🇯🇵 青森県/むつ市 2026年10月17日~18日
学生時代の友人たちと青森への旅行を計画中、「恐山に行きたい」と提案したのは私だった。
大学3年生の夏、北海道をヒッチハイクで一周する一人旅を計画した私は、友人のバイクに乗せてもらって青森まで行き、そこから人生で初めてとなるヒッチハイクを始めたのだ。
今からもう半世紀ほど前の1978年、まだキャンパスには学生運動の余韻が残り、映画好きだった私は「イージーライダー」などに描かれるヒッピー文化に漠然とした憧れも抱いていた、そんな時代だった。
そんなあてのない旅の途中で立ち寄ったのが、下北半島の霊場「恐山」である。

あの当時、どういう経緯で恐山に行ったのか、今では何の記憶もない。
ただ、青森では道端で車を止めようとしてもなかなか乗せてくれる車はなく、何時間もただ指を立てて待ち続けた時の不安な気持ちだけは覚えている。
当時の下北半島は今と比べて格段に貧しく、道路網も貧弱だったはずだ。
今では立派な「下北半島縦貫道路」ができていて、半世紀の時の流れを感じさせる。

途中、私の強い希望で、六ヶ所村に寄り道をする。
下北半島の中央部に位置する六ヶ所村は、日本の国策である「核燃料サイクル」の中核を担い、再処理工場やウラン濃縮工場、放射性廃棄物の貯蔵センターなどがここに密集している。
パリ特派員時代、フランスで再処理されたプルトニウムや高レベル放射性廃棄物を日本に輸送するニュースを何度も取材したが、それらの目的地となったのが六ヶ所村だった。
だから、一度自分の目でこの村を見てみたいと思い、友人たちを説得して立ち寄ったのである。

初めてこの村を訪れてみて初めて知ったのは、六ヶ所村は原子力だけでなく、再生可能エネルギーや石油備蓄の大規模な拠点となっていて、日本のエネルギー政策全般を支える特異な地域となっていることだった。
村内には無数の風車が立ち並び、広大な太陽光発電所、国が運営する石油備蓄基地も置かれている。
こうした国家事業への貢献により、六ヶ所村の財政は豊かで、村の歳入の35%を国からもたらされる収入が占め、1万人ほどの住民の平均所得は青森県内の自治体では突出して高く、県の平均の2.5倍にもなるらしい。
私たちが知らないだけで、日本国内にはいろいろな自治体があるものである。

下北半島縦貫道路はまだ全線開通しておらず、途中から陸奥湾を左手に眺めながら国道を北上する。
湾の向こうに見えるのは津軽半島。
ここ下北半島北部は、明治維新の際、戊辰戦争に敗れ領土を没収された会津藩士らが移り住み一時「斗南藩」を構えた地であることを、現在再放送中の大河ドラマ『八重の桜』を見て知った。
痩せた土地と厳しい気候のせいで大勢の餓死者を出した後、廃藩置県により斗南藩も消滅、わずか2年余りの知られざる歴史である。

その斗南藩の本部が置かれたむつ市の中心部を抜け、恐山にたどり着いた時にはすでに太陽が沈んでいた。
恐山は下北半島のシンボルとなる活火山で、最高峰となる釜臥山の標高は878メートル。
外輪山に四方を囲まれたカルデラの中に「宇曽利山湖」という湖があって、湖畔に車を停めると強烈な硫黄の臭いが鼻をつく。
このカルデラには集落はなく、湖の北岸にある「恐山菩提寺」を中心とする一帯が古くから霊場として人々の信仰の場となってきた。

菩提寺に到着する手前を流れる正津川には赤い太鼓橋がかけられている。
この小さな川は一般に「三途の川」と呼ばれており、ここが世俗と霊界の境とされているのだ。
私たちはこの橋に気づいて車を止め、写真撮影もしながら三途の川を渡ったけれど、友人たちが乗るもう1台の車はそれに気づかず知らないうちに三途の川を渡ってしまった。
とはいえ、安全上の理由なのか太鼓橋も入り口を塞がれ実際に歩いて渡ることはできないので、素通りしたとてさして災いもないであろう。

