🇵🇦 パナマ/パナマシティ 2024年2月4日
カリブ海の島々に行く安いルートを探していて、たまたまパナマ経由のコパ航空を見つけた今回パナマに来た理由だった。
しかしパナマに行くならばやはり運河が見たいと思う。
特に最近目にした記事で、パナマ運河の周辺で降水量が大きく落ち込み、水量の低下のために運河を通行する船舶の数を制限していると聞いたので、自分の目で現場を見てみたいと思ったのだ。

以前のブログでも書いたが、私がパナマ運河の観光スポット「ミラフローレス・ビジターセンター」を訪れたのが日曜の午後だったせいもあり、観覧席は押すな押すなの大混雑だった。
太平洋とカリブ海を繋ぐパナマ運河は、現在フーシ派の攻撃により緊張が高まっているスエズ運河と並んで、世界の物流を支える大動脈だから、ここには世界中から観光客が訪れる。

正直そこまで面白い光景だとは思わないが、パナマに来たら反射的に運河に来るのは仕方がないだろう。
パナマといえば運河、それしか頭に浮かばないからだよ

パナマ運河の開通は、ちょうど第一次世界大戦が始まった1914年のこと。
最初はスエズ運河を作ったフランス人のレセップスの手で着手したものの、熱帯雨林での難工事はマラリアも蔓延して中断を余儀なくされる。
これを引き継いだのがアメリカで、開通後も長くアメリカが運河の管理を独占した。

パナマ運河の開通で最も利益を得たのは紛れもなくアメリカであり、東海岸の港と西海岸の港の行き来が格段に容易になり、物資の輸送だけでなく、軍事面でもアメリカに多大なるメリットを与えた。
もしもパナマ運河がなかったら、第二次大戦でドイツと日本を同時に相手にするのは難しかったとの分析も目にしたことがある。

ただ、最初にパナマの特殊な地形に着目したのはスペインだった。
カリブ海に進出したスペインは、パナマ地峡を通って初めて太平洋を「発見」した。
そして、その太平洋側の拠点として築いたのがパナマなのである。

スペインはこのパナマを拠点にペルーなどに進出し、インカの黄金文明を完膚なきまでに破壊し、ボリビアで発見された巨大な銀山と合わせ、南米大陸の財宝をパナマ経由で本国に送ったのである。
つまり、パナマの地形がこれほどくびれていなければ、世界の歴史は変わったかもしれないというほどパナマは世界史的に重要な場所だったのだ。

しかし繁栄を謳歌していたパナマの街は、1671年、イギリス人の海賊ヘンリー・モーガンによって跡形もなく破壊されてしまう。
海賊といってもヘンリー・モーガンはイギリス国王から「私掠免許」を与えられ、当時敵対関係にあったスペインの船や街を攻撃することは英雄的な行為と見なされていた。
まさに、「パイレーツ・オブ・カリビアン」で描かれるように国と海賊の関係も目まぐるしく変化するのである。

モーガンが破壊したかつてのパナマは再建されることなく、スペインは11キロ離れた現在のパナマシティの旧市街に新たな街を作ったのである。
旧市街の中央に建つカセドラルには、破壊された街から運んだ資材が多く使われているのだそうだ。
今回は訪れることができなかったが、モーガンに破壊されたパナマの遺跡は「パナマ・ビエホ」、新しく作り直した旧市街は「カスコ・ビエホ」と呼ばれ、共に世界遺産になっている。

19世紀前半、ナポレオンがスペインを占領すると、シモン・ボリーバルが率いる解放運動が南米で燃え上がり、パナマもコロンビアの影響力が強い「ヌエバグラナダ共和国」の一部としてスペインからの独立を果たす。
この新しい国家をいち早く承認し、パナマ地峡の通行権を確保したのがアメリカだった。
この頃、カリフォルニアでゴールドラッシュが始まり、パナマは東海岸とカリフォルニアを結ぶルートとして重要性を増していく。

