今日から二十四節気の「処暑」。
夏の厳しい暑さが峠を越し、朝夕には涼しい風が吹き始める頃を意味する。

私はいつものように、ルーティーンのサイクリングに出かけた。
今日の目的地は善福寺公園。
処暑にふさわしく、肌にあたる風がなんとなく涼しく感じる。
西日本では相変わらず40度近い猛暑の日々が続いているようだが、今夏の東京は天気が悪く、最高気温も30度ちょっとという比較的凌ぎやすい日が多かった。
その代わり、関東の各地で豪雨被害が相次ぎ、先日千葉で起きた広域の浸水被害も癒えないうちに、昨日は東京でもまとまった雨が降り、私が住む練馬区も含めてレベル4の大雨危険警報が発令されたほどだ。
ニュースによれば、荻窪のあたりでも冠水した場所があったらしい。
今日私が訪れた善福寺公園から発して西荻窪など住宅街を流れる善福寺川も、普段はほとんど水が流れていないのに、昨日は一時危険水位に達したと報じられていた。

さらに今朝2時ごろには、緊急地震速報のけたたましい警報音で叩き起こされた。
警報音の直後に我が家もかなり揺れた。
練馬区は震度4だったらしいが、私の住むマンションは練馬区とはいえ事実上は武蔵野市なので、そちらの震度3という方が妥当なんだと思う。
あれで震度3か・・・。
東日本大震災の時の記憶が蘇ってくる。
震源は茨城南部で、茨城や埼玉、さらには東京の足立区や千葉の浦安市でも震度5弱を観測したらしい。
震源が70キロと深かったため、関東平野の中でも一番地盤の弱いエリアが炙り出されたような震度分布であった。

大雨と地震に見舞われた直後だけに、これまで全く目につかなかった善福寺公園の水位計が今日初めて目に止まった。
複数のプレートがひしめき合い、台風の通り道でもある日本列島に暮らしている限り、どこでいつ何時とてつもない災害に見舞われても不思議はないのである。
東京であろうが、岡山であろうが、日本に絶対安全な場所など存在しないのだ。
二拠点生活を始めてからは、もしもどちらかが生活しづらい状況になっても逃げる場所がある、そんな余裕を感じてきた。
しかし、年齢を重ねるに従って、いつまでこの二拠点生活が続けられるのか、いや、いつまで続ける意味があるのか、自分自身の覚悟が揺らぎ始めているのを感じる。
それは妻の体力と気力が衰えていることとも関係していて、もしも妻が岡山に行けなくなっても私一人行ったり来たりの生活を続ける意味があるのだろうかという疑問だ。

そしてここにきて、新たな状況が出現した。
岡山で一人暮らしをする母の病気である。
今のところは特段変わった様子はないのだが、そろそろ一人暮らしも限界、もしも東京か岡山、または途中の東海道が大災害に見舞われたら母を助けに駆けつけることもできなくなってしまう。
そう考えて、今回見つかった病気をきっかけに、弟とも共謀して母を東京に連れてくる作戦を開始した。
自由気ままな一人暮らしを続けたい母は当初嫌な顔をしていたが、二人の息子に説得されて、しぶしぶながら東京行きを受け入れてくれたのは先月のことだ。

そうとなれば、母の気が変わらない間に話を前に進めるしかない。
今月9日、弟が住む八王子市の老人ホームを見学に行き、仮申し込みを済ませた。
さすがに東京の施設は岡山に比べて高額だが、母の遺族年金と貯金で当座のお金は賄えそうなことは確認できた。
今住んでいるマンションと比べると狭くはなるけれど、もしもの時には誰かが気づいてくれる安心感は何物にも代え難いものがある。
その後、現在母の担当をしてくれている岡山のケアマネさんと施設のケアマネさんが情報交換をしてくれて、通常ならば入居前に必須となっている事前面接をスルーして入居を認めてもらえることになった。
引っ越しの予定は、弟夫婦が岡山に母を迎えに来られる11月半ばということに決め、引っ越しやマンションの片付けなど、手分けして必要な準備を始めることにした。
どうやら年内には、親の介護が新たな局面に入ることになりそうだ。

しかし、母の問題が急展開する中で、私の中に新たな迷いが広がり始めている。
それは、親の見守りという二拠点生活を始めた重要な柱がなくなっても、東京と岡山を往復して農地の管理やブドウ作りを続けるのか、という迷いである。
確かに農作業は新鮮だったし、二拠点生活も楽しくてやっていたのだが、会社を辞めた後の私に課されていた最重要のミッション、すなわち年老いた親の見守りは定期的に岡山に行く理由であり続けたのも事実だ。
体力的にはあと5年ぐらいは農作業を楽しむことはできるだろう。
しかし、70歳を超えれば年々衰えが進むことは周囲にいる先輩たちを見ていれば想像がつくのだ。
岡山で暮らすとなれば、自動車の運転もやめるわけにはいかない。
当初は新鮮で楽しかった農作業も、慣れるに従って少しずつマンネリ化しているのも事実だ。
そろそろ、岡山の農地や古民家を誰かに譲り、二拠点生活に終止符を打つのも現実的なオプションなのではないかと思い始めている。
しかしそうは言っても、田舎の土地を売るのは決して容易な作業ではない。
どうせならば、近所の人に迷惑がかからないよう、集落の将来に役立つ若い農業者に土地や家を譲りたいと思うが、果たして希望者がいるのだろうか?

善福寺公園の池のほとりを歩いていて、立派なコイたちが餌を求めて集まっているのに気づいた。
誰かコイたちに餌をあげる人間がいるのだろう。
二拠点生活をやめた後の自分の姿も考えなければならない。
幸い、東京でもやりたいことはいくらでもあるので退屈することはないと思っているが、これまで80歳ぐらいまでは二拠点生活を続けるだろうと漠然と考えていたので、真剣に東京だけの人生をイメージしてこなかった。
まあ、すぐに農地を手放すことを決めなくてもいいので、来年いっぱいは二拠点生活を続けてみて、妻とも相談しつつそれからのことをゆっくりたいと考えている。