三途の川を渡り、この日の宿泊地である「恐山菩提寺」に到着したのは午後4時40分だった。
予約した宿泊客とはいえ、入山料900円を支払わなければ境内に入ることは許されない。
ところが、入場券売り場は午後5時に閉まってしまうらしく、我々は危うく入場を拒否されるギリギリで滑り込む形だったようだ。
後で、恐山の注意書きを読んだら「到着は午後5時までにお願いします」とちゃんと書かれていた。
危ない、危ない。

境内左手にある赤い屋根の建物には、なんとなく見覚えがあった。
半世紀前、私はこの寺に宿泊したのだが、その時このような建物に泊まったような記憶が蘇ったのだ。
そこはお世辞にも綺麗とはいえず、体の不調を訴える貧しそうな人たちが長逗留して湯治をしているような場所だった。
夜になると気味が悪いほど薄暗く、その情景だけが若かった私の脳裏におどろおどろしい記憶としてこびりついている。

各自自分の荷物を背負い、あるいは引きづりながら、その日の宿舎となる「宿坊」に向かう。
境内の右手にあるという案内図に従って宿坊にたどり着くと、そこには想像もしなかった近代的な建物が建っていた。
その名も「恐山温泉 宿坊吉祥閣」。
半世紀前のあのおどろおどろしい記憶が一気に吹き飛ぶような変わりようである。

玄関を入ると、高級旅館を思わせるような絨毯張りのフロア。
天井も高く、正面には仏像が安置されている。
各自で靴を下駄箱に入れるのだが、鍵がないためどこに入れたか番号を覚えておかねばならない。
ここは仏様のお膝元、他人の物を盗むような悪党はいないはずというということなのだろう、部屋にも金庫は置かれていなかった。

派手さはないが、ロビーにもシックな家具が並ぶ。
なんとか5時前にチェックインできたが、さすが宿坊だけに決まり事をいろいろと説明される。
夕食は午後6時から、午後10時には消灯、そして翌朝は午前6時半からのお勤めに全員参加した後、午前7時半から朝食。
お酒の提供はしていないので、飲みたい人は自分たちで買ってきて各自の部屋で飲むというルールらしい。
浴衣も用意されているが、着用できるのは夕食後から午前6時までと決められている。

宿坊は2階建てで、私たちの部屋は2階だった。
部屋はとても広くて20畳ほどあり、それとは別に4畳半の前室が付いていて、トイレと洗面所も各部屋に備え付けられている。
前日に宿泊した酸ヶ湯温泉旅館に比べると、はるかに広くて快適な部屋だ。
ただし、テレビや冷蔵庫など電化製品は一切ない。
その代わり、窓からは境内や恐山ならではの荒々しい風景が眺められて素晴らしいロケーションなのだが、窓を開けることは固く禁じられた。
なんでも、恐山特有の虫が大量に入り込んできてしまうらしい。

夕食の時間まではまだ1時間ほどあったので、まずは温泉へ。
5時にお寺の門は閉まったので、この時間に境内に残っているのは宿泊者だけだ。
恐山菩提寺が建つのは火山のカルデラの中ということで、境内のあちらこちらから温泉が沸くのだという。
日本全国には実に多くの寺社仏閣があるけれど、境内のど真ん中に入浴できる温泉があるところはそうあるものではない。

恐山の温泉は、お湯が湧き出している場所に木造の小屋、通称「湯小屋」を立てるというスタイル。
日によって、男女が入れ替わったりするらしいが、私たちが宿泊した時は、参道の左手にある「古滝の湯」と「冷抜の湯」が女性専用になっていた。
女性用の湯小屋の背後には、恐山名物「地獄めぐり」の岩場が広がり、他では見られない独特の風景に圧倒される。

一方、参道の右手、境内のど真ん中にあったのが男性専用の湯小屋「薬師の湯」である。
後ろに建つのは「地蔵殿」。
朝のお勤めも、夜の法話も行われるまさにお寺の中心的な建物の目の前にある温泉に浸かるというのは、なんともシュールな体験である。

湯小屋の内部はこんな感じ。
板張りの小屋の中に白濁したお湯をたたえる浴槽が2つ。
私たちの他に客はおらず、3人の友人たちと温泉を独占する。
お湯は酸ヶ湯にも劣らない滑らかさで、建物の雰囲気も実に趣深い。
むしろ、多くの客で混み合う酸ヶ湯よりも、私はこの静けさに包まれた質素な温泉の方が断然好きである。

