実に久々のブログ更新である。
東京で年明け早々、いろいろ用事を詰め込んで忙しく過ごした後、8日に岡山に来て、かれこれもう10日以上が経ってしまった。

岡山では妻と二人で毎日、ブドウや果樹、庭木などの剪定をして、その結果出るたくさんの廃材をひたすら焼却する日々を送っている。
作物の収穫も植え付けもない冬の期間は、新しいシーズンに備えて畑をきれいに整える大切な季節である。

改めて手入れをしていると、伯母が残してくれたブドウの老木もさすがに弱って一部枯れ始めていることに気づく。
新たな芽が出ていない部分は思い切って切り落とすことにする。
プロの農家ならとっくに全て伐採して新しい苗木を植える時期なのだろう。
ただ、私たちもあと何年ブドウの世話ができるかわからない。
だから今ある老木を最後まで面倒を見つつ、枯れたところに1本だけ苗木を植えてみるつもりだ。

切った幹や枝は畑に運んで燃やす。
これがなかなか時間のかかる作業で、1週間以上、午前中に何かを燃やす日々が続いている。
今年新たに剪定した枝だけでなく、以前切って一番離れた畑に積み上げておいた廃材も相当量ある。
この畑はゴミ捨て場にするつもりだったけれど、そこも片付けて何か果樹か花木でも植えてみようと思い立った。
農作業にも慣れて少し余裕がでてきたということだろう。

それに加えて、真っ青な空の下、広々とした畑でただ黙々と木を燃やす作業というのが案外楽しいのである。
気温は低くても焼却炉から出る熱ですぐに暑くなってくる。
東京にいると頭痛や不眠症に悩まされる妻が、岡山で畑仕事をしているとすこぶる元気で夜もぐっすり眠れるというのも私たちにとっては何よりなのである。

そうして穏やかな暮らしを楽しんでいた時、予想もしない訃報がもたらされた。
私たちが暮らす岡山の古民家の隣にある親戚の長男が亡くなったというのである。
私より少し年下の64歳で、近くの駅前でイタリアレストランを経営していた。
実家にはたまにしか帰らずほとんどお店に寝泊まりしていたが、17日の朝、店内で倒れているの状態で見つかったというのだ。

生涯独身だったため、弟が喪主となり18日の夕方に通夜が営まれた。
その場で初めて、発見された時すでに死後10日ほどが経過していて死因は不明だと聞かされた。
故人は若い頃ボクシングをしていたということで、柩の上に赤い古びたグラブが置かれているのが妙に印象に残った。
人の一生とは何とあっけないものか。
息子に先立たれた91歳のおばさんのことがとても気になり、何か力になれればと思った。

しかし、それどころではなくなってしまった。
通夜に参列した夜、思いもかけない事態が私を襲った。
睡眠中に激しい下痢に襲われ、不覚にもパンツにお漏らしをしてしまったのだ。
夢うつつの中でお尻の違和感を感じ、寝床から飛び起きてトイレに駆け込む。
しかし、時すでに遅くパンツは汚れ、ズボンまで濡れていた。
とりあえず、履き替えないといけないと洗面所に向かい、汚れたパンツを洗って洗濯機に放り込み、新しいパンツとズボンに履き替える。
幸い眠っている妻を起こすことなく最低限の対処を終え、再び布団に入ったところでふと考えた。
このまま寝て大丈夫だろうか?
前日からお腹が張った感じがあり、この後もしばらく水のような下痢が続くと考えた方が良い。
このまま寝て、さらにパンツを汚すのは耐えられない。
そうだ、オムツを買いに行こう。
そう思いつくと、妻に気づかれないようそっと外に出て、24時間営業のスーパーマーケットまで車を走らせた。
岡山の古民家は岡山市のハズレだけれど、国道まで出るとさまざまな店が揃っていてこういう緊急時にはとても助かる。
お店に入ると大人用のオムツが大量に売られていた。
超高齢化社会である日本においてオムツはまさに必需品なのだ。
いろいろある中から、私は「ライフリー 夜用あんしんパンツ」というのを選んだ。
家に帰ってさっそく、オムツを履いてみた。
生まれて初めての体験ではあるが、格好のことなど気にしている場合ではない。
これで、ひと安心。
オムツのおかげで朝までぐっすり眠ることができた。
翌朝目覚めた時、特別濡れた感じはしなかったが、オムツの中を確認すると、やっぱり寝ている間に下痢は続いていたらしい。
もしあのままパンツで寝ていたら、朝まで何度も下痢と格闘しなければならないところだった。
それにしても今時のオムツは本当によくできている。
あの不快感がほぼ完璧に吸収され、睡眠を妨げられないというのは素晴らしい体験だった。
私も高齢者の仲間入りをして、いつ日常的にオムツの世話にならねばならない日が来るとも限らない。
しかし、今回の経験で私はすっかり紙オムツのファンになった。
もう無用な抵抗はない。
見栄なんか張らずに歳をとった自分と向き合って、高齢者用に開発されたグッズをうまく活用すれば、老後の暮らしも案外快適に過ごせるかもしれないといつもの楽観主義が戻ってきた。