<きちたび>アイスランドの旅2023🇮🇸 ゴールデンサークル② 大自然の息吹を感じる「ゲイシールの間欠泉」と「グトルフォスの滝」

アイスランド観光の定番コース「ゴールデンサークル」といえば、前回紹介した世界遺産「シンクヴェトリル国立公園」に加えて、そのさらに東に位置する「ゲイシールの間欠泉」と「グトルフォスの滝」をセットにして回ることを言う。

ひと回りするのに約8時間。

朝レイキャビクを出発すると夕方には戻って来られ、日帰りでアイスランドの大自然を体感できることが最大の魅力だ。

シンクヴェトリル国立公園での50分の散策を終えた私たちは、お昼前に再びバスに乗り込み次の目的地「ゲイシールの間欠泉」に向かう。

美しい雪景色が続くが、もう誰も最初の頃のようにバシャバシャ写真を撮ったりしなくなった。

人間というのは国籍が違ってもそういうものである。

途中、ロイガルヴァトンという湖畔の集落を通過した。

このあたりは少し標高が低いのか雪がない。

ガイドさんの説明によれば、ここは一種の温泉保養地のような場所だそうで、湖の周辺からたくさんの温泉街湧き出し、レイキャビクの人たちが別荘を建てて週末に遊びにくるのだという。

火山の危険と隣り合わせではあるが、それだけに温泉の恵みも受けられる。

日本人と似た暮らしがここにある。

その火山のパワーをまざまざと見せつけられるのが「ゲイシールの間欠泉」である。

ビジターセンターの駐車場に到着したのは午後0時半。

ここはレストランやショップ、ホテルまである一大観光地であり、各自昼食を済ませて1時間半後に出発と伝えられる。

ツアー客はみんな、煙が上がる方向に歩いていく。

多くの人たちがぐるりと輪になって、スマホを手に何かを待っている。

もちろん間欠泉が吹き上げるのを待っているのだ。

再びアイスランド最大の観光ポータルサイト「Guide to Iceland」の説明を引用させていただく。

ゲイシールの間欠泉とそのエリアは様々な名前で呼ばれています。ホイカダールル渓谷(Haukadalur Valley)という場所にあり、ゲイシールという巨大な間欠泉が噴出していた場所です。この巨大な間欠泉のため、単にゲイシールと呼ばれれることが多いですが、ゲイシール間欠泉は現在は活動を休止し、その隣にあるストロックル間欠泉のみ噴出しています。また、このエリアでは多くの地熱活動が見られるため、ゲイシール地熱地帯とも呼ばれます。

間欠泉の周囲には高温のお湯の湧き出る沼や、蒸気の噴出する穴などがあり、地熱活動の様子を様々な形で観察することができます。地中のミネラルやガスによって変色した地面の色も、不思議な光景です。

引用:Guide to Iceland

私もスマホをスタンバイして、観光客の輪に加わった。

すると、しばらくするとご覧の光景が。

まさに大地の呼吸、クジラの息つぎのようだ。

これが現在唯一活動している「ストロックル間欠泉」である。

どのくらいの高さまで吹き上がるのかわからなかったので、ちょっとルーズな写真になってしまった。

場所を変えて再度トライ。

今度は噴出の様子を連続写真で捉えることができた。

ドーンと、勢いよく吹き出して

ピークに達し

白い湯気がなぜに流されていく。

写真を無事に撮れた観光客たちは満足気に間欠泉を後にして、食事に向かう。

残るのは写真マニアの人たち。

人とは違うアングルを探して、あっちから撮ったり、こっちから撮ったり。

私もその仲間に加わる。

遊歩道を進むと、隣に「GEYSIR」と刻まれた石碑を見つけた。

どうやらこれが場所の名前の由来となった「ゲイシール間欠泉」のようである。

ゲイシール間欠泉は初めてヨーロッパ文学で記録された間欠泉です。ゲイシールというのは、そもそもアイスランド語で「間欠泉」を指す言葉です。英語ではGeysirが語源となり、ゲイザー又はガイザー(Geyser)という言葉になりました。アゲイシール間欠泉は1万年前から活動していた痕跡があり、今世紀に入るまでは頻繁に噴出していました。残念ながら今はその跡が残っているだけとなっています。隣のストロックル間欠泉(Strokkur)は現在でも約10分ごとに20mから40mの高さまで噴出しています。ゲイシール間欠泉はさらに大きな間欠泉でしたので、想像するだけでもその迫力に圧倒されてしまいます。

ゲイシール間欠泉が活動していない理由については、周辺の地殻活動のためだと言われています。大きな地震により間欠泉の活動が引き起こされますが、やがてその活動は鈍くなるようです。

また、ゲイシール間欠泉の活動の頻度には差がありました。1910年あたりには1時間ごとに噴出していたと言われていますが、1916年にはほとんど活動していなかったようです

