<きちたび>ロサンゼルスの旅2024🇺🇸 45年前の追憶① 若き日に安宿で過ごした「リトルトーキョー」は見違えるように盛況だった

🇯🇵 アメリカ/ロサンゼルス 2024年2月17日

カリブ海の旅を計画する際、一番安いルートがロサンゼルス経由とわかり、私の頭にあるアイデアが浮かんだ。

学生時代、中南米を貧乏旅行した際に3ヶ月半を過ごしたロサンゼルスで当時の追憶を辿ってみよう。

その思い出の場所の一つが、「リトルトーキョー」と呼ばれるダウンタウンの日本人街だった。

今月17日、マイアミからロサンゼルスに向かうアメリカン航空機は離陸後ずっと雲の中で、たびたび激しく揺れた。

アメリカ南部はこの季節、曇り空の日が多いらしい。

テキサスと聞くと、なんとなく晴れて乾燥しているイメージを持っていたが、冬の時期にはカリブ海から流れ込む水蒸気が冷えて雲が湧きやすいようだ。

ヒューストンを過ぎ、テキサス州西部からニューメキシコ州あたりに来ると、ようやく雲が切れて地上の様子が見えるようになった。

乾燥した大地が続き、そこに何やら不思議な紋様が現れた。

何だろうと思ってこの写真をGoogle検索してみると、テキサス州で撮影された似たような写真がヒットした。

どうやら石油やガスの採掘現場、いわゆるシェールオイル、シェールガスのサイトのようだ。

こちらの写真もどうやら石油関連のようである。

元々テキサスは石油成金たちの土地だった。

中東の安い原油に押され一時はアメリカの原油生産は落ち込んだものの、シェールオイルの技法が開発されたことによってアメリカは再び世界最大の原油産出国に返り咲いている。

見渡す限りの原野にところどころ唐突に緑色の紋様が現れるのも特徴だ。

これは地下水を利用した農場。

散水機の形状によって円形や四角形の畑が作られる。

アリゾナ州やユタ州などアメリカ南西部では近年、地下水の過剰な汲み上げが原因とされる地割れが問題となっている。

中西部の乾燥地帯では地下水は人間が生きていくための貴重な飲料水であるが、こうした無理のある農業経営が問題をより加速しているのは間違いない。

不毛の荒地の中に忽然と大都市が出現した。

Googleマップで確認するとどうやらアリゾナ州の州都フェニックスのようだ。

今や人口160万人に達したフェニックスの街は、1867年ソノラ砂漠北東部の灌漑事業と共に計画された人工都市で、20世紀に入るとニューディール政策の下、軍事産業や航空機産業が発達し、現在ではアメリカ半導体産業の一大拠点となっている。

Googleから分社したWaymoが自動運転タクシーの商業運用を行う全米初の都市としても注目されているそうだ。

コロラド川が見えてきた。

ロッキー山脈を源流にアメリカ南西部の乾燥地帯を貫きカリフォルニア湾に注ぐ重要な大河である。

有名なグランドキャニオンを削り出したことでも知られる激流だったが、巨大ダムの代名詞ともなったフーバーダムなど多くの治水対策が施され、流域の4000万人に生命の水を提供するとともに、2万平方キロを超える農地に灌漑用水を供給してきた。

ところが水の需要がどんどん増えるに従って川の水位は急激に下がっていて、深刻な渇水問題が起きている。

こうしてアメリカの上空を飛んでいると、人間の欲望の深さをまざまざと見せつけられるような気分になってくる。

カリフォルニア州に入ると、急に雪山が見えてきた。

ロサンゼルスの東に聳える「サン・ゴーグニオ山」、標高は3500メートルもあるそうだ。

ロサンゼルスというとすごく乾燥したイメージを持っていたが、地図をよく見ると周囲を山に囲まれていて、太平洋から水蒸気が流れ込むとこの季節雪が降ることも珍しくないらしい。

私が訪れた2月は、ロサンゼルスも一年で最も雨が多い季節だそうで、特に今年は「大気の川」と呼ばれる水蒸気の流れがロサンゼルス地域に停滞し、最大60センチの降雪が記録されたほか、土石流や河川の氾濫といった被害も出たようである。

