<きちたび>兵庫県の旅2025🇯🇵 太閤秀吉ゆかりの有馬温泉!学生時代の仲間たちと「金の湯」「銀の湯」を巡る @温泉

🇯🇵 兵庫県/神戸市 2025年11月20日

大学時代の仲間たちと続けている年一回の国内旅行。

すったもんだの議論の末、今年は兵庫県の北部、丹波篠山と城崎温泉を主要な目的地とする2泊3日の旅行と決まった。

岡山の自宅に午前6時20分にタクシーを呼び、最寄りの東岡山駅へ。

在来線で岡山駅に行って新幹線に乗り換えて、新神戸まで行く。

東京に戻る妻と神戸で別れ、地下鉄で三宮、さらにJRに乗り換えて、友人の一人が住む芦屋がこの日の集合場所だった。

芦屋組は3人、京都から丹波篠山に入る組が5人、そして1人は大阪から電車で直接篠山で合流することになり、総勢9人での賑やかなシニア旅行である。

芦屋組は友人の運転する車で高級住宅街「六麓荘」を見物。

その後六甲山の急坂を登って大阪平野を見下ろす東六甲展望台に至る。

この展望台に来るのは2回目だが、この日は晴れてはいたがモヤがかかり大阪のビル街が霞んで見えた。

そのまま北上して有馬温泉に到着したのは午前10時半ごろだった。

岡山で育った私にとって有馬温泉は、子供の頃からテレビコマーシャルでよく耳にした温泉地ではあったが、実際訪れるのは今回が初めてである。

豊臣秀吉が愛した名湯として知られる有馬温泉、ぜひ一度行ってみたいと思い、私のリクエストで旅程に加えてもらった。

友人がまず案内してくれたのが、こちらの「金の湯」。

神戸市が運営する有馬温泉を代表する日帰り温泉施設である。

現在の建物は、昭和の時代に建てられた「有馬温泉会館」という公衆浴場を改築し、2002年に市営の入浴施設としてオープンしたものだが、その歴史を辿ると神話の世界にまで遡り、古来から有馬温泉の元湯として1400年の歴史を持つという。

入り口には、日本一の温泉を意味する『日本第一神霊泉』の石碑が立っているが、これも江戸時代からここにあるそうだ。

金の湯、銀の湯共通の「2館券」1200円を買って中に入ると、壁には有馬温泉の歴史が次のように綴られていた。

『有馬温泉の歴史は古く、神代の昔、大己貴命と少彦名命の二神が三羽の傷ついた烏が湧き出した泉で傷を癒しているのを見つけて温泉を発見したのが始まり、と伝えられています。 「日本書紀」にも、舒明天皇(631年)や孝徳天皇(647年)が御幸したとの記述があり、温泉史上、最も古くから文献にあらわれ、道後、白浜両温泉と並び日本三古泉の一つに数えられています。 有馬温泉が世に広く知られるようになったのは、奈良時代に行基菩薩が温泉寺を建立し、また、鎌倉時代には仁西上人が薬師如来を守る十二神将をかたどって12の宿坊を建ててからと言われています。さらに有馬温泉の名を世に広めたのが太閤秀吉公です。秀吉公は、湯治のために、たびたび有馬を訪れ、戦乱や大火で衰退した有馬の改修を行い、また、湯山御殿を建てました。 江戸時代になってからは、その効能により全国でも評判の湯治場となった有馬には大名・幕臣・公家・医者・僧を初め多くの人々が湯治に訪れ、有馬千軒といわれる繁栄を謳歌するにいたり、その繁栄ぶりは、こんにちの礎となっております。』

そんな歴史を示すように、「金の湯に入浴した有名人」として、大和飛鳥時代の天皇たち、平安時代の藤原道長や小野小町、室町幕府の足利将軍たちの名が書かれている。

明治以降で見てみると、福沢諭吉に始まり伊藤博文、竹久夢二、谷崎潤一郎、さらには孫文や蒋介石、モナコ王妃まで、外国人も含む多くの政治家や文化人に愛された温泉だということがこのリストから伺える。

