアから手漕ぎの丸太舟に乗ってやってきたと考えられている。

間違いなく命がけの航海だっただろうが、そうした屈強な人間の子孫だけに、南太平洋の先住民には鋼の肉体を持つ大男が多く、数々の有名ラグビー選手を輩出しているのも血統と関係があるのだろう。

夕方6時を過ぎ、私は海辺にあるバーで夕食を食べることにした。

ここはなかなか魅力的な場所で、気持ちのいい海風が吹き抜けている。

この日、私が注文したのは、こちらの「アイスレモンティー」(35SBD)と・・・

「ワンタンスープ」(120SBD)。

合わせて日本円でおよそ2800円である。

確かに高いが、この日の体調にはちょうど良く、特にアイスレモンティーはとても美味しかった。

食事を済ませた後は、そのまま部屋に戻りベッドに入る。

風邪が悪化するのはなんとか防いでいるものの、油断は大敵。

こんな島国で病気が悪化してもちゃんとした医療を受けられる可能性は低いので、寝て自力で治す以外方法はないのだ。

翌朝、少し寝られたせいか、風邪は悪化せず前日に比べると多少元気になった気がする。

この日はガダルカナルを訪れた主目的である遺跡めぐり。

道路事情が悪い場所も多いようなので、しっかり食べて体調を整える必要がある。

ということで、この日私が朝食に選んだのは、「フルーツサラダ」(60SBD)と「ハム&チーズ・クロワッサン」(55SBD)。

合わせて2000円強の朝食である。

でも、フルーツサラダもクロワッサンサンドもどちらもすごいボリュームであり、これが食べられれば一日他に食べなくても大丈夫そうである。

この日は朝から快晴で、風が吹き抜けるテラスでいただく朝食は、もうそれだけでリゾート気分を盛り上げてくれる。

おかげで、少し体調も良くなった気がした。

この日は本当に天気が良かったので、改めてホテル内をひと回り。

私が宿泊するホテル棟も晴れているととてもいい感じだ。

この日は終日、ガダルカナル島各地に残る戦跡めぐり。

その報告はまた別の投稿で・・・。

お昼頃、一旦ホテルに戻って休憩。

この日はお天気がいいので、部屋から見える海もきれいだ。

ガダルカナルの最高気温は32度ぐらい。

この日はプールサイドで過ごすのに最適の気候だったけれど、プールには誰もいなかった。

現地の人はともかく、宿泊客も誰も泳いでいないのはやはり不思議である。

おそらくバカンスを目的にこの島にやってくる人がいないからだろう。

午後も再び戦跡めぐりに出かけ、夕食はこの日も海辺のバーで摂る。

ここは宿泊客だけでなく、地元の人にも人気のスポットだ。

心地よい海風がやさしく吹き抜ける気持ちのいいテラス席に座り、メニューを吟味する。

体調もだいぶ良くなったので、この日はまずビールから。

「ソロモンのビールはある?」と聞くと、こちらの青い缶が運ばれてきた。

『カヌーラガー・ブルー』(35SBD)

