🇲🇾 マレーシア/クアラルンプール 2025年2月13日~14日
東南アジアを巡る今回の旅。
2カ国目の訪問国マレーシアもシンガポール同様、ほぼ40年ぶりの訪問である。
今回は首都クアラルンプールに3泊する。
ここを足場にして、太平洋戦争で日本軍が最初に上陸したマレーシア東海岸の町コタバルや、まだ訪れたことのないブルネイを往復する計画だ。
そのために目をつけたのが、チャイナタウンにあるホテル「サンタ・グランド・クラシック・チャイナタウン」。
「セントラル・マーケット」という市場のアーケードに面した便利な立地なのに、エクスペディアの割引が効いてプール付き1泊6000円は美味しいと思った。
実際に訪れてみると、予想以上に綺麗で好立地。
白人の観光客が多い印象で、フロントも英語できちんと対応してくれる。
部屋もベッドが広くて機能的。
チャイナタウンということで、コテコテのインテリアだと嫌だなと思っていたが、とてもスッキリしたモダンなお部屋だ。
バスルームはデスクの裏側に設けられ、間の壁は磨りガラスのため電気をつけなくても部屋の明かりが届くようになっている。
歩き回って汗をかいたので、荷物を置くとすぐに最上階にあるというプールに向かう。
ホテルの規模と同様、決して大きなプールではないけれど、想像していたほどチンケなものでもなく、軽く泳いだりウォーキングをするには十分だ。
そして何より、クアラルンプールの街並みを一望できるデッキが素晴らしい。
シンガポールではホテル代が高くてプール付きを断念しただけに、マレーシアはまだそこまでは物価が高くなっておらず、もうそれだけで大満足である。
湿度が高い南国特有の夕日は赤い。
初めてバンコクに赴任した時、赤い夕日を眺めるのが好きだった。
今回久しぶりにそんな赤い夕日に再会できて、少し懐かしい気分になった。
部屋に戻ると、何やら騒がしい。
ふと窓の外を見ると、アーケードの上に張られた電線にびっしり小鳥がとまっていて、大声で鳴いているではないか。
バンコクでも夕方になると「パッポンツバメ」と呼ばれる鳥の大群が空を暗くするほど飛んでいたけれど、どちらかといえばムクドリの類だろうか?
たまらず部屋を出て、晩ごはんを食べるお店を探すことにした。
日も暮れて、ホテル前のアーケードから人が消えていた。
到着した時には多くの人が行き交っていたけれど、入り口の飾りだけがやたらに目立っていた。
アーケードの隣にある「セントラル・マーケット」にも入ってみる。
入り口には「Since 1888」と書かれていて、イギリスの植民地当時からある歴史ある市場のようだ。
市場といっても、中はもはやショッピングモールのような商業施設。
小洒落たスーパーマーケットには南国フルーツの王様ドリアンも売られていた。
他にも、センスのいいお土産物屋さんや雑貨店が軒を連ね、買い物好きな旅行者にとってはお宝が見つかりそうな魅力的な場所である。
得てして、こうした有名なマーケットは客引きが横行しぼったくりに会うリスクも高いが、このマーケットではそんな空気は微塵も感じなかった。
中でも私の目を引いたのが、こちらの蝶の標本。
マレーシアは珍しい昆虫たちの王国でもあり、マニアにはたまらない国かもしれない。
どこかに良さそうなレストランはないかと中華街をぶらぶらしていると、古めかしい建物の向こうに一際目立つビルが立っている。
調べてみると、2023年に完成したばかりの「ムルデカ118」というマレーシアで一番高い超高層ビルらしい。
地上118階、高さは678.9メートルもあり、東京スカイツリーよりも高く、あのドバイのブルジュ・ハリファに次ぐ世界で2番目に高いビルなのだそうだ。
クアラルンプールといえばツインタワーが有名だったが、知らないうちにそれを超えるランドマークが誕生していたわけだ。
それにしてもこのビル、どこにいても見える。
中華街の猥雑な雰囲気と超近代的な「ムルデカ118」の組み合わせは、何やら昔の映画「ブレードランナー」を思い起こさせる。
提灯の隙間から仰ぎ見る「ムルデカ118」。
なんともシュールな光景で、この写真を撮影するためだけにクアラルンプールを訪れる人もいるかもしれない。
ちなみに、「ムルデカ」とは「独立」という意味らしい。
しばらくチャイナタウンを彷徨って、多くの客で賑わう一角にたどり着いた。
「ムルデカ118」からもほど近い「ジャラン・スルタン」という通りのようだ。
中華料理を中心にたくさんのお店が軒を連ねているが、その中で選んだのは「西湖飯店」というお店だった。
店名の後ろに「1962」と書かれていて、勝手に老舗と判断した。
歩道に置かれたテーブルに座ると、目の前にでっかい「ムルデカ118」が。
雰囲気はまさに「ブレードランナー」である。
ちょうど目の前の柱にオススメメニューらしき写真パネルがあったので、それを指差しながら適当に注文をする。
