<きちたび>オーストラリアの旅2025🇦🇺 多民族共存都市メルボルンの人気カフェでいただいた世にも奇妙な「BENTO」

🇦🇺オーストラリア/メルボルン 2025年10月6日

メルボルンの歴史は、ゴールドラッシュと移民によって始まった。

1830年代からイギリス人による小規模な移住が始まっていたが、1851年に内陸部で金が見つかると各地から大量の移民がこの地に集まってきた。

メルボルン中心部に残る「旧メルボルン監獄」は、当時の面影を遺す歴史的建造物として今では人気の観光施設となっている。

一度に大量の人間が流れ込み治安が悪化したことを受け、1864年に完成した。

それはまさに映画に登場するような監獄で、3階建ての石造りの建物の中央を走る廊下を挟んで鉄格子がはめられた小さな小部屋が並んでいる。

ゴールドラッシュの時代は、森に潜む無法者「ブッシュレンジャー」の全盛期でもあった。

元囚人や貧乏な入植者の子孫などが、農場や鉱山で働くよりも犯罪によって手っ取り早く金儲けができるブッシュレンジャーになるケースも増え、監獄は次々に規模を拡大しながら1929年まで実際に使用されていたという。

そんなブッシュレンジャーの代表格としてオーストラリアで有名なのが、このネッド・ケリー。

1855年に元囚人の父と流刑者の母の間に生まれたネッドは、無実の罪で投獄され、それをきっかけにオーストラリアを代表する盗賊になったとされる。

しかし彼は貧しい者を狙わず、銀行や警察署、金持ちをターゲットとしたため貧民層からは義賊としてヒーロー視する声も上がった。

いわばオーストラリア版のねずみ小僧といったところか。

欲望のままに新天地を求め、世界中に植民地が拡大していった時代。

1851年、先住民の権利を無視する形で「ビクトリア植民地」の成立が宣言される。

白人の大量入植と彼らが持ち込んだ病気により、太古の昔からこの地に暮らしていた先住民はたちまち絶滅したそうだ。

そしてメルボルンの街は急拡大し、1865年ごろにはシドニーを上回るオーストラリア最大の都市に発展した。

すなわち、メルボルンはその成立時から多民族が共存する街だった。

こちらはメルボルン中心部にある「移民博物館」。

ゴールドラッシュが始まった時代、どのような人たちがここに集まってきたのかが記されていた。

『移民の最も多い出身国は、イングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、アメリカ、中国、そしてドイツです。膨大な数の到着者を収容するために、テント村が出現しました。』

1851年に2万人だった人口は、10年間で50万人も増えたという。

ヨーロッパ人による中国人移民に対する差別もすぐに始まった。

1855年には中国人にだけかけられる税が導入され、金鉱地帯では中国人に対する暴動も発生。

ビクトリア州政府は先住民と同じように中国人を隔離するための保護領を設立したという。

それでも、中にはジョン・アルーのように中華料理店を開き、イギリス人女性と結婚する中国人も現れる。

その後も移民の流入は続き、戦後になると世界各地で紛争が起きるたびに、多くの難民や移民をこの街は受け入れ、ますます多民族化が進んでいく。

ウィキペディアによれば、少しデータは古いものの2006年段階での出身国別の人口を見ると、最も多いイギリス系に次いで、イタリア、ベトナム、中国、ニュージーランド、ギリシャ、インド、スリランカ、マレーシア、クロアチア、ドイツ、マルタ、南アフリカ、マケドニア、香港、ポーランド、フィリピン、レバノン、オランダ、ボスニアと、実に様々なルーツを持つ人たちがメルボルンの市民となっているのだ。

この移民博物館には、日本人移民の記録も残されていた。

北海道出身の長谷川節太郎は、1897年に英語を学ぶためにオーストラリアに渡り、実業家の家で一時使用人を務めた後に独立して洗濯屋を開業した人物だ。

当時オーストラリアに移住した日本人の多くが洗濯屋を生業としたらしい。

現地の女性と結婚し子供も授かり、平穏に暮らしていた節太郎の人生を変えたのが太平洋戦争だった。

1941年12月、太平洋戦争が始まりオーストラリアも連合軍として参戦すると、オーストラリアで暮らしていた日本人の強制収容が実施された。

アメリカでの日本人の強制収容についてはよく知られているものの、オーストラリアでも3ヶ所の収容所が設けられ同様の措置が終戦まで取られたのだ。

戦後になっても日本人を恨むオーストラリア人も少なくなく、日系人にとっては辛い日々が続いたという。

そうして囚人や移民などさまざまなルーツを持つ人が集まって出来上がったメルボルンは、多様な食文化を持つ街でもある。

街を歩けば、中国料理、インド料理、イタリア料理、ギリシャ料理、ベトナム料理、トルコ料理、タイ料理、そして日本料理などなど。

実にバラエティーに富んだ飲食店を見かけることができる。

さて、何を食べようか?