確かに、缶にはソロモン諸島で製造されたことを示す「SOLOMON BREWERIES」と書いてある。

そしてメインは「仔羊のカレー」(160SBD)。

ソロモンに限らず、南太平洋の島国ではインドの影響も強いようで、カレーもポピュラーなメニューのようだ。

果たしてどんなカレーが出てくるかと少し心配したが、どうしてどうして肉も柔らかく、とても美味しいカレーだった。

この日の夕食は合わせて、約3500円。

高いといえばかなり高いが、まあこの雰囲気を加味すれば特に不満も感じない。

ガダルカナル滞在最終日の朝食は、メインダイニングで「コンチネンタルブレックファースト」(70SBD)を選択した。

朝8時半ごろ食堂に行ったのだけれど、私のほかに客はほとんどいない。

やはり宿泊客が少ないのだろう。

シリアルとスイーツ、そして南国のフルーツ。

やはり熱帯での楽しみは豊富で美味しいフルーツに限る。

朝食を済ませ一休みした後、ホニアラの中心部までお散歩に出かけた。

時刻はすでに11時を回っていて、歩いていると汗が噴き出る。

首都とはいえ、高い建物もなく、幹線道路に沿って商店が立ち並ぶだけの小さな街だが、特段治安の悪さは感じない。

発展途上国によくあるのんびりとした街である。

街の中心部にある「ソロモン諸島国立博物館」に入ってみた。

入場は無料。

老朽化したオンボロ博物館ではあるが、何の予備知識もない未知の国を知るという点では、個人的には案外面白い発見もあった。

展示スペースに入ると、正面には先祖代々使用してきた丸木舟が置かれ、ソロモン諸島の紹介から始まっていた。

『ソロモン諸島は1600キロに及ぶ海洋に散らばる900以上の島から構成されている。人々は数千年にわたり、陸と海を行き来しながら伝統的な暮らしを数千年にわたって守ってきた。私たちは山岳地帯から珊瑚礁まで様々な環境で暮らし、70を超える言語を話している。この1世紀で広い世界と関わるようになり私たちの生活は大きく変わったけれど、私たちの多様な文化や習慣は今も生き続けている。』

そして不気味なオブジェも展示されていた。

「骸骨ハウス」と名付けられたこの人骨を組み込んだ祠のようなものは、この島々に長く伝わる先祖を祀る風習なのだという。

『かつて私たちは、先祖に精神的な支えと守護を祈りました。豊かな農地、戦争での勝利、治癒、航海の安全を願って、食料、豚、そして地元のお金を供えました。重要な人物が亡くなると、子孫はその頭蓋骨やその他の遺骨を土地の祠に安置し、彼らを偲び、支えと守護を祈りました。祠は、その土地が何世代にもわたって誰のものであったかを示す重要なランドマークです。祠は今でもタブー、つまり神聖視されて保護されていますが、観光客やコレクターに売るために、古い工芸品が違法に略奪されることもあります。各州では、祠の維持と尊重、そして破壊からの保護を支援するための法律が制定されています。』

こうした風習は、初めてこの島に訪れた西洋人たちを驚かせたことだろう。

南の島に暮らす先住民が「人喰い人種」と呼ばれるようになったのも、独自の先祖供養の文化を目の当たりにした船乗りたちの土産話からどんどんイメージが膨らんでいったものと考えられる。

