🇲🇪モンテネグロ/コトル 2024年10月25日
アドリア海にある天然の良港コトルの記録は、紀元前の古代ローマの時代まで遡るそうだ。
それほどこの入江を見た船乗りは、古今東西誰であろうと、この地に拠点を築きたいと考えたことだろう。
コトルはそんな外海から完全に遮断された深い入江の一番奥にある。

バスターミナルから予約した宿がある旧市街に向かって歩いていて、古い街並みを取り囲む壁のすぐ目の前まで海が迫り、たくさんのボートが停泊している様子に驚かされた。
コトルが現在のような姿になったのは、1420年から1797年までヴェネツィア共和国の統治下にあった時代のことだ。
目の前に入江を活用して、中近世を通して交易により大いに繁栄した。

そんな当時の街並みがそのまま残る旧市街の背後には、急峻な岩山が上から覆い被さるようにそそり立っている。
前は海、後ろは山。
港としてだけでなく、敵の攻撃から身を守るためにも最高の地理的条件を備えていたのだ。

さらに三角形に作られた旧市街のもう一辺には堀のように川が流れていた。
まさに鉄壁の防御というわけだ。
流れる水は透明度が極めて高い。
この辺りの山は全て石灰岩でできているため、泥で濁ることがないのだろう。

これだけの備えをしても敵に街を攻略された時には、裏山に築かれた「聖イヴァン要塞」に立て籠もって戦いを継続するという意気込みを感じる。
様々な民族が支配権を争ったバルカン半島。
いかに身を守ることが大変だったかを、コトルの外側を見るだけで伝わってくる。

もう一つ驚かされたのは、旧市街のすぐ目の前がクルーズ船の埠頭になっていて、私が到着した日も見上げるようなクルーズ船が停泊していたことだ。
アドリア海クルーズでは必ず訪れる人気の街とはいえ、中世に思いを馳せている時にこのクルーズ船が目に入るといささか興醒めでもある。
とはいえ、こんな巨大な船が接岸できるほどにこの入江は水深が深いということだろう。

壁伝いに歩いていくと開けた空間があり、そこに旧市街の正門に当たる「海の門」があった。
市街地へ入る門は他に2つあるが、いずれも橋を渡って入る小さな門である。

海の門をくぐり、旧市街の中に入ってみる。
いきなり目の前に現れるのは石造りの時計塔。
17世紀のものである。

時計塔に並ぶように4階建ての建物が建っている。
旅行の前に読んだ『地中海を旅する62章』にはこんな記述があった。
『コトル旧市街は実に小さい。しかし、小さいがゆえにアドリア海都市の要素が凝縮した良い例でもある。ドゥブロブニクと共通する都市構成を持っているところもまた興味深い。陸側の門付近には修道院が配置され、これには都市を防衛する意味がある。修道院はサンフランシスコ会かドミニコ会が多い。総督邸は海の門近く、都市の正面に置かれる。コトルの場合は総督邸と海の門が一体化している。有事の際、都市は閉じることができる。近世のアドリア海沿岸は、バルカン半島に勢力を拡大するオスマン帝国に備える必要があり、防衛は都市づくりにおいて非常に重要なポイントであった。』
修道院を防衛のために前面に置くという発想はとても興味深い。

そして時計塔の前にはこの街で一番大きい広場が設けられ「武器広場」と呼ばれている。
ヴェネツィア領だった時代に、ここで軍需品から作られ保管されていたことに由来するという。
ただ現在では多くのカフェやレストランのテーブルが広場を埋め、観光客の格好の休憩場所となっていた。