こうして6時間におよぶ空の旅を楽しんで、私は曇り空のロサンゼルスに再び戻ってきた。

帰国を前にロサンゼルスのダウンタウンに2泊して、若き日にこの町で過ごした45年前の日々を追体験するのである。

ロサンゼルス国際空港からダウンタウンまでは結構距離がある。

一応Uberも調べてみたが、片道100ドル以上と表示されたため、ダウンタウン近くのユニオン駅行きの直行バス「FlyAway Bus」を利用してみることにした。

到着ロビーを出ると、水色の柱に「LAX FlyAway」の表示があった。

私が待っているとすぐにバスが来たので、乗り込もうとすると「これはユニオン駅行きではない」と言われた。

フライアウェイバスには2路線あり、このバスは全然方向の違う「Van Nuys」という街の北部に行くバスだったようだ。

ユニオン駅行きは30分に1本、気長に待つほかはない。

結局30分近く待ってようやくユニオン駅行きのバスがやってきた。

現金は使えず、事前にネットでチケットを購入するか、タッチ式のクレジットカードでの支払いとなる。

料金は9.75ドル、およそ1470円。

地下鉄を使うともっと安く行けるようだが、乗り換えが不要でUberの10分の1以下という値段設定は十分利用価値がある。

バスはユニオン駅までノンストップ、途中ほどんど高速道路を走るのでなかなか快適だ。

途中、高架になっているフリーウェイの向こうにロサンゼルスらしい椰子の街路樹がいっぱい見えた。

背が高くなりすぎてなんか変、45年前はこんなにヒョロ高くはなかった気がする。

そうして35分ほどでバスはユニオンステーション近くのバスターミナルに到着した。

これは本当にスムーズ。

ユニオン駅近くにホテルを取っていればもっと便利だったかもと思った。

45年前にもこの駅には来たことがあるが、私が知るダウンタウンとは比べ物にならないほど綺麗に整備されていた。

ユニオン駅は全米をつなぐ長距離列車アムトラックのターミナル駅ではあるが、地下鉄「メトロレール」も2路線乗り入れている。

45年前私がこの街にしばらくいた頃には地下鉄などはなかった。

調べてみると、ロサンゼルスの地下鉄は1990年ごろから順次開業し路線を拡大してきたのだという。

この地下鉄に乗れば、私が予約したホテル近くにも行けるようだが、私はユニオン駅近くの中華街でランチを食べてからホテルに向かうことにしていたので、メトロの駅は素通りすることにする。

