🇪🇪エストニア/タリン 2019年8月4日
ヘルシンキからフェリーに乗って隣国エストニアの首都タリンまで日帰り旅行。
ハンザ同盟の最北の都市として繁栄したタリンは、中世の街並みを冷凍保存したような素敵な旧市街を持っています。
1997年に世界遺産にも登録された「タリン歴史地区」をぶらぶらと街歩き。エストニア最古のカフェでランチをいただき、土産物屋で見つけた小さな人形を記念に買いました。
何の予備知識もなかったタリンですが、心踊る街歩きとなりました。
タリン港から旧市街へ
フィンランドのヘルシンキからフェリーで2時間。タリンの港に着いたのは、午前9時半ごろのことでした。

船から見えたタリンの街は、ITベンチャーで名高いエストニアのイメージにふさわしい近代都市に見えました。

入国検査もないままエストニアに上陸します。
とりあえず目的地は世界遺産となっている旧市街、「タリン歴史地区」です。
ガイドブックの大雑把な地図だけを頼りに、海沿いの道を歩きます。

20分ほど歩くと、城壁のようなものが現れました。

「Small Coastal Gate Bastion」と呼ばれる中世の門、その向こうに見えるのは「聖オラフ教会」の尖塔です。
この先が旧市街のようです。

旧市街に一歩足を踏み入れると、中世にタイムスリップしたような錯覚を覚えます。
そもそもタリンの起源は、1219年にデンマーク王バルデマール2世がエストニア人の要塞集落を占領し、そこに「トームペア」と名付けた城塞を築いたことに始まるそうです。

1285年にはハンザ同盟に加わり、貿易港として繁栄します。その後、ドイツ騎士団がこの地を治めたことから、20世紀の初めまでドイツ文化の強い影響を受けてきました。

その間、町はスウェーデン領になったり、ロシア領になったり変遷を遂げますが、バルト・ドイツ人がタリンの実権を握る状況は変わりませんでした。

街を歩くと、パステルカラーの建物が並び、壁面の装飾や飾られた植物など見ているだけで楽しくなる素敵な街です。

第二次大戦後、エストニアはソ連に併合されます。
ソ連といえば、重厚で無愛想な社会主義建築を思い浮かべますが、この街にはそんな暗い面影は微塵もありません。

午前10時すぎのタリン旧市街はまだ観光客の姿もまばら・・・。
可愛らしい街並みを眺めながら緩やかな坂を登っていくと、すぐに中心部にたどり着きました。
エストニア最古のカフェ
どこに何があるのかも知らず、ただ道なりにだらだら坂を上っていくと、左手に目を引くショーウィンドーがありました。

窓の内側に小さな観覧車。
窓全体が額縁のようです。

近づいてみると、コーヒーカップが回っています。
そして、観覧車の中央部分は・・・

たくさんのスプーンで作られていたのです。
どうやらここは、カフェのようです。ちょっと入ってみることにしました。

そこは、とても素敵なお店でした。
歴史を感じさせる重厚な内装、天井には独特な装飾が施されています。
偶然入ったお店ですが、実はエストニア最古のカフェだったことを後で知りました。創業は1864年だそうです。

お店の名前は、「マイアスモック Maiasmokk」。
エストニア語で「甘党」を意味するそうです。

店内から見ても、あの観覧車、絵になります。

このカフェで私たちが注文したのがこちら・・・。

妻が注文したのは「Kakao」。
ホット・チョコレートのようです。

表面には泡がたっぷりで、濃厚な味わいです。

こちらは「KIHILINE KUPSIS」というチョコレートケーキ。2.5ユーロ。
チョコとジャムの相性も良く、美味しいケーキです。

そして最高だったのは、私が注文した「Vana-Tallinna Kohv」。6ユーロ。
タリンという名前に惹かれてなんだかわからずに注文しましたが、飲んでみるとこれが大正解。
お酒の入った、アイリッシュコーヒーのような感じです。

「ヴァナタリン」は、エストニアを代表するリキュールで、甘くて強いお酒だそうです。
これをコーヒー(kohv)に入れ、クリームをたっぷり載せたのが、「Vana-Tallinna Kohv」。
お酒が飲める方には絶対にオススメです。
マイアスモックでランチ
カフェを出ると、同じ建物の角に眺めのいいオープンレストランがありました。

私たちは13時半に出港する帰りのフェリーを予約していたので、早めにランチも食べようと話がまとまり、このオープンレストランに入りました。

店に入って気づいたのですが、実はこのレストラン、先ほどのカフェと同じ「マイアスモック」が経営するお店だったのです。
時間が早いので屋外の席には私たちの他にお客さんは1人しかいません。

まずは、眺めのいい席を確保。
パステルカラーの街並みがきれいな気持ちのいいテラスです。

料理を待つ間、お店の中を見学に行きます。
ショーケースの中には、チョコレートが並んでいました。
2階はレストランになっていて、屋内でも食事ができるようです。

でも店内で目を引いたのは、こちらの人形たち。
これ全部、お菓子です。
甘党を意味する「マイアスモック」は、こうした昔お菓子で有名になったようです。今では、チョコやケーキ、さらには飲料まで、甘いものは何でも手がけるお店になっていますが、目立つところにこうした人形の菓子を飾っているのは、創業の精神を忘れないためでしょうか?

