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<きちたび>マレーシアの旅2025🇲🇾 クアラルンプール空港到着後、衝動的に世界遺産マラッカに直行した日のこと

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🇲🇾 マレーシア/マラッカ 2025年2月13日

私の旅は、飛行機やホテルなどの大枠は日本で決めて出発するが、それ以外の詳細は現地に着いてから、行き当たりばったりということが多い。

この日、マラッカに行くことになったのも完全にその場のノリであった。

シンガポールで1泊した翌朝、私は空港に向かうため午前5時に車を呼んだ。

東南アジアで一般的な配車アプリ「Grab」を初めて使ってみたのだ。

使い方はUberと同じで、特に戸惑うことはなかった。

日中は混雑するシンガポールの道も、この時間はガラガラで、車はフリーウェイをぶっ飛ばしておよそ15分でチャンギ国際空港の第2ターミナルに到着した。

料金は22.25シンガポールドル、およそ2500円ほどだった。

予想したよりも早く空港に到着し、出国手続きも非常にスムーズだったため、時間が余ってしまい、24時間営業のラウンジで時間を潰す。

カレーと豆、それにジュースと牛乳、ヨーグルトで朝ごはん。

デザートのケーキもなかなか美味しかった。

搭乗したのはシンガポール航空。

午前7時5分発のクアラルンプール行きだ。

格安航空会社LCCが普及する東南アジアのこと、お隣のマレーシアまでは他にもっと安いフライトがいろいろあったのだけれど、今回はあえてナショナルキャリアのシンガポール航空を利用した。

往復で4万6750円。

全日空のマイルを貯めるためと、帰りの乗り継ぎの安全性を考慮したためだ。

飛行機は定刻に離陸すると、すぐにジャホール海峡が見えた。

この狭い海峡が、シンガポールドルマレーシアの国境である。

マレーシア側の海岸線には工業団地でも作るのだろうか、広大な造成地が見える。

狙いは、香港に隣接した深圳を巨大なハイテク都市に変えた中国の成功を再現することか。

マレーシアの首都クアラルンプールまではおよそ1時間のフライト。

飛行機が離陸態勢に入ると、眼下には広大なヤシの畑が広がっていた。

パームオイルを採るために植えられた「アブラヤシ」。

世界的に需要の高いパームオイルは、マレーシアとインドネシアが主要な生産国で、広大な熱帯雨林が伐採され見渡す限りのプランテーションが広がっているというわけだ。

料理や食べ物の知識が乏しい私はこれまであまり関心を持ったことがなく、化粧品や石鹸に使われるのかと思っていたのだけれど、このブログを書くに当たり調べた結果、日本に輸入されるパームオイルの80%は食用だということを知った。

主に、インスタント麺や調理済み冷凍食品、ポテトチップスなどのスナック菓子、ファストフード店や外食店舗の業務用揚げ油として、マーガリンやショートニングの原料として、また加工食品の材料としてチョコレート、アイスクリーム、ドーナツ、ビスケット、コーヒーフレッシュ、カレーのルー、乳児用粉ミルクなどなど。

私が毎日のように食べている食品の材料に使われているというのだ。

つまり、現代人の日常的な食生活が熱帯雨林の減少を招き、ひいては地球温暖化の片棒を担いているわけである。

クアラルンプール国際空港の第1ターミナルに到着したのは、午前8時15分ごろ。

シンガポールと地域のハブ空港を競っているだけあって、空港内はかなりピカピカで活気がある。

アライバルゲートに向かって歩いていると、若い頃好きだった「ガムラン」の楽器が飾られていた。

ガムランといえば、バリ島などインドネシアのイメージが強いが、マレーシアでもよく演奏されるらしい。

そんなことを思いながら出口に歩いていると、この空港、動線が何かおかしい。

別のターミナルに移動しているのかと思うぐらい歩いた先に待っていたのはバス。

どうせバスに乗るのなら、なぜ乗客をこんなに歩かせるのか意味がわからない。

この日私は時間に余裕があったから問題はないのだが、もしも急ぎの用事を抱えていたらこの仕打ちには怒り心頭だろう。

とはいえ、事前にネットで入国申請をしているので、手続きは至って簡単。

長い行列に並ばなくてよくなっただけでも、40年前とは大違い、それなりに進歩しているということだろう。

このまま、直通電車でクアラルンプールの中心部に行くつもりだったのだけれど、まだ朝早いのでちょっとした邪心が私の心に芽生えた。

やはりマラッカに行けないか?

