<吉祥寺残日録>迷走台風を横目に旅の予約!次の目的地はパリ特派員時代の思い出の地「サラエボ」 #240826

今年の夏休みは鎌倉で過ごそうと思い、民泊で長谷駅の近くの宿を予約していた。

明後日28日から5泊。

ところが、日本列島の南で発生した台風10号が迷走し、当初の予想ルートを外れ、西へ西へと進んでいる。

スピードもどんどん遅くなり、当初は明日27日ごろに関東に影響が出ると言われていたのが、どうやら今週金曜以降に再接近するという。

おかげで、鎌倉の休暇はずっと雨の荒れ模様の天気になりそうである。

台風の発生直後の進路図はこんな感じだった。

28日には台風が抜けてちょうどいいやと思っていたら、1日1日と進路は西にずれ、とうとう九州の西側を回り込む予報に変わったのだ。

台風の西側に発生した「寒冷渦」が台風を引き寄せているのだそうだ。

鎌倉での休暇はさておき、収穫を目前にしたブドウも心配になってきた。

九州まで進んだ台風は大きく方向を変えて岡山を直撃する予報になっているからだ。

東京に戻る前、早めに色づいたピオーネを収穫し自分たちで食べると同時に、息子たち3人と弟の家に送った。

今年のブドウの初収穫である。

次に岡山に行く9月初めにはほどんどのブドウが色づいて収穫の適期になっていると思ったので、友人たちに「欲しい人には送るよ」とLINEを送ってみた。

すると複数の友人から「欲しい!」との返事があり、中には岡山までわざわざ取りに行くという者も現れて、いつの間にか数人が岡山にブドウ狩りに来ることになった。

倉敷に泊まって酒を飲み、翌朝我が家に来てブドウの収穫やジャガイモの植え付けを手伝うという集まりである。

みんな退職し、暇を持て余しているらしい。

でも、間違いなく楽しい旅になりそうだ。

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旅といえば、そろそろ秋の海外旅行の準備を始めなければならない。

一旦は、ロシアとイランに挟まれたコーカサス地方、すなわちアルメニア、ジョージア、アゼルバイジャンという旧ソビエト連邦の3カ国に行くつもりだった。

しかし航空運賃が比較的高いことと、イラン情勢が不透明なことが気になって、なかなか決められずにいた。

南アフリカ諸国や南太平洋、アメリカ北東部や次の冬季オリンピックが開かれるイタリアのドロミテなど、いろいろまだ行ったことのない場所を調べた結果、かつて取材で訪れた思い出の地を訪ねてみたいと思うようになった。

それが、特派員として赴任したパリと任期中ボスニア戦争の取材で訪れたサラエボである。

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円安のためヨーロッパへの直行便は安くても25万円ぐらいはする昨今だが、中国経由ならば12万円前後でヨーロッパの主要都市に行けることがわかった。

ビザなし渡航がまだ許されていない中国での乗り継ぎには不安があるが、第三国へ行く旅行者については短期間ビザがなくても入国を認めるという特別ルールが行われているという。

怖いもの見たさではあるが、中国の空港の現状も一度自分の目で確かめておきたいと思った。

ということで、まず最初に東京からパリ往復の中国国際航空のフライトを予約する。

料金は12万510円。

1ユーロ=160円という円安の時代、なかなか破格の値段である。

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次に、パリ・サラエボ間の飛行機を調べる。

ルフトハンザなどヨーロッパの幾つもの航空会社のフライトがヒットするが、全て経由便、料金は安いもので3万円台からだった。

でもせっかくサラエボに行くなら、周辺の国々も回ってみよう。

そう思って地図をチェックすると、近くにまだ訪れたことのない旧ユーゴスラビアのモンテネグロやコソボ、かつて鎖国政策を取っていたアルバニアなどがある。

これらの国の間を飛ぶフライトは存在せず、バスが主要な交通機関だということがことがわかった。

こうして私が大好きな旅のパズルが始まった。

交通手段やホテルの料金などを調べ、その国の歴史や観光スポットなども学んだ上で自分なりの旅行プランを立てるのだ。

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その結果、パリからまずアルバニアの首都ティラナに飛ぶことにした。

フランクフルト経由のルフトハンザ便、料金は1万6800円である。

アルバニアはユーロ圏ではないので物価は比較的安く、予約したホテルは街の中心部にあって2泊で朝食付き1万3535円だった。

パリでは1泊5万円くらいのホテルが標準なのに比べるととてもリーズナブルと言えるだろう。

ティラナに3泊して、セルビアからの独立戦争で国際的な注目を集めた隣国コソボに日帰りで行くことも考えたが、何だか慌ただしいのでやめた。

年のせいか、バタバタ動き回るのが面倒になってきている。

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アルバニアの次の目的地はモンテネグロの港町コトル。

アドリア海の交易ルートとして栄えた古い街で、山々に囲まれた深い入江の奥に残る歴史的建造物は世界遺産にも認定されている。

ティラナからコトルにはどうやって行けばいいのか?