ユニオン駅の建物はアメリカの歴史的史跡にも指定される立派なもので、通路の上には多民族国家アメリカを象徴するような壁画が掲げられていた。

全体的に荘厳で、ちょっと共産圏の国に来たような錯覚を覚える。

通路を抜けた先にある待合室は特に立派で、高い天井にはちょっと中国建築を思わせるような紋様が描かれていた。

天井から吊るされたシャンデリア、床は石造りのモザイク模様。

待合室の椅子も革張りのソファーで、大変凝った作りである。

ユニオン駅の正面に出る。

椰子の並木が印象的な素敵な建物である。

ロサンゼルスのダウンタウンというと、すごく汚い印象があったが、この界隈は思いのほか綺麗でやばい雰囲気がしない。

Googleマップで見つけた点心のお店を目指して中華街の方向へと歩く。

この白い綺麗な建物は郵便局らしい。

私が目をつけた「MAMA LU’s DUMPLING HOUSE」という点心のお店はすごい人気で入店待ちの行列ができていた。

しばし待ってみたが、全然進まないのでこの店で食べることを断念し、別の中華料理店を探すことに。

すると、目の前を龍踊りが通り過ぎていく。

どうやら旧正月のお祝いらしい。

2024年の中国の旧正月「春節」は2月10日からの8連休、私が中華街を訪れたのが17日なので、ちょうど最終日に当たったようだ。

結局、通りすがりのこちらのお店で食べることにした。

「鳳城菜館」

見た目はボロいが1965年創業の老舗中華料理店で、そこそこ客で賑わっていた。

注文したのは「揚州炒飯」(14.50ドル)。

チャーハンだけだと寂しいかなと思ったが、単品で2000円以上するので副菜は付けなかったが、すごい量で頼まなくてよかったと思った。

適度な塩味で美味しい炒飯だった。

やっぱり中華料理はハズレが少ない。

ポットで提供される中国茶もありがたかった。

客層は中国系とラテン系ばかりで、いわゆる白人の姿はない。

それでもみんなたくさん注文しているようで、私のように炒飯だけという客はいなさそうだ。

ついつい日本の金銭感覚でランチで2000円は高いと思ってしまうのだが、インフレが長期化すると値段の感覚も変わってくるに違いない。

食事を終えてホテルに向かって歩いていると、大勢の人が集まる通りにぶつかった。

どうやら浚渫のパレードが行われているらしい。

有名人らしき人がオープンカーで沿道に手を振っている。

私は人混みをかき分けて通りを横切り、そのままホテルまで歩いた。

中華街を抜けると再開発されたエリアに出た。

広い道路の向こうにダウンタウンの高層ビルが見えた。

45年前にも多少の高層ビルはあったものの、ビルの高さはだいぶ低かった気がする。

高速道路を跨ぐ橋を渡る。

この景色、45年前に撮影した写真にも写っていた。

若き日の私は、ダウンタウンを囲むように四方に伸びるフリーウェイが無料なのに驚いて写真に収めたに違いない。

こちらの「City Hall」も昔の写真に残っている。

ロサンゼルスの行政の中心で、市議会の議事堂もこの建物の中に入っている。

まさにこの界隈は若き日の私が歩き回っていた場所、やはり懐かしさを感じる。

こうして中華街から歩くこと15分。

予約してあった「カワダホテル」に到着した。

4本の地下鉄が交差する交通の要衝に位置する利便性とこのレトロな外観に惹かれこのホテルを予約したのだ。

ロビーはなかなかモダンなインテリアで、イメージしていた安宿という雰囲気は感じなかった。

値段は2泊で4万6654円。

これでもロサンゼルスの中心部としてはかなり安い方である。

だから室内もアメリカのホテルとしてはかなりコンパクト。

それでも日本のビジネスホテルに比べれば、まあ十分な広さはあり、電子レンジが付いているのもちょっと面白い。

ロサンゼルスではとにかく外食すると高くつくので、食費を抑えようと思ったらスーパーで出来合いのものを買ってきて温めて食べるのは有効な方法だ。

ただ、部屋が少し冷えるので暖房を時折使ったのだが、この音がうるさいのはちょっと困った。

まあ、多くを期待しなければ悪くないホテルだと思う。

ホテルに荷物を置いた後、私はまっすぐある場所に向かった。

ホテル前の「East 2nd. Street」を4ブロックほど東に歩いたところにある日本人街「リトルトーキョー」である。

1979年、初めてロサンゼルスにやってきた大学生だった私は、たまたま知り合った韓国人の紹介でこのリトルトーキョーの「ニューヨークホテル」という安宿に泊まった。

その安宿のすぐ近くに「ホテルニューオータニ」があったことはよく覚えているが、その建物は現在ヒルトン系列のホテルになっていた。

でも建物の形は当時と変わっていないように見える。

私の記憶では「ニューヨークホテル」はニューオータニのすぐ裏手にあったはずだったが、もう跡形もなく、その一帯は再開発されショッピングセンターになっていた。

まあ仕方がない。

なんせあれからもう45年が経っているのだから。

せっかくなので、この商業ビル「Weller Court Shopping Center」に入ってみると、日本食のレストランや日本のキャラクターグッズのお店、「ドン・キホーテ」と連携した日本食品スーパーなどが軒を連ねていた。

