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<きちたび>能登の旅2024🇯🇵 壊滅的な被害を受けた北陸の名湯「和倉温泉」に泊まる @温泉

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🇯🇵 石川県/七尾市 2024年9月29日~30日

能登半島の経済を支えていたのは、水産業と観光業だった。

元旦に起きた能登半島地震は、観光の目玉だった輪島の朝市を跡形もなく焼き尽くし、宿泊の拠点となっていた和倉温泉にも壊滅的な打撃を与えたのだ。

地震から9ヶ月経っても、能登で宿泊先を見つけるのは容易ではない。

今回の旅にあたって、私は和倉温泉で営業を再開した旅館を見つけ、迷うことなく即座に予約を入れていた。

輪島で2時間ほど歩き回った後、私は午後1時半発の金沢行き高速バスに乗り込んだ。

隣の席に座った大阪のおばちゃんが大きな声で話しかけてきた。

おばちゃんは高校まで輪島で育ったといい、地震で大変な目に遭う人もいるのに、わざわざ戦争を始める国があると思うと腹が立つとまくしたてる。

本当にその通りだ。

バスは途中「のと里山空港」を経由して、50分足らずで穴水駅に到着、ここでおばちゃんと別れた。

バスを降りると、すでにホームに電車が止まっているのが見えた。

「のと鉄道」のワンマン列車、正確に言えば電化されていないので、電車ではなくディーゼル列車ということになる。

出発時刻もわからないので慌てて開いている扉から飛び込んで、「この電車、和倉温泉に行きますか?」と乗客に尋ねた。

乗客の一人が「行きますよ」と教えてくれたので、やれやれと空いている席に落ち着いた。

私が乗り込んで1−2分で、列車はゆっくりと動き出した。

もたもたしていたら危うく乗り損なうところだった。

「のと鉄道」は1991年、JR能登線の廃止に伴い、和倉温泉より北の路線を引き継いだ第三セクターの鉄道だったが、2005年までに穴水より先の路線は全て廃止し、今では七尾駅と穴水駅間を走る33キロほどの七尾線だけとなった。

つまり、私が乗車した穴水駅が、北のターミナル駅になっているらしい。

穴水を出るとすぐに車窓から七尾湾が見えてくる。

湾岸にはリアス式の入江が続き、入江ごとに大きくはない集落が存在する。

七尾湾は古くから漁業の盛んな場所で、どこからでも湾の中心部に横たわる能登島を眺めることができる。

まことに旅情を誘う風光明媚な鉄道である。

能登の人たちは立派な瓦屋根に強い愛着を持っているのだと、今回の旅で聞かされた。

しかし、地震により多くの家屋で瓦がずれて、中にはその重みで倒壊した家も多かったのだ。

集落よりも少し高い場所を走る列車からは、屋根の被害がよく見えた。

およそ1時間の鉄道旅を堪能し、和倉温泉駅に到着したのは午後3時17分だった。

2つあるホームの一方には、JR西日本の特急列車が止まっている。

かつては大阪直通の特急も運行されていたが、北陸新幹線の開業に合わせ廃止され、今では全て金沢までしかいかないという。

新幹線ができて関西からの利便性が悪くなったうえに今回の震災、古くから能登観光の中核を担ってきた和倉温泉にとってはこのところ逆風が吹いている。

温泉街は小さな半島の先端部にあるため、駅から歩くと結構時間がかかる。

迷わず駅前に待機していたタクシーを利用する。

しかし同じ列車に乗っていた乗客で温泉街に向かう観光客は私ひとり。

なぜなら、1月の地震で22軒の温泉宿は全て休業に追い込まれ、9月末になっても一般客の受け入れを再開できた旅館は3軒ほどしかないからである。

運転手さんによれば、本格復旧までにはまだ2〜3年はかかるのではないかとのことだった。

私が予約していたのは「味な宿 宝仙閣」。

七尾湾に面して巨大旅館が建ち並ぶ和倉温泉の中では比較的こぢんまりとした6階建ての宿である。

ここも震災で被害を受けて長く休業を余儀なくされたが、頑張って改修工事を済ませ、なんとか8月から営業を再開したという。

私の部屋は最上階6階の角部屋だった。

温泉宿らしく玄関と和室がセパレートされている。

和室は広々とした10畳で、すでに布団が敷いてあった。

宿泊客が減り、少しでも人件費を節約しようということだろうと理解した。

でも、なかなか立派なお部屋だ。

カーテンを開けて、ちょっと驚いた。

和倉の温泉街が一望できる大パノラマである。

窓を全て開けると、気持ちのいい海風がテラスに流れ込んでくる。

最上階の角部屋、おそらくこの旅館でも最も眺めのいいお部屋に違いない。

海側に見える一際目立つ高層の建物には「加賀屋」と書かれていた。

『プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選』で36年連続で1位に輝いた「日本一の温泉宿」として、私でも憧れを抱いていた超有名旅館である。

