<吉祥寺残日録>なんとなく冴えない5月!鼻水から始まった「謎の風邪」は完治まで3週間かかったが、懸案だった母の部屋の片付けは一歩前進 #260529

5月といえば、一年で一番気候がいい楽しい月のはずだった。

ところが今年は「謎の風邪」が長引いて、体調と相談しながらの冴えない5月となってしまった。

このブログがちっとも更新されなかったのも、そのせいと言えなくもない。

それは突然、鼻水という形でやってきた。

例年よりも少し早めにトマトやきゅうりなどの植え付けを済ませ、岡山から東京に戻ったのは4月28日だった。

ゴールデンウィークには、息子たち家族がみんなで新しいマンションに遊びに来ることになっていて、妻と一緒にその準備をするためだ。

その段階では体調も至って普通で、練馬のマンションに戻ると毎日自転車5キロ、徒歩5キロの日課を再開することにした。

ところが5月に入ると同時に、青空に忍び寄る暗雲のように、何の前触れもなく水のごとき鼻水が私の鼻から流れ出たのだ。

最初は「あれっ」と感じたものの、洗面所で鼻うがいをしてさして気にも留めなかった。

ところが、鼻水はなかなか止まらず、体のだるさも少し感じるようになる。

これはヤバい、風邪を引いたかもしれない。

遊びに来る予定の家族に移してはいけないと、なるべく自分の部屋に籠りベッドでゴロゴロしながら時間を過ごす。

しかし2日後、「風邪が移ったかもしれない」と妻が言った。

私の症状は微熱と咳程度で、2日間ゆっくりしたので症状は改善していたのだが、妻は2日遅れで私とほとんど同じような症状を辿った。

妻には嫌味を言われたものの、二人ともさほど重症にはならず、5月5日のこどもの日には予定通り家族全員が我が家に集合して、賑やかな1日を過ごすことができた。

その後しばらく家でおとなしく過ごしながらも、私は日課のサイクリングを続けた。

練馬区に引っ越したせいで、行動範囲もこれまでとは大きく変わった。

最寄りの武蔵関公園やそれに隣接する早稲田大学のスポーツ施設、さらに小金井公園や石神井公園にまで足を伸ばし、時には全く降りたことのない西武線の駅を目的地に定め、毎日知らないルートを自転車で探索した。

それでも日課を終えて家に戻ると、午後はゆっくり部屋で過ごす、そんな毎日。

夜になると咳が出たり、悪くはないのだけれどどうもスッキリしない、そんな半分病気の状態が続いていたからだ。

妻は私よりさらに重症で、気管支をやられて声が出にくくなっていた。

そんな最中の9日夜、マンション全体を揺るがす「火事騒ぎ」もあった。

私も妻もお互いの部屋に入って、もうそろそろ寝ようかと思っていた午後10時過ぎ、マンションに設置されている火災報知器が突然大音量で鳴り響いたのだ。

「火災です。火災です。直ちに避難してください」

けたたましい音で繰り返している。

500世帯以上が入居する大型マンションなので、どこが火元なのかにわかにはわからないけれど、妻と声を掛け合いとりあえず服を多めに着込んで部屋を出て、人の流れに従いながら非常階段を使って1階まで降りた。

ロビーにはすでに大勢の人が困惑顔で集まっていて、その中の役員らしき人が「どうやら誤作動のようです」と話しているのが聞こえた。

確かに避難する途中、煙らしきものは見えず、若い頃に取材で何度も嗅いだあの火事場独特の嫌な匂いも全くしなかった。

それでも、契約している警備会社が駆けつけるまで火災報知器は解除できないようで、「火災です。火災です」の絶叫は長い時間止まることなくマンション中に鳴り続けたのだった。

幸いこの火事騒ぎで風邪が悪化することはなかった。

二人とも病院に行くほど激しい症状にはならないまま、12日には予定通り、私は大学の先輩らとゴルフを楽しみ、妻も若い頃からの友人と吉祥寺で会食、お互い別々に楽しい時間を過ごすことができたのだった。

ところがその翌日13日の夕方、会食の疲れが出たのか、妻がベッドでぜいぜいし始めたのだ。

息をするのも苦しそうで、明らかにこれまでの症状とは異なる。

私は次の日から岡山に行く予定で飛行機をすでに予約していたが、妻はとても一緒に行けるような状態ではない。

「医者に行った方がいいんじゃないか?」と妻に声をかける。

ただ、近くのお医者さんと言っても、まだ引っ越したばかりなのでまるで心当たりはなかった。

ネットで調べて最寄りの病院に電話をすると、午後6時過ぎということですでに診療時間は終わっていて、まだこの時間に診察をしているという三鷹駅前にあるクリニックを教えてくれた。

