🇨🇳中国/南京 2017年5月4日〜7日
中国の南京へ旅行するなら、私のオススメは「明孝陵」。明の太祖洪武帝朱元璋と妻の巨大なお墓です。「明・清王朝の皇帝墓群」の一つとして、世界遺産に登録されています。
朱元璋が眠る地下宮殿「玄宮」は未だに未発掘、広大な山林の中に築かれた皇帝の墓は、訪れる者の想像力をかきたてます。
徒歩で明孝陵へ
モンゴル人の帝国・元を滅ぼし漢民族の王朝を復活させた明。
その統一王朝を開いた初代皇帝・朱元璋が眠る巨大なお墓「明孝陵」は、南京郊外の紫金山にあります。
私は、南京博物院を見学した後、そこから徒歩で訪れました。

途中、緑に覆い隠された南京城壁を発見しました。
ここは南京を取り囲む周囲34キロの城壁の東の端に位置します。この辺りは観光地化されていないので、偶然見つけた時はちょっと感動しました。
そこから先は歩道がなくなったため、車道の端を歩いて地下鉄2号線の「苜蓿园」駅を目指します。

この地鉄駅近くに蒸気機関車の形をした「観光車」の発着所があります。
この乗り物について私はよく理解できていないので正確な情報を書くことはできませんが、地鉄駅「苜蓿园」から出発する観光車1号線は、四方城、美齢宮、海底世界、中山陵西駅を経て、終点の明孝陵まで行くようです。
途中下車が可能で、終点の明孝陵まで乗り降りが自由にできるのではないかと思います。
料金は、片道10元です。

このほか、旅游専線バスという普通の路線バスも観光カートと同じルートを走っているようです。
「地球の歩き方」によるとこのバスは明孝陵まで2元で運んでくれるらしいのですが、このバスがいつどこから出発するのか、私には結局わかりませんでした。

よく理解できないまま、明孝陵へ行くチケットを買おうと「售票处」に行きました。售票处とはチケット売り場のことです。
Google翻訳というアプリを使って、「明孝陵に行きたい」と打ち込み中国語に翻訳してみました。どの程度正確に翻訳してくれているのか私にはわかりません。
10元と引き換えに観光カートのチケットをもらえると思っていたのですが、窓口の女性は予想外の行動をとったのです。
ジェスチャーである方向を指差しながら、「walk」「near」と断片的な英語の単語を発します。どうも明孝陵の入口が近くにあり、乗り物に乗る必要がないと言っているようです。
半信半疑ながらも、チケットを売ってくれないので仕方なく、言われた方向に歩いてみることにしました。

5分か10分ほど歩くと確かにゲートがありました。

観光用の地図を見て初めて自分がいる場所を理解できました。
私がいるのは明孝陵の3号門というゲートでした。明孝陵は広大でいくつもの出入口があり、3号門は陵墓から最も離れた入口です。
観光カートに乗ると、陵墓のすぐ近くの5号門まで車で行けるので、ほとんど歩かなくてもいいというわけです。ただ、一生に一度限りのお墓参りという観点から考えると、乗り物に乗ってショートカットするのではなく、正規のルートをたどってゆっくりと上がってみるのも悪くありません。
結局思案の末、私は3号門から入り歩いて陵墓を目指すことにしました。
明孝陵神道
入場料は75元。この金額はほかの門から入っても同じだそうです。

門を入ると、左右に池が広がっていました。
「梅花湖」という名前のようです。

5月は南京も新緑の季節。
ゆっくり散歩するのも悪くないかもしれない。

遊歩道が整備され、案内板も要所要所にあります。
「明孝陵神道」という案内をたどって行けば、道に迷うことはなさそうです。

参道の左右には、梅の木が植えられています。
ここは「梅花谷」という名前がつけられた梅のお庭です。

よく見ると小さな梅の実がいっぱいなっている。
明孝陵の広大な庭はどうやら梅の木が主役のようです。
石象路神道
しばらく登っていくと道が分岐する場所に出ました。
明孝陵神道と垂直に一本の横道が伸びていて、「石象路神道」と書かれた金色の案内板が置かれています。
案内板には、ありがたいことに日本語の説明もありました。

