45年前の記憶を辿るロサンゼルスの旅。
どうしても行きたかった場所がリトルトーキョーのほかに2か所あった。
一つはエルサルバドル人のルームメイトと暮らした郊外の家、そしてもう一つはロサンゼルスに長期滞在する原因となった無料で英語を教えてくれるアダルトスクールである。
18日の朝、私はホテル近くの地下鉄の駅に向かった。
地下鉄や路線バスに乗るためには、日本の「Suica」や「PASMO」にあたる「TAPカード」を手に入れる必要があるからだ。
日曜の朝ということもあってか、駅には人っこ一人いない。
それでなくてもロサンゼルスの地下鉄は治安が悪いと聞かされていたので、こうも人がいないと逆に気持ちが悪い。
改札もご覧の通り。
ホームレスの姿がないのはいいのだが、誰もいない駅というのも薄気味悪いものである。
券売機に2ドル入れてカードを購入し、それに必要な額をチャージする。
ネットの情報によれば「1日券」というのがあるはずなのだが、何度試しても画面に「1日券」の表示は出てこない。
券売機の上のところに「1-Day Cap $ 5」と書かれているのを頼りに、とりあえず5ドル分チャージをしてさっさと地上に上がることにした。
Googleマップで昔住んでいた家の住所を検索すると、地下鉄よりもバスの方が便利なことがわかったからだ。
私が昔住んでいた家の方向に行くバスは、私が宿泊した「カワダホテル」のすぐ近くのバス停から出るらしい。
途中乗り変える必要もなく、81番のバスに乗っていれば家の近くまで行くとGoogleマップが示している。
81番のバスは、ホテル近くの「Hill / 3rd」というバス停を9時49分に出て10時17分に「Figueroa / Springvale」というバス停で降りると、昔住んでいた家はバス停からわずか徒歩3分の距離にあるとGoogleマップは教えてくれる。
45年前、バスマップを読み込んで路線バスに乗りこなすのは至難の業だった。
それが今ではスマホが簡単に行き方を教えてくれる。
ある意味、すごく便利になったものだ。
ほぼ時間通り、81番のバスがやってきた。
このオレンジ色のバスが、地下鉄と同じ「ロサンゼルス郡都市圏交通局」が運営するメトロバスである。
ピーク時にはバス2000台を運行する全米第2位の巨大公共交通組織だ。
こちらが先程購入した「TAPカード」。
使い方は日本の交通カードと同じで、乗車時に運転席の機械にタッチするだけだ。
バスは一部フリーウェイを走るが、基本的には「Figueroa通り」を北東部パサデナの方向に進む。
ダウンタウンでは結構な人数が乗っていたが、一人また一人と降りていき、私の目的地に着く頃にはわずか数人しか乗っていなかった。
基本的にフィゲロア通り周辺は中流の住宅街で、さほどヤバい印象はなかったが、バス停には時々ホームレスの男性がベンチを占拠したりしている。
バスの中にもちょっと怪しげな男が乗っていたり、異臭がしたりして、日本のバスとはだいぶ雰囲気が違う。
Googleマップを睨みながら、目的地のバス停で降りる。
あたりは住宅街だったが、それまで通ってきたエリアに比べると相対的に貧しそうな地域だった。
そのままフィゲロア通りを歩いていくと、左手にフェンスに囲まれた一角があった。
Googleマップはここが目的地であると示している。
こんな大通りに面していたという記憶はなかったが、確かに見覚えがある景色にも見えた。
こちらが、家の前の「Delphi St.」。
この通りも確かに見覚えがある。
ロサンゼルスで韓国人の若者から購入したオンボロ車でこの道を通り、敷地の駐車場に入った記憶が蘇ってきた。
敷地には駐車場があり、その奥に数軒の平屋の住宅が並んでいる。
45年前の話なので、もうとっくに取り壊されたかと思っていたが、手はそれなりに加えられているものの、私が暮らした家もこんな小さな平屋だった。
玄関扉を開けるとすぐにリビングで、寝室が1つか2つあって、風呂トイレ共用のバスルームと台所があったことを覚えている。
私は間違いなく、この家でおよそ3ヶ月間生活した。
この駐車場に車を停めて、毎日フリーウェイを運転してダウンタウンにあったアダルトスクールに通ったのだ。
まさか残っているとは思わなかった。
妙な満足感が湧き上がってきた。
無事に住んでいた家を確認できた私は、2番目の目的地であるアダルトスクールに向かうことにする。
再びGoogleマップで調べると、来た時と同じ81番のバスに乗りダウンタウンに戻る途中のバス停で降りて歩くよう指示された。
降りるよう指示されたバス停は前日にランチを食べた中華街の中にあった。
そうか、アダルトスクールは中華街のそばだったんだ。
この時初めて位置関係を理解した。
Googleマップの指示通りに歩いていくと、学校らしき建物に行き着いた。
これまた見覚えのある建物である。
45年も経ったのに、建物に何の変化もなく、昔のままただ古くなっているように見えた。
「Evans Community Adult School」
まさに私が3ヶ月半通ったアダルトスクールだった。
校舎はそのまま、そしてこの学校の看板も当時のままである。
しかし、ずいぶん変わったこともあった。
一つは、昔私が通っていた頃の校舎の隣に4階建ての新しい校舎が建設されていたことだ。
それほど真新しくはないので、私が去った後それほど間をおかずに建てられたものと考えられる。
そしてもう一つの変化は、入り口のフェンスに「GANG FREE ZONE」「DRUG FREE ZONE」などという警告文が貼ってあったことだ。
ギャング禁止、ドラッグ禁止、こんなことをわざわざ書かなければならないということは、この学校でこうした問題が蔓延した証拠とも言え、私は少なからず驚いた。
私がいた頃にはこんな張り紙はなかったはずだ。
私が訪れたのが週末だったため、学校はお休みで現在通っている生徒たちの様子を見ることはできなかったが、中南米からやってくる移民の増加とともに対立するギャンググループの勢力争いがこの学校の中で繰り広げられたのかもしれない。
いずれにせよ、見覚えのある懐かしい校舎と見覚えのない物々しい張り紙が同居するアダルトスクールの光景は、私の記憶を単なるノスタルジーから現実に引き戻した。
45年前の記憶を辿るロサンゼルスの旅。
学校の中に入ることはできなかったが、大きく変わった場所もあまり変わっていなかった場所も予想以上に面白くて、わざわざ訪れた甲斐があったと感じた。
シニアにとって、若き日に辿った道はどんな場所でも素敵な旅の目的地となるものである。