どうやらまだ開業して間のない新しいクリニックらしく、登録するとLINEで予約が取れる今風の医療機関だった。

あれこれ考えていても仕方がないのでとりあえずLINEで予約を入れ、バスに乗るのも無理そうなのでタクシーを呼んで、何とか駅前の雑居ビル7階にあるそのクリニックまで駆け込んだ。

「クリニックプラス三鷹」という名のそのクリニックは、入口に胡蝶蘭が並んでいて、本当に5月1日に開業したばかりの真新しい診療所だった。

チェーン店のようで、系列のクリニックが東京と千葉に計13ヶ所あるらしい。

ありがたいことに、午後8時まで診療を受け付けていて、同じフロアには薬局もあった。

オープン直後ということで常連客もほとんどいないのか、待合室には待っている患者もおらず、妻はすぐに診てもらうことができた。

対応してくれたのは若いお医者さんだったけれど、結構丁寧に話を聞いてくれて吸入薬などを処方してくれたので、妻はとりあえずほっとした様子で「来てよかった」と言った。

処方された薬が効いたのか、妻の症状は改善し、私は予定を2日延期して、16日に一人で岡山に行くことになった。

5月はブドウ栽培にとって非常に重要な月で、どうしてもやっておきたい作業がいくつかあったからだ。

ところが、岡山に到着したその日の夜から、私の体調がまたおかしくなる。

今度は鼻の奥に強い違和感があり、どうやら炎症を起こしたらしく、今度はネバネバした鼻や痰が出るようになった。

朝起きた時が一番体の調子が悪くて、寝込むほどではないのだけれど、とにかくダルさが一向に抜けない。

LINEを通してお互いの体調について話をしていると、妻がこんなことを口にした。

「今日テレビでやってたんだけど、今『謎の風邪』が流行っているんだって。新しいウイルスなのか何かのアレルギーなのか、専門家もはっきり正体がわからないけれど、今患者が増えていて、やはりなかなか治らないって」

鼻水や咳が出て、熱はあまり出ない。

明らかに私たちの症状に似ている。

私がどこかでもらってきたのだろうが、なんだか「謎の風邪」と聞いて、不思議と心が落ち着いたような気がした。

人間というやつは、たとえ正確な原因がわからなくても、みんなも同じ風邪をひいていて、長引くけれどコロナやインフルエンザのように重症化することはないと聞くと妙に安心するものらしい。

体調は万全ではなくても、岡山に来た以上やらなければならないことがたくさんある。

まずは、葉が倒れたタマネギを収穫。

このまま放置しておくと、去年の秋から栽培しているタマネギが全部ダメになってしまう。

タマネギ栽培は私の中では最も慣れた作業なので、何も考えなくても勝手に体が動いて、農業用コンテナ3個分のタマネギが収穫できた。

今年初めて挑戦したそら豆も大きく成長している。

これも放置しておくと食べられなくなるので、大きいサヤを選んで摘み取らなければならない。

そら豆栽培は、乾燥させた豆を去年10月に畑に植えただけでその後ほとんど世話をしなかったのに、予想外に立派な実をつけてくれた。

さっそく塩茹でして味わってみると、自分で育てたそら豆の味はこれまた格別に美味かった。

サヤから豆と取り出し、おはぐろの反対側に包丁で小さな切り込みを入れて3分ほど塩茹でするだけ。

これなら私にもさして苦にはならない。

ただ、1週間後に収穫した奴を食べてみると、明らかに味が劣化していた。

とうもろこしや枝豆もそうだけれど、本当に美味しい時期は一瞬で過ぎ去ってしまうのである。

一方、毎年虫や獣と格闘する桃は今年、どういうわけか全滅だった。

写真のように、実は小さく萎れていて、これでは収穫できる見込みはなさそうである。

でも、それならそれで世話をしなければならない作物が一つ減るというわけで、考えようによっては少し楽になるとも言える。

嬉しかったのは、これまで相性の良く、毎年失敗を繰り返してきた大根が、今回はそれなりに育っていたことである。

なんで今年は大根が無事に収穫できたのか?

何がこれまでと違っていたのか?

その理由は定かではないけれど、まあ、勝手に育ってくれたのだから畑に感謝しつつありがたくいただけばいい。

でも嬉しかったので、タマネギやそら豆と一緒に大根も1本東京に残っている妻に送った。

とはいえ、一人暮らしで大量の大根を消費するのは結構難しい課題である。

まず思いついたのがテレビコマーシャルで見た「豚バラ大根」だ。

行きつけのスーパーで、味の素の「CookDo きょうの大皿」シリーズの「豚バラ大根 すき焼き煮」という奴を購入、早速試してみる。

まあ悪くはないけれど、期待したほどの美味しさではない。

そこで次に試したのが、私がこれまで一度も作ったことのなかったおでんである。

全くの季節外れではあるが、大根を丸ごと1本使って、スーパーで買ってきたさまざまな練り物と一緒に市販の「おでんの素」で煮込むだけ。

小さなタマネギも丸ごと放り込むと、それなりのご馳走が簡単に出来上がった。

しかも1回の調理で12食分、これで数日間は食い繋ぐことができるだろう。

完全な手抜き料理ではあるが、これが予想以上に美味しい!