映画「キングコング」などで描かれた人喰い人種伝説は世界中に広まり、太平洋戦争で南洋に送られた日本兵たちも現地の人たちを「土人」と呼んだ。

日本軍が戦略的な理由からガダルカナル島に飛行場建設を決定した時にも、現地に住む人々のことは全く考慮に入れなかった。

その背景には、彼らを人間として見ない偏見があったに違いない。

博物館を出た後、目の前にある日系のホテルに立ち寄ってみた。

「Solomon Kitano Mendana Hotel」

長野県に本社を置くゼネコン「北野建設」が所有するホテルで、この会社はソロモン諸島で多くの土木工事を受注しこの国のインフラを支えているのだという。

中に入ると、ロビーは海風が入るように上手に設計されていて、一旦ソファーに座ると立ち上がれないほどに気持ちがいい。

私が宿泊するホテルに比べて落ち着きがあり、ソロモンを訪れる日本人はみんなこちらのホテルに宿泊するというのも頷ける。

海に面した中庭にはプールもあり、デッキチェアに寝転んで海を眺めることもできる。

元は国営ホテルだったというだけあって、ロケーションも街のど真ん中にあり、何かと使い勝手のいいホテルのように見える。

おまけにこのホテルには、日本食のレストラン「白梅」をはじめ、3つのレストランとカフェもある。

まさに至れり尽せりのリゾートホテル。

ただ、宿泊客はこのホテルでも少ないようで、快適そうなプールサイドにも人影は全くなかった。

戦後、日本政府はガダルカナルにおける遺骨収集のかたわら、多額のODAによりソロモン諸島の復興を支援してきた。

2023年に建設されたホニアラ空港の出発ターミナルも日本によって建設されたものだし、空港から市内へ伸びる幹線道路も戦後日本によって建設された。

しかし、戦後80年を経て、状況は大きく変化しつつある。

戦争を経験した世代が世を去り、ガダルカナルの記憶も戦死者の遺骨収集に訪れる日本人も減った。

それと軌を一にするように、日本からの援助も減り、空港から市内へ通じる日本が建設した幹線道路も一本道なのでひどい渋滞が慢性的に発生したいる。

そんな日本に代わって、急速に存在感を増しているのが中国である。

日本によって建設された道路の補修を行なっているのはもっぱら中国企業。

中国は、ホニアラから西海岸に伸びる新たな道路も建設するという。

その道路沿いには、新たなリゾートタウンの建設も計画されていて、予定地にはすでに地元政府の役人たちが住む真新しい住宅も建設されていた。

2019年に首相に就任したソガバレ首相は、それまで多額の支援を受けていた台湾との断交を発表、代わって中国と国交を樹立した。

街を走る警察車両の多くは中国からの援助で、車体には「CHINA AID」のステッカーが貼られている。

ホニアラ市内を走る自動車の大半は今でも日本製なのだが、日本の援助が減るに従い、徐々に中国車にシェアを奪われることになるだろう。

人口わずか70万人ほどのソロモン諸島は、いまや中国の太平洋戦略の重要な拠点となっているのだ。

そうした中国との関係を象徴する施設が、空港から市内に向かう途中にある。

2023年に開催された南太平洋諸国のスポーツ大会「パシフィックゲームズ」のメイン会場として建設された新国立競技場だ。

当初は台湾の支援により建設される予定だったが、政府の方針変更により中国政府が建設しソロモンに寄贈する形となった。

建設業者も台湾企業から中国企業に変更となり、中国本国から100人を超える労働者が派遣されたという。

競技場の前には、しっかりと「中国援助」の文字が刻まれていた。

数日ホニアラ周辺を回っただけで、日本やオーストラリアの影が薄くなり、中国の影響力がどんどん大きくなっていることを感じる。

私が乗ったタクシーの運転手は、「日本人はいい人たちだが、中国人は悪い。お金のことばかり」と私に語った。

私が日本人だと伝えたからお世辞半分でそう言ったのかもしれないが、日本人とは違い、中国人は集団で島にやってきて中国流のビジネスを始めるために拒否感もあるのだろう。

ソロモン諸島を離れる日、日本の援助によって建設された空港の出発ターミナルを利用した。

中国が建設した立派な国立競技場に比べて、真新しいターミナルは倉庫のような地味でコストを最小限に抑えたような建物だった。

機能面では申し分なく、この国にふさわしいコンパクトな建物だが、地元の人たちに日本の存在を印象付ける効果は限定的だと感じた。

そういえば、到着した乗客に強烈な印象を与えるあの檻のような送迎デッキも、日本の援助で建てられた出発ターミナルの一部だと分かった。

網で覆わないと落ちる人がいると思ったのか、果たして設計の意図は何だったのだろう?

そんな疑問を抱きながら、3日間のガダルカナル滞在を終え、再びブリスベンに飛んだ。

80年前、多くの同胞が遠く離れたこの島で戦死し、戦後、その反省の気持ちを込めて島の復興に協力してきた日本。

しかし、ソロモンの人たちが今も日本に親近感を持ってくれている一方で、私たち日本人はすでにガダルカナルのことも、ましてやソロモン諸島のことも忘れてしまった。

それでも、ガダルカナルのこの美しい海には今も多くの日本の船が遺骨と共に眠っている。

せめて、リゾート気分でもいいので、多くの日本人がこの島を訪れることを期待したい。

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