<きちたび>バルカン半島の旅2024🚌 コソボ🇽🇰 ローカルバスを利用して「独立国」コソボまでハラハラの日帰り旅行

🇽🇰コソボ/プリズレン 2024年10月24日

日本を出る時には考えていなかったのだが、アルバニアに到着してから、お隣にある未踏国コソボまで足を伸ばすことを真剣に検討し始めた。

コソボ領内にあるプリズレンという町が、アルバニア独立運動発祥の地だということを知ったからである。

「GetBy」というクロアチア周辺のバスの切符が買えるアプリを使って調べてみると、アルバニアの首都ティラナからコソボのプリズレンまでは毎日数本のバスが運行されているらしく、日帰りも可能なように見える。

行ってみるか。

衝動のままに、ティラナ到着の翌日にコソボに行くことを決断する。

20世紀の最後に起きたあの「コソボ紛争」の舞台コソボである。

ティラナには2つのバスターミナルがあり、コソボ行きのバスは東バスターミナルから出発するらしい。

地図で調べてみるとかなりホテルからは離れている。

朝7時、朝食を食べる前におばちゃんにタクシーを呼んでもらう。

タクシーは時間通りにやってきて、値段を聞くとメーターの料金だと言う。

運転もアルバニアとしては比較的丁寧だったので、案外ちゃんとしているんだと感心して、多少のチップをのせて1200レク(約2000円)を支払った。

しかし、アルバニアのタクシーが意味不明なのは、メーターを使わなかった運転手の方が請求額が安かったことだ。

コソボから戻りバスターミナルまで夜間に乗ったタクシーは800レク、翌日モンテネグロに行くために同じバスターミナルまで利用したタクシーは600レクで、同じタクシー会社なのになぜかメーターを使ったタクシーの半額だったのである。

まあ、とにかく無事にバスターミナルに到着した。

ここからは様々な方面へのバスが出るようだが、国際線のバスが多いようだ。

大型バスもあれば、20人ほどが乗れるワゴン車もある。

ふりずれんどこで切符を買えばいいのか分からず、関係者らしきおじさんたちに声をかけると、プリズレンならあの人に聞けとテーブルに座っておしゃべりをしていた女性を指差した。

女性は「何時のバスに乗る?」と尋ね、私がまだ予約していないと分かると自分のオフィスに連れて行った。

彼女の旅行社では8時30分発のバスがあるという。

40分後の出発なら大して待たないと思い、その会社でチケットを買った。

片道15ユーロ(約2500円)だった。

ところが、である。

出発時間までターミナルを探検しようと歩いていると、プリズレンと書かれたバスが止まっていて、どんどん乗客が乗り込んでいく。

聞くとまもなく8時に出発するという。

30分このまま待ってもいいが、帰りのバスが何時にあるかがわからない。

30分でも早く到着した方が、現地で使える時間が増えると考えた。

せっかく買った切符を捨てるのはもったいないが、日帰りなので現地での滞在時間の方が大切だ。

瞬間的にそう判断して、私はこのバスに乗ることにした。

私が乗り込むと、バスはすぐに出発した。

かなり時間には正確なようだ。

乗客は私の他におじさんばかり5人ほど。

みんな素朴な身なりなので、地元の人たちだろう。

バス代は途中車内で徴収されるが、やはり15€だった。

バスはティラナの空港に立ち寄った後、高速道路に乗り、北西に向かって快調に飛ばしていく。

ところが、途中で高速を降り北東に進路を変えた途端、車窓の様子が変わった。

白い岩肌も露わな険しい山々が迫って来たのだ。

そうした岩山はまさにバルカン半島のイメージそのもの。

アルバニアは、アドリア海沿いに細長く平野が続き、海から少し離れるとすぐにこうした山岳地帯になるのだ。

進むにつれバスはどんどん高度を上げ、バスがうなりをあげる。

ただ、山の上にはまだ新しく見える立派な道路ができていて、交通量も少ないため、左右に大きく蛇行しながらもバスは猛スピードで山を縫って走っていく。

それにしても、今にも崩れそうな山の上によく道路を通したものだ。

途中、立派な橋の工事も行われていた。

これも一帯一路がらみだろうか?

ただ、中国はロシア同様、コソボの独立を認めていないはず。

この道路はアルバニアよりもコソボにとって重要な命綱だが、一体誰がこの道路を支援しているのだろう?

