🇯🇵 青森県/青森市・大間町 2026年10月15日~18日
学生時代の仲間たちとの年一度の国内旅行、今年の目的地は青森だった。
北は札幌から南は鹿児島まで、全国各地から友人たちが青森に集結する中、私は岡山から大阪空港に出て空路青森入りするルートを選んだ。

朝9時に岡山の家を出て、岡山駅で新幹線に乗り、新大阪から地下鉄で千里中央駅へ。
ここで大阪モノレールに乗り換えて、大阪空港には11時半ごろ到着した。
フライトの出発時刻は午後2時10分、慣れないルートなのでかなり早く着いてしまった。

空港ビル内にある飲食店でランチ。
選んだのは「ダイヤモンドカリー 大阪国際空港」店、大阪・梅田にある人気の欧風カレーの出店らしい。
私が注文した「まぜカレー」は、その名の通りカレーとご飯、玉子を混ぜて食べるもののようだが、期待したほど美味しいとは感じなかった。

食後はラウンジに移動、ビールを飲みながら時間を潰す。
大阪空港のANAラウンジは羽田ほど混んではいなかったけれど、提供されるものは全く同じで、国内線のラウンジは全く面白味がない。

午後2時、搭乗開始。
大阪〜青森間の飛行機は、カナダ製のプロペラ機だった。
しかも、タラップも使わずターミナルビルから駐機場を歩き直接飛行機に乗り込むスタイル。
それはまるで途上国や離島のローカル線のようで、日本でもまだ歩いて乗る飛行場があるんだと個人的にはちょっと嬉しかった。

大阪を飛び立った飛行機は、ジョット機よりも低い高度をゆっくり飛行して名古屋の上空へ。
ここまでは岡山から羽田に飛ぶルートと同じだが、名古屋から進路を北東に向け、御嶽山、乗鞍岳、北アルプスなどを間近に見ながら日本海へ。
初めて飛ぶルートだけに、機窓からの眺めも新鮮である。

新潟県の上越市あたりで海上に出た飛行機は、海岸線に沿って北上を続け、新潟市、さらには庄内平野を眺めながら飛行する。
山形のシンボルである月山や鳥海山も上空からはっきりと見ることができた。
岡山を出てから山形まで、この日は全国的に晴天である。

ところが、秋田県に入ったあたりから急に雲がかかり始め、青森の上空は分厚い雨雲に覆われて、地上の様子は何も見えない。
天気予報によれば、青森周辺だけに雨雲が連なっていて、翌朝まで雨が降り続ける予報だという。
そういえば昔、出張で青森を訪れた際、山の上に作られた青森空港は悪天候のために着陸不能で引き返すことがある日本でも有数の欠航の多い空港だと聞いたことがある。
一体誰の行いが悪いのか、揺れる飛行機の中で無事着陸できることを祈る。

午後4時、私が乗ったプロペラ機は無事に青森空港に到着した。
出張で来た30年前に比べると、飛行機も空港も多少は進歩したのだろう。
雨は容赦なく降っているが、果たして寒さはどのくらいなのか?
岡山では半袖だったが、今回の青森旅行に備えてリュックの中にはダウンジャケット、ダウンベスト、フリースから首巻き、手袋まで入っている。

覚悟してターミナルビルを出たが、予想したほどには寒くはなかった。
すでに冬用のズボンに長袖シャツ、さらに薄手のフリースジャケットにレインジャケットまで着込んでいたので、バスに乗ると暑くてすぐに脱いでしまった。
同じ飛行機で到着した乗客たちが荷物を受け取るのを待ってからバスは空港を出発、リュック1つの私は20分以上バスの中で待つことになる。

青森空港は、青森平野の南方に連なる山の上に作られた空港だ。
リムジンバスはしばらく無人の山中を下り、開けた平野に出るともうそこが青森の市街地だった。
バスに乗った時には終点の青森駅まで行くつもりだったのだが、Googleマップで確認するとこの日宿泊する予定の宿には途中のバス停で降りた方が近いことがわかり、「県庁通り」というバス停で降りることにする。

