中央アジアの旅も4日目となった23日。
この日はイシククル湖からキルギスの首都ビシュケクに移動するだけの予定で比較的余裕のある一日のはずだった。
おまけに前日利用した白タクの運転手から半ば強引にビシュケクへもその白タクを使うことを約束させられてしまったので少し安心して気が緩んでいたのかもしれない。

ところが宿を出て、15分前に待ち合わせの空き地に行ってみると白タクの姿はない。
ちょっと気が早かったか。
階段に腰掛けて待つ。
午後2時、日向にいるとさすがに暑い。
と思ったら急に小雨が降ってきて、やむを得ずホテルに戻って、この空き地が見えるテラス席で白タクが来るのを待つことにした。

5分前になっても白タクは現れない。
ちょっと嫌な気配を感じる。
そもそもGoogle翻訳を介しての曖昧な約束、運転手の電話番号はおろか名前も聞いていない。
でも、こういう場合お金が欲しいので経験則的には早くから来て待っていることが多いため、私は運転手が約束をすっぽかすことを全く想定していなかった。
約束の2時になってもあのボロいホンダのワゴン車は現れない。
時間にルーズで遅れてくることもあるため、20分ほど待ってみたがやはり来なかった。

仕方がない。
いつまでも白タクを待っているわけにもいかないので、自力でチョルポンアタのバスターミナルに行き、そこからミニバスに乗ってビシュケクを目指すことに決めた。
Googleマップで調べると、歩いても45分くらいのようだ。
ホテルでタクシーを呼んでもらうにしてもうまくコミュニケーションが取れそうにない。
そんなことで時間を無駄にするよりも自分の足で歩いた方が確実だと判断した。

とりあえず大通りまで出ると、目の前に北側の山々が迫って見える。
車で走るよりやっぱり歩く方が景色は楽しめるものだ。

大通りは少し高いところを走っているようで、青い湖も見える。
対岸の天山山脈には雲がかかっているが湖の上はまだ晴れていて、湖面を鮮やかなブルーに染めていた。
ただ全ての荷物を背負って歩いていると、さすがに暑い。

チョルポンアタの看板まで来た時、閃いた。
あのアプリ、キルギスでも使えるのだろうか?
カザフスタンで一度使ったロシア版の配車アプリ「Yandex Go」である。
早速アプリを立ち上げ、バスターミナルを目的地に指定するとすぐに反応があった。

1分も経たないうちに1台の車が私の前に止まった。
これも右ハンドルのホンダの輸入車だった。
運転する男性は私を乗せると大声で何かを聞いたが、何を言っているのかわからない。
だから何も答えなかったのだが、きっとバスターミナルに行くのかと確認したのだろう。

チョルポンアタのバスターミナルはただの駐車場だった。
「マルシュルートカ」と呼ばれる中央アジアのミニバスがずらりと並んでいる。
誰に聞けばいいのかもわからないので、とりあえず、「ビシュケク」と叫んでみた。
すると側にいたおじさんが1台のミニバスを指差す。

確かに目的地の表示はビシュケクと読める。
すでに多くの人が乗っていて、もうすぐ発車しそうな気配だ。
私はトイレに行こうという気持ちを抑えて、運転手に声をかける。
当然言葉は通じないのだが、運転手はまだ空いていた助手席の扉を開け、ここに乗れとばかり顎をしゃくった。
値段は聞き取れないので、1000ソム札を渡すと500ソム札が1枚返ってきた。
ぼられたかもしれないが、たかだか800円くらいのこと、安いものだ。

助手席に座ると、当たり前だが前方の視界が開けていた。
これはいい。
写真を撮るには好都合だ、と思った。
災い転じて福となす。
白タクがすっぽかしてくれたおかげでいい写真が撮れそうだ。

案の定、私が乗るとミニバスはすぐに出発した。
助手席にはもうひとりおばさんが乗って来たので、私はおばさんと運転手の間に挟まれ、運転手がギアを変えるたびに彼の膝が私にぶつかった。
さて、シートベルトは?
探してもどこにもシートベルトはなかった。
そもそも中央アジアではシートベルトを使うドライバーはごく少数で、後部座席にはシートベルトが設置されていない車が多い。
日本もかつてはそうだったが、最前列の助手席でシートベルトがないというのはやはり不安である。