この石象路神道こそ、明孝陵を訪れる観光客に一番人気がある場所でした。
そこには、石でできた動物たちの像が並んでいます。

最初は、向き合って立つ2頭の馬。
足の短い寸胴の馬です。明の時代、馬は謁見儀式で皇帝護衛隊の一部をなしたそうです。

2番目に登場するのは、座った馬の石像です。

3番目は、立った「麒麟」。
麒麟は古代の人々の想像の動物で、虎、獅子、牛、龍が一体化しためでたい獣です。皇帝の陵にだけ置くことができる皇帝専用品だと説明が書いてありました。

4番目は、座った麒麟。
ちょっと間抜けな顔がかわいくないですか?
ゆるキャラと記念撮影

そして5番目は、立った象。
ひときわ大きく、丸く、愛らしい。

みんな象に触り、記念写真を撮っています。
漢の時代から、皇帝の陵の神道には象が置かれていたのだと書いてありました。

そして6番目は、座った象。向かい合った象は素敵な門に見えます。

7番目は、立った駱駝。ちょうどカメラマンによる写真撮影が行われています。
陵墓の前にラクダを置いたのは明孝陵が初めてで、「西域が安定し、国家が繁栄していることを示している」と解説されていました。

8番目は、座った駱駝。
足のところにみんなが座って記念撮影をするため、そこだけツルツルになっていました。

9番目。犬かなと思ったが「獬豸(かいち)」という伝説の中の神獣でした。
熊のような目をして、頭に一本の角を持つ。人が争った場合、正しくない方をその角でつくと考えられていたと言います。
「正直で人に迎合しない」という意味があるそうです。

10番目は、座った獬豸。
狛犬も元は獬豸だったのでしょうか?

11番目に登場するのは、立った獅子。
獅子は中国でも百獣の王と尊称され、仏教の中で霊獣として尊ばれています。「帝王の無上の威厳と勢力の強大さを表す」と書かれていました。
ただ、この獅子の顔・・・

間抜けです。あまり強そうじゃないですね。
石道路神道の石像たちはどれも表情がゆるキャラ的で、権威というよりもカワイイという表現がぴったりときます。
そういう意味では、現代社会にはマッチしているかもしれません。

そして12番目。石像の最後を飾るのが獅子の坐像です。

こちらの獅子は、一段と目がつぶらです。
これで12対の石像が並ぶ素敵な「石象路神道」は終わります。
正式には、獅子から始まり馬で終わるのが正しい順路だと書いてありました。

「石象路神道」の全長は615メートル。
5月ということで石像は新緑に覆われていましたが、この神道が一番美しいのは秋だということです。頭上を覆う一面の紅葉。「南京で最も美しい600メートル」と呼ばれます。見てみたいですね。
ただ、こうして紹介してきましたが、実は人が写り込まない「静かな写真」を撮るのは結構大変でした。

どの石像にも人が群がり、時にはこうして石像にまたがり記念撮影をする、これが中国人の楽しみ方なのです。
日本でも中国人観光客のマナーが度々問題になります。
ただ、本国の観光地を見れば、これが単なる「旅の恥はかき捨て」ということではなく、いつでもどこでも彼らはそういう行動をとっていることがわかります。それが彼らにとっての「当たり前」なのでしょう。
翁仲路神道
さて、石象路神道を引き返して、明孝陵への道に戻る。

2本の大きな石柱が立っていました。「望柱」と呼ばれ、柱の表面には雲龍の文様が刻まれています。
全長250メートル。
ここから先を「翁仲路神道」というようです。

望柱の先には、2体の武官。

さらには、2体の文官像が並びます。
これらの武官、文官は、「陵墓の護衛者であり忠実な見守り者である」と書かれていました。
ただ、石獣たちに比べると明らかに人気がありません。