バスを降りた場所は、青森のメインストリートらしく、歩道には立派な雪よけのアーケードが設けられていた。
おかげで、雨に濡れずに済む。
Googleマップでもう一度、宿の場所を確認する。
もう、歩いてすぐの場所のようだ。

この日の宿はすぐに見つかった。
当初、青森駅近くのビジネスホテルに泊まる予定だったのだが、ちょうど国民スポーツ大会、いわゆる昔の国体が青森で開催される期間と重なってしまったためどこのホテルも混んでいて、おまけに普段の倍ぐらいの値段になっていたため、友人がたまたま見つけた貸切の一軒家にみんなで宿泊することになったのだ。
外国人旅行者も狙ったコンドミニアムといった感じらしく、3階建てで家庭用エレベーターもあり、広いリビングで酒盛りもできて、10人で1泊7万円。
1人7000円だからビジネスホテルの半値以下だ。

玄関には、「No.1 Private Hotel&Villa Aomori」と書かれたプレートが。
私が到着した時にはすでにほとんどの友人たちは到着していて、数人は近くの銭湯に出掛けていた。
ベッドのある寝室は2部屋しかないが、ここは女性陣と足の悪い友人優先で、他の男どもは各自リビングや板の間に布団を敷いて寝ることになった。
それでも気ままなのでビジネスホテルよりもずっといいと思ったのだが、床暖房が効きすぎていて窓を開けても暑くて、おまけに床に寝ると布団を通して床暖房の熱が背中に当たるので、まるで一晩中岩盤浴をしているようであまりよく寝られなかった。

それでもロケーションは最高で、青森の中心街はどこでも歩いていける便利さだ。
夕食も歩いて10分ほどのところにある郷土料理のお店へ。
ねぶたを思わせるインパクトのある外観が目印の「津軽じょっぱり漁屋酒場 青森本町店」。
「じょっぱり」とは「かたくなで我慢強い人」を意味する方言で、津軽人気質を言い表す言葉だという。

案内されたのは2階にある座敷。
どこもかしこも民芸調で、秋を表現するためか、模造品の紅葉が部屋中に飾られていた。
午後7時半からは、このお座敷で津軽三味線の生演奏があるというので楽しみにしていたが、弾いたのは「じょんがら節」を含めて3曲だけ、おまけに演者さんの調子が悪かったのか途中で弦が緩んだりして正直物足りない印象だった。
所詮は観光客相手の余興、まあこんなものか。

一方、料理の方は私が知らない郷土料理が次々に出て、ちょっと新鮮だった。
最初からテーブルに置かれていたこちらのお通しらしきもの。
これは十和田市などで愛される「バラ焼き」という郷土料理だという。

友人が代表して注文したので、私は出てきたものをただ食べただけだが、まず印象に残ったのはこちらの「せんべい汁」。
八戸の郷土料理で、南部煎餅を大量に投入し醤油味で仕上げた鍋である。
汁の染みた南部煎餅は、硬いお麩のようで独特の食感がある。

続いてこちらは「イカメンチ」。
津軽地方の家庭料理で、イカの刺身を作る時に残ったゲソをミンチにして、玉ねぎなどの野菜と共に小麦粉をつけて揚げたものだそうだ。

そして最後に追加で注文したのがこちらの変わり種、黒石市のソウルフードだという「つゆ焼きそば」だ。
ウスターソースで炒めた焼きそばに温かいつゆをかけて食べる料理で、一見うどんのように見えるけれど食べてみるとちゃんと焼きそばの味がする。
秋田を旅行した際にも感じたけれど、東北の食べ物は私にとって知らない未知の味ばかりである。