部屋に荷物を置くと、早速街歩きに出かけた。

人通りもまばらな温泉街はほとんどのお店がシャッターを閉めたまま。

日曜日なのに、驚くほど寂しい光景が広がっていた。

岩山のようなオブジェと立派な街灯の立つ広場に出た。

ここは「湯元の広場」と呼ばれ、和倉温泉の源泉の一つらしい。

2羽の白鷺がいて、なぜかザルを加えている。

「涌浦乃湯壷(わくうらのゆつぼ)」からは高温の源泉が流れ出していて、ザルに卵を入れて湯に浸けておくと15分ほどで少し塩味のする温泉たまごが出来上がるという。

案内板には「飲める和倉温泉」と書いてあったので、試しに柄杓で源泉を汲んで飲んでみる。

かなり塩辛い。

そう、和倉温泉の泉質はナトリウム・カルシウム塩化物泉、日本を代表する「海の温泉」なのだ。

街灯の台座には和倉温泉の歴史を表した8枚の陶板が埋め込まれている。

和倉温泉観光協会の公式サイトでは温泉の由来が次のように記されていた。

時代を遡ることおよそ1200年(大同年間(806年~810年))、薬師嶽の西側(現在の「湯の谷」)で温泉が湧き出しました。これが和倉温泉の開湯となります。

その後、貴重な温泉は日々の生活に利用され、「湯の谷で体を洗って漁に出ると魚がよく獲れる」などという逸話が残るなど縁起物としても重宝されました。

しかし、それから250年程が経った永承年間(1046年~1053年)に地殻変動が起こり、湧き口が沖合60メートルの海中に移動し、湯の谷の温泉は枯れてしまいました。

ところがある日、和倉に暮らしていた漁師夫婦が、ぶくぶくと泡立っている海に、傷ついたシラサギが身を癒しているのを見つけます。不思議に思って近づき海に手を入れると、熱い温泉だということがわかりました。これが“湯の湧き出づる浦(涌浦)”ということで、和倉の海で温泉を発見した最初といわれています。