20分ほど湯に浸かってから外に出ると、ちょうど私の好きな黄昏時だった。
西の空にはまだ明るさが残るものの、山門の上に月がかかり、ひっそりとした境内を薄明かりが照らす。
いやはや、実に美しい瞬間だ。

境内に点在する湯小屋にも明かりが灯り、この世のものとは思えぬような風情を漂わせる。
夕食の時間が決まっていなければ、もう少しこの人気のない境内で時間を過ごしたいところだが、そうはいかないのが宿坊の掟なのだ。

宿坊では食事も修行の一環。
食べ始める前には必ずお坊さんの指導の下、「五観の偈(ごかんのげ)」というお祈りを唱える。
恐山はおよそ1200年前に慈覚大師円仁によって開かれた霊場だが、今は曹洞宗のお寺となっており、禅宗では食事の前にこの「五観の偈」を唱えるのが決まりなのだという。

そして、この日の夕食がこちら。
肉も野菜も一切使わない正真正銘の精進料理である。
とはいえ、漆器のお膳は色鮮やかで、品数も多く、とても豪華に見える。
ただ、私たちが食堂に入る前からすでにテーブルに並べられていた料理は、天ぷらも煮物もすでに冷えていた。
大勢の僧侶が一度に食事をするお寺では、熱々の料理を口にすることはできないのかと冷たい天ぷらを食べながら

午後7時、住職の法話を聞くために地蔵殿に向かう。
この法話は住職が恐山にいる時には毎晩行われるそうで、参加は自由だがせっかくなのでありがたいお話を聞いてみることにした。
宿坊を一旦出て、すぐ隣にある渡り廊下を歩いていくと地蔵殿である。
緩やかに上るこの渡り廊下、どこかに似たところがあったなと思い返すと、曹洞宗の総本山「永平寺」の廊下に似ていると思った。

法話をしてくださるのは寺の住職、正確には住職代理に当たる「院代」の南直哉さん。
私と同じ年で、早稲田を卒業後デパート勤務を経て出家し永平寺で修行したという禅僧である。
法話というとちょっと硬い話を想像して出かけたのだが、南さんの話は爆笑の連続、あっという間に1時間が過ぎてしまった。
恐山は火山性ガスが高濃度で噴出しているため電気製品が数ヶ月で壊れてしまう話、恐山名物の「イタコ」は完全な個人営業でお寺とは一切関係なく混同されて迷惑しているという話など、恐山ならではの様々な情報をまるで落語か漫談のごとく面白おかしく身振り手振りを交えて語って聞かせたのち、最後は「死体、遺体、死者」の違い、人の行いの「善悪」など仏教的なありがたいお話で締めくくる、それはそれは見事な法話だったのである。
その行いによってとの縁が繋がる行為は「善」であり、逆に人との縁がブツブツに切れてしまう行いは「悪」。
なるほど、深い!
今回のツアーに参加した友人の中に、昔から何かにつけブツブツ言う男がいて、法話の後みんなから「ブツブツはダメ」とからかわれるようになった。

法話を聞いた後、消灯前にもうひと風呂。
先ほどとは別の「花染の湯」という湯小屋に行ってみることにする。
南さんも法話の中で、泉質が素晴らしいと太鼓判を押していた「花染の湯」は境内から離れた宿坊の裏手にある。
夜になると冷え込むためダウンジャケットを着込み宿坊の玄関を出ると、夜空に無数の星が光り輝いていた。
こんな星空を眺めるのも実に久しぶりのこと、これも民家のない恐山ならではだろう。

暗い夜道をたどり宿坊の裏手に回ると、そこに一軒の湯小屋が立っていた。
まわりは荒涼とした荒地で、宿坊の灯りがなければどこを歩けばいいのか迷ってしまいそうだ。

湯小屋の内部は、先ほどの「薬師の湯」と大差はないが、ここは浴槽が3つに仕切られていて注ぎ口のある奥が熱く、手前がぬるくなっていた。
誰もいない浴槽は、まるで「ういろう」のような滑らかさ。
ゆっくりと体を沈めると、適度な温かさが全身を包み込む。
南さんオススメのこの湯は、温泉成分の濃度が極めて高いため長湯は禁物、せいぜい5〜6分浸かれば十分なのだとか。
言いつけに従い、後ろ髪を引かれながら早々に風呂をあがる。