「翁仲路神道」を抜けてしばらく歩くと広場に出ます。そこに「明孝陵」と書かれた石碑が立っていました。
「全国重要文物保護単位」というのは、国家的な文化遺産として認定されたことを意味します。
中国全土で4296の文物が認定されていますが、明孝陵は1961年にこの制度ができて最初に選ばれた一つです。つまり中国でも最重要な文化遺産と言えます。
ここまでかなり歩きました。3号門を入ってすでに1時間近くが経っていました。
落書きをするな
明孝陵の入り口には、「金水橋」という橋が架かっています。

真ん中の橋は色鮮やかな花で覆われ、人が渡ることはできません。

参道の奥に朱色の建物が見えます。「あれが本殿か」と思うとちょっと感慨深い感じです。
しかし、そうではありませんでした。

橋を渡ったところにある地図を見ると、見えているのは明孝陵の最初の門にすぎないことがわかりました。
本殿は、そのずっと奥です。

石畳をまっすぐ進みます。
最初の門、「文武方門」です。

文武方門の前に一つの石碑が立っていました。
1909年に明孝陵を保護する目的で出された「特別告示」が刻まれています。

石碑には、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語と並んで日本語が刻まれていて、要するに、外国人たちに「落書きをするな」と伝える内容が書かれているということです。
1909年といえば、清朝末期。列強が中国を半植民地化していた時期です。
日本は日清・日露の戦争に勝利し、遅ればせながら中国での権益確保を進めていました。そしてこうした状況に抵抗する孫文らのグループが、南京に中華民国政府を樹立したのが1912年。この石碑が建てられた3年後のことです。
外国人が中国の史跡を観光するようになり、中には落書きをする者がいたようです。今では中国人に対して各国が落書きを注意するようになりましたが、当時はまだ中国の方が文明国、文化を大切にする国だったということなのでしょう。
碑殿の亀

文武方門をくぐると、次の建物が見えました。
これは「碑殿」と呼ばれています。
清朝最盛期の皇帝、康熙帝が1699年視察した際に、建物が荒廃しているのをみて修復を命じた際に建てられました。

碑殿には、「治隆唐宋」と書かれた金文字が掲げられていました。
これは康熙帝が自ら書いたものだと伝えられています。

文字の下に亀がいます。
この亀が何を意味しているのかの説明書きは見当たりませんが、勝手に推測するに、中国では古来、亀は長寿・不死のシンボルでした。「礼記」にも、霊妙な4種の瑞獣=四霊の中に亀(霊亀)が登場します。
要するに、縁起がいい生き物なのでしょう。

壁の反対側に回ると、亀のお尻が作られていました。
昔の中国人は、なかなかユーモア(?)があったようです。

そうした先人たちの想いをよそに、現代の中国人たちにとっては、この亀は格好の記念撮影スポットです。入れ替わり立ち替わり亀の頭にまたがり、得意のポーズを決めます。
康熙帝はどんな思いで、子孫たちの振る舞いを見ているのでしょう。
孝陵殿の土産物屋
碑殿を抜けると、「孝陵殿」が見えてきます。

明の開祖、朱元璋とその皇后の位牌を祀る為の重要な建物です。
魔除けの神獣が、周囲を守っていました。

とは言っても、1383年に建てられた元の巨大な木造建築は、清の時代に戦争で破壊され、今は見ることができません。

今は跡地に「享殿」と呼ばれる小さな建物が建てられているだけ。
それでも、享殿の周囲には大きな柱を支えた礎石がいくつも残っているので、元あった建物の大きさは想像することができます。

それにしても、もともと明孝陵の中でも重要な建物だった場所を、わざわざ土産物屋として使う神経はいかがなものかと思います。
まあ、日本の寺社仏閣でも本殿で露骨に土産物を売っているところもあるので、中国だけを責めることはできませんが、個人的にはやめてもらいたい気持ちでした。