バスは途中1回休憩をはさみ、出発から2時間40分でアルバニアとコソボの国境に到着した。

陸路での国境越えは、何度経験しても緊張するものである。

ところが、驚いたことにほとんどノーチェック。

係員がバスに乗り込んできたが、中をぐるりと見回しただけで、バスを降りることもパスポートを見られることもなかった。

おそらくこれはアルバニア側の出国手続きだから甘いのだろう。

一瞬そう思ったのだが、再びバスが走り出してもコソボ側の検問所がないのだ。

そしていつの間にか、コソボに入国していた。

私にとっては105カ国目の訪問国となる。

とは言っても、コソボはまだ国連の加盟国ではない。

欧米諸国や日本は2008年に独立を承認しているものの、セルビアがコソボは自国の一部だと強硬に主張していて、それをロシアや中国という常任理事国が支持しているため、独立宣言から15年経っても加盟が認められないのである。

だから、このあまりにあっけらかんとした国境管理も、外国人に積極的にきてもらいたいというコソボ政府の思いの表れだと私は理解した。

コソボに入っても、風景はさして変わらない。

というのも、コソボ国民の92%をアルバニア人が占めているからである。

だから、アルバニアとコソボは兄弟国。

国境管理が甘い理由はそういうところにもありそうだ。

国境を過ぎると、下り坂になった。

どうやら盆地になっているらしく、すぐにプリズレンと書かれた出口でバスは高速を降りた。

ティラナを出てから3時間、やれやれようやく着いたかと思ったら、バスはインターチェンジ近くの店に止まった。

「また休憩か?」と思ったら、プリズレンに行く客はここで降りろということらしい。

どう見てもここは町外れ、バスはプリズレンの中心には行かず、再び高速道路に乗ってコソボの首都プリシュティナまで行くという。

タクシーも通らないし、ここからどうやって中心部まで行こうかと考えていたら、1台のワゴン車が近づいてきて私ともう一人の客に乗れと言う。

ちょっと気象の荒そうなお兄ちゃんだったので大丈夫かなと思いながら、現地の人らしいおじさんの後について車に乗り込んだ。

結果から言えば、彼はバスから降りた客を市内まで送り届ける運転手で追加料金は請求されなかった。

街の中心部に入ると、真新しい住宅などが建っていて、コソボという名前から想像する戦争のイメージはかけらもなかった。

プリズレンは古代ローマの時代から存在した古都のような町で、コソボ紛争の際もアルバニア系住民のほとんどが町を離れたため被害はなかったという。

私たちを乗せたワゴン車は、午前11時15分にプリズレンのバスターミナルに到着した。

運転手のお兄ちゃんは、今日ティラナに戻るなら夕方5時に同じ場所に来てくれと言った。

とりあえず日帰りはできそうだと思って安心したが、どうせもっと早い時間のバスもあるだろうと思い彼の話を聞き流した。

さて、無事に到着したものの、プリズレンのどこに何があるのか全く予備知識がない。

唯一知っていたのは、オスマン帝国からの独立を目指すアルバニア人のリーダーたちがバルカン半島の各地からこの町に集まり、「プリズレン連盟」という組織を結成したということぐらい。

1878年のことである。

アルバニア人の民族運動が始まった歴史的な会場がこの街のどこかに残っていると聞いていたので、とりあえずGoogleマップを開いてそこに行ってみようと思った。

ところが、なんとネットが繋がらない。

アルバニア国境までは繋がっていたのに、やはりヨーロッパ共通のeSIMでもコソボはダメらしい。

ただ、前日にプリズレンの位置などを検索していたためかオフラインでも最低限の地図が出てきて、そこに「Albanian League of Prizren」と書かれた場所が表示されていた。

とりあえず、ここに向かって歩いて行こう。

そう決めて、道案内をしてくれないGoogleマップを睨みながら狭い路地に入って行く。

曲がりくねった路地を進むと、古そうな教会が現れた。

後で調べると「リェヴィシャの生神女教会」といい、世界遺産にも登録されているらしい。

12世紀にセルビア正教会が建てたものだが、オスマン時代にはモスクとして使われ、20世紀の初頭に再びセルビア正教の聖堂に戻された。

コソボ紛争の際にはセルビア人によって守られたが、戦争が終わり報復を恐れたセルビア人がこの街から去ると、アルバニア人の過激派によって破壊されて現在「危機遺産」のリストに入っているそうだ。