翌朝は5時半に起床し、朝風呂に出かける。
冷えているせいで、湖には朝靄が立ち込めているが天気は良さそうだ。

朝湯は再び「花染の湯」へ。
宿坊の裏手に回ると、夜中は真っ暗でよく見えなかった荒涼とした景色が目の前に広がる。
なるほど、こうなっていたのか。

昨夜は全く気づかなかったけれど、至る所に噴気孔があり「危険」と書かれた注意書きと共に囲いがしてある。
南さんの法話でも、幽霊を見ようと夜中に宿坊の外を散布するのは危険がいっぱいなので、絶対にダメと言われた。
転ぶとトゲトゲの岩で顔をざっくり、おまけに熊も出るという。

そうそう、この「花染の湯」は混浴である。
しかも入り口に鍵もないため貸切もできず、女性にはいささか勇気が必要だろう。

朝も、誰も入浴していなかった。
すりガラスの窓から夜明け前の柔らかな光が差し込み、昨夜とはいささか雰囲気は違うが、蛍光灯の灯りよりもやはり自然光の方が好ましい。
冷えた体を濃い温泉に浸すと、眠気が一気に吹き飛ぶようだ。

短めの入浴を済ませ、湯小屋を出ると、東の空が明るさを増していた。
時刻は午前6時。
朝のお勤めまでの30分、せっかくなので少し周囲をお散歩してみることにする。

境内の中央に建つ山門の前には、まだ真新しいお地蔵様が。
恐山にはなぜか、お地蔵がたくさん祀られている。
地蔵は、お釈迦様が入滅してから、次の未来仏である弥勒菩薩が現れるまでの56億7000万年という長い期間、仏のいない世界で人びとを救う役割を担っているという。

日本では特に、地蔵は子供たちを守る身近な仏様として信仰されているそうで、お地蔵様の足元に積み上げられた石と風車は、幼くして亡くなった子供や水子の霊を慰めるためのものらしい。
下北半島の厳しい自然環境は多くの子供たちの命を奪い、それが根強い恐山信仰に結びついたのかもしれないと想像した。

境内の左手には、火山活動で生まれた独特の風景が広がり、それを利用して「地獄めぐり」のコースが設けられている。
小高い丘を無数の奇岩が埋め尽くすその景色は、現代の我々が見ても地獄を感じることができるほどで、昔の人がこの場所を地獄や霊界に見立てたのはもっともなことだと思う。
地獄めぐりのコースは全長3キロにも及び、ところどころに仏像が置かれて霊界を彷徨うような不思議な体験ができる。

道中の目立った奇岩には「みたま岩」「無間地獄」「賭博地獄」「重罪地獄」「修羅王地獄」「金掘地獄」「血の池地獄」など様々な名前が付けられている。
同時に、「延命地蔵尊」「千手観音」「水子供養御本尊」などの救いの仏様もいて、地獄を歩きながらこうした仏様を順に巡る仕掛けになっているようだ。

丘の高いところまで来ると、眼前に緑に囲まれた宇曽利山湖が見えてくる。
朝の静かな湖からは水蒸気が立ち昇り、まさに極楽のような神秘的な雰囲気を漂わせる。
地獄を抜けると、そこに極楽が待っている。
これこそまさに、霊場恐山の昔から変わらぬ人気を支える自然からの贈り物なのだ。

その時、東の空から太陽が昇ってきた。
恐山菩提寺越しに眺める日の出。
湖の上にかかる雲と外輪山に徐々に朝日が当たる。
実に神々しい光景である。

しかし、あと10分ほどで朝のお勤めが始まる。
戻って地蔵殿に集合しなければ。
極楽行きは朝食の後にしよう。

朝日に向かって、来た道を戻る。
それはとてもこの世の風景とは思えない。
日本広しとはいえ、こんな風景は他ではそう見られまい。
古希を迎えようとする私たちそれぞれの心に、恐山の風景は何かを語りかけてくるように感じる。