享殿の真北に位置する門は「内紅門」。「陰陽門」とも呼ばれます。
この門により、陵宮は2つのエリアに区分されているそうです。
この門までが「拝謁の地」で、この先が「宮殿」となります。

「2006年の修復工事で、赤門と瑠璃瓦の屋根が当時のままに蘇った」と書かれていました。
そして、内紅門を抜け、明孝陵の「宮殿」部分に足を踏み入れます。

ひときわ大きな建物が目に飛び込んできます。
これこそが、「方城」と呼ばれる明孝陵の中核となる巨大建造物でした。

方城に行くには、「昇仙橋」という幅26.6メートル、長さ57.5メートルの石橋を渡ります。
朱元璋の棺がこの橋を渡って埋葬されたことから、この名がつけられたと記されています。
欄干には一つ一つ龍の彫り物が施されていました。

方城の石垣の上には「明楼」と呼ばれる建物がそびえ、「孝陵」と書かれた青い額が掲げられています。

2008年に修復を終えたばかりの明陵は色鮮やかで、周囲の新緑に映えます。
これぞ中国という迫力ある景観です。

方城には、石垣に開いた入り口から内部に入ることができます。

暗い石段を登っていくと、出口の先に待っているのは・・・
山に眠る皇帝
暗い石段を登った先にあったのは、「明太祖之墓」と書かれた石垣でした。

ここが朱元璋、のちに明初代皇帝・洪武帝の墓です。
正確に言えば、この石垣そのものではなく、石垣から先の山全体がお墓ということになるのだと理解しました。

人が死んで山に帰るというのは、私もとても自然だと思います。
墓石ではなく、山や海といった故人が愛した土地に眠り、その自然全体から故人を感じるという考え方は素晴らしいと私は常々思っているので、皇帝の巨大墓にも親近感を覚えました。

石垣の左右から明楼に上がるスロープがあります。

縞模様に積まれた石畳は、装飾的にもとても美しいスロープです。
この坂を登って行くと・・・

明楼を取り囲むテラスのような場所に出ました。

ここまで歩いてきた方向を見ると、深い森に抱かれまっすぐに伸びる参道の様子を上から見下ろすことができます。
皇帝のための巨大な建造物が、広大な森の中でとてもちっぽけに見えました。

でも、靄に包まれた緑の中にポツンと瑠璃色の屋根が見える光景は、なかなか味わい深いものでもあります。
壮大な墓参り
明楼の内部は、予想外にガランとしていました。

床は焼き煉瓦で敷き詰められ、天井の色は修復によって鮮やかに蘇っています。
南の方向には3つの門がありますが、東西と聖櫃の埋葬されている山のある北側の門はそれぞれ1つずつです。

ここからはあくまで私の想像ですが、「宮殿」に入ることが許される親族や高官など限られた人たちは南側の3つの門から明楼に入り、さらに限られた近い人たちだけが北側の門を通って、皇帝が眠る山を拝むことができたのではないでしょうか。
それにしても、壮大な墓参りです。

北側のテラスに立つと、眼前いっぱいに山が広がります。
ここで亡き皇帝を偲ぶ儀式が行われたのだろうと勝手に想像しました。
こうして3号門を入ってから2時間。異民族国家・元を滅ぼし漢民族の王朝を復活させた朱元璋の墓参りを終えました。
75元の入場料に見合う大変見応えのある陵墓です。

帰り道、道端に忘れられたように立つ小さな石碑を見つけました。
「世界遺産」と書かれています。
そう明孝陵は2003年、世界遺産「明・清王朝の皇帝墓群」に登録されたのです。長い歴史を有する古都・南京ですが、世界遺産に認定されているのは意外にもこの明孝陵だけなのです。

明孝陵、「地球の歩き方」のオススメ度は2つ星、私のオススメ度は文句なく3つ星です。
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