道理でひっそりとして、人の気配がなかったのはそういう訳か。

近くに別の塔が見えたので行ってみると、路地の奥にこれまたなかなか趣のある建物が現れた。

「プリズレン地域考古学博物館」のようで、無料なので入ってと手招きされた。

館内にはこの地域で見つかった考古学的な資料が展示されているのだが、それよりもここの売りはあの塔に登ることができるという点にある。

木製の階段をぐるぐると登っていく。

コソボはまだ有名観光地ではないため、訪れる人はまだ少なく、狭い階段も登るのに苦労することはなかった。

塔の上からは360度プリズレンの街が見渡せる。

赤い瓦で統一されてはいるが、区画整理は全くなされていない昔ながらの街並みが美しい。

窓から吹き込む風も気持ちよく、偶然良い所にたどり着いたと己の運の良さを改めて感じる。

塔を降りて再び目的地を目指す。

川があった。

決して大きな川ではないが、プリズレンのシンボルともいえる「ビストリカ川」である。

目指す建物もこの川のほとりにあった。

こちらがアルバニア人にとっては重要な場所、「プリズレン連盟博物館」。

1878年6月10日、アルバニア人の代表がここに集まり、「プリズレン連盟」と呼ばれる組織を立ち上げた。

その目的は露土戦争でオスマン帝国を破って勢力を伸ばしたロシアおよびセルビアなどスラブ民族からアルバニア人の土地を守ることであった。

オスマン帝国は、同じイスラム教徒であるアルバニア人を優遇し、スラブ人が去った土地への入植などを進めてきたが、ロシアに敗れてバルカン半島での影響力を減らしていた。

露土戦争終結後に結ばれたサン・ステファノ条約には、アルバニア人が暮らす土地をセルビア、モンテネグロ、ブルガリアというスラブ国家に割譲することが決められた。

これに強い危機感を抱いたアルバニア人たちが初めて大同団結し、それまであまり意識されなかった民族のアイデンティティを高める抵抗運動を開始したのだ。

武力も使った彼らの活動は挫折するが、列強の間でアルバニア人の存在が意識されるきっかけとなり、紆余曲折を経て1912年、アルバニアはオスマン帝国からの独立を宣言する。

その時、アルバニア人が多数を占めるコソボも領土に含まれていたが、翌年、列強が介入した国境確定の際、コソボは削られてセルビアの領土に加えられたのである。

セルビア人にとってもコソボは特別な土地である。

12世紀から13世紀にかけて分裂していた諸侯をまとめセルビア王国が建国されたのがコソボを含めたセルビア南部であり、オスマン帝国の侵攻に対してセルビア人が敢然と立ち向かって敗れた「コソボの戦い」は民族的な悲劇として今もセルビア人の間で語り継がれている。

アルバニア人がこの地に移り住んだのは、この後のオスマン帝国による支配時代であり、セルビア人にとってコソボは手放すことができない「建国の地」なのである。

コソボ紛争の裏に大国に翻弄されたバルカン半島の複雑な複雑な歴史があることを今回の旅で初めて理解した。

パレスチナの土地に暮らしていたアラブ人と、ここは「約束の地」だと主張してこれを排除しようとするとユダヤ人の関係に似ている。

アルバニア人にとってもセルビア人にとっても特別な場所であるコソボが今後、現在暮らす人たちの希望通りに完全な独立を果たせるのかどうか、今回の旅をきっかけに私も見守りたいと思った。

博物館の見学を終え、「ビストリア川」沿いに設けられた遊歩道を通ってバスターミナルに戻ることにする。

ちょうどお昼時。

たくさんの人たちがカフェでくつろいでいた。

せっかくなので私も何か食べることにする。

それにしてもなんだかみんなとてものんびりして見える。

アルバニア同様、コソボでも男女を問わず、小さなコーヒー1杯で友人や家族とおしゃべりを楽しむことが好きらしい。

の私はブルスケッタとコソボ産のビールを注文した。

合わせて5ユーロ。

コソボはEUに加盟していないが、通貨としてユーロから使われているのだ。

カフェで少しくつろいでから、私はバスターミナルに戻ってきた。

関係者らしき人を捕まえて「ティラナ行きのバスは何時?」と聞くのだが、ある人は「5時かな」というし、別の人は「今日はもうないんじゃない」と言うし埒があかない。

チケット売り場には誰もいないし、時刻表の見方もわからないし、ティラナ行きのバスが出る場所もわからない。

これは困った。

やっぱり5時まで待つしかないのだろうか?