急いで地蔵殿に駆けつけると、すでに多くの人が集まっていた。
全員がこの日の宿泊者、オーストリアから来たという外国人のグループもいる。
午前6時半になると、厳かな雰囲気を纏って南さんが入ってきて、昨夜とは打って変わった神妙な面持ちでお経を唱え始める。
夜は落語家のようだった南さんも、朝になるとお寺の最高責任者の顔に戻るのだ。

地蔵殿のお勤めを終えると、続いて本殿に移動してそちらでも朝のお勤めを見守る。
時間にするとおよそ30分。
まるでファンクラブのような女性グループが南さんを囲んで記念撮影をしているのを見て、私たちも真似をして一緒に写真を撮らせてもらった。

午前7時半から朝食。
全員が食堂に入ると入り口の扉が閉ざされ、夕食の時に渡された箸袋に書かれた「五観の偈」を再び唱える。
それでも堅苦しさは一切なく、例のファンクラブらしき女性陣は大声でおしゃべりしているので、声の大きい我々のグループも肩身が狭くならないで助かる。

こちらがこの日の朝ごはん。
決して量は多くはないが、味がけっこうしっかりしているため、結局ご飯をおかわりしてしまった。
温泉に入ると、いつもよりお腹が空くようである。
真新しい立派な宿坊、文句なしに素晴らしい、楽しくタメになる法話、そしてこの充実した食事。
これで1泊2食付き1万7000円は、相当お値打ちだと思う。

朝ごはんを終えたら、友人たちと連れ立って「極楽」へ。
先ほど歩いた地獄を抜けて丘を下ると、「賽の河原」に出る。
賽の河原とは、親より先に亡くなった子どもが死後に赴く三途の川の河原のことだそうで、両親のために小石を積んで塔を造ろうとしても完成間近になると地獄の鬼が現れてそれを崩してしまう苦行が待っている。
それでも最後には、地蔵菩薩が現れて子供たちを救済してくれるというのが古くから続く民間信仰だという。

賽の河原の祠の前には、生まれてくることさえ叶わなかった水子たちを供養する仏様も。
恐山のカルデラには、貧しさの中で必死で生きた多くの人たちのと祈りが満ちているように感じる。

そして、さまざまな地獄を抜け、苦しみを味い尽くした人たちの前に突然穏やかな湖と真っ白な砂浜が広がる。
その名もズバリ「極楽浜」だ。
誰もいない美しい浜にたくさんの石積みが残されていた。
ここを訪れる人々が、各々の願いを込めて積み上げたものだ。

間近に見る宇曽利山湖の水は、限りなく澄み渡っていた。
硫黄分が大量に溶け込んだ湖は酸性度が非常に強く、水草がほとんど繁殖できないからだ。
魚もほとんど生息できず、唯一酸性の水に適応したウグイだけがこの湖に棲むという。
火山活動が作り上げた自然環境とはいえ、まさに人間が漠然と抱く来世のイメージがここには備わっているのである。

砂浜には、誰が置いたのか小菊の花束が供えられていた。
私たちはこの極楽にしばし留まり、静かに湖面を見つめる。
各自の心にどのような感情が込み上げたのかはわからないけれど、己の最期を意識するようになったシニア世代にとっては、ここは自分の気持ちと向き合うことのできる貴重な場所であることは間違いない。
高野山、比叡山と並ぶ「日本三大霊場」と呼ばれる恐山だが、死後の予行演習として、自らの老いや死について真剣に考える気があるならば、ここほどふさわしい場所はおそらく他にないだろう。

酸ヶ湯に行くことを目的に計画された今回の旅行。
結果的には、この恐山が一番印象に残ったという友人が多かった。
私ももちろんその一人だ。
半世紀前、20歳そこそこで訪れた恐山はただただ気味の悪いおどろおどろしい場所だったけれど、70歳を前にすると感じるものは自ずと変化する。
恐山に泊まり何を感じるか、それは人それぞれではあるが、会社を辞め自分と向き合う年齢になったら是非訪れてほしい日本でも数少ない場所だと私は思う。
「霊場恐山 宿坊吉祥閣」
住所:青森県むつ市田名部宇曽利山3−2
電話:0175-22-3826
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