先日訪れた道後温泉でも白鷺がシンボルだったが、ここ和倉温泉でも白鷺が温泉を見つけたという伝説が残っているのが興味深い。

海の中に湧く温泉を利用しようと江戸時代から徐々に埋立が始まり、明治時代になると一帯が埋め立てられて温泉街が出来上がった。

すなわち、和倉温泉の湯が塩辛いのは海から湧き出している温泉だからであり、温泉街一帯は全て埋立地だということだ。

今回の地震で和倉温泉が甚大な被害を受け、9ヶ月経った今も復興の目処が立たない理由も埋立地という立地に起因する。

「湯元の広場」に面する一等地に立つあの「加賀屋」も、正面入り口の地面が割れ、立ち入りができないようにコーンが立てられていた。

何棟もの高層ビルが敷地内に建つ巨大旅館である。

しかし、建物周辺には人影はなく、館内から伸びたホースから出るお湯が排水溝に流れ込んでいた。

加賀屋の内部で今何が行われているのか知る由もないが、排水管が破損してしまっているのかもしれない。

加賀屋の前に立っていたと見られる大きな石碑も倒れたままだ。

能登を代表する和倉温泉、9ヶ月経ってもまだこんな状況が続いているとは私の想像以上だった。

七尾湾側から加賀屋を眺める。

海を一望する多数の部屋を持つ巨大旅館はまさに壮観である。

しかし・・・

よく見ると壁には多くの亀裂が走り、果たしてこのビルが再び旅館として使用できるのか危惧されるような状況である。

どうやら地震の揺れで壊れただけではなく、和倉温泉の海沿いの土地が全体的に海に向かって傾いてしまったらしい。

要するに、輪島中心部同様、軟弱地盤が被害を拡大させたのだ。

和倉温泉を代表する巨大温泉は全てこうした軟弱な海沿いに建てられており、この地盤の問題が有名旅館の再開を難しくしているのである。

加賀屋は、同じ和倉温泉の海沿いに3軒の姉妹旅館をを経営していたが、現在は全て休業中で営業再開の目処は立っていない。

大正4年に建てられた古き良き和倉温泉の風情を今に伝える旅館も被災したままだ。

大正浪漫の宿として人気があった「渡月庵」。

檜や屋久杉がふんだんに使われた木造建築で、私が宿泊する「宝仙閣」が運営する姉妹宿でもある。

遠目にはよくわからなかったが、屋根瓦は落ち、建物の至る所にブルーシートが見える。

よく見ると1階の窓枠がはずれ、少し押しつぶされているようだ。

私としては、昭和の巨大ビルよりもこうした風情のある建物を蘇らせてもらいたい。

いずれにせよ、無傷の建物は存在しないようだ。

そんな中、こちらの旅館では工事が始まっていた。

「白鷺の湯 能登 海舟」

再建の目処が立ったのか、工事の足場が組まれている。

しかし工事の掲示には「建築物等の解体等の作業に関するお知らせ」と書いてあった。

おそらくは被害を受けた一部を解体するという意味だと思うが、能登全体で作業員不足が深刻な中、工事が予定通りに進むのか部外者の私でも心配になる。

旅館街を離れて山裾に立つ「青林寺」を訪ねる。

大正天皇が皇太子の時代の明治42年に行った北陸行啓の際に休憩所と建てられた「御便殿」が境内に移築されているというので見に行ったのだ。

意外にも建物に目立った被害は見当たらない。

やはり、明治以降に埋められた温泉街ともともとあった山では地盤に違いがあり、それが地震の被害を大きく分けたのではないか。

私はそう考えた。

散策を終え、夕食前にひと風呂浴びようと「総湯」に出かけた。

「総湯」は2011年にリニューアルされた日帰り入浴施設で、源泉100%の温泉が楽しめる。

白い暖簾と2つの提灯が印象的な建物だが、地震による被害は比較的軽微で3月末には改修を終え営業を再開した。

入浴料は490円。

中は天井の高い清潔感のある建物で、サウナも併設されている。

和倉温泉の湯は塩分が高いため、実際の温度よりも熱く感じる。

私は、露天風呂に半身を浸け、上半身は夕暮れの風で冷ましながら、30分ほど入浴した。

日が暮れてくるに従って若い男性客が増えてきた。

おそらく復興の仕事に携わっている作業員の人たちだろう。

露天風呂も人でいっぱいになったので、私は先に上がることにした。

夕暮れと共に、閉まっていた飲食店に明かりが灯った。

多くの旅館ではまだ一般の客は受け入れていないが、作業員の人たちに宿泊先を提供している宿もある。

だから夜にはある程度のニーズがあるのだ。

宿に戻る前に再び海から加賀屋を見に行った。

当然のことながら部屋の明かりはついていない。

その代わり、美しい夕日が七尾湾を染めていた。

宿に戻ると、夕食の時間だった。

1階のお食事処に電気がついていた。

宿では電気代を節約するためか、廊下の電気は常に最小限で薄暗いのだ。

まずは、風呂上がりの生ビール(770円)。

温泉とビールはやはり切っても切れない。

料理が次々に運ばれてきた。

今夜の客は、私を含めて3人らしい。

私を含めみんな個人の客で、家族連れや団体客の姿はなかった。

メインは蟹。

能登の蟹も旬は11月から2月までだが、ベニズワイガニの漁は9月から始まるらしい。

さほど期待することなく食べたが、思いのほか身が詰まっていて美味しかった。

このほか、温泉たまごや甘エビなど、海の幸、山の幸が並ぶ。

後から茶碗蒸しやお蕎麦、フルーツも出て、苦境にある和倉温泉としては心づくしのおもてなしと満足であった。

ビールを飲み終えた後は、せっかくなので地酒を一杯。

「天狗舞 山廃生搾り」(880円)