実は今回の旅行を計画する過程で、マレーシアに行くなら世界遺産の街マラッカにも行きたいと考えていた。

クアラルンプールからマラッカの日帰りツアーも出ているみたいなのだが、いろいろ日程を調整するうちに、あまりバタバタするよりもシニアらしくゆったりとした旅にした方がいいと判断して断念したのである。

でも、クアラルンプール市内より50キロほど南に位置するこの空港からだとマラッカにも多少近く、詳細はわからないものの空港からマラッカ行きのバスも出ているとの情報も目にしていたのだ。

とりあえず、大急ぎでクアラルンプールに行く必要もないので、とりあえずバス乗り場に行ってみて、マラッカ行きのバスの時間を確認してから考えよう、そう思った。

案内板に従ってややうらぶれた感じのバス乗り場に辿り着き窓口で聞いてみると、30分ほど待てばマラッカ行きのバスがあると言う。

ただ、日帰りでクアラルンプールに戻れるか聞くと、「それはここではわからない」とそっけない返事。

しかしもう私の気持ちは決まっていた。

マラッカ行きのバスは、定刻の9時30分を過ぎてからターミナルに到着した。

マレーシアのバスは比較的時間にルーズなようで、各地に出発するバスが到着するたびに係りのおじさんがマイクで何やら大声でアナウンスし、その都度乗客たちが右往左往している。

シンガポールと違って、英語のアナウンスがないため、何が起きているのか私にはわからない。

それでも、定刻より10分ほど遅れただけで出発できたのだから、デジタルを使わなくても人間の営みはなんとか回っていくのである。

バスは第2ターミナルでも乗客を拾った後、片側4車線もある幹線道路を爆走する。

車の通行量の割にやけに道が広い。

空港自体が都心から50キロも離れた郊外に作られているためか、途中大きな街も通らずに、ただひたすらにマラッカに向けて南下する。

道端には飛行機からも見えたアブラヤシの畑が続く。

変化に乏しい、旅人にとってはあまり魅力のないバス旅である。

結局、途中の停留所で止まることもなく、バスは午前11時40分にマラッカの中央バスターミナルに到着した。

ちょうど2時間、料金は30リンギット(約1030円)だった。

クアラルンプールからの日帰りツアーだと、たいてい2万円以上取られるみたいなので、それに比べると格安だ。

ただ、問題はバスターミナルが街の中心部から少し離れていること。

歩くの何時間もかかる距離だというので、ターミナルの前で客待ちをしていたタクシーに乗る。

配車アプリ「Gran」の値段を見せながら交渉したが、運転手は「俺は朝からずっと待ってるのに1人の客も捕まえていないんだ」と逆ギレされ、可哀想なので20リンギットというところを15リンギットにまけてもらって乗ることにした。

実際乗ってみると、確かに距離があり渋滞も激しいのでタクシーの運転手が折れなかったのもわかる気がした。

タクシーは10分ちょっとで、マラッカ観光の中心地「オランダ広場」に到着した。

海上交通の要衝マラッカ海峡に面するマラッカの歴史は、初めスマトラ島の王子が14世紀に「マラッカ王国」を建国するところから始まるが、16世紀になるとアジアに進出したポルトガルによって占領され、17世紀にはオランダ、そして19世紀にはイギリスの植民地となり、目まぐるしく支配者が交代した。