これはカレーやシチュー、すき焼きに並ぶ、私の新たな定番料理となることは確実である。

大根がたくさんできた際にはまた必ず作ってみよう。

4月に植えたきゅうりやトマト、なすなどは順調に育っていた。

脇芽を摘んだり、きゅうりネットを張ったり。

重労働ではないが、岡山に来るといろいろやる仕事が待っているのだ。

5月に植え付けを行うサツマイモやカボチャも、なんとか無事に植えることができた。

毎年イノシシに畑を荒らされるので、今年は最初から獣よけのネットを周囲に張り巡らせ、対策を講じておく。

今年から農業用の水道「灌水」も使えるようになったので、水やりも格段に楽になった。

そして5月のメインイベントであるブドウ畑の作業に取りかかる。

伸びた枝を整理して、不要な枝は間引き、ブドウの房を整える花切りの細かい作業を行う。

伯母が遺したブドウの木はほとんど老木となって、周囲の農家さんのそれと比べると勢いが弱く、枝も折れやすくなっているけれど、それが伯母の分身のように感じるので、新しい木を植え直す気にはならない。

これらの老木がダメになった時、私のブドウ作りも終わりを迎えるのである。

そんな年老いたブドウ畑の中にあって、1本だけ伯母が最後に植えたシャインマスカットの若木だけは元気で、どんどんピオーネの棚を占領して勢力を拡大している。

個人的にはシャインはどうも好みではないので、旧来のマスカット・オブ・アレキサンドリア(通称アレキ)ほどの愛着は持てないのだけれど、若者が老人に取って代わるのも世の習い。

だんだん悪い方向に進んでいるように感じるのも、私が歳をとったせいだろうか?

それでも1日1日、朝起きてからその日やるべきことを決めて、朝と夕方の涼しい時間に畑仕事に勤しみ、昼間は家にこもってドジャース中継や録画した番組を観る。

そんな日々を過ごしている間に、謎の風邪も徐々に回復し、今週ようやく体調を気にすることなく行動することができるようになった。

風邪の引き始めから実に3週間、本当に厄介な「謎の風邪」であった。

しかし、悪いことがあれば、いいこともある。

風邪を移してはいけないと、訪問を自粛していた母のマンションを今週訪れると、母は機嫌が良さそうで、これまで一貫して難色を示していた部屋の片付けに抵抗しなかったのである。

ゴールデンウィークの間に、弟とその家族が岡山を訪れて、「一人暮らしをやめて東京に出てきてほしい」と母を説得したのが功を奏したのだろう。

弟は自分の家に近くに高齢者施設を見つけて、93歳になった母をそこに引っ越しさせたいと考えている。

私たち夫婦も、東京と岡山の往復が徐々に負担になりつつあり、もしも母が東京に来てくれたら肩の荷が軽くなるためその案に大賛成である。

それでも母は今の気ままな生活を捨てがたく感じているようで、これまでは弟の話ものらりくらりとかわしていた。

でも、今回私たち夫婦が「謎の風邪」を患い、思うように母の家に行けない事態になったことで、息子たちに迷惑をかけたくないという気持ちが強くなったのかもしれない。

おかげで母は今回、懸案だった生前整理の業者に来てもらうことにも同意してくれ、とりあえず使っていない物置のようになっている部屋の片付けを6月に行うことが決まった。

私はついでに毛糸が収められた何箱ものダンボール箱を物置部屋から運び出し、毛糸を欲しがっていた姪っ子や私の孫娘に送ることもできた。

おばあちゃんからひ孫へ、一足早い形見分けと言っていいだろう。

体調が回復した私は、昨日から5キロ歩き5キロ自転車を漕ぐという日課を再開した。

今日は、ローカルニュースで紹介されたバラが咲き誇る英国庭園まで車で行ってきた。

妻もだいぶ体調が良くなったようだが、5月の岡山行きは断念し、一人で東京で過ごすという。

2週間以上妻と離れて別々に過ごすのも久しぶりのことだ。

お互い相手に先立たれて一人暮らしになった時の予行演習として、たまにはこういう時間も必要なのかもしれない。

なんとなく冴えなかった5月ももうすぐ終わる。

「謎の風邪」の正体が明らかになるのは、おそらく夏ぐらいではないかとテレビでは伝えていた。

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