<吉祥寺残日録>シニアのテレビ📺 必見!NHK-BS新番組「フロンティア 日本人とは何者なのか」 #240110

去年12月、NHKが行ったチャンネルの再編でBS放送が1チャンネルに統合された。

その際、新たにスタートした番組がいくつかある。

『フロンティア その先に見える世界』

水曜日に放送されるこのシリーズもそうした新番組の一つである。

科学、宇宙、文化、歴史、芸術、ファッションなど 様々な分野でフロンティアを切り拓く“開拓者(フロントランナー)”たち 。 未踏の知の最前線、そこではどんな景色が見えるのか? 4Kスーパーハイビジョンによるダイナミックな映像で、あなたの世界観をガラリと変える 「至高の視聴体験」をお届けする。

引用:NHK

この番組は、NHKが相当力を入れて作っているらしく内容が濃くて、選ぶテーマもなかなか興味深い。

記念すべき初回のテーマに選んだのが、日本人の起源という私の興味のど真ん中だった。

12月6日放送『日本人とは何者なのか』。

“最先端を切りひらく者にしか見えない景色がある”。科学、宇宙、歴史、アートなど…最先端の驚きの新世界を、ディープにお伝えする新感覚の知的探求ドキュメンタリー。 今、日本人のルーツに関する常識が覆ろうとしている。カギを握るのは、「古代DNA解析」。数万年前の骨から大量の情報を読み出す驚きの技術だ。浮かび上がってきたのは“最初の日本人”の意外な姿。アフリカから最初に東アジアにやってきた人類との密接なつながり。世界にも類を見ない文化の誕生。そして、今の日本人のDNAを決定づける “謎の集団”との混血の証拠。最先端の科学技術によって、私たち日本人の祖先観が覆る。

引用:NHK

番組の冒頭はタイ南部に暮らす少数民族から始まる。

森の民「マニ族」。

マレー半島の山岳地帯奥深くで昔ながらの狩猟採集生活を送る彼らは、アフリカから出た人類の祖先のうちインド亜大陸から東南アジアに入ったグループ「ホアビニアン」の文化の継承者と考えられている。

ホアビニアンは2万数千年〜4千年前に東南アジアで暮らしていたものの、その後北方から侵入した農耕民のグループによって淘汰され、古い系統のDNAはほぼ消失してしまったとされる。

2018年、8000年前の遺跡から出てきたホアビニアンのDNA解読に初めて成功した。

そのゲノム情報を現在までに解読されている様々なDNAと比較して類似点の多い順にランキングしていくと、東南アジアの古人骨が上位を独占する中で、唯一縄文人のゲノムが4位に入ったのだ。

すなわち、縄文人がホアビニアンとダイレクトにつながった人たちだったことが古代DNA解析から明らかになったのである。

東京大学で分子人類進化学の研究をしている太田博樹教授は、今回の解析結果から縄文人のルーツについて次のように考えている。

『ホモ・サピエンスが誕生したのはアフリカ、20万年前から30万年前ぐらいと考えられています。これが6万年ぐらい前、古くても7万年ぐらい前にアフリカから現在の西アジアの辺に出てきた。出てきたホモ・サピエンスは、ユーラシア大陸の西側つまりヨーロッパの方に行った人たちと、東側に向かったグループに分かれると考えられます。東側に向かったグループは、おそらく二手に分かれただろうと考えられていて、一方は北のルート、もう一方は南のルートです。インドを通って、現在の東南アジアに4〜5万年前までに辿り着いた人たちがいた。東南アジアにたどりついた後、北上した。おそらく海岸べりを北上したと考えられるんですけども、その中の一つが縄文人の祖先にあたる人たちで、これが日本列島にたどり着いたんだろうと思われます。マレー半島から日本列島まで交雑した痕跡は見つかっていない。つまり縄文人の祖先が、東ユーラシア大陸で最も早くに東南アジアから北上した人たちだった可能性は高い。おそらく誰もいないところに行ったんだと思うんです。3万年ぐらい前までには日本列島にたどり着いた人々が直接縄文人の祖先だろうと想像されています。非常にフロンティア精神が高い人たちだったんじゃないかなと思います。縄文人の祖先たちはね。獲物を追うとか猟をする場所を獲得するとか生きていくために前に進まなければならない理由があったんだろうと思うんですよ。フロンティアの本質はそこじゃないかと思うんですよ。そこに行かないともしかしたら明日はないかもしれないと思うようなことが本当はフロンティアなのかもしれないという気が僕はして、そういう意味では縄文人の祖先の人たちというのは本当にフロンティア精神が旺盛だったんじゃないかなという風に確信します。』