このサーモンピンクの建物が特徴の「オランダ広場」界隈は、その名の通り、オランダ統治時代に建てられた建物が残っている場所である。

正面に立つ一際目立つ教会は1753年に建設された「ムラカ・キリスト教会」。

当初はオランダ系プロテスタントの教会だったものが、今はイギリス聖公会の教会として使われているのも弱肉強食の時代を物語っている。

教会の内部も無料で見学することができる。

目につく天井の梁は全て一本の木で、釘を使わない精巧な作りになっているという。

プロテスタントらしいシンプルな祭壇には、「最後の晩餐」のタイル画が飾られている。

そして床に目をやると、何やら文字が刻まれている。

ポルトガルから運んだ墓石が使われているというか説明も目にしたので、オランダ支配100年を記念して建てられたこの教会には当時のオランダ人のある想いが込められていたのだろう。

オランダ広場には博物館など他にも名所がいろいろあるみたいだけど、この日の私はせっかくマラッカまで来たのにゆっくり観光を楽しむ気分ではなかった。

なぜなら到着したターミナルで帰りのバスの予約をしてから街に出るつもりだったのにすっかり失念してタクシーに乗ってしまったからだ。

もしも帰りのバスが満席で、早い便なら空いていたというのでは、せっかく予約したクアラルンプールのホテルが無駄になってしまう。

それにオランダ広場の周りは観光地化されすぎていて、ここに長居したい気分でもなかった。

私はGoogleマップを頼りに次のスポットに急ぐ。

ところが、気が急いているせいか、普段は道を間違えることのない私が珍しく違う道を進んでしまって途中で引き返すことに。

おまけに、ホテルに荷物を置く前に空港から直接来たためリュックも重く、しかもクソ暑い!

目的地はオランダ広場の背後にある小さな丘なのに、坂道を登るともう汗だくである。

丘の上にあるのはポルトガルが最初に築いたカトリック教会「セントポール教会」。

日本に初めてキリスト教を伝えたあのフランシスコ・ザビエルも活動の拠点とした由緒ある教会である。

しかし、1521年に建造されたこの教会は、すでに廃墟のようになり、残っていたのは外壁だけだった。

マカオもそうだが、大航海時代の先駆者だったポルトガルが築いた建造物はたいていこうした姿になっている。

イギリスやオランダがその後も力を持ち、修復を重ねたのとは対照的に、後発国に敗れ拠点を失ったポルトガルゆかりのものは放置されてきた証拠なのだろう。

でも逆にそれが歴史の重みを感じさせ、訪れるものに何かを語りかける。

面白いものだ。

このマラッカからザビエルは日本に旅立ち、中国の広東で亡くなった後、棺はこの教会に運ばれて9ヶ月安置されたのだそうだ。

教会の建つ丘に立つと、西方にマラッカ海峡を望むことができる。

日本に石油を運ぶための重要なシーレーンと今でも位置づけられるこの国際海峡は、帝国主義の時代も、強いものが力で奪い取りたくなる戦略拠点だったのである。

しかし、オランダは今のインドネシアに当たるバタヴィアに、イギリスもシンガポールに最重要拠点を移し、マラッカの重要性は次第に薄れていった。

セントポール教会の見学を終えて、反対側に丘を下ると、そこにも古めかしい建物が立っていた。

ここは「サンチャゴ要塞」と呼ばれ、1511年にポルトガルによって築かれた砦だったという。

ポルトガルはオランダの攻撃を阻むためマラッカに4つの砦を築いたけれど、結果的には敗れ、現存するのはこの砦のみになってしまったという。

サンチャゴ砦の先には現在ポルトガル系の人たちが暮らす「ポルトガル村」など、さまざまな観光スポットがあるらしいが、とにかく暑いし帰りのバスが気になるので、オランダ広場に引き返すことに。

