<吉祥寺残日録>オリビア・ニュートン=ジョン、三宅一生、サルマン・ラシュディ、そして東京ラブストーリー #220813

小さな台風8号が今日夕方首都圏を直撃する。

東京も朝から空はどんより、時折ザーッと雨が降ってくる。

図書館で借りたまま放置していた本を手に取る。

「孤独のグルメ」の原作者として知られる久住昌之さんが書いた『三多摩原人』という本だ。

東京のお散歩本のコーナーで見つけて何気なく借りてきたのだが、すぐに久住さんが私の同世代だということがわかった。

改札出たところのワゴンで廉価版のCDを売っていて、そこでサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」がかかっていた。聴いたとたん何十年も前の自分がボクの中に蘇り、クラクラッときた。数年に一度こういうことがある。

その曲は中学一年の時、初めて自分で買ったシングル盤レコードなのだ。バスケット部の練習が終わって帰ると、勉強部屋のステレオの前にあぐらをかいて、同時に買ったシングル盤「続・夕陽のガンマン」サントラ盤と交互に、毎日毎日聴いた。

引用:久住昌之「三多摩原人」より

「サウンド・オブ・サイレンス」は私は8回観た映画『卒業』の主題歌、「続・夕陽のガンマン」は私も大好きだったマカロニウエスタンの名作だ。

こんな組み合わせをすらりと書くのはどう考えても私の世代の人だと反射的に感じ著者紹介を確認すると、やはり私と同じ年生まれだった。

そういえば今年の夏、私たち世代には懐かしい名前を立て続けに聞いた。

それは訃報だった。

今月8日に亡くなったのは、歌手のオリビア・ニュートン=ジョンさん。

まだ73歳だった。

「そよ風の誘惑」「ザナドゥ」「フィジカル」などのヒット曲とトラボルタと共演した青春映画「グリース」、私が高校から大学時代に世界を魅了したアイドル歌手。

個人的にはやはり「そよ風の誘惑」の清楚なイメージが大好きで、曲はヒットした映画「ザナドゥ」は史上稀に見る駄作として記憶に残っている。

それでも私の世代には、彼女の名前はアグネス・ラムなどと共に、思春期を共に過ごしたシンボルとして今も強烈に脳裏に焼き付けられている。

まさに1970年代の象徴であり、考えてみればもう半世紀も前の輝きなのだ。

私はテレビマンとして多くの訃報にも携わったが、昔活躍した芸能人の訃報の扱いにはいつも苦労した。

きっと今のスタッフたちも、「オリビア・ニュートン=ジョンって誰?」と戸惑ったに違いない。

おじさんスタッフは大騒ぎしているが、若い人たちは聞いたこともない名前で、その人がどれだけ凄いのかも判断できない。

そして適当に代表曲を選ぶと、おじさんから「違う!」と激しく叱責されたりするのだ。

おそらくオリビア・ニュートン=ジョンの訃報でも、おじさんから怒られた若いスタッフがいたはずだ。

世界的なファッションデザイナーの三宅一生さんも今月5日に亡くなった。

84歳だった。

私は生涯ファッションには縁遠かったが、若い頃から日本を代表するデザイナーとして三宅さんの名前は当然知っていた。

その後パリ特派員になり、三宅さんのファッションショーにも招待された気がするが、ほとんど覚えていない。

ただそのダンディーな出立ちは日本人離れしていて、格好いい人だなあと常に感じていた。

今でこそ日本人が海外で活躍することは珍しくはないが、三宅さんはそうした日本人の先駆者であり、幼い自分が抱いていた白人コンプレックスを打ち破ってくれた一人かもしれない。

こうした長い間その名前を聞いていなかった人の訃報に触れて、まだ若かったあの時代が少し懐かしく感じた。

引っ込み思案だった私が、徐々に活動的になり、やがて一人で世界を飛び回るようになったのもまさにオリビア・ニュートン=ジョンや三宅一生が活躍した1970年代後半から1980年代だったからだ。

反体制的で学生運動やヒッピー文化の香りもまだ残っていたあの時代は、物事を常に天邪鬼的に捉える私の人格形成にも大きな影響を与えている。

そして訃報ではないが、作家のサルマン・ラシュディさんが12日ニューヨークで男に刺されたというニュースも飛び込んできた。

これまた懐かしい名前である。

ラシュディさんといえば、預言者ムハンマドを題材にした小説「悪魔の詩」がイスラム教を冒涜しているとして1989年イランの故ホメイニ師から死刑宣告を受け、命を狙われていた人物である。

この小説を日本語に翻訳した筑波大の五十嵐一助教授が1991年にキャンパス内で殺害され、日本でも大きなニュースになった。

事件の背景はまだ明らかではないが、おそらくホメイニ師に対する死刑宣告がまだイスラム原理主義者の間では生きていたということなのだろう。

この夏、もう一つ、時代をタイムスリップするような出来事があった。

岡山に帰省した際、ダウンロードした『東京ラブストーリー』を一気見したことだ。

1991年フジテレビで放送された伝説的なトレンディドラマだが、私はまったく見ていなかったので今回が初見だった。

リカとカンチを中心に恋愛とすれ違いをこれでもかと繰り返す物語。

今から見れば、まだ新人だった坂元裕二の脚本も雑でツッコミどころ満載だが、仕事に恋愛に遊びに全力投球だったバブル期の日本人の元気な姿が懐かしい。

今のようにスマホもSNSもない時代、物理的に連絡ができずすれ違う関係性は逆に自然であり、偶然が人間の人生を変えることを「仕方がない」と受け入れられた時代である。

しかし、バブル後の日本を知っている今から思えば、バブルの時代は戦後日本にとって最大の転換点だったと感じる。

「メイドインジャパン」が世界を席巻し、実力以上に過信していた日本人だが、まだコンプライアンスという言葉もなく、何にでも挑戦してみようという空気が日本中を覆っていた。

まさに今の中国と同じだが、中国は日本のバブル崩壊から対応策を学び取っているだろうか。

私はどんな時代を生きてきたのか?

私が生きた時代は後世からどのように評価されるのだろう?

窓の外で降る雨を見つめながら、いつも目の前のことに追われて自分が生きた時代を客観的に俯瞰したことがなかったことに思い当たった。

知らない時代の歴史も大事だが、自分が生きた時代をじっくり見つめ直してみるのもいいかもしれない。

60代ももうすぐ折り返し、そろそろ自分の人生を検証する良いタイミングだろう。

<吉祥寺残日録>「東京ブラックホール」〜バブル時代の最中に生きる人間はバブルを感じない という教訓 #220502

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