<きちたび>アウシュヴィッツに行って来た④ ビルケナウのショパン

ビルケナウのショパン

このビルケナウの売店で私は偶然、一枚のCDを購入した。日本語の小冊子だと思って買った中に、CDが混ざっていたのだ。

タイトルは「ビルケナウのショパン」という。

このCDにはたった1曲しか録音されていない。ショパンの「エチュード 作品10 第3番」。この1曲には、とても深い物語があった。

CDに添えられた解説書の裏面に書かれた文書を引用する。

『アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所では11の囚人オーケストラが活動していた。オーケストラの主な任務はコマンドと呼ばれた囚人労働隊が労働に出る時と戻って来た時に行進曲を演奏することだった。そんなオーケストラの中に、1943年に編成された女性音楽隊があり、指導者の一人が一流バイオリニストのアルマ・ロゼだった。音楽隊ではポーランド人およびユダヤ人作曲家の作品を演奏することは禁じられていたが、異例の状況下でそれらの作曲家の曲が演奏されたことがあった。

このCDには1944年にアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所でアルマ・ロゼが仕上げ、彼女の指揮で音楽隊が演奏した作品にほぼ近い形で再現した曲が録音されている。このショパンの作品を編作することは元収容所女性音楽隊メンバーだったヘレナ・ドウニチ・ニヴィンスカの発案で生まれた。』

つまり、ドイツの行進曲ばかり演奏させられていた女性バイオリニストが、禁じられていたポーランドの作曲家ショパンの曲をアレンジしビルケナウの中で密かに演奏したという秘められた史実をこの一枚のCDは今日に伝えようと作られたのだ。

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アルマ・ロゼの物語は、ドキュメンタリーや映画の題材になりそうだ。

こうした背景を知って聴くと、収録されたショパンのエチュードは、一層美しく悲しく心に響いてくる。

偶然手に入れた一枚のCDは、この先も戦争の悲劇を私に思い起こさせることだろう。

戦後のポーランド

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アウシュヴィッツには、収容所群全体で少なくとも130万人が連行された。そのうち20万人は他の収容所に移されたが、1944年ソビエト軍がアウシュヴィッツを解放した時、収容所にはわずか7500人の囚人が残されていただけだった。

さらに皮肉なことに、解放されたポーランドはソビエト軍の影響下に置かれ、それまで共にナチスと戦ったポーランドの共産主義者と反共主義者の内戦に突入した。

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アンジェイ・ワイダ監督が名作「灰とダイヤモンド」で描いたドイツが降伏した日のポーランド。

ナチスからの解放は「自由」を意味するものではなかった。ポーランドは戦後45年にわたってソ連の支配下に置かれることとなった。

アウシュヴィッツを象徴する「ユダヤ人迫害」は、ヒトラーが初めて作り出したものではない。それはキリスト教社会が、2000年にわたって築き上げてきた差別構造だった。

ナチスだけ、ヒトラーだけが問題なのではないのだ。

戦争や差別というものは、人間が本質的に秘めている「悪」である。油断をすると、どこからともなく姿を現し、気がつかないうちに巨大化して人間社会を呑み込んでいく。

アウシュヴィッツは、日本にとっても他人事ではない。

アウシュヴィッツは、すべての人間の心の中にあるのだ。

人間の心を制御して戦争を防ぐ。

アウシュヴィッツでその誓いを新たにした。

<関連リンク>

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<参考情報>

私がよく利用する予約サイトのリンクを貼っておきます。



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