まずはビール。
マレーシアではやはり「タイガービール」が幅を利かせている。
ただ、日本のようにキンキンに冷えたビールが出てくることはあまりなく、この店のビールもやはり少しぬるかった。
ビールを飲みながら、料理が来るまで周囲を観察する。
なかなかの人気店らしく、席が空くとすぐに誰かが座り、空席ができることはない。
冷房が効いている方がいいという客も多いようで、店内の席が空くと、中に移る客もいる。
でも私は、こうして屋外で景色を眺めながら食べる方が圧倒的に好きである。
しばらくして、注文した料理2品が運ばれてきた。
自分で選んだとはいうものの、2つとも同じような色である。
まずこちらは「福建面」。
麺が太くて短く、見た目ほど味が濃くはない。
値段は12リンギット、日本円でおよそ400円ちょっとと手頃だ。
しかし、麺が短すぎて箸では食べにくく、スプーンとフォークで食べることに。
もう1品は「媽蜜猪肉」。
見た目は酢豚のようだが、お酢は使っておらず甘辛い。
調べても詳しいことはよくわからなかったけれど、イギリス人が持ち込んだマーマイトというビールの製造過程でできるペーストを使って揚げた豚肉を味付けしたもののようだ。
値段は25リンギット、およそ850円。
肉が柔らかくて、小皿でもボリューム十分で、なかなか美味である。
犬も歩けば棒に当たる。
こうして街をぶらぶらしていると、地元の人に愛されるこうした美味しいお店が見つかるものである。
食事を終えてチャイナタウンをぶらぶらしながらホテルに戻る。
人通りが少なくなった暗い路地裏には、どこからかホームレスの人たちが集まってきて、軒下に段ボールを寝る準備をしていた。
超高層ビルが乱立するクアラルンプールでも、40年前と変わらない貧困がまだ色濃く残っていることを感じる。
夜になると昼間に比べて涼しくなるとはいえ、街歩きの後はしっかり汗をかいている。
部屋に戻るや否や水着に着替えプールに直行だ。
うるさかった鳥たちも寝静まったようで、プールで体温を下げたおかげですぐに深い眠りに落ちた。
歴史好きの私にとって、このホテルのロケーションは最高だった。
中華街の西の外れにあるこのホテルからほんの数分北に歩くと、クアラルンプール発祥の地「マスジット・ジャメ」に着く。
クアラルンプール最古のモスクが立つこの場所は、2つの河川、すなわちクラン川とゴンバック川の合流地点である。
そもそもクアラルンプールという名前を調べてみると、マレー語でKualaは「合流点」、Lumpurは「泥の川」を意味し、「泥の川の合流点」という意味。
すなわち2つの川が交わるこの場所こそが、首都の名称の由来となっていることを初めて知った。
せっかくなので、「マスジット・ジャメ」に入ってみた。
昨今イスラム国家が競うように建設している巨大なモスクとは違って、こぢんまりとしていて品があり、静かにお祈りするには良さそうなモスクだ。
それにしても、なぜこんな神田川のような川の合流部がクアラルンプール発祥の地なんだろう?
そもそもマレー半島を植民地化したイギリスは、どうして海岸部ではなく、こんな内陸の不便な場所に統治の拠点を構えたのだろう?
そんな疑問が湧いてくる。
この合流点に町が発展したのは、実は19世紀になってから。
さほど古い話ではない。
どうやら、この川の近くで錫の鉱山が発見されたことがきっかけらしい。
鳥居高編著『マレーシアを知るための58章』から、クアラルンプールの街の成り立ちを引用する。
『19世紀の半ば(1857年)にこの合流地点から上陸したマレー人王族が複数の中国人を率いて内陸部に分け入り、アンパン地区に錫鉱床を発見した。この発見から内陸部へと開発が本格化することになる。当初は伝統的な方法で錫鉱石を含む土砂を水洗いによって鉱石をより分けたものの、のちにイギリスが浚渫船や近代的な設備を持ち込み、本格的な開発が始まった。以後、錫鉱山開発がこの街を発展させていくことになる。その結果、もともと河口の港(クラン港)を中心とした街が川に沿って内陸部へとその中心が移っていった。これらのことから地図を眺めると、最初の上陸地マスジット・ジャメとその東南のほど近い場所に、イギリス植民地支配の象徴である旧植民地政庁、スランゴール・クラブなどがあり、これらの「近接さ」という位置関係から歴史が見えてくる。』
チャイナタウンが「マスジット・ジャメ」のすぐ近くにできた理由も、この本に書かれていた。
『錫鉱山の開発はマレー人王族から資金力がある中国人商人が担い、彼らの下で鉱山開発に従事する中国人労働力流入が起こった。また鉱山開発をめぐっては、いわば二重の抗争が展開された。まず土地はスルタンに帰属するものであったため、土地の所有権を有するマレー人の王族間での争いである。これに加えて、鉱山開発を実質的に担った中国人の秘密結社間の争いである。彼らはマレー人王族から採掘権を入手し、錫鉱山開発の実質を担った。スランゴールでは、マレー人王族間、中国人秘密結社間の2層で争いが起き、1866年から1873年にかけてスランゴール内乱が勃発した。これがイギリスによる植民地支配の契機となった。