引用:Guide to Iceland

間欠泉の名の語源ともなったゲイシール間欠泉をなんとか守ろうと、大自然を相手に人々も頑張ったらしい。

ゲイシール間欠泉という名物の不定期な活動に業を煮やしたアイスランド人たちは、噴出をさせようと様々な試みをはじめました。1935年にはゲイシール間欠泉の周辺を掘り、水位を下げることで噴出しやすくしました。しばらくはこの方法で噴出していましたが、やがて堀ったトンネルが詰まり噴出活動は止まってしまいました。

1981年、このトンネルの詰まりを取り除くと同時に、アイスランド人たちは石鹸を入れると間欠泉が噴出するという、驚くべき発見をしました。しかし環境への懸念が強まり90年代にこの習慣はなくなりました。

その後活動を休止しているゲイシール間欠泉ですが、たまに噴出することがあります。2000年には高さ122mまで噴出し、2016年にも噴出しました。

確かに、この間欠泉の周辺もなぜか濡れている。

すぐ近くまで行って覗き込む人もいるが、突然噴出すると火傷では済まないかもしれない。

道なりに土の遊歩道をを辿って登っていくと、別の間欠泉の跡らしき円形の水たまりがあり、まだ盛んに湯気をあげている。

噴出しないため、すぐ近くから穴を観察できるのだ。

見た目には、噴出する穴と噴出しない穴の区別がつかない。

噴出いなくても、常に湯気が出続けているため、冷たい空気に冷やされて周辺の草にツララができていた。

生命の起源は海底の噴出口だと聞くが、こうして絶え間なく地中から水分とミネラルを送り出していれば、長い年月の末に単純な生命が生まれてくるのも頷ける気がしてくる。

湯気を吐き出す噴出しない穴を手前に置いて、ストロックル間欠泉を撮影してみよう。

かつて一時期テレビのカメラマンだった時の感じが蘇る。

アングルを決めてスマホを構えるが、こういう時にはなかなか噴出してくれない。

待つのがカメラマンの仕事。

そうして10分ほどカメラを構えたまま焦らされて、ようやく撮れたのがこの一枚である。

湯気が風下に流れていく。

ちょうどバックに晴れ間がのぞき、少し色彩のある写真になった。

動画で撮影している人が多いが、動画だと私の場合、後で見直すことがないのであくまでアングルを考えながら写真で心に残るシーンを撮るのだ。

さらに遊歩道は上に伸びていて、少数ながら登っている人もいたが、私はもういいかなと思い、斜面を降り始める。

ちょうどストロックル間欠泉の近くに来た時だった。

突然、噴出が始まった。

慌ててスマホを向けるがタイミングすでに遅し。

「ちぇっ!」と思った次の瞬間、間欠泉が立て続けに吹き上がったのだ。

今度はなんとか反応できた。

やはり近くから見ると迫力がある。

2回連続ってこともあるので、油断は禁物だ。

こうして被写体に集中していると、若き日のカメラマン時代を思い出す。

報道カメラマンは撮り直しが効かない。

決定的瞬間を自分だけか撮り損ねるという恐怖は常に頭から離れなかった。

業界ではこれを「トクオチ」と呼ぶ。

駆け出しのテレビマンだった私は、「トクダネ」を取る喜びよりもトクオチの恐怖の方が圧倒的に強くて、現場に向かう車の中でいつも緊張していたことを思い出す。

そんな弱気な若者もなんとかテレビマン人生を全うできた。

気を取り直して、もう一度、間欠泉と向き合う。

これは仕事ではなく、ライバルもいない。

トクオチォ気にせずに撮りたいように撮ればいいのだ。

水面の動きを見ていても、噴出のタイミングはわからない。

こういう被写体と向き合う時は肩の力を抜いて、集中し、体が反応するのに任せるしかない。

動いた!

天まで伸びた!