歴史上の有名人たちに愛されたのが、こちらの茶色いお湯である。

有馬では2種類のお湯が沸くが、「金の湯」の浴槽を満たしているのは、鉄分と塩分を含んだ「金泉」と呼ばれる温泉。

湯冷めしにくく、冷え性や疲労回復に効果があるという。

そして何よりこの湯の色は確かにインパクト抜群で、黄金好きな秀吉が有馬を好んだのも理解できる。

続いて訪れたのはもう一つの市営入浴施設「銀の湯」。

「金の湯」よりも1年早い2001年の開館だという。

こちらでは2種類ある有馬温泉の源泉のうち、炭酸泉源から引いたお湯にラジウム泉をブレンドした「銀泉」を楽しめる。

「金の湯」とは全く異なり、お湯は透明無色で普通の銭湯に来たように感じる。

インパクトには欠けるものの、神経痛や筋肉痛、私の持病である高血圧症にはこちらのお湯の方が効果があるらしい。

短時間のうちに2つの立ち寄り湯を堪能して、「なるほどこれが有名な有馬か」と私の知識欲が満たされた。

限られた時間で2つの温泉を楽しんだ後、「銀の湯」近くにあるこちらの施設をのぞいてみた。

「神戸市立太閤の湯殿館」

阪神淡路大震災の際に倒壊した極楽寺の庫裏の下から安土桃山時代の風呂の遺構が発見された。

これが太閤秀吉が愛した「湯山御殿」の一部だとわかり、1999年、その場所に小さな博物館が建てられたというわけだ。

実は、震災が起きる前から極楽寺にはある言い伝えが残っていたという。

寺の庫裏の下には、太閤秀吉が地面に杖をついて願いをかけたところ、そこから温泉が湧き出た、というのがその言い伝えで、秀吉自身、この地に御殿を建設し温泉を楽しんだというのだ。

大地震により庫裏が崩壊したタイミングで調査してみると、実際に風呂の跡が地中から姿を現し、神戸市が予算を出してその遺構を保存・展示することにしたらしい。

なんだか、どこまでが真実でどこからフィクションなのかわからないけれど、神がカラスを見て有馬温泉を発見したという神話と通じる不思議なお話である。

こちらは岩風呂の遺構。

一辺が約2.1メートル、深さは50センチの方形の湯船で、屋根や周囲を囲む塀のようなものの存在は確認されなかったという。

この岩風呂は露天風呂だった可能性があり、秀吉がここからまだ自然のままだった有馬の風景を愛でたのかもしれない。

一方、こちらに残るのは蒸し風呂の遺構とされるもの。

半地下式の浴室で天井も低く、かがみ込んで入る構造だったと推測されている。

浴室の広さは約1坪で、砕石の上にスノコなどを敷き、そこに寝そべって入浴する。

源泉側の壁に噴気孔があったと考えられており、源泉から湯を引くための樋のあとに金泉の主成分である酸化鉄が沈澱したまま残っているのが確認された。

つまり、この風呂には私も「金の湯」で浸かった赤褐色の湯が使われていたのだろう。

有馬温泉の湯も味わい、歴史も少し勉強したところで、一般の観光客に倣って路地のそぞろ歩きを楽しむ。

緩やかな坂道に沿って狭い路地がウネウネと続く。

路地の両サイドには土産物屋や飲食店が店を連ね、古き良き温泉町の風情が残る。

まずは、「日本一のジェラート」を謳うこちらのお店へ。

「アリマ・ジェラテリア・スタジオーネ 有馬温泉」

ジェラートの日本代表を決める大会で優勝した実績を持つ人気店だ。

数あるジェラートの中から私が選んだのは、「塩マスカルポーネ きんかん香る甘酒仕立」。

ジェラートワールドツアー日本選手権で優勝に輝いた逸品だという。

食べてみるとチーズケーキのような濃厚な旨味にきんかんの酸味がアクセントとなり、とても美味しい。

続いては、老舗の和菓子店「炭酸煎餅本家 三津森本舗」へ。

歴史を感じさせる店舗の中では、丁寧に薄焼きの炭酸煎餅が焼かれていく。

友人の勧めで、この店では割れた炭酸煎餅を袋詰めにしたお徳用袋を1つ購入して、後で京都組と一緒に食べることにした。

有馬温泉をこうしてぶらぶらしていると、至る所に源泉があって、いかにも湯治場の風情である。

このあたりは有馬-高槻断層帯という活断層帯に位置しているそうで、地中深くまで続く岩盤の割れ目から温水が湧き出すと考えられているそうだ。

大地震をもたらす活断層は怖いけれど、古くから日本の三名泉に数えられるこの温泉はこの活断層の恵みでもある。

そんなことを感じながら、次の目的地、丹波篠山を目指す。

有馬温泉「金の湯」
住所:兵庫県神戸市北区有馬町833
電話:078-904-0680
https://arimaspa-kingin.jp/

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