席に戻って、料理を待ちます。
ミネラルウォーターを頼むと、「REVAL」というガラス瓶のお水が来ました。
グラスもちょっと高級そうです。

この日のランチはまず、妻が注文した「焼いた山羊のチーズのサラダ Baked goat cheese」(9ユーロ)。
お店のメニューにも写真があしらわれているので、看板メニューなのでしょう。
チーズはボリュームがあり、甘党の店らしくイチゴやメロンといったフルーツがサラダを構成しています。

続いては、「パースニップのスープ Parsnip puree soup」(7ユーロ)。
こちらは2人でシェアします。
パースニップという野菜を知りませんでしたが、セリ科の二年草で、ニンジンに似た根菜だそうです。

そして私が注文したのは、「子牛のステーキ Veal entrecote」(19ユーロ)。
今回の旅行で一番奮発した料理でしたが、さほど美味いとは感じませんでした。
普通に塩胡椒で食べた方が美味しかったかもしれません。
まあ、外食はそんなものです。

私たちが食べ終わる頃には、屋外の席はすっかり埋まっていました。

店の前の道路も観光客で一杯です。
眺めのいい屋外テラスでランチをしようと思ったら、早めの入店がオススメです。
旧市庁舎広場でお買い物
早めの昼食を終え、後は街を気ままに歩いて帰りの船に乗るだけです。

何も知らずにランチを食べた「マイアスモック」周辺は、タリンでも最も古くから栄えた中心地だったようです。
周辺には観光スポットやおみやげ屋さんが軒を連ね、多くの観光客が集まってきます。

マイアスモックの目の前にある黄色い建物は「大ギルド会館」。
裕福な商人たちのギルドの拠点となった施設で1417年建設の歴史的建造物です。
現在はエストニア歴史博物館として利用されていて、1万1000年に及ぶエストニア人の歴史を知ることができます。時間がない私たちは入りませんでしたが、入場料は8ユーロだそうです。

その向かいに建つのが「精霊教会」。
14世紀に建設され、今も当時の様子を伝える唯一の教会です。入場料は1.5ユーロです。

内部にはエストニアで最も古い祭壇もあり写真で見るといい感じなのですが、時間の関係でこちらも外部を眺めるだけでパス。
代わりに、外壁に取り付けられたタリン最古の時計を通りから眺めるだけで通り過ぎます。

石畳の歩道に鳥をかたどった石のオブジェが・・・。
人の流れに従って、この路地に入ってみることにします。

そこは広場でした。
「旧市庁舎広場 Town Hall Square」または「ラエコヤ広場」と呼ばれ、ずっとタリン旧市街の中心となってきました。

私が訪れたのは日曜で、広場では青空市場が開かれていました。
市場の奥に見える尖塔を持つ建物がタリン旧市庁舎で、600年以上前に建てられた歴史ある建造物です。

かつての商人たちの館が広場を取り囲み、レストランのパラソルが軒を連ねています。

青空市場をのぞくと、バイキングの可愛らしい飾りが売られていました。
ドイツ人が入植する前の7〜8世紀にはヴァイキングたちとの交易が行われていたそうで、タリンを歩くとヴァイキングをモチーフにした雑貨もいろいろ目にします。

かわいい毛糸製品もお土産にいいかもしれません。

この女性が着ている服は、エストニアの民族衣装なんでしょうか?
かつてのヒッピーファッションのようで、ちょっと格好いいですね。

いろいろ魅力的な雑貨がある中で、妻はこちらの木製のバターナイフを買いました。1個1.50ユーロ。一つ一つ木の模様が違うので、慎重に選びます。

もう一つ、妻の気を引いたのが、こちらの編み物をするお婆さん。
お土産屋さんのショーウィンドーに腰掛けていたこのお婆さんと目があったのだそうです。自分の重なったようです。
値段が12ユーロすると聞き、あきらめようとする妻。でも確かに妻に似ていると思ったので、斧を持った野蛮人の人形と一緒に買うことにしました。
合わせて、24ユーロのお買い物です。