私が予約した宿は、この武器広場から細い路地に入った先にあるようだ。
Googleマップを頼りに迷路に分け入っていく。

小さな看板がかかっていた。
「ホテル・マリヤ Hotel Marija」
ここが私が予約したホテルてある。

中に入ると、1階はほぼレストランが占め、階段の上り口に小さなフロントがあった。
ここで金属製のホルダーがついた鍵を受け取る。

ギシギシ鳴る木製の階段を2階に上る。
窓のない廊下は薄暗く、中世にタイムスリップした錯覚をおぼえる。

部屋に入ると手前にデスクと水回りが置かれ、奥にベッドが置いてある。
コンパクトではあるが充分なスペース、嫌な臭いもない。

ベッドはゆったりしたダブルサイズで、エアコンもちゃんと動いてくれた。
今の季節、昼間は半袖でも暑いのだが、夜になるとかなり冷えるので暖房が欲しくなる。
さらに洗濯物をカーテンレールにかけておくと、エアコンの風が直接当たってすぐに乾いたのも助かった。

バスルームはシャワーのみでバスタブはないけれど、しっかりお湯は出るので問題はない。
タオル類も最初から2組用意してくれていたので、ずっと「Don’t Disturb」の札をかけて人が部屋に入らないようにしてもらった。
部屋に金庫がなかったからだ。

そして何より、この宿が気に入ったのは窓からの眺め。
正面には路地、建物の隙間からは美しい裏山見える。

そして私の部屋のすぐ左手、手の届きそうなところには小さな教会も見える。
カトリックの「聖クララ教会 Saint Clare’s Church」だそうだ。
窓辺でボーッとしていたら路地を歩く大勢の観光客からジロジロ見られてしまうのが難点ではあるが、コトル遠満喫するには最高の宿だと思う。
もしも3階の部屋をあてがわれていれば、もっと凛々しい山々が部屋から眺められただろうが、まあそんな欲は言うまい。

部屋に荷物を置くと、すぐに外に出て、路地から自分の部屋を確認した。
確かに風情のある建物なので、お隣の教会と合わせてカメラを向ける人が多いのも頷ける。
これで2泊朝食付きで1万7490円はかなり安いと思う。

ホテルを確認し満足したところで、路地の探索に出発だ。
地図も見ずに、気の向くままに進んでいく。

すぐに同じ広場に建つ2つの教会にぶつかる。
団体客が群がって説明を受けているのが、コトルで一番古くて小さい「聖ルカ教会 St. Luke’s Church」。
1195年にカトリックによって建てられた教会だが、その後セルビア正教会のものとなったらしい。

その向かいに建つ大きなほうは「聖ニコラス教会 Saint Nicholas’ Church」
こちらもセルビア正教会の教会だそうで、今でも日常的に使われている現役の教会のようだ。
外に飾られた見慣れない旗には、セルビア正教会の紋章が描かれていた。

教会の中では正教会には付き物のイコンが販売されていた。
どうもこの陰気臭いイコンは好きになれないが、やはりモンテネグロは今でもセルビアにシンパシーがあるんだなと感じることができた。

お土産物を売るお店もたくさんある。
私は荷物が増えるので、基本的に買わないが、コトルに来る観光客にとっては一番の楽しみという人もいるだろう。

試しに品揃えの良さそうな一軒の店に入ってみたが、素朴で可愛らしい人形や食器、雑貨が並んでいてかなりセンスがいいと感じた。

コトルの路地はとにかく迷路だ。
一度通った所に戻ろうとしても、そこがどこだか、自分がどこにいるのかが分からなくなってしまう。
実際に敵が街に侵入した際に迷わせるために作っているのだから、それだけよく出来ているということだ。

そうして迷路に迷うことを楽しんでいるうちに、一際立派な2本の塔を持つ教会が現れた。
こちらはコトル最大の教会「聖トリプン大聖堂 St. Tryphon’s Cathedral」。
1166年に建てられたローマ・カトリックの教会だそうだ。

写真だとうまく伝わらないのだけれど、とにかくこの大聖堂の前に立つと、塔とその背後にそびえる頂きの迫力に圧倒されてしまうのだ。
あのやたらに存在感のある山は何というか名前なんだろう?
そう思って調べてみると、どうやら「ペスティン・グラッド Pestin Grad」と呼ばれているらしい。
私はこの山がとにかく気に入った。