まだ3時間以上ある。

仕方がないので、ターミナルにあるカフェに入り気長に待つことしかないだろう。

コーヒーを注文しつつ、お店のお兄ちゃんに「ティラナ行きのバスは何時か知らない?」と聞いてみる。

お兄ちゃんは知らないらしく、店主に確認するが、「来たら教えてやる」と言うだけで全く頼りになりそうにない。

コーヒーを飲み終えて、ターミナルをひと回り、今度は紅茶を頼んでまたどこかにティラナ行きが止まっていないかと探して回る。

結局2時間ほどカフェに座っていたが、ここにいてもダメだと思い、到着した際に降ろされたあたりてベンチに座って待つことにする。

ターミナルの外れにあるこのあたりにはザルツブルク行きのバスが止まっているので、おそらく外国行きのバスはこの辺に止まるのだろうと見当をつける。

しかし、4時を回っても何の動きもない。

本当にあの運転手は5時に来るのだろうか?

もし5時に彼が戻って来なければ、今日中にティラナに戻れないかもしれない。

翌朝にはモンテネグロ行きのバスにならないといけないのにどうしよう。

バスが来なければタクシーで行くか?

アルバニアまで行ってくれるタクシーなんてあるのだろうか?

もしあったとして、いくらかかるのだろう?

一旦最悪の事態を考え始めると、どんどん悪いことばかりが浮かんでくる。

不安な気持ちを抱えながらターミナルをうろうろしていると、少し離れた場所に止まっていたワゴン車のフロントグラスにティラナと書かれているのを見つけた。

運転手に「ティラナに行くの?」と聞くと、5時半に出ると言う。

もし午前中の運転手が姿を現さなくても、なんとか今夜中にはティラナに戻れそうだとホッとするが、5時半の運転手は何やらジェスチャーで「この車はぐるぐる回る」とよくわからない話をしている。

もうなんだかわからない。

運を天に任せるしかないと腹を決めたところで、午前中の運転手が登場したのだ。

よかった、これで帰れる。

私は彼を抱きしめたいくらいの衝動を抑えつつ、車に乗り込んだ。

しかし、この時から運転手の様子がおかしかった。

客の相手などそっちのけで電話で誰かと話している。

語気を強め、しきりに手を動かして、誰かとケンカでもしているようだ。

しばらくすると2人の男がやってきて、運転手と激しくやりとりしている。

誰も笑っていないので、何かトラブルに違いない。

出発時刻の5時が迫り、運転手が車に乗り込むと男は窓から覗き込みまだ何かを言っている。

それを振り切るように車をスタートした運転手。

とりあえずこれで大丈夫だと思った次の瞬間、運転手はターミナル内の別の場所に車を止めた。

どうやら別の車に乗車場所を譲っただけで、話はまだ続いているらしい。

また例の男がやってきて、運転手との激しいやりとりが始まった。

おいおい、バスへの乗り継ぎは大丈夫なのか?

2人の口論はなかなか終わらない。

たまらず乗客の一人か声をかけるが、大丈夫とだけ言って口論をやめない。

結局30分ほどその状態が続き、運転手の携帯が鳴ったところで終わった。

おそらくバスの運転手からどうして来ないのかと催促されたのだろう。

運転手は慌てて車を発進させ、狂ったような猛スピードでバスとの待ち合わせ場所に突進する。

何なんだ、こいつ。

こんなことで事故でも起こされてはたまったものじゃない。

バスは午前中に降りた店の駐車場ではなく、路肩に止まって私たちを待っていた。

その駐車場には別のバスが止まっていたので、おそらく運転手の口論で私たちがなかなか来ないものだから、後から来たバスに場所を譲らざるをえなかったんだと思う。

ワゴン車の運転手がバスに乗り込むと、バスにいた乗客から文句を言われていたので、バスはかなり長時間この場所で意味も分からず待たされていたんだと想像された。

兎にも角にもいろいろあった一日だったけれど、何とか無事にコソボを後にし、午後8時すぎにはティラナのバスターミナルまで戻って来ることができた。

でもこうした先が見えない旅行をすると、普段使わない脳の部分まで活発に動き出す。

衰えていく脳に刺激を与える今でも、まだしばらくの間はハラハラする旅を続けていきたいものである。

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