タリンで買った私たち夫婦のアバターは今、我が家の窓際で存在感を発揮しています。
いい買い物だったと思います。
トームペアの丘へ

お土産も買ったので、坂をさらに登り、タリン発祥の地「トームペアの丘」まで行ってみることにします。

1230年代に建てられたとされる「聖ニコラス教会」。
第二次大戦で破壊され、現在は宗教美術を扱う博物館になっていますが、この辺りまでは商人たちが暮らしたいわば下町です。

ここから先は、階段を登ります。
石灰岩でできたこのトームペアの丘に、エストニア人が最初の要塞が建設したのは1050年。トームペアとはドイツ語で「聖堂の立つ丘」という意味だそうです。

階段の途中にはこんな石造りの門も・・・。
いろんな民族の支配を受けてきたタリンの歴史を実感することができます。

1219年には、デンマーク王バルデマー2世が北方十字軍を率いて侵攻し、ここにトームペア城を築きました。
当時まだキリスト教を受け入れていなかったエストニアは「未開の地」とされ、制服の対象だったのです。
ちなみに、タリンという名前は「デンマーク人の城」という意味だそうです。

町はデンマークからドイツ騎士団へ、その後スウェーデン、さらにロシアの支配下に入ります。
そのロシアの象徴が丘の上に待っていました。

「聖アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」。
玉ねぎ型のドームをいただくロシア正教会の大聖堂です。

タリンがロシア帝国の支配下にあった1900年に、トームペアの丘の中心に建設されました。
トームペア城と中世の城壁

聖アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の奥、旧市街の一番西側に建っているのが「トームペア城」。
この地を治めた歴代の権力者たちは、海を見下ろすこの城を拠点に構え、今ではエストニア議会がトームペア城で開かれています。

そのため、城の南側に広がる庭園には「ガバナーズ・ガーデン(統治者の庭園)」という名前がつけられています。
庭の向こう側に見える石の塔は高さ46m、「のっぽのヘルマン塔」と呼ばれています。
この塔のてっぺんに旗を掲げた者がこの地を治める領主でしたが、今は独立を果たしたエストニアの三色旗が堂々と掲げられていました。

トームペアの丘を取り囲むように中世の城壁が残っています。
現在でも1.9キロの城壁と20の監視塔が残り、ヨーロッパでも最高水準の保存状態を保っているそうです。

トームペアの丘にはいくつかの展望台があります。
お城から北へ向かうと、建物の間から見える「聖母マリア大聖堂」は、ドイツ人エリートたちのための教会で、この地で活躍した英雄たちが眠っています。

この教会の目の前にあるのが、「ピースコピ展望台」。
ここからは西側の新市街が見えるのであまり人気がありません。
旧市街の中世の街並みを俯瞰できるのは、さらに先に進んだ「コフトウッツァ展望台」です。しかし、もう時間切れ、そこまで行く時間は残されていませんでした。
素敵な店でトイレ休憩

後ろ髪を引かれながら、来た時とは別の人通りの少ない坂道を降ります。

見上げれば、崖のギリギリまで建物が建てられています。
きっと貴族たちのお屋敷だったのでしょう。

坂道の途中にも、魅力的な建物が目に止まります。

タリンの街の魅力を侮っていました。
とても3−4時間で見て回れる街ではありません。
そんなことを思いながら、写真だけ撮りながら港への道を急いでいると、私以上に焦っていたはずの妻がトイレに行きたいと言いだしました。

とりあえずどこかでコーヒーでも飲んで、トイレを借りることにします。
飛び込んだ店は「ST. PATRICK’ S」。
観光客の少ない裏路地にひっそり佇むこのお店、予想外に素敵だったのです。

落ち着いた店内。
でもお客さんはほとんどいません。

店の奥には静かな中庭がありました。
通りからはうかがい知れないタリンの暮らしぶりに少し触れられた気分になります。

窓際の席にどっかりと腰掛けると、ホッとして思わず船の時間を忘れてしまいそうです。

トイレから戻ってきた妻が「面白いから見てくれば」と言うので、私もトイレに行ってみると・・・
ちょっと予想外のトイレが待っていました。
石造りの通路を抜けた先には・・・

青く光る真新しいトイレ。
この狙いは一体、何なのでしょうか?

トイレを済ませ、コーヒーを飲み干し、バタバタと店を後にします。
ここは格安カフェではなく普通のレストランでしたが、コーヒーの料金は2ユーロととても良心的でした。
もう少しゆっくりしたいお店でした。

そうしてフェリーの出発時間の10分前に港に駆け込みます。
しかし非情にも、乗船の締め切りは出発の20分前。
私たちは、帰りの切符を買った船に乗り遅れてしまったのです。
あのトイレ休憩がなければ・・・
それほどタリンは魅力的な街だったということです。
ヘルシンキからの日帰りは十分可能ですが、現地の滞在時間はなるべくたっぷり取っておいたほうがいい。それが私からのアドバイスです。
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