マラッカでは観光客の相手をするド派手な人力車「トライショー」がたくさん営業していて、私が歩いている横を大音量の音楽を流しながら追い越していく。

中にはキティーちゃんら日本のキャラクターをあしらったトライショーも盛んに客引きをしていた。

オランダ広場の近くを流れるマラッカ川。

マラッカの街を貫くその河岸は、かつて主要な港があった場所だといい、歴史を感じさせる倉庫などもまだ多少残っていた。

大きな入江がないマラッカでは、少し海から入った河口に港が作られ、その周囲に街が広がっていったことがわかる。

そしてマラッカ川にかかる橋を渡った先が、この街のもう一つの観光名所チャイナタウン。

「ジョンカーストリート」の通称で多くの観光客を引き寄せる。

通りには赤い提灯がずらりと並び、橋の上に立つと知らない人でも引きつけられる魔力のある通りである。

私はすでに疲れていたので、中華街の一番手前にあるそれっぽいお店に飛び込んだ。

なんでもいいからここでランチを食べてすぐにバスターミナルに引き返そう。

そう決めて、いかにも中国風のお店に入る。

店の中は中国と西洋がミックスしたような設えで、ちょうど昼時ということもあり、お客さんで一杯だった。

どうやら、ハズレではなさそうだ。

空いた席を見つけて座ろうとすると、店員の女性が「チキンライス?」と聞いてくる。

そういえばマラッカには、「チキンライスボール」という名物料理があるという記事を旅行前に読んだ記憶がある。

私は咄嗟にイエスと答えて、ついでにビールも注文した。

古都マラッカを表すキーワードが「ババ・ニョニャ文化と呼ばれるもの。

中国本土から渡ってきた中国人男性と地元のマレー系女性が結婚して生まれた子孫たちのライフスタイルのことで、「ババ」が男性、「ニョニャ」が女性の呼び名だ。

マレー語を話し食文化や衣装にもマレースタイルを取り入れる一方、冠婚葬祭には今も中国の風習を守っているという。

元をただせば、明の時代に海上交通の要衝だったマラッカ王国に目をつけた皇帝が皇女を王に嫁がせたのが始まりで多くの中国人がこの地に渡り、その後西洋列強の影響も受けて独自の文化がこの地に生まれた。

そうこうしているうちに、注文した料理が運ばれてきた。

ビールは「タイガービール」の缶で、8.50リンギット(約250円)だった。

そして、メインのチキンはシンガポールなどでもお馴染みの蒸し鶏。

ただ通常の「チキンライス」と違うのは、蒸し鶏の下にご飯がないことだ。

マラッカではなぜかご飯を小さなおにぎりにして蒸し鶏と一緒に食べる。

だから「チキンライスボール」なのだ。

昔チキンライスを天秤棒で売り歩いていた時代に、労働者が食べやすいようにご飯をボール状にして鶏の出汁を染み込ませ、そのままでも食べられるように工夫したのが始まりだとか。

しかしそんな庶民の味も今ではニョニャ料理と並ぶマラッカ名物になってしまった。

ちなみに、鶏肉とご飯のほかに謎の調味料が運ばれてきて、「これってどうやって使うの?」と聞くと、2つの調味料、醤油とチリソースのようなものを小皿で混ぜてくれて「これに蒸し鶏をつけて食べる」と教えてくれた。

確かにこの調味料が絶品で、暑い日にはこれだけで食欲が湧いてくる。

何も考えずに飛び込んだお店で思いがけず美味しいものがいただけた。

少し運が向いてきたかもしれない。

店を出る時に気づいたのだが、店の外には「海南鶏飯團 Hainanese Chicken Rice Ball」と書いてあり、「和記鶏飯團」という有名な専門店だったことを後から知った。

美味しいチキンライスボールを食べて元気を取り戻した私は、そのままバスターミナルに向かおうと思って配車アプリ「Grab」で近くにいる車を探した。

すぐ近くにいるようなので一番安い車を呼ぼうとするが、なぜか問題が。

シンガポールでは簡単に使えたのに、どうしたのだろう?

