<きちたび>リヒテンシュタインの旅2023🇱🇮 “世界で6番目に小さな国”は「非武装中立」でなぜ生き残ったのか?

リヒテンシュタインは、世界で6番目に小さな国である。

面積は日本で言うと瀬戸内海の小豆島くらい、人口は3万9000人ほどしかいない。

自前の軍隊を持たず「非武装中立」を国是として、列強が激しく争ったヨーロッパの勢力争いを巧みに渡り歩き、今日まで独立国として生き延びてこられたのはなぜなのだろう?

首都ファドゥーツの街を歩きながら、リヒテンシュタインの歴史を少し勉強してみることにする。

滞在2日目の10日、空が少し明るくなってきた午前7時半ごろ、ホテルを出てファドゥーツ城までお散歩に出かけた。

雨はひとまず上がっていたが、雲はまだ低く垂れ込め周囲を取り囲んだ山々を覆い隠している。

私が宿泊したホテルはファドゥーツの街を見下ろす丘の上にあるせいか、周囲には敷地の広い豪邸が立ち並んでいた。

リヒテンシュタインの一人当たりのGDPはおよそ17万ドルで、モナコに次いで世界第2位。

日本の4倍以上という大変なお金持ちの国なのである。

タックスヘイブンとして知られ、人口よりも法人企業数が多いと言われ、潤沢な法人税収があるために一般国民には所得税も相続税も課されないまさに御伽の国なのだ。

しかし、金融業以上にこの国に税収をもたらしているのは精密機械産業だといい、堅実な国家運営が豊かな国民生活を支えている。

そのせいか、街を歩いていてもギラギラした拝金主義とは無縁の素朴で落ち着いた生活ぶりがうかがわれる。

緩やかな坂道を登っていくと、石造りのファドゥーツ城が見えてきた。

西暦12世紀ごろの創建と考えられているが、詳しい資料は残っていない。

窓に明かりが灯っていた。

今でもリヒテンシュタイン侯爵およびその親族がこの城で暮らしていて、城の内部を見ることはできない。

リヒテンシュタイン家がこの城を購入したのは、ファドゥーツの伯爵の地位を手に入れた1712年のことだとされる。

リヒテンシュタインという名称は、ドイツには今も残るリヒテンシュタイン城に由来する。

リヒテンシュタイン家はもともとドイツの下級貴族だったが、14世紀からはハプスブルク家に仕え、その勢力下にあったオーストリアやチェコ、ルーマニアなど中東欧各地に所領を有するまでに出世した。

ただ、これらの領地は武力によって手に入れたのではなく、財力によって少しずつ買い集めたという点がリヒテンシュタイン家の面白いところである。

1719年、神聖ローマ帝国の皇帝により帝国に属する領邦国家として「リヒテンシュタイン公国」が認められると、1806年の帝国解散に合わせて主権を持つ独立国家となった。

お城の前に掲げられた2本の旗。

青と赤の旗はリヒテンシュタイン公国の旗、そして黄色と赤はリヒテンシュタイン家の旗である。

2つの世界大戦を経て、リヒテンシュタイン家が各地に所有していた領地の多くが没収されてしまったものの、一族は今も国外に公国の面積の何倍もの領地を所有し、公国からの財政支援を受けることなくむしろ国家財政を支える存在となっている。

そんなリヒテンシュタイン公国が軍隊を捨て「永世中立国」を宣言したのは1867年のことである。

第一次大戦では中立を守った結果、連合国の不信を買い国際連盟に加盟が許されなかった。

1938年ナチスドイツがオーストリアを併合すると、ユダヤ人女性を妻としていたフランツ1世はすかさず譲位し、新たな当主となったフランツ・ヨーゼフ2世は住まいをオーストリアから現在のファドゥーツに移した。

リヒテンシュタインでもナチズムの動きは高まったが、フランツ・ヨーゼフ2世は君主大権を行使して総選挙を無期限延期とし、最後まで中立の立場は崩さず奇跡的に戦禍が及ぶことを免れたのだ。

戦後ヨーロッパで民族国家が次々に独立し、東欧の共産化が進む中でチェコやポーランドの領地は失ったものの、リヒテンシュタイン家は独立を維持した。

国連に加盟したのは1990年、冷戦終結を見届けた後のことだった。

ファドゥーツのメインストリートに建つ「ファドゥーツ大聖堂」の前には、フランツ・ヨーゼフ2世夫妻の銅像が立っていた。

ファドゥーツに移り住んで在位50年以上、公国の安定と繁栄の礎を築いた侯爵は今も広く国民に敬愛されているようだ。

大聖堂の脇から伸びるシュテットル通りでは、ちょうどクリスマスマーケットが開かれていた。

背後に見える美しい歴史建造物はリヒテンシュタインの議会である。

元首であるリヒテンシュタイン公は、単なる象徴的な存在ではなく、立法権、外交権、議会の解散権、法案の拒否権など極めて強い権限を持っている。

一方で、国民の自由と権利、法の支配、議会政治などはしっかりと保証されているためか、国民投票においてもリヒテンシュタイン公が拒否権を持つことを7割以上の国民が支持しているという。

現在のリヒテンシュタイン公はフランツ・ヨーゼフ2世の長男、ハンス・アダム2世。

その資産は7000億円以上とも言われ、ヨーロッパの君主の中でも一番の大富豪だ。

2004年には息子のアロイス公子を摂政として統治権を譲り、自身は名目上の君主として現在も公国のトップに君臨する。

この日は日曜日。

観光案内所の前では男性コーラスグループによる合唱が行われ、人だかりができていた。

国中の人が集まっているんじゃないかと思うような賑やかなクリスマスマーケットを歩いていると、時代がデジタルからアナログへと逆戻りした印象を受ける。

そういえば、リヒテンシュタインを代表する輸出商品が切手。

今でも外貨収入の1割弱を稼いでいるというから凄まじい。

シュテットル通り沿いにはそうしたリヒテンシュタインの切手を実際に見られる珍しい切手博物館もある。

入場無料ということで入ってみたが、コレクターではない私にとってはさほど驚くようなこともない小さな博物館であった。

でも切手マニアの間では、リヒテンシュタインの切手は「世界一美しい」と評され、世界中に愛好会が設立されているのだそうだ。

SNS全盛の時代、切手は時代に流されないこの国の在り方を映す象徴的な存在のような感じがする。

ファドゥーツの中心街は実にコンパクトだ。

クリスマスマーケットを抜けると小さなスケートリンクがあって、親たちに見守られながら子供たちがスケートを楽しんでいた。

そうした庶民を見守るように、丘の上にはファドゥーツ城が立っている。

昔の日本の城下町もこんな感じだったんだろうな、と思う。

そこには王様と庶民の良い関係が見えるようだ。

この世の中から支配欲の強いリーダーが消えて、居心地の良い小国がたくさんできれば人々は平和に暮らせるのだろうか。

リヒテンシュタインでそんなことを考えていた。

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