1874年にイギリスはまずペラ王国とのパンコール条約を締結し、マレー半島の植民地支配に着手した。同じ年にスランゴール王国も植民地となり、イギリスは駐在官を設け支配を進め、スルタンにはイスラームとマレー人の慣習法に関する権限のみを残し、そのほかの行政的な権限を掌握し、領域的支配を進めた。しかし、当初は中国語を理解するイギリス人官僚もいなかったこともあり、KLに関しては中国系の有力者ヤップ・アーロイにその支配を任せていた。彼は主に同郷を基本的な紐帯とする秘密結社を通じて、中国人労働者を調達し、錫鉱山開発を進めたほか、本格的とは言えないものの道路の整備など進めた。さらに19世紀後半以降の錫需要の世界的な高まりがマレー半島における錫開発に拍車をかけていく。その結果1891年の段階でKLの総人口1万9000人あまりのうち、中国人が73%と圧倒的多数を占める街となった。それに対しマレー人、インド人はそれぞれわずか12%を占めるに過ぎなかった。この街は「華僑による錫鉱山の街」として発展を始めることになった。』
『この街の大きな転機は1880年にスランゴール州の州都となり、1882年にスウェッテンハムが駐在官に着任したことに始まる。程なくしてヤップ・アーロイは亡くなり、イギリスは資源輸出に必要な鉄道の敷設を本格化させ、錫鉱山開発はイギリスの資本と技術が投入され飛躍的に拡大していった。』
「マスジット・ジャメ」の西側にある「ムルデカ広場周辺には、イギリスの植民地時代に建てられた立派な建造物が今も残っている。
中でも川沿いに立つこちらの「スルタン・アブドゥル・サマド・ビル」は、イギリス植民地政府の庁舎として1897年に建てられたものだ。
しかし、マレー半島の伝統社会を劇的に変えたイギリスの支配も、日本軍の電撃作戦の前に呆気なく崩壊し、戦後再び統治を試みるも、一度芽生えた独立の動きを止めることはできず、1963年ついにマレーシアは完全な独立を果たすのである。
「ムルデカ広場」は、マレーシアの人たちにとって独立のシンボルのような場所でもある。
完全独立の前、1957年にこの広場でイギリス国旗が下され「マラヤ連邦」の旗が掲げられたのだ。
「マラヤ連邦」はあくまでイギリス連邦の一部としての独立だったけれど、マレー人にとっては大きな意味のある出来事であり、この広場が「独立広場」と呼ばれるようになったわけである。
しかし、イギリスからの独立はそれまで表に出なかった民族問題を顕在化させる。
こうして発展したクアラルンプールだが、戦後独立した際にマラヤ連邦の首都となり連邦領となって以来、「華人の街からマレー人の街へ」と様相が変化していった。
この過程では多民族国家ならではの難しい問題も浮き彫りとなり、それが顕著に現れた悲劇が独立から12年目の1969年に起きた「5月13日事件」である。
マレーシア独立にあたっては、主要民族のエリート層が中心となり与党連合「連盟党」が結成され、民族間の利害調整に一定の合意がなされていた。
しかし、庶民の間ではそれぞれ不満がくすぶっていたのである。
具体的には、マレー人は経済的な地位の向上を求め、華人は華語の公用語化や華語学校の維持、さらに憲法が定めたマレー人の特別な地位に関する廃止を訴えた。
1960年代になると、そうした不満を吸収する各民族の野党勢力の活動も活発化し、1969年5月10日の総選挙では、華人系野党が連邦議会で大きく躍進し、一部の地方では華人が行政を支配するようになる。
こうして民族間の対立はエスカレートし、総選挙の3日後ついに大規模な暴動へと発展した。
デモ行進をしていたマレー人が偶発的な小競り合いをきっかけに華人居住区になだれ込み、反撃に出た華人秘密結社のメンバーらと衝突、マレー人主体の治安部隊が華人に向けて発砲したことにより被害が拡大したとされる。
政府の発表で死者は196人、負傷者439人とされているが、実際の犠牲者数はその3〜5倍との推計もある。
この暴動については、マレー人と華人との間で見方が分かれたままで、政府は1971年の憲法改正で事件の実態解明を凍結し、「国家のタブー」とすることを決めた。
夜、クアラルンプール発祥の地「マスジット・ジャメ」は青色のライトで照らされる。
川の浄化プロジェクトの一環だそうで「ブループール」と呼ばれているらしい。
クアラルンプールの名前の由来ともなっている「泥の川」が青く澄んだ川に生まれ変わるかはわからないけれど、多民族が共に平和に暮らす国家を目指して、マレーシアの人たちはさまざまな努力を今も続けていることを今回の旅で私は知った。