そしてよく見ると、大聖堂2本の塔の間から裏山の中腹に立つ小さな別の教会も見える。
あれは「救世聖母教会 Church of Our Lady of Remedy」と言ってコトルの守護聖人である聖母マリアに捧げられたものなのだそうだ。
こうしてカトリックと正教会の様々な時代の教会が併存するのも、多民族が交わったコトルの魅力なのだろう。

さらに、迷路を彷徨い歩く。
コーナーを曲がると新たな何かが待っているのがとにかく楽しい。

壁にこんなドクロのレリーフがあったり・・・

ちょっと気持ちの悪い王様だか聖人だかが描かれていたり・・・

はたまた、こんな抜け穴のような階段が用意してあったり。
決して広くはない旧市街の中に実に多様な仕掛けが隠されているのだ。

そして、路地のあちらこちらに可憐な花が咲いている。

そして沢山のネコたちも。
コトルはネコの街としても知られているらしい。

城壁の上を歩いていても、ネコが山をバックに悠然としている。
誰もネコたちに意地悪をいないらしく、スマホを近づけてもピクリともしない。
堂々としたものである。

城壁の上はぐるりと歩けるようになっていて、街を守った兵士たちの気分で外の世界を眺めることもできる。

しかし、城壁に登って目に入るのは、やはりオレンジ色の屋根瓦だろう。
この赤い瓦はアドリア海に面したかつて「ダルマチア」と呼ばれた地域に広く分布している。
下からはよく見えないので、城壁を歩く際に間近から眺めてみるといい。

コトルは度々大きな地震で破壊され、1979年にも大地震に見舞われたそうだ。
それでも巧みに修復して、歴史ある風情をうまく残しているから、不思議な落ち着きに包まれているのだろう。

夕方4時。
私が泊まるホテル前の薄暗かった路地に光が差し込んだ。
本当に狭い路地なので、光が差し込むのはほんの一瞬の出来事である。
賑やかだった団体客たちの姿もずいぶん減って街が静かになった。
少し早いが晩ごはんを食べに行こう。

先ほど歩いた路地をめぐり店を物色する。
賑わっている店もあるが、昼間の喧騒が嘘のようにどこのレストランも閑散としてきた。

口コミに頼るのも違うと思い、ロケーションで選ぶことにした。
先ほど息を呑んだ聖トリプン大聖堂前の店なら、教会と山を眺めながら食事ができる。

お店の名前は「The Square Pub」。
大聖堂の真正面にテーブルを並べているが、時間も中途半端なので客の入りはイマイチだった。

まずはモンテネグロ産の白ワインをグラスで。
しっかりと酸味があって普通に美味しい。
気候的にはイタリアやクロアチアに似ているので、不味いワインができるはずがない。

そしてアドリア海に来たら絶対に食べようと思っていたのが、この「タコのサラダ」だ。
昔、ボスニア内戦の取材でサラエボに行った際、装甲仕様の取材車をレンタルしたクロアチアのスプリトという街で食べたタコサラダが絶品だったからである。

アドリア海沿岸では定番の料理で、どこのお店でも大抵出しているのだが、この店のタコサラダは本当にタコとレタスだけ。
しかし、他の食材でかさを増すのではなく、新鮮なタコだけで勝負する姿勢がこのましく、これがまた最高に美味かったのである。

私が食べ始めると、荒ぶれた犬が近寄ってきて私の横にへたり込んだ。
こうしていつもエサにありついているのだろう。
タコを一切れ投げてやるが、匂いを嗅いだだけで食べようとしない。
やっぱりアドリア海の犬といえどもタコは好きではないらしい。
コトルでは、ネコも犬も肥満体の奴が多い。
きっと観光客からエサヲもらいすぎて、成人病にかかっているに違いない。

食べ始めるのが早すぎて、タコサラダを食べ終わってもまだ暗くならない。
せっかくならライトアップされるまでここにいようと決めて、何か飲