そんな個性的な郷土料理以上に私たちが気に入ったのが青森の地酒である。
まず注文したのは青森の代表的な銘柄である「田酒」。
大勢で飲むので「柄杓酒」というので頼んでみると、木製の四角い桶になみなみと注がれた酒が出てきた。
これを各自の枡に柄杓で掬って飲むらしいのだが、最初目にした時には「こんなに飲めるのか」などと言っていたのに、あっという間に桶は空になり、お代わりとして別の地酒「亀吉」を注文することになる。
それにしても、青森の酒は本当に美味かった。

翌朝は、各自好きなものを食べることになり、私が近くの喫茶店に行くというと7人ほどが付いてきた。
お店は宿から1分もかからない「喫茶マロン」。
創業56年という老舗喫茶店には昭和のグッズがたくさん並んでいて、東京のカフェでは滅多に味わえなくなった居心地のいい空間が待っていた。

モーニングセットは厚切りのバタートーストにゆで卵とリンゴジャム。
これにコーヒーか紅茶がつくシンプルなものだが、この日のお昼は八甲田ホテルのランチコースと決まっていたので、このくらいがちょうど良い。
それにしても、食器のセンスもよく実に絵になるモーニングである。
値段は500円だったか、600円だったかよく覚えていないけれど、いずれにせよみんな大満足の朝ごはんだった。
ちなみに残りの3人は、少し歩いて朝ラーメンを食べに行き、やはり美味しかったと満足げに帰ってきた。

酸ヶ湯温泉に1泊した後の旅行3日目。
送迎バスで新青森駅まで戻ってきた私たちは、ここから2台のレンタカーに分乗してこの日の宿泊地恐山を目指すことに。

途中立ち寄ったのは、世界遺産にも登録された縄文時代を代表する「三内丸山遺跡」。
テレビや写真では散々目にしている有名な遺跡だが、まさか入り口がこんな立派な建物になっているとは知らなかった。
中に入るには500円の観覧料を払わなければならない。

私たちが入館した時、まさにガイドツアーが出発するタイミングで、慌ててその列に加わる。
ところが、酸ヶ湯でも予想したほどには寒くはなかっので油断したが、立ち止まってガイドさんの話を聞いているうちに体が冷えてきて、急いで車に戻りダウンジャケットを着込んでから再び説明を聞く。

三内丸山遺跡は、今から5000年ほど前の縄文時代前期から中期の大規模な集落跡で、550棟以上見つかったとされる竪穴式住居が複数復元されている。
しかし、最近の縄文ブームの影響か、日本各地でこうした竪穴建物を目にすることができるようになり、それ自体はさほど珍しいものではなくなった。

やっぱり、三内丸山といえばこれでしょう。
六本柱の大型掘立柱建物である。
もちろんこれは復元されたもので、発掘されたのは6本の柱が立っていたと思われる6つの穴だった。

実際に発掘された穴は、ドーム状の建物の中で厳重に保存されていた。
柱穴の直径も深さも約2メートル、穴の間隔はすべて4.2メートル。
他の建造物とは明らかに異なり、ムラのシンボル的な何かがここに立っていたことは確かだ。
だが、それが見張り台のようなものなのか、狼煙をあげる連絡用の塔なのか、灯台のようなものだったか、はたまた祭礼や儀式で使われる呪術的な構造物だったのか、その用途はまだ解明されていないという。

私が興味を惹かれたのは、穴の中に残っていた柱の一部で、そのレプリカが実際に穴の中に置かれていた。
地中に埋まって奇跡的に残っていた柱の一部を解析した結果、柱の材料となったのはクリの木だったという。

実際に穴の中から見つかった本物の柱の一部は、隣接する「さんまるミュージアム常設展示室」で間近に見ることができる。
5000年の時を超えて突然この世に姿を現したクリの柱。
それはまさにタイムマシーンのように、私たちの想像力を古代の日本列島に導いていく。

ミュージアムには他にも、600点の重要文化財を含む1700点の出土品が展示されている。
中には日本海を通って青森まで運ばれたと見られる糸魚川産のヒスイ製品もあった。

