農作業が忙しくて、ブログの更新がおろそかになっている。

今励んでいるのは、桃の畑での野焼き。
何年も放置され、つる草が何重にも折り重なっていた斜面に草刈機で切り込み、不要な雑木も伐採して焼却炉で焼いているのだ。
私の妻は不思議なことにこうした作業が大好きで、剪定バサミを手に絡まったつる草を丁寧に切断して取り除く作業を嬉々としてやっている。
私はといえばそんな妻の様子を眺めながら、もっぱら焼却炉で焼く係である。

今日は一日中晴天に恵まれ、気温も上がってすっかり春の陽気だ。
全然休まずに黙々と作業する妻を尻目に、私はキャンプ用の椅子に座って日向ぼっこをしながら焼却炉に枝や枯れ草を押し込む。
風がこまめに方向を変えるのが、煙の動きを見ているとよくわかる。
2日間の作業の結果、桃の畑は見違えるほど綺麗になった。

ただ、チェーンソーの調子が途中から悪くなり、切りたい立木があったのだが、ちっとも切れないのでこれは刃を研ぐ必要があるのだろうと判断した。
ネットでチェーンソーの「目立て」の方法を調べると、万力などで固定してからヤスリをかける必要があるというので、古い万力があったのを思い出して、それにチェーンソーを固定してヤスリをかけてみた。
ちゃんと研げているのか、それとも逆に刃をダメにしているのか正直自信はないが、とりあえず自分で「目立ち」という作業を行ってみた。
まあ、このチェーンソーを買ってからもう10年以上経つはずで、その間一度もちゃんとしたメインテナンスをしていないのだから、切れなくなるのも仕方がないだろう。
もしもこれで直らなければ、専門業者に相談して、プロに目立ちをしてもらうか新しい刃を買うことになるかもしれない。

そんな農作業の合間を縫って、昨夜、岡山市内の映画館に行ってきた。
近頃では本当に映画館に行く機会が減っていて、岡山の映画館に行くのは、高校時代以来かもしれない。
車で訪れたのは「TOHOシネマズ 岡南」。
我が家からは片道30−40分の距離である。

唐突に映画館に行こうと思ったのは、先日発表されたアカデミー賞で、2本の日本映画がW受賞したニュースを見たからだ。
1本は、宮崎駿監督が7年の歳月をかけて完成させた『君たちはどう生きるか』。
宮崎監督はこの作品で『千と千尋の神隠し』に続き再び長編アニメ映画賞を受賞、2度目のオスカーを手にすることになった。
この作品が今週、18時40分から1日1回だけTOHOシネマズで上映されることを知った。

もう一つのアカデミー賞受賞作品は、山崎貴監督の『ゴジラ -1.0』。
こちらはアジアの映画として初の視覚効果賞を受賞した。
山崎監督は『続・三丁目の夕日』でも冒頭にゴジラが登場するシーンをあえて入れるほどのゴジラファンであり、そんなゴジラ愛あふれる日本のVFXがアメリカでも評価されたのだ。
嬉しいことに、『ゴジラ -1.0』の上映時間はちょうどジブリ作品が終わった直後。
図らずも、何十年ぶりかに映画館で2本立て映画を観ることとなった。

岡山のTOHOシネマズは、市の中心部から南に離れた商業ビルの中にあった。
なかなか立派な施設で、10のスクリーンがあり、1日に28の映画が上映されている。
ジブリ作品が上映された5番スクリーンは座席の前後の間隔がすごくゆったりと作られていて、今時の映画館は他のお客さんに気を使うことなく中央の席に座れるのだと感心した。
ただ、映画の内容自体は、個人的にはそれほど面白くはなかった。
まあ、賞を獲る映画と面白い映画は別というのは昔からよくあることではある。

簡単に感想を記しておこう。
まずは宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』。
ジブリ映画としてはかなり哲学的な物語で、「千と千尋」などと比べると地味な作品というのが第一印象だ。
決して物語として面白いというような映画ではない。
おそらくは、戦前に出版された同名の児童文学書を読まなければ、理解できない部分もあるのだろう。

同名の小説とは、1937年に出版された吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』。
この作品は、軍国主義に覆われる1930年代に、少年少女に自由で進歩的な文化を伝えるために企画された「日本少国民文庫」のうちの1冊で、戦後も広く読み継がれる名著である。
2017年には、この小説を漫画化した羽賀翔一さんの『漫画 君たちはどう生きるか』がベストセラーとなり、累計発行部数は200万部を突破した。
宮崎駿監督は、この名著を下敷きとして独自のファンタジーを作り上げた。