そんな私の気持ちを無視するかのように、ベテランドライバーは100キロを超える猛スピードで爆走する。
邪魔な車にはパッシングしたり幅寄せしたりして、我が物顔で追い越し車線を突っ走るのだ。
この運転手、私と大して歳が変わらないようだがと思って見ていると、時々大あくびしている。
やっぱり眠いんだ。
どうしても年取ると眠くなるよね、分かるわ。
しかし、もしも事故を起こされると私は確実に死ぬ。

目の前にキルギスの国旗が見えてきた。
走る車の窓からは撮影が難しいのだが、沿道の村々には必ずと言っていいほど誰かの像がある。
モニュメント好きな国民なのか、それとも社会主義の名残なのだろうか。

道路は山道に入っていく。
昨日も走った道だが、左右に蛇行していてハラハラするようなヘアピンカーブが続く。
しかし運転手は怯むことなく100キロ走行を変えようとはしない。

両側の山はさらに険しくなり、カーブを曲がるたびに強烈なGが体を左右に揺する。
さっきまでは眠そうだった運転手は山道に入ってから気合いが入ったようで、あえてアクセルを踏みながらカーブに突っ込んでいく。
私は生きた心地がせず、もしものために日本にいる仲間たちのLINEに実況中継を始めた。
事故死した時に備え、仲間たちが私を探す手がかりを残そうとしたのだ。
それほどこの助手席は恐怖だった。

そんな山道を走行中、電話が鳴った。
運転手は片手を話し私の膝を押しのけるように自分のスマホを取る。
今、運転中だと言うのかと思ったらそのまま話し始めた。
もちろんスピードを緩めることはしない。
おいおい、大丈夫か?
私は一般の日本人に比べると相当図太い方だと思っているが、これはマジで事故死しても不思議ではないシチュエーションである。
後ろの座席に座っていたらこんな運転手の様子も知らず居眠りをしていたかもしれないが、助手席ではとてもじゃないが寝てはいられない。
次の瞬間に私の人生が終わるかも知らないのだ。

ようやく恐怖の山道を抜け、助手席のおばさんも途中の街で降りたので、私は運転手から少し離れて座ることができるようになった。
もう100キロを超えていることも、シートベルトがないことも気にならなくなった。
人間はすぐに環境に適応する生き物である。
運転手のあくびの数が明らかに増えてももう気にならない。
面白いものだ。

250キロを暴走してきたミニバスは首都ビシュケクに入るといきなり渋滞にはまった。
運転手はいきなりハンドルをきり裏道に入るも、また渋滞にはまる。
もう観念してノロノロ進むしかないのだ。
運転手に声をかけ途中のバス停で降りる人が現れた。
なるほど終点のバスターミナルまで行かなくても、好きなところで降ろしてもらえるかもしれない。
私はGoogleマップを開きミニバスの現在位置を確認した。
なんと予約したホテルはすぐ近くではないか。
終点のバスターミナルは街の西側にあり、そこまで行くとこの渋滞の中をまた戻らなければならない。
ここで降りればホテルまで歩ける距離なのだ。
私は運転手にスマホを見せて、このあたりで降りたいと英語で伝えた。
しかし運転手はイライラしていて相手にしてくれない。
そんな様子を見た乗客が英語で私に話しかけてきて、私の要望をキルギスの言葉で伝えてくれたのだ。
運転手は渋々車を止め、私に急げと手で合図をした。
車は渋滞の真っ只中、いつまた動き出すかもしれない。
私は慌てて荷物をつかみ助手席から飛び降りる。
運転手は後ろのドアを開けて、怒ったような顔をしながら私のリュックを取り出してくれた。

私はリュックを引きずりながら車の間を抜けて歩道までたどり着き、そこで改めて自分の今いる場所とホテルへのルートを確認した。
どうやら歩いて15分ほどの距離らしい。
横断歩道を渡り、来た道に沿って歩き始めると、乗ってきたミニバスがまだそこにいた。
降りてよかった。
あのまま乗っていたらホテルに着くのが何時になるかわからなかったところだ。

キルギスの首都ビシュケクはカザフスタンの大都市アルマトイと比べると少し貧しそうに見える。
ホテルに向かう歩道も修理中でボロボロ、こういう光景をあちらこちらで見かけた。
走る車もアルマトイよりかなり古めで、街路樹も埃で弱っていた。
2日にわたりキルギスを走って来たが、飛行機からは見えないいろんなものが見えた気がした。