この酒を作る酒蔵は能登から少し離れた石川県白山市にあるが、自宅が被災した蔵人も多く、製造量を大幅に減らさざるを得ない状況だそうだ。

こうして能登の産物をいただいて少しでもお金を落とすことが私にできること。

接客にあたる女性に「能登に来てくれて本当にありがとうございます」とお礼を言われた。

復興の助けもせず、ただ現地の様子を見に来た人間としては少し恥ずかしい気持ちになる。

部屋に戻りテレビをつけると、大河ドラマの最中にも「能登大雨関連」の情報がずっと流されていた。

全国的には能登のニュースも少なくなったが、現地では今も重大ニュースである。

寝る前に、「宝仙閣」の温泉にも入ってみる。

旅館の規模に見合ったさほど大きくない大浴場だ。

露天風呂もあるにはあるが、軒下の閉ざされた空間で開放感はあまりない。

夕方「総湯」に行っておいて正解だったと思った。

その夜はなぜか何度も目が覚めた。

目の前に突きつけられた震災の爪痕が私の心を大きく揺さぶったからかもしれない。

布団から起き出して、窓を開け、夜風にあたりながら誰もいない和倉温泉の夜景を眺める。

年間90万人が訪れる人気の温泉街を襲った震災の傷跡は思っていた以上に深かった。

高層ビルが建ち並ぶ大都市圏の埋立地でも同じように多くの建物が傾いて使用不能になってしまうかもしれない。

その時、日本はどうなってしまうのだろう?

翌朝、7時からの朝食を済ませると、あまりのんびりする暇もなく宿を出た。

1泊2食付きで2万900円。

和倉温泉から能登空港へは、「ふるさとタクシー」という直通の乗合タクシーがあるらしいのだが、運行するタクシー会社に電話をかけてみると時すでに遅く満席、予約することができなかった。

そこで前日のチェックインの時、宿のご主人に能登空港までの行き方を相談したが、和倉温泉駅から穴水駅までのと鉄道で行くしかないとの結論になり、朝8時20分にタクシーを手配してもらったのだ。

もしも「ふるさとタクシー」に乗れれば1人1600円で能登空港に行くことができるが、普通にタクシーで和倉温泉から空港まで行くと1万7000円くらいかかるそうだ。

8時20分に宿を出て、9時45分ごろ「のと里山空港」に無事に到着した。

唯一運航している全日空のカウンターには先場所優勝して史上最速で大関に駆け上がった大の里や人気の遠藤ら石川県出身の力士たちのパネルが並べられていた。

出発まで1時間ほど時間があったので、3階の食堂を覗いてみた。

すると2500円もする「能登牛丼」が目にとまった。

何でも、全国丼グランプリの牛丼部門で金賞を受賞したと書かれている。

牛丼で2500円は高すぎると思いながらも、これも被災地支援だと自分に言い聞かせ、試しに「能登牛丼」を食べてみることにした。

少し時間がかかったが、私の前に牛丼が置かれた。

これが2500円か、と思いながら食べ始める。

ちょっと甘口で、肉は上等なんだろうがどうもしっくりこない。

やっぱり私にはチェーン店の牛丼の方が合うようだ。

セットには、オクラの胡麻和えや味噌汁、お新香に加えて、輪島箸がお土産についていた。

どうやら能登牛を使ったメニューにはもれなく箸が付いていて、その代わりその他のメニューに比べて割高に設定されている。

つまり、2500円の牛丼もこの輪島箸が値段を吊り上げているのだろう。

でも、それならそれで地域にわずかながらお金を落としたことになる。

せっかくなら、「のと里山空港」という金文字が入っていない方がよかったのに、と思いながら能登空港を後にした。

離陸を待つ飛行機の窓から、空港に隣接する自衛隊の駐屯地にたくさんの車両が集結しているのが見えた。

能登の復興にはまだまだ長い時間が必要だろう。

石破新総理が従来の日本の災害対策に批判の目を向けて、国が主導する形で抜本的に見直す考えを示している。

大いに期待したい。

震災発生から9ヶ月が経った能登の現実は、災害大国日本の問題点を目に見える形で示しているのだから。

和倉温泉「味な宿 宝仙閣」
住所:石川県七尾市和倉町ヨ19−2
電話:0767-62-1225
https://www.hosenkaku.jp/

<きちたび>能登の旅2024🇯🇵 元日の地震に加え9月の豪雨で「二重被災」した輪島を歩き感じた地震大国日本のお寒い現実

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