🇯🇵 鹿児島県/鹿児島市〜霧島市 2024年11月23日
学生時代の仲間たちとの鹿児島旅行2日目。
鹿児島在住の後輩と愛媛から車でやってきた友人の愛車2台に分乗し、まずは鹿児島のシンボル桜島を目指す。

鹿児島港から対岸の桜島港まで「桜島フェリー」でおよそ15分。
日中は1時間に3便が運行されていて、まさに庶民の貴重な足となっている。
運賃は大人1人250円、車両は3〜4mで1700円、4〜5mで2350円だ。

桜島フェリーに乗ったらうどんを食べるのが定番と教えられ、乗船するとすぐにすぐに行列に並ぶ。
「やぶ金 桜島フェリー店」
1杯500円のうどんは麺が柔らかくて、さつまあげが載っており、特別美味しいわけではないが学食のうどんのような懐かしさを感じた。

うどんを食べ終わると、船はもう桜島の目の前まで来ていた。
この日も朝から快晴、山頂から立ち昇る白い噴煙が青空に映える。

桜島港に到着すると、一路桜島の山腹にある「湯之平展望所」を目指して山を駆け登る。
私が座っていた後部座席からはよく見えなかったが、運転席からはこんなふうに見えていたらしい。

桜島の北岳4合目、標高373mに位置する「湯之平展望所」に到着したのはちょうど午前10時ごろだった。
この展望台は桜島の西斜面にあるため、午前中桜島は逆光となるが、間近から眺めるその荒削りな山肌はさすがに迫力がある。

また、湯之平展望台からは鹿児島湾も一望できる。
個人的にはこの展望台からの眺めで最も印象的だったのは、鹿児島市街地に迫ろうとする緑の大地である。
説明によれば、この緑の大地は大正噴火の際に流れ出た溶岩によって出来上がったものだそうで、いつの日にかより大規模な噴火が起きれば溶岩流が鹿児島まで到達し桜島と地続きになる可能性も十分ありうるんだということを実感させられた。

さらに展望台から北の方向を見ると、内陸深くまで切れ込んだ大きな湾が見える。
これは普通の入江ではなく、湾全体が直径20キロに及ぶ噴火口、「姶良(あいら)カルデラ」なのだ。

案内板にはこう記されていた。
桜島が誕生する前、鹿児島湾には巨大な穴があいていました。この穴は姶良カルデラと呼ばれ、約29000年前の巨大大噴火によってできたものです。この時の噴火で大量のマグマが噴出、南九州全域を埋め尽くしました。こうしてできたのがシラス台地です。その後約26000年前にカルデラの南部で起きた噴火出てきたのが桜島です。桜島は姶良カルデラの「こども」といえます。
桜島を見ると、今も絶え間なく噴煙をあげるその荒々しい姿に圧倒されるが、姶良カルデラに比べたらほんの子供、噴火のスケールが全然小さいのだというのだから、およそ3万年前に起きた超巨大噴火の破壊力はとても想像もできない。
地震や火山の専門家が警鐘を鳴らす「カルデラ噴火」の紛れもない痕跡である。

しかも南九州の恐ろしいのは、姶良カルデラの南北にも同じ規模の巨大カルデラが繋がっていること。
私たちが生きている間に遭遇する可能性は低いだろうが、いつ何時このあたりで再びカルデラ噴火が起きても不思議ではないのだ。
そうなれば九州の形が変わってしまうほどの大災害となり、日本経済のみならず地球環境にも重大な問題をもたらすと考えられている。
全くもって、我々日本人はとんでもない場所で暮らしているということを、この展望台からの眺めは改めて教えてくれているのである。

続いて訪れたのは、桜島の南側に位置する「有村溶岩展望所」。
噴煙をあげる南岳を間近に望むこの場所は、1914年の大正大噴火で海まで流れ出た溶岩流が固まった大地にある。
1年半に及んだこの大噴火は20世紀以降日本で起きた最大の火山噴火であり、58人の死者、行方不明者を出した。
そしてこの噴火によって、それまで独立した島だった桜島は大隅半島と地続きとなったのだ。