日本列島にたどり着いた人類の子孫たちは、1万6000年前から3000年前まで縄文文化を築いていく。

現代の日本人が持つDNAを解析すると、東アジアの他の民族のDNAとは明らかに異なることがわかった。

その違いを生んでいる要因こそが、縄文人から受け継いだDNAである。

現代の我々と比較した縄文人の特徴は筋肉のつき方、縄文時代の人たちはお尻から足の筋肉がものすごく発達していて、足腰がめちゃくちゃ強かったはずだという。

やはり、私が思っていた通り、岩手出身の大谷翔平には蝦夷(えみし)、すなわち縄文人の子孫の血が一般の日本人よりも多く流れているんじゃないかと改めて思った。

金沢大学で考古分子生物学の研究をする覚張隆史助教は、日本列島の縄文時代の遺跡から出土する人骨の全DNA配列、ゲノム情報から縄文人の「初期集団」が日本列島にどれだけの人数で入ってきたかを解析した。

その結果、最初は1000人ほどの集団だったことがわかってきたという。

このわずか1000人の縄文人のDNAが現代の日本人にも受け継がれているのだ。

その比率は、アイヌの人たちで7割、沖縄の人たちが3割、東京の人で1割なのだそうだ。

2016年、鹿児島県の徳之島である大発見があった。

「ウンブキ」と呼ばれる浅間湾屋洞窟。

海まで続く長さ700メートル近い水中洞窟を潜っていくと、第一ホールと呼ばれる奥行き約80メートルほどの場所がある。

この洞窟の深部に無数の土器が散らばっていて、鑑定の結果約9000年前、縄文時代に相当する遺跡だと確認されたのだ。

およそ2万年前の氷河期には、北海道は大陸とつながり、対馬海峡や津軽海峡も今よりずっと幅が狭かった。

当時はウンブキ洞窟も陸上にあり、縄文人たちがこの洞窟で暮らしていたと考えられる。

徐々に氷期が終わり海水面が100メートル以上上昇することで、洞窟が水中に沈んだだけでなく日本列島は大陸と切り離され、DNAの交流がシャットダウンされたのだ。

この頃、世界の各地で文明が起こり人の交流が活発化したが、日本列島が孤立していたことで、東南アジアでも消滅したホアビニアンのDNAが、日本列島だけで1万年続いた縄文文化の中に残ったというわけである。

縄文人は顔も復元された。

北海道礼文島の縄文遺跡から発掘された「船泊23号」と呼ばれる人骨をもとに、2019年精密なDNA分析によって年齢40歳くらいの女性の顔が蘇った。

肌の色が濃く、髪は縮れていて、目の色は茶色。

さらに血液型はA型でお酒に強いこともDNAの分析からわかっている。

「船泊23号」が生きていた3800年前も現代のように温暖な気候だったらしく、遺跡の調査から縄文人はウニやホッケなどの魚のほかにアザラシやオットセイも食べていたことが明らかになったそうだ。

また遺跡からは新潟の糸魚川産と見られるヒスイも見つかっていて、縄文人の交易が広範囲で行われていたことを物語っている。

と、ここまでは最近ブームとなっている縄文人について詳しく番組では紹介してきたが、私が本当に興味を持ったのはここから。

この縄文人の後から日本列島にやってきた現代日本人の本当の祖先たちの正体である。

鳥取県の青谷上寺地遺跡は今注目の弥生時代の遺跡である。

ここからは少なくとも109体以上の人の骨が保存状態よく発見されていて、鉄製の武器で傷つけられたものや男性の腰骨に銅製の矢じりが突き刺さっているものが見つかったりしている。

DNAの分析から、この遺跡にいろんな地域から人々が集まってきたことがわかってきた。

縄文人の子孫と渡来人の子孫たちの混血が進み、広範囲に人や物、情報が動いている時代で、そうした中から争いの火種も出てきたようだ。

国立科学博物館の篠田謙一館長は言う。

『日本人、今の私たちって、どうやってできたんだろうと考えた時の定説が「二重構造説」という考え方です。もともと縄文人という人たちが日本列島の中に住んでいて、弥生時代の初期になって稲作と金属器を持った人たちが大陸から入ってくる。この人たちは稲作を日本列島の中に広げながら縄文人と混血していって、その中で今の私たちが誕生してくるんだと』

しかし最近、この定説を覆す証拠が見つかったという。

弥生人のDNAを調べると縄文人のDNAと渡来人のDNAの二重構造になっているが、現代の日本人のDNAはそれらのDNAは少量で第3のDNAがメインの構造になっていることが解析によりわかったのだ。

金沢大学の覚張助教は。

『これまで日本人の起源というのは、縄文時代のこれまで日本列島にいた人たち、弥生時代に渡来してきた渡来人との混血で2つの遺伝的な特徴で説明できると考えられていたんですけれども、それだけで説明できないような謎の遺伝的な特徴、起源というものが見えてきました。』