印象的だったのは、水晶で作られた石鏃、つまり弓矢の先につけて使う矢尻である。
通常の石鏃は黒曜石などで作られることが多く、水晶を使ったものは産地である山梨県などに限られるようだ。
縄文時代の中期までには、日本列島のかなり離れた場所の物品が本州の北端まで伝わり、広域にわたる交易が行われていたことがわかる品々なのである。

縄文中期の土偶も発掘されている。
「大型板状土偶」と呼ばれ、紀元前3000年ごろのものとされる。
高さ32センチ、重さ1.8キロ。
この遺跡からは多くの板状土偶が見つかっているが、その中でも最大のもので、ヒスイ製品や水晶の石鏃と同様、国の重要文化財に指定されている。

平成に入って本格的な調査が始まった三内丸山遺跡は、今も多くの謎に包まれている。
復元された六本柱建物にしても、6つの穴の上に、実際にはどんな建物が立っていたのか、それも定かではない。
復元にあたり専門家によりさまざまな議論がなされた上で、高さ14メートル、屋根のない三層構造の建物が選ばれたのだが、これはあくまで一つの可能性に過ぎないのだ。
材料となるクリの材木はロシアから輸入されたものだが、個人的には「クリってこんな巨木になるのか」というのが三内丸山での一番の驚きだった。

遺跡とミュージアムの見学を終えて、ビジターセンター内にあるレストラン「五千年の星」で昼食を済ませる。
私が選んだ「青森焼干しラーメン」(1100円)もなかなか美味しかったが、「縄文うどん」というのを頼んだ友人も美味しかったと言っていた。
でも、食後に食べた「そふと栗夢」という名の栗のソフトクリームがめちゃくちゃ美味しかった。
火焔土器を彷彿とさせる見た目、栗を使っているのにあっさりとした甘さ、観光施設の食堂にしてはかなりレベルが高いと思う。

その日、恐山の宿坊に泊まり、次の4日目は青森に戻る組とさらに北上して大間からフェリーで函館に渡る組に分かれる。
私は、毎年正月のニュースを賑わす大間のマグロを食べてみたいと大間組に加わった。
途中、恐山から山を下る途中にある「奥薬研温泉 夫婦かっぱの湯」に立ち寄る。
恐山を開いた円仁慈覚大師が道に迷い崖から落ちて大怪我をした際、大きなフキの葉っぱをかぶった一匹の河童が大師を連れ去り温泉に入れて傷を癒したという伝説があるという

レストハウスの奥にある階段を下っていくと、川に面した広々とした絶景の露天風呂があった。
ほとんど通る車もないような秘境の温泉だけに、入浴客もほとんどおらず、私と友人でこの景色を独占する。
恐山の濁り湯とは全く異なる透明な温泉。
フェリーの時間があって、ゆっくり心ゆくまで湯に浸かることはできなかったけれど、これで入浴料230円は格安である。

曲がりくねった山道を下り終えると、大間に続く国道からは津軽海峡とその向こうに北海道の山々が見える。
最近ではロシアや中国の軍艦が頻繁に通過しきな臭くなってきた津軽海峡だが、そんなニュースを忘れれば実にのどかな風景である。

そしてやって来ました、本州最北端の地、大間崎。
400キロ級の実物大巨大マグロの像とそれを釣り上げる漁師の腕というややシュールな像が、ここのシンボルらしい。
学生時代ヒッチハイクで恐山に宿泊した後、私は大間からフェリーに乗ったのか、それとも青森に戻って連絡船に乗って北海道に渡ったのか、残念ながら全く記憶がなく、ましてやこの大間崎を訪れたことがあるかどうかはいくら考えても思い出せなかった。

大間崎には、土産物屋やマグロを食べさせる食堂が数軒営業している。
しかし、ここで出るマグロは大間産ではないので絶対に食べるなという経験者からのアドバイスもあり、ひとまずフェリー乗り場近くでレンタカーを返却して、それからどこかで昼飯を食べることにした。