こうして桜島をぐるりと半周した我々は、大隅半島を北上して霧島市に入った。
錦江湾越しに桜島を望む福山という場所に、今も伝統的な製法で壺造り黒酢を作っている「坂元醸造」がある。
海に面した高台にお酢を作る壺が並ぶ「壺畑」の光景は、まさに鹿児島を代表的する景観だ。
実は今回の旅行で運転手兼案内役を務めてくれた大学の後輩がここの社長ということで、併設されたレストランでランチを食べて、黒酢造りについて学ぶことになった。

私が選んだのは、坂元の黒酢を使った酢豚のセット。
味はまろやかで、見た目も美しい。
桜島を眺めながらオシャレなレストランで食事。
学生時代にはフェアレディZを乗り回すボンボンだったが、今では立派な社長さんになり、伝統産業を21世紀的なビジネスに変革している様子に一同感心する。

ランチを終え、同じ福山地区にある「夫婦のイチョウ」を見に行く。
宮浦宮の境内に並び立つ2本のイチョウは、神武天皇ご東征前の仮の宮居であったことを記念して植えられたと伝えらる由緒ある大木だが、平年ならばこの時期黄色に色づいているはずなのに今年は全然早すぎたようだ。
それでも樹齢1000年を超えるというイチョウの大木はやはり見事で、左側のイチョウに残された西南戦争の砲弾跡も鹿児島の歴史を見続けてきたこの大木にとっては勲章である。

桜島周辺での旅程をこなした一行は、錦江湾を離れて北上、一路霧島温泉を目指す。
この日の宿は温泉街の中心から少し離れた丘の上に立つ「旅行人山荘」。
海岸線から一気に登って、標高700メートルに位置する少しレトロなリゾートホテルである。

この宿の特徴の一つが、林の中に点在する貸し切りの露天風呂。
通常ならばカップルやファミリーでの利用が多いのだろうが、団体旅行の私たちは男女に分かれ、事前に予約した時間に決められた露天風呂を回った。

人数が多い男組は2班に分かれ、私はまず本館から一番離れた「ひのきの湯」へ。
雑木林の中に建てられた荒屋に隠れるように石組みの露天風呂が設えてあった。
3人も入れば一杯という大きさだが、ヒノキだけでなくさまざまな樹木に囲まれて、のんびりと温泉に浸かることができる。

惜しむらくは、季節の巡りが異常に遅いこと。
標高の高い霧島では鹿児島市内よりもかなり早く紅葉するため、ガイド役の同期は「霧島に行けば紅葉しているはず」と言っていたが、見事にはずれた。

続いて入ったのは、本館から直接行ける「鹿の湯」。
こちらは「ひのきの湯」に比べれば少し大きく、5〜6人は同時に入れる。
ちょうど西に傾いた夕日が木々の向こうに見えて、気持ちの良い風が吹き抜けていく。

露天風呂を囲う柱や屋根は、とてもどっしりとした造りで趣がある。
正面、ちょうど桜島が見える位置に小窓から切られているのもいい。
別班と入れ替わる形で「鹿の湯」に入ったため残り時間が少なく少なくすぐに出なければならなかったのは残念だったけれど、それぞれ趣の異なる露天風呂を楽しむことができた。

風呂上がり、ホテルの中を散策しながらしばし休憩。
ホテル内にはフロントロビーの他に幾つかの個性的な共有スペースがあり、自分の好きな部屋でくつろぐことができる。

こちらは昔のステレオが置かれたオーディオルーム。
他のも漫画本が並ぶ漫画の部屋や本棚に囲まれた落ち着いた読書室もある。
そしてどの部屋もちょっとレトロで懐かしく、ものすごく居心地がいい。

また、ひんやりした空気を味わえるベランダもあって、旅人が思い思いに滞在時間を過ごせるような心遣いが随所に見られる。
旅人のための宿だから「旅行人山荘」なんだと勝手に解釈しながら、この宿の歴史を調べてみた。

「旅行人山荘」のホームページによると、創業は大正6年(1917年)の「丸尾温泉旅館」開業にまで遡り、今年で創業107年を迎えた。
戦後新婚旅行ブームが起きて観光客が急増したのを受けて、現在の場所に移り「霧島プリンスホテル」と名称も変えたという。
おそらく現在残る建物の原型は、昭和43年(1968)ごろに作られたのだろう。
しかし新婚旅行ブームは長くは続かず、平成10年(1998)に「旅行人山荘」と名前を変え、団体客中心の宿から現在の個人客中心の宿へと変貌を遂げた。