覚張助教は、金沢市岩出町で見つかった古墳時代の終末期に掘られた墓から見つかった当時の庶民の骨に注目した。

2021年、縄文時代の人骨9個体、弥生時代の人骨2個体に加えて、古墳時代の人骨3個体をDNA解析し、3つの時代の人骨のゲノム変化がどのように進んでいったのか検証した。

すると、弥生時代までは見られない現代日本人が多く持つ第3のDNAが古墳時代の人骨から見つかったのだ。

『解析結果を見て驚きました。ちょっと止まっちゃいました。これをどう解釈するのか。間違いじゃないかといろいろと試行錯誤、確認をしてきて、これは二重構造というものだけで説明するには限界があるということで、新しいモデルを考えなきゃいけない。古墳時代に現代日本人の特徴が形成されていったのではないかという「三重構造モデル」というものを提唱して、それが重要なんじゃないかと考えているという状況です。謎の「第3の遺伝的な特徴」が非常に大きい割合で入っている。ゲノムの特徴、比率で6割ほどになってくるので、割合からするとかなりの数じゃないかと考えています。特定の人たち、技術を持った人たちが来て、そのまま帰ってしまうみたいな話ではなくて、一般の人たちも来て日本列島の現地の人たちと融合していった、規模としてはかなりの大きさだったんじゃないかなと考えています』

定説を覆す大発見。

しかし私からすると、まさに考えていた通りの仮説がDNA分析によって証明されたに過ぎない。

では第3のDNAはどこから来たのか?

弥生時代に渡来した人たちのルーツは朝鮮半島北部から中央アジアに至る北東アジアだった。

それに対して、古墳時代に日本列島に大量に来た人たちのDNAを調べると、中国大陸を中心に朝鮮から東南アジア北部を含む東アジアにルーツを持つ別のグループだとわかった。

『これは非常に広い地域の大陸集団と遺伝的に類似しているので、さまざまな地域の集団が古墳時代に日本列島に入ってきて混血したんじゃないか。それがそれぞれ融合して後世の人につながっていく』

研究者たちは、古墳時代に起きた大きな人の流れについて、慎重に言葉を選んでいるように感じた。

もちろん番組も歴史的な解釈には踏み込まず、あくまで最新研究の成果として当たり障りのない結論で終わる。

古墳時代は、天皇のルーツに関わるため研究者たちが迂闊に触ることのできないデリケートなテーマなのだと感じる。

それでも、国立科学博物館の篠田謙一館長は次のように締め括った。

『現代日本人というのは、弥生時代から始まった大きな人の流れがもう少し長い間、(古墳時代まで)1000年、1500年と続くことによって今の私たちが持っている遺伝子が完成してきたんだろうと考えるようになっています。私がたとえばこの後、研究費をもらって自分で好きな研究をしなさいって言われたら、やるのは古墳時代だと思います。やっぱりそこが日本の形ができるときなので、古墳時代に何が起こったのか、すごく興味がありますね。日本人の今の幅に比べれば、はるかに大きな多様性があったわけなんですね。それが中世ぐらいまできっと続いていたはずです。それを考えると、日本列島の中を見ていって、姿形だけではなくて文化も違えば言葉も違う人たちがいる世界がずっと続いていたんだろうという風に思います。それまで単純に考えてきた日本人の成り立ちをもっと細かく見ていって、複雑なもので多様性の高いものと考えていくのが重要なのかなと私は思います』

まさに、保守政治家が好む「日本単一民族説」をぶっ壊すような最新研究。

「古事記」「日本書紀」の神話や宮内庁の壁に阻まれて一向に調査が進まない巨大古墳に最新のDNA分析の手法が及べば、きっと天皇のルーツやヤマト王権成立の状況など古代史の謎が次々に明らかになることだろう。

たとえ天皇家が大陸から渡来した人たちだったとしても、ほとんどの日本人は同じグループの子孫なのだから、今さら排斥運動が起きたりはしまい。

それよりも日本人のルーツが科学的に解明されれば、朝鮮半島や中国に対する根拠のない差別意識や排他主義から脱する糸口になるのではないかと私は考える。

今後、日本人が持つ第3のDNAをもっと詳細に解明し、戦乱の中国からどの部族が日本列島にやってきたのかぜひ突き止めてもらいたい。

私が生きている間に、秘密のベールに包まれてきた古代史の謎が科学の力で明らかにすることを望みたい。

それにしてもNHKの新番組「フロンティア」、なかなか見応えのある取材をしてくれたものだ。

これからも期待してシリーズを拝見したいと思っている。

<吉祥寺残日録>日韓対立の中、最新の「渡来人」研究が明らかにする両民族のルーツ #220731

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