いろいろ試してみたけれど全然ダメで、このままでは埒があかないと諦めてタクシーを探す。

しかしあいにく「ジョンカーストリート」界隈は大渋滞でタクシーも全く通らない。

仕方なくその場を離れ橋を渡ってオランダ広場側に戻ると、1台のタクシーが止まっているのが見えた。

観光地で客待ちしている運転手はたいてい吹っかけてくるというのが世界の常識だが、今は一刻も早くバスターミナルに行ってクアラルンプール行きのバスを確保したい。

だから、運転手の言い値である20リンギットを素直に飲んで古びたタクシーに乗り込んだ。

バスターミナルに戻ってきたのは午後1時半。

チケット売り場に並び、一番早いクアラルンプール行きを買いたいと伝える。

どうやらクレジットカードが使えないみたいなので、残りのリンギットが少ないことを心配しながらコンピュータを覗き込む女の子の返事を待った。

幸い午後2時のバスに空席があり、値段も来る時の半額以下の14.10リンギット(約480円)だと言うではないか。

空港より遠いのにオランダ広場からのタクシー代よりも安いとは。

これならば両替しなくても所持金で足りる。

やっぱり徐々に運がむいてきたのだ。

今度のバスも定刻には現れず、20分遅れでマラッカを出発した。

でも空港で日帰りできるかどうか保証できないと脅されたことを考えれば、このくらいの遅れなどどうということはない。

帰りも単調な幹線道路をバスは時速100キロほどで走り、クアラルンプールのセントラルターミナル(TBS)に到着したのは午後4時20分だった。

行きよりも距離が遠いのにやはり2時間のバス旅だった。

とはいえこのバスターミナル、私が想定していた街の中心部とは違い、かなり離れた場所に作られた新しい中央ターミナルだった。

Googleマップで検索しても、予約したホテルまでの道順はいろいろ表示されてどれを利用すればいいのかさっぱりわからない。

この場所はたくさんのバスと鉄道が乗り入れる郊外の交通の要みたいらしく、とりあえず乗り換えの少なそうな順路を選んで係員に聞くと、渡り廊下を渡って鉄道の駅に行くよう指示された。

実際に渡り廊下に行ってみると、道路を挟んだ向こう側にたくさんの線路と駅が見えた。

電車に乗るなら日本のSuicaのような便利な交通カードがあると事前に調べていたので、とりあえず窓口でそのカードを買ってみた。

名前は「Touch ‘n Go(タッチアンドゴー)カード」。

昔イギリスの植民地だったせいかマレー語には英語と同じ言葉が多く使われているため、これが英語なのかマレー語なのか判断できないが、まあ覚えやすいのでありがたい。

窓口のスタッフからは30リンギットだと言われ支払ったけれど、後で調べるとネットではカードの取得代は10リンギットと書かれている。

実際に使うにはチャージが必要なためあらかじめ20リンギット分をチャージしてくれたのかもしれないが、どうもモヤモヤする。

Touch ‘n Goカードを入手したことで改札も無事にクリア。

「LRT」と呼ばれる公共の高架鉄道に乗り込んだ。

クアラルンプール市内を走る電車は、この「LRT」のほかにモノレールと「MRT」というのがあって、そのほかに空港と市内を結ぶ「KLIA」という高速鉄道がある。

この「KLIA」にも2種類あって初めての旅行者にはちょっと混乱してしまうが、考えてみれば、JRや私鉄、地下鉄が入り乱れる東京と比べればはるかに楽でもある。

こうして衝動的に決めたマラッカ行きだが、なんとかホテル近くの「マスジット・ジャメ駅」にたどり着いた。

時刻は午後5時半。

マラッカの魅力の一端に触れたに過ぎないけれど、イメージしていた静かな古都というよりはかなり俗化された観光地だったことがわかり、漠然とした憧れのようなものが消えたのは収穫だった。

こうした思いつきで試行錯誤すること自体が、シニアにとっては大切な脳トレになり、自分の好奇心がまだ価格していないことの確認にもなるため、今後も積極的に行き当たりばったりの旅を続けたいと思っている。

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