当初は小舟で川を遡り、馬で山越えをしていたが、やがて鉄道が敷かれ、パナマを通過する人や物資はどんどん増えていった。
20世紀に入りセオドア・ルーズベルトが大統領に就任すると、軍事的な目的から中米での運河建設が動き出す。
当初、ニカラグアとパナマの2つのルートが検討されたが、フランス人技師レセップスが建設に着手し頓挫していたパナマ運河の権利を買い取る方針が決まる。
しかし、当時パナマ地峡の権利を持っていたコロンビアからの承認が得られなかったため、アメリカはパナマの独立を画策、1903年パナマはコロンビアからの独立を果たす。

ただ新たに制定されたパナマ憲法には、運河地域の幅16キロについては永久にアメリカが主権を有すると定められていて、独立以来1979年まで長きに渡ってパナマ運河はアメリカの支配下に置かれることとなった。
学生時代に私がパナマを訪れたのは確か1980年の1月だったはずなので、当時はそんなことには関心がなかったけれど、まさに悲願だった運河の主権をパナマが取り戻した直後だったということになる。

その後80年代のパナマはノリエガ将軍の独裁体制となり、急速に反米路線に舵を切る。
パナマ運河の通行にも不安を抱いたアメリカは、ノリエガ政権がキューバやリビアと接近し、コロンビアの麻薬カルテルとも癒着しているとの理由で1989年「パナマ侵攻」に踏み切り、武力でノリエガ大統領を排除することになる。
アメリカにとって、それほどパナマは重要だということなのだろう。

それでも1999年の末をもってアメリカ軍がパナマから完全撤退し、運河地域の全てのアメリカ管理地区が返還された。
パナマではこれを「第三の独立」と呼ぶそうだ。
パナマ運河がもたらすマネーは、パナマに世界でも有数の高層ビル群を作り出した。
今やパナマは中南米を代表する金融パブである。

しかし国際的に、パナマ運河が極めて重要な戦略拠点であることは今も変わらない。
その証拠に、中国がパナマに接近し、2017年にはパナマは台湾と断行し中国と国交を結んだ。
中国はパナマ運河を習近平主席が推進する一帯一路と結びつける動きを見せ、2016年には中国企業「嵐橋集団」がパナマ最大の港湾であるマルガリータ島港を買収、2018年には国有企業「中国交通建設」などがパナマ運河をまたぐ橋の建設を落札し、中国企業による鉄道整備も計画中だという。

さらに、近年の船舶の大型化に加え、異常気象の影響もパナマを悩ませている。
先月日本テレビが報じたニュースを引用する。
世界の海上輸送の要衝となっている中米のパナマ運河では、昨年から続く記録的な干ばつによる水不足に見舞われています。 AP通信などによりますと、パナマ政府は17日、パナマ運河を通航できる船舶の数を36%削減すると発表しました。 一日あたり平均で38隻だった通航数を24隻に減らすということで、世界的な物流への影響が懸念されます。 また、通航量の減少により日本円でおよそ740億円から1040億円の損失が出るとしています。 パナマ運河当局は、干ばつの原因はエルニーニョ現象と気候変動だとしたうえで、運河に水を供給するための新たな水源を探すことが急務だと訴えています。
引用:日テレNEWS
パナマ運河が自由に通行できなくなると、世界の物流に与える影響は甚大だ。
パナマも新たな運河建設を計画するものの、運河に入れない船舶の順番待ちが常態化していて、他の中米の国々もパナマ運河に代わる代替輸送ルートの開拓に意欲を持っているらしい。
パナマと並ぶ有力候補だったニカラグアは中国と組んでニカラグア運河の建設を模索しているし、ここに来て急に熱を上げ始めたのがメキシコだという。
20世紀初めに建設され、その後需要不足で放置されていた太平洋とメキシコ湾を結ぶ「テワンテペック地峡鉄道」を巨費を投じて復活させたのだ。
パナマ運河の80キロに対し、メキシコの鉄道は全長300キロ。
全面開通は今年の9月を予定している。
船から鉄道への積み替え作業は発生するが、今では大型機械を使って迅速にコンテナの積み替えができるようになっていて、超大型船が通過できる運河を建設するよりも割安かもしれない。

あまりの混雑に運河見学の方は思うようにできなかったけれど、こうして旅をすることによって、運河の歴史やそれを取り巻く大国の動きなどを知ることができた。
私たち日本人からは遠い国ではあるが、ある日、パナマ運河の危機が日本経済失速の引き金を引くかもしれない。