飛び出した熱湯の先端は画面を突き抜けてしまった。

ても、構わない。

うまく全体を収めた写真よりも、画面から溢れ出した写真の方がはるかに魅力的なことを私は長年の仕事から学んだ。

決定的な瞬間が終わった後も一応カメラを回しておく。

放送では使われない可能性が高いが、たまに編集の際に役立ったり、予想外のことが偶然撮れることがあるからだ。

これもテレビ局で叩き込まれた。

シニアになって自分の歩んできた道を振り返ると、無駄だった経験は何もないと断言できる。

どんなに辛いことでも、経験しないよりも経験した方がいい。

最悪なのは、失敗を恐れて新しいことを経験しようとしないことだ。

経験したことが多いほど、人生は豊かになり、他人にも寛大になれる。わた

私は、そう思う。

間欠泉の撮影を終えてビジターセンターに戻ると、すごい車が停まっていた。

この車でどこを走るのだろう。

島の大半が無人の原野であるアイスランドでは、道路の数も限られている。

一般道から外れ原野の中へと分け入っていくには、普通の車では太刀打ちできないのであろう。

センターの中では多くの観光客がランチを食べていた。

予想通り、料理の値段はとても高く、サラダだけでも2000円以上する。

私はそれを見越して、朝食のリンゴ1個と日本から非常食として持参した栄養バーを持ってきていた。

ついでに、ポットには温かい紅茶も。

昼メシなんてこれで充分である。

ビジターセンターはショップも充実していて、高級なアイスランド製のセーターから土産物まで揃う。

北欧的なセンスのいい商品が多いので、買い物好きではない私でも欲しくなってしまうほどだ。

ただ私の妻が無用な物は極力増やさない方針なので、私もそれに異論はない。

昔の私なら、売られていた溶岩の塊に興味を持ったかもしれない。

ただ持って帰るのに重いので、火山噴火のトランプで妥協するかもしれないが、どういうわけかこういう役に立たない物に惹かれる性癖があったのだ。

でも、そういう変な物への執着心も今はなくなった。

ただただ、シンプルライフを目指す妻の躾に従うのみである。

ビジターセンターで時間を持て余したものの、バスは予定通り午後2時前に次の目的地に向かって出発した。

ちょうどその時、一通のメールが届いた。

ゴールデンサークルと一緒に申し込んでいたその日の夜の「オーロラツアー」が天気の関係で中止になったという連絡だった。

無料でキャンセルができ、順延もできると書いてあったので、翌日の予約に振り替えてもらうことにする。

英語で返信する際にはGoogle転換を使い、ちゃんと意味の通る英文を作るのが最近のやり方だ。

自分の下手な英作文で返信するよりもちゃんと意図が相手に通じるからだ。

海外旅行も昔に比べれば随分便利になっているのに、どうして若い人たちは海外に行きたがらないんだろうと不思議に感じてしまう。

オーロラ旅行の振り替えをお願いし終わった頃、ゴールデンサークル3つ目の目的地に到着した。

時刻は午後2時15分。

ゲイシールな間欠泉からはさほど離れてはいない。

遠くに見える雪山が綺麗で、思わず写真を撮影する。

3番目の目的地は大きな滝だった。

「グトルフォスの滝」

これまた、「Guide to Iceland」と解説から見てみよう。

ゴールデンサークルの3か所目はグトルフォスの滝(Gullfoss)です。ゲイシールの間欠泉エリアを過ぎ、さらに進むと轟々と音を立てて流れ落ちる滝が現れます。グトルフォスの滝は高さ32mで、2段になっています。夏の水量の多い時には毎秒140立方メートルもの水量となります。

この力強く流れ落ちる滝も晴れの日には美しい虹が現れ、強さと美しさを兼ね備えた滝でもあります。上流の川の両側には草や苔の生えた大地が広がり、遠くには白く輝くラングヨークトル氷河を望みます。

ラングヨークトル氷河に水源をもつクヴィータアゥ川(Hvíta)はグトルフォスの滝を流れ、その下流ではラフティングも楽しめます。流れの早い川では見るだけでなく、川の流れに乗ってみてもいいのではないでしょうか。アドベンチャーを楽しみたい人におすすめです!

引用:Guide to Iceland

この滝に関しては余計な能書は要らない。

たくさんの美しい滝を持つアイスランドでも随一の規模を誇るのがこのグトルフォスの滝である。

ビジターセンターから続く遊歩道を進みまず崖の上から滝の全体像を把握したら、階段を下って、近くから滝の迫力を全身で感じる。

みんな写真撮影に夢中である。

ゴールデンサークルを訪れるツアー客はやはりヨーロッパ各国からの人が多いようで、英語に混じってフランス語やイタリア語、ドイツや北欧系の言葉を使って楽しそうに談笑するグループもいる。

アジア系で目立つのは圧倒的に中国人。

自撮り棒片手に滝の前でポーズを取る光景は、世界各地の観光名所で必ず眼にするものである。

一方で日本人は、まったく姿を見なかった。

円安の影響もあるとはいえ、寂しい限りである。

日本では感じられないこの滝の圧倒的な迫力を様々な角度から堪能できるようにコースが作られている。

理屈なしですごいと思った。

雪と氷の季節の滝は本当に美しいと感じた。

12月のアイスランドってどうなのとも思っていたが、ひょっとしてベストシーズンかもしれないと考え始めてもいた。

こうしてアイスランドを代表する3つの名所を巡るゴールデンサークルツアーは終了。

バスは一路レイキャビクに戻り、予定通り夕方5時にはツアーバスが最寄りのバス停まで送ってくれて解散となる。

参加するまえには、シンクヴェトリル国立公園以外はどうでもいいと思っていたが、やはり3つ見られてよかったというのが実感だ。

レイキャビクから出て、アイスランドの大自然に触れてみたいのならば、ゴールデンサークルの日帰りツアーに参加することは最良の選択である。

費用は、夜間のオーロラツアーと合わせて1万8343円。

延期となったオーロラツアーについては、また改めて記録したいと思う。

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