2013年に映画『風立ちぬ』を公開した後、「長編映画から引退する」と公言していた宮崎監督がこの小説の何に触発されて再び長編を作ろうと決意したのかはにわかにはわからない。
ジブリスタジオの鈴木敏夫プロデューサーは、この作品について次のように語っている。
「公開中は言わないようにしていたが、内容が、ある種、旧約聖書の最後の黙示録。宮崎駿の黙示録だと思ったんです。それがアメリカの人には受け入れやすかったんじゃないかな」
「僕たちが若い頃、1960年代は、アメリカで聖書を基にした大作映画がたくさん作られた。『十戒』『ベン・ハー』『天地創造』と、超大作は聖書を基にしている。宮崎さんも、そういうものから影響を受けているんじゃないか。今回は特にアメリカの影響を色濃く受けた作品と僕は思っています」
なるほど、宮崎駿の黙示録。
そう容易く理解できるはずもない。
ただ、アメリカでは宮崎作品の中でこの映画が一番のヒットだと聞く。
日本とは違って、アメリカの人たちがようやく宮崎駿の映画を認識するようになったため、今回のアカデミー賞受賞となっただけかもしれない。
しかしいずれにせよ、この映画が宮崎駿監督の最後のメッセージだとすると、よくわからないで済ませるのではなく、もう少し理解する努力をする価値があるのかもしれない。

ポイントとなるのは、主人公・眞人の大叔父が作り上げた「下の世界」。
大叔父は悪意のある石でできた積み木を積んで、この世界のバランスを取る役割を担っている。
そしてその役割を自分の子孫である眞人に継いで欲しいと望むのだ。
現実世界と「下の世界」の関係は?
石たちの存在は何を意味するのか?
全てが暗示的であり、哲学的だ。
この映画の冒頭が戦争中の空襲と思われるシーンから始まることから推察すると、悪意のある石とは人間の欲望や権力欲であり、大叔父はそのバランスを取ることによって穏やかな世界を作ろうとしたとも考えられる。
しかし、主人公はその世界の後継者となることを拒み、「下の世界」は崩壊する。
若い世代に未来を託そうとする宮崎監督のメッセージなのか?
聖書が2000年読み続けられるように、この映画のメッセージも多くの「問い」を後世に残した。

一方、『ゴジラ -1.0』の方はそうした難しさは皆無だ。
視覚効果賞を受賞した作品だけあって、見どころはハリウッド映画に比べてずっと安価な製作費で作られたにもかかわらず、日本のVFXがついに世界で認められたという点に尽きる。
ゴジラといえば、一斉を風靡した日本の特撮技術の頂点。
しかし、コンピューターの登場で映像技術が格段に進化する中で、ハリウッドの映像表現がスケールとクオリティーをどんどん向上させる一方で、低予算で作られる日本の特撮映画はどうしても見劣りするようになる。
そういう点を考えれば、今回の受賞はまさに快挙と言っていい。

小型船がゴジラに追われるシーン。
視覚効果の点で特に評価が高かった1つが、ゴジラが海をかき分ける波の表現だった。
水の動きをコンピューターで計算し、数千の水滴の動きを映像で再現したという。
こうしたVFXは、山崎監督率いる映像制作会社「白組」のわずか30人ほどのスタッフによって作られた。
ハリウッドで作られた「アバター」の最新作には、実に1000人ものクリエーターが参加したと言われるが、映像のクオリティーでは遜色がなかった。

さらに山崎監督は、1954年に公開された初代の「ゴジラ」へのリスペクトが随所に盛り込んでいる。
ゴジラが最初に登場する「大戸島」。
ゴジラの登場シーンに流れる曲。
銀座でゴジラに遭遇し逃げ惑う人々。
そしてエンディングのテーマ曲。
「ゴジラ生誕70周年記念作品」として制作されたこの映画には、文字通りゴジラ愛が溢れていた。

ただ、ストーリー的には、庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」の方が面白かった。
庵野作品は、もしも今の日本にゴジラが上陸したら、政府はどのような対策を取りうるのかをシミュレーションし、どちらかといえばドキュメンタリーのような作風に仕上がっていた。
それに対して山崎作品は、あくまでVFXの仕上がりに重きを置いていて、ストーリー的には特攻任務から逃げたパイロットが自責の念と闘いながらゴジラに特攻攻撃を仕掛けるという単純な物語で、主役の神木隆之介と浜辺美波という組み合わせも、NHKの朝ドラ「らんまん」の方が魅力的だった。
山崎監督自ら、脚本もVFXも担当しているので、まずは映像ありきで物語を構成していったのだろう。

とはいえ、コンピューターをフル活用するハリウッドに対して、手書きアニメの宮崎監督と少数精鋭の山崎監督がアカデミー賞を獲得した意義は非常に大きい。
人間が考え、悩み、工夫して、限られた予算内で作り上げるエンターテインメント。
どんなに時代が変わっても、そうした人間から生まれるオリジナリティが尊重される社会であってほしいと思いながら、映画館からの帰路、深夜の国道を走って家に戻った。