そして私が想像していた以上に、アメリカ人のお客さんたちで賑わっていたのである。

中にはアニメのコスプレをしてレジに並んでいる若い女性たちの姿も。

45年前にはなかったアニメ大国日本の人気ぶりを見た思いだった。

商業施設を出てさらに東に進む。

ますますコスプレギャルの姿が増えてきた。

日本のカワイイ文化が世界に広まったと言われてからもう久しいが、すっかり定着していることを私は初めて自分の目で目撃したのだ。

交差点には二宮金次郎と思しき銅像が立っていた。

これも45年前にはなかったはずだ。

日本の存在感が一時に比べて薄まったにも関わらず、日本人街は当時よりも広がったように見える。

リトルトーキョーの中心「日本村プラザ」はもっとすごいことになっていた。

まさに多くの人でごった返していたのだ。

日本人らしき姿もちらほら見るが、大半はロサンゼルスに住む様々な人種の人たちだ。

白人もいれば黒人もいて、韓国系やラテン系など本当に多彩である。

こちらにもたくさんのコスプレギャルがいて、まるで原宿にでも来たかのようだ。

リトルトーキョーにはこうした原宿ファッションを扱うお店もあって、自然と彼女たちを引き寄せるのだろう。

週末の夕方ということもあり、多くのお店に行列ができて歩くのも一苦労だ。

この施設は45年前にもあったが、当時はもっと裏ぶれていてもっとマイナーな街であった。

45年前、すでに日本はGDP世界第2位になっていたが、現在の賑わいを創出したのは紛れもなく日本のアニメ文化にほかならない。

その影響力は正直私の想像を遥かに超えていた。

リトルトーキョーの一角には、立派な施設も完成していた。

「全米日系人博物館」

若き日の私がこの街を訪れた年の3年後の1982年に開催された「日系アメリカ人兵士展」をきっかけに、日系アメリカ人の歴史を常設展示する運動が高まり、1992年にようやく開館。

第二次大戦中に日系アメリカ人が強制収容された歴史に関する企画展示を行うなどして、日系人の苦難の歴史が広く知られるきっかけを作った。

そしてこのモダンなパビリオンは、1999年に完成したものだそうだ。

周囲には単に日系人の限らず、民主主義に関連した施設がいくつも建てられ、分断されたアメリカを繋ぎ止め健全な民主主義に引き戻すための試みも行われているようである。

昼食に訪れた中華街などと比べて、日本人街はずっと洗練されアメリカ社会に溶け込んでいるように見えた。

「日本村プラザ」の向かいに古い煉瓦造りの建物が見えた。

私が当時宿泊した「ニューヨークホテル」もまさにこうした「ウエストサイド物語」に登場するような外階段のある建物だった。

そうした古い建物は、1階が飲食店、上の階が安宿になっていた。

なんだか妙に懐かしい。

私が泊まった「ニューヨークホテル」周辺はこんなに賑わっていなくて、貧しそうな人たちが屯するちょっと薄気味悪い場所だった気がする。

でも、ホテルの佇まいはまさにこんな感じだ。

この建物の1階にうどん屋を発見した。

「丸亀もんぞう」

この日は夕食にラーメンでも食べるつもりだったのだが、うどんを食べている男性を見て、俄然うどんが食べたくなった。

ラーメン屋ならリトルトーキョーにたくさん存在するが、うどん屋は少ない。

そしてこの日の私は出汁のきいたうどんのスープが飲みたかった。

時間が経つにつれ、どんどん店の前の人だかりが増えていく。

空いているように見えたが、実はリストに名前を書いて他のところに行っている人が多かったようで、入店まで30分ほど待たされた。

店内は家族連れで満席だった。

外にもテーブルがあったが、こちらもすでに埋まっている。

聞くと日本のうどん屋さんが出店しているのではなく、ラスベガスに本部がある日本食レストランチェーンが運営するお店だそうで、うどん屋はここロサンゼルスだけなのだそうだ。

私はシンプルに「海老天うどん」(15.25ドル)を注文した。

うどん1杯2300円である。

一見すると普通のうどんにも見えるが、海老は何故かぺちゃんこに潰され、天ぷらというよりもフライのようだ。

出汁もちょっと日本のものとは異なるが、まあまあギリギリ許せる範囲だろう。

ただこの店の人気は、日本ではお目にかからないような個性的なオリジナルうどん。

たとえば、「味噌カルボナーラ」とか「海老トマトクリーム」とか「うどんグラタン」とか。

それでも日本通な客の中には、私と同じように「海老天うどん」を注文し、さらに枝豆や揚げ出しなんかを注文している人もいた。

日本食の定着ぶりも45年前とは全然違う。

うどんを食べ終わり、日本食品のスーパーで少し果物などを買ってホテルに戻った。

ホテルの前にあるこのトンネルは、45年前に見覚えがある。

当時はトンネルの中が光沢のある白いペンキで塗られ、車のヘッドライトに照らされてこのトンネルが不思議な色に変わるのが印象的だったことを鮮明に覚えている。

今はトンネル全体に落書きがされて当時のイメージは失われてしまった。

45年の時を経て、再び歩いたロサンゼルスのダウンタウン。

変わってしまったところもあれば、昔の面影をとどめている場所もたくさん残っていた。

大学を休学し旅に出たものの、先が見えない不安の中で、自分の決断が正しかったのか自問しながら過ごしたロサンゼルスの安宿。

社会的な地位も肩書きもなく、まだ何者でもなかった頃の自分を思い返しながら、「よく決断した」と若き日の自分を褒めてやりたい気分だった。

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