ネットで調べていくと、「getbybus」というアプリの存在を知った。

クロアチアで開発されたアプリのようで、クロアチアだけでなく近隣諸国のバスの時刻表や料金が調べられるだけでなく、アプリでチケットの事前購入もできるという優れものだ。

早速試しにティラナ〜コトルの直行バスを探してみると1日2便運行されていることがわかった。

片道6時間、料金は32ユーロ(約5000円)である。

おそらく現地で買えばもう少し安いのだろうが、このバスが満席になるとまずいので、この路線だけはアプリで予約しておくことにした。

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コトルで2泊した後、クロアチアの観光都市ドブロブニクへ。

さすがにアドリア海きっての有名リゾートとあって、ホテル代がめちゃ高い。

赤煉瓦で有名な旧市街のホテルはもうほとんど空きがなく、あったとしても1泊5万円以上だ。

コトルで予約した旧市街のホテルが2泊で1万7490円だったことを考えると、国境を跨いでユーロ圏に入っただけで、物価がものすごく違うことを実感する。

だから、ドブロブニクでの滞在は1泊に止め、旧市街から少し離れたバスターミナルに近いホテルを探すことにした。

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そして、ドブロブニクからバスでボスニア・ヘルツェゴビナに入る。

直接サラエボまで行くことも考えたが、途中にあるモスタルという街に立ち寄ることに決めた。

南部ヘルツェゴビナ地方の中心都市モスタルは、川を挟んで西側にクロアチア人、東側にイスラム教徒の居住地が広がり、内戦当時この街は分離独立を唱えるクロアチア人勢力の拠点となった。

激しい戦闘によりネレトバ川にかかる有名な橋「スターリ・モスト」は破壊され、我々ジャーナリストも当時この街に近づくことができなかった。

そういう意味では、訪れたことはないもののものすごく思い出に残る街なのである。

今では橋も再建され平和を取り戻しているようではあるが、街の東西にバスターミナルがあり、クロアチア人とイスラム教徒の生活エリアははっきりと区別されたままらしい。

街が今どんな雰囲気なのか、興味をそそられてモスタルにも2泊することにした。

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そして、最終目的地のサラエボにも2泊する。

かつてユーゴスラビアの主要都市として冬季五輪も開かれたこの街はオスマントルコの時代から多民族が一緒に暮らす多様性に富んだ街だったという。

しかし内戦時、サラエボはユーゴスラビアからの独立を求める多数派イスラム教徒の拠点となり、それを許さない連邦軍の支援を受けたセルビア人勢力によって3年にわたって街は包囲され1万人を超える犠牲者が出た。

内戦勃発直後にパリに赴任した私は、渋る本社を説得して最初は包囲するセルビア人支配地域へ、次に装甲車を借りてサラエボ市内に何度か取材に入った。

当時サラエボで取材する世界中のジャーナリストの定宿となっていたのが「ホリデー・イン」。

私もそのホテルに泊まり取材に当たった。

ホテルの前の大通りは「スナイパー通り」と呼ばれ、セルビア人のスナイパーが常に通行人を狙っていた。

取材には細心の注意を払い、車を降りる時間は最小限に、それでも動ける範囲はくまなく回って、常に危険と隣り合わせで暮らすサラエボ市民の声を拾った。

とはいえ、街の中を自由に歩き回ることなどできるはずもなく、ホテルの周辺以外、サラエボがどんな街なのか知ることもできないまま、戦況を日本の視聴者に向けて伝えることしかできなかったのだ。

だから今度はサラエボの中心街をゆっくりと歩いてみたい。

サラエボを取り巻くセルビア人勢力の拠点だったパレの村にも行ってみたい。

戦争が終わり国際的にはボスニア・ヘルツェゴビナは単一の独立国となったが、内部はイスラム教徒とクロアチア人による連邦とセルビア人共和国に二分されたままなのだそうだ。

私がサラエボを取材していた頃から30年が経ち、今この街はどのように変わったのか?

自分の目でしっかり確かめてこようと思っている。

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そして再びパリ。

サラエボからはチューリッヒ経由のスイス航空便を予約した。

パリでは2泊して昔住んでいたアパートの周辺や支局があったコンコルド広場界隈を歩いてみるつもりだが、その近くにホテルを取ろうと思って探してみたが、あまりに高すぎて泊まる宿が見つからなかった。

仕方なく比較的リーズナブルに泊まれるホテルをと探した結果、フランス革命で有名なバスティーユ広場の近くの古いホテルを見つけた。

2泊で4万3508円、これでもパリでは格安だ。

まだドブロブニクとサラエボのホテルは決めかねているが、今回の旅行はトータル30万円ちょっとで収まりそうで、我ながら悪くないプランが組めたと思っている。

それにしても、欧米主要都市のホテルはどうしてこんなに高くなってしまったのか。

外国人観光客が安い日本に殺到するのも無理のないことだと改めて感じた。

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こうしてほぼスケジュールが固まったバルカン半島の旅。

今も世界中で戦火が収まらない中、私自身が経験した戦争の記憶を辿る旅でもある。

冷戦が終わり世界が平和に向かうと思われた1990年代に起きたあの内戦は、多民族国家ボスニア・ヘルツェゴビナや周辺諸国に何を残したのか?

10月の出発までもう少し時間があるので勉強して、せっかくなら有意義な旅にしたいと思っている。

<吉祥寺残日録>東京に激しい雷が轟いた日、私は昔の取材メモの整理をしつつ次なる海外旅行の構想を練る #240706

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