そんなことを考えながらホテルを出ると、すぐ近くにとても流行っているカフェを見つけた。

お店の名は『Higher Ground』。

中に入ると、天井の高い講堂のような空間で、午後2時だというのに多くの若者たちで満席だった。

ちょうど空いた席に案内され、渡されたメニューをチェックすると、もちろん英語で書かれてはいるのだけれど、ワッフルやチーズバーガーなどのカフェメニューの中に日本語らしき言葉も散見される。

「MISO」「KARASHI」「NORI」「UDON」「KOSHIHIKARI」そして「BENTO」。

メニューを見てもうまく想像ができない。

とても興味が湧いたので、その中から『BRANCH BENTO』という奴を頼んでみることにした。

値段は33オーストラリアドル、日本円でおよそ3250円である。

注文を済ませ、スマホの充電をしながら店内の様子を眺める。

客はほとんど若い人ばかり、アジア系もいれば黒人もいる。

みんなが発する言葉が高い天井に反響し、店内はとても賑やかで活気を感じる。

間違いなくメルボルンの人気スポットの一つなのだろう。

私が注文した「BENTO」が運ばれてきた。

勝手に松花堂弁当のようなものを想像していたので、一枚のプレートに盛り付けられた得体の知れない料理の数々にちょっと不意をつかれた。

メニューとプレートを見比べながら、弁当の中身を確認する。

まず右サイドの上から・・・。

ゆで卵を載せたものはメニューによれば「RAMEN EGG SUSHI」、その下の緑のものは「EDAMAME HUMMUS」、そしてチーズのようなものは「TOGARASHI GOAT’S CURD」。

ラーメンを使ったベースの上にゆで卵を載せた寿司と、枝豆をベースにした中東の料理フムス、フランスでポピュラーな山羊のチーズに唐辛子をまぶしたもの、ということらしい。

まさに多文化共存だ。

そして皿の左側はというと、手前の黄色いのが柿を使った「PERSIMMON BRULEE」、その陰に隠れた赤いのが欧米でお祝いの日に食べるハム「GLAZED HAM」、その後ろの茶色の塊は「CHARCOAL SHOKUPAN」という食パンのようだ。

日本人からすると、この一皿をまとめて「弁当」と呼ぶのには強い違和感を感じる。

そして何より、美味しくない。

見渡す限り、私以外にこの弁当を注文した客はいないようで、あまり人気のメニューではないようなので、要するに私が興味本位で選んだのが失敗だったということなのだろう。

口直しに注文した「ホットチョコレート」は、それは見事なペガサスが描かれ、味の方も文句なく美味しかった。

このところの日本食ブームで、今や世界各地で謎の日本料理と出会すことが増えている。

日本で西洋料理も中国料理も独自の進化を遂げているように、日本料理も世界に出て様々な亜種を産むことになるのだろう。

それは必ずしも日本人の口には合わないけれど、そんなことで文句を言ってはいけない。

国が違えば味覚も変わる。

その違いを受け入れ、新たな日本料理の誕生を喜ぶことこそ多民族共存の道なのだと、メルボルンの人気カフェで「BENTO」を食べながらしみじみと感じた。

この弁当は見た目以上にお腹に溜まったようで、夜になってもさほどお腹が空かない。

そのため、ホテル近くで軽く済ませようと思い、いくつかの店を彷徨った末、ベトナム料理店でフォーを食べることにした。

出てきた「チキンフォー」がこちら。

値段は21.87豪ドル(2154円)と安くはない。

日本で食べるフォーに比べると乱雑に雑草のようなものが散りばめられ、見た目は美しくなかったけれど、食べてみるととてもやさしい味で、雑草のように見えた草もミントなどベトナム本国でよく食べられる類の植物だった。

ベトナムでは、日本人から見ると雑草にしか見えないような草を大量に食べるのだ。

結局、スープを最後の一滴まで飲んで完食、ミントのおかげでお腹の調子も良くなったようだ。

ホテルに帰る途中、一軒の店の前に行列ができていた。

どうやらネットで評判になっているお店のようで、何のお店だろうと中を覗くと、ジンギスカンのような反った鉄板の上でみんな肉を焼いていた。

韓国焼肉のようでもあり、違うようにも見える。

とにかく、多民族都市メルボルンでは世界の料理が混ぜ合わさって、見たことのない料理にも出会えるのである。

翌朝、空港に出発する前に素早く朝食を取る。

選んだのはサザンクロス駅にあるハンバーガー屋さん。

この「HUNGRY JACK’S」というチェーン店はオーストラリア最大のハンバーガーチェーンで、どこの街に行っても必ず見かける。

もともとはアメリカの「バーガーキング」だったが、オーストラリアではすでにその名称が商標登録されていて、仕方なく「ハングリー・ジャックス」という店名で営業を始めることに。

だから「バーガーキング」そっくりのロゴマークなのだが、その後の交渉でバーガーキングの名称が使用できるようになった頃には、すっかり「ハングリー・ジャックス」の名前がオーストラリア人には定着し、そのままオーストラリア独自のチェーン店に発展したのだという。

今では、パティにはオーストラリア産オージービーフを100%使用、すっかりオーストラリアの味となった。

実際に食べてみると、肉の旨みがしっかりしていてとても美味しく食べ応えのあるハンバーガーだった。

日本ではこのところ外国人に嫌悪感を持つ人が増えているようだが、私は多様な人が暮らす寛容な社会が好きだ。

様々な人種や文化が混じり合うことで、化学変化が生まれ、それまで存在しなかった新たな価値が生まれる。

異質なものを排除するのか、それとも違いを楽しむのか?

多民族都市メルボルンは、そんな問いを私たちに投げかけてくるような気がする。

コメントを残す