私たちが選んだのは、フェリー乗り場から一番近い「まぐろ長宝丸」という食堂。
店の前にもマグロのハリボテが置かれている。

この店は、初競で過去最高額となる5億円の値がついた巨大マグロを釣り上げたこともある地元水産会社が営む直営店らしく、観光客だけでなく地元の人たちで賑わっていた。
店員さんに確認すると、この店で提供するマグロは大間産だというので、嫌が上にもテンションが上がる。
わざわざ寂れた大間の街まで足を伸ばした甲斐があったというものだ。

ところが、この賑わっているのが仇となったのか、待てど暮らせど注文したマグロがなかなか出てこない。
30分以上が経ちフェリーの出発時間が迫ってきたため、友人たちがイライラし始める。
「フェリーに遅れちゃう」と店員さんを急かしても、暖簾に腕押しである。

まず最初に運ばれて来たのは、私が注文したこの店で一番高い「まぐろづくし丼」(3980円)。
厚みのある大トロ、中トロ、赤身がどっさりと載っている。
私の丼は文句なく美味しく、高級本マグロの代名詞「大間のマグロ」をそれなりに味わうことができたのだが、もう少し安い「中トロ赤身丼」(2980円)や「赤身丼」(2680円)を選んだ友人たちのは、まだ刺身が凍っていたりして不評だった。
きっと、冷凍保管してあるマグロを解凍するのに時間がかかり、急かすものだから半ば凍ったまま出さざるを得なかったのだろう。

真ん中が凍っているマグロを大急ぎで口にかき込む友人たちを横目に、私一人優越感に浸る。
やっぱりこういう産地に出向いた時には、ケチらず高い奴を注文するに限る。
お金を出した人ほど優遇されるという社会のあり方を学び直したような大間のランチだった。

食後は、大急ぎでフェリー乗り場へ。
大間〜函館間を結ぶ「津軽海峡フェリー」は1日2往復のみ。
このフェリーに乗り遅れると、翌日まで待たなければならないのだ。

定刻より少し遅れてフェリーは大間港を出港する。
津軽海峡を船で渡るのは、あの学生時代の旅以来、約半世紀ぶりだ。

大間の街のはずれに発電所のようなものが見える。
おそらくあれは建設中の大間原子力発電所だろう。
大間原発は国策である核燃料リサイクルの中核を担い、再処理されたMOX燃料も使用できるのが特徴で、当初は2014年の運転開始を目指して建設が進められていたが、東日本大震災に加え、大間や対岸の函館の市民グループからの反対運動もあり、予定は大幅に遅れて完成の目処は立っていないらしい。

雨の青森市から始まった今回の旅。
今年も、いい温泉と美味しい酒、珍しい郷土料理を楽しみながら、友人たちとの楽しい時間を過ごすことができた。
函館では友人の家に泊めてもらったが、奥さんは病気が見つかり、函館の家を処分して東京に戻るか、これまで通りの二拠点生活を続けるのか、その友人も人生の岐路に立っていた。
年齢を重ねるたびに、みんな新たな難題にぶつかる。
いつまで気兼ねなく今までのような旅行が楽しめるのか、一年一年がとても大切に思えた旅の終わりだった。
「津軽じょっぱり漁屋酒場 青森本町店」
電話:050-5457-7820
営業時間:16:45 - 00:00
定休日:無休
https://marutomisuisan.jpn.com/isariya-tugaru/
「喫茶マロン」
電話:017-722-4575
営業時間:07:00 - 17:00
定休日:水曜
https://www.instagram.com/marron_coffee_aomori/
三内丸山遺跡「五千年の星」
電話:017-782-5001
営業時間:11:00 - 15:30
定休日:第4月曜
https://www.jogakurakanko.jp/gosennennohoshi/index.html
「まぐろ長宝丸」
電話:0175-37-5268
営業時間:11:00 - 14:30
定休日:不定休
https://chohomaru.com/