夕方も5時をまわり、ちょうど夕陽が沈む頃にこの宿で一番広い貸切露天「赤松の湯」の順番が回ってきた。
男8人同時に入っても大丈夫な大きさがあり、ここで湯船に浸かりながらのんびり夕日を眺めようと、みんなで勇んで林の中の小道を下った。
ところが、「赤松の湯」は完全に林の中。
木立に阻まれて残念ながら夕日は見えなかった。

それでも、周囲を気にせず気の置けない仲間と自然の中で温泉に浸かるのは最高の気分である。
いつの間にか太陽は沈んだようで、林の中は徐々に暗くなってきた。
脱衣所の建物に明かりが灯り、なんだかとても幻想的である。

夕食前に内湯で体を洗いたいという奴らが、一人また一人と抜けていく。
私はやっぱり内湯より露天だろうと最後まで「赤松の湯」に止まったのだが、どうもその判断は必ずしも正しくなかったようである。

この宿には、「大隈の湯」と「錦江の湯」という2つの内湯があって、時間によって男女入れ替え制となっているのだが、そのどちらにも露天風呂がついていて、この露天からは噴煙を上げる桜島と錦江湾が一望できるのだ。
まさに、絶景の露天風呂、この宿随一の眺望である。
先に内湯に行った連中は、他の客がいなかったと言って嬉しそうに桜島をバックに記念写真まで撮っていた。

私が内湯を覗きに行った時には、すでに他のお客さんがいて写真撮影もできなかったが、悔しいので大急ぎで浴衣を脱ぎ夕食ギリギリまでその露天で過ごした。
よく見ると、桜島の背後、左側に開聞岳のシルエットも見える。
こんな雄大な景色を見ながら入浴できる温泉は、日本中探してもそれほど多くはないだろう。

空の赤みが引いて、黄昏の青から黒へと空の色が刻々と移ろっていく。
このまま湯船に浸かったまま、暮れゆく空と桜島を眺めていたいけれど、もうすぐ6時、夕食の時間である。
いくつかの星が瞬き始めたのを確認して、後ろ髪をひかれながら露天風呂を出た。

夕食は女性陣も加わって賑やかに始まった。
温泉旅館らしく美しく飾られた懐石料理が並ぶが、誰もそんな料理には注意を払わず、みんな思い思いに言いたいことを言い合う。
主要なテーマは、もう来年の旅行の行き先である。

北は北海道から南は沖縄、さらに海外まで、ありとあらゆる観光地が候補に上がるが、みんななるべくなら行ったことのない場所に行きたいということで議論百出、全くまとまらない。
老化すると、人間、他人の話を聞く能力が衰えるようで、誰かが何かを言うとすぐに何人もがそれをスルーして自分の主張を展開する。
それでもなんとか合意が得られそうになると、決まって誰かが断固としてNOと言うのだ。
会社組織なら肩書の上位者がいてその人が最終決定を下すのだけれど、何の利害関係も上下関係もない学生時代の仲間となると合意形成はこうも難しいのかと、民主主義(衆愚政治?)の課題をまざまざと目の当たりにする思いだったが、でもそれはそれで笑いが絶えない楽しい時間であった。

一夜明けて翌朝の7時、朝風呂を浴びても鹿児島の朝日はまだ昇らない。
しかしこの日も空は快晴、清々しい朝である。
昨夜は夕食の後、ロビーでピアノのミニコンサートが催されたが、一日はしゃぎすぎて友人の数人は途中で居眠りを始める始末。
ピアニストの女性には申し訳なかったけれど、最高に贅沢な居眠りだっただろう。

朝食の席では昨夜の続き、来年の行き先を巡ってまた別の案が出される。
しかし、お酒が入った夜ほどには議論は盛り上がらず、誰も結論を出そうと言う気がないようだ。
全員総じて60代後半、まだまだ元気だが朝のエネルギーはどうしても少し低めである。

湯煙があがる霧島温泉街の中心からさらに丘を登った山頂に佇む「旅行人山荘」。
団体旅行にはもったいない素敵な宿だった。
チェックアウトの際、一人当たりの請求額が1万60000円ほど、そんなに安くていいのかと驚いた。
もし機会があれば、家族を連れて数日のんびり滞在したいと思える、まさに「旅行人」のための山荘である。
「旅行人山荘」
住所:鹿児島県霧島市牧園町高千穂3865
電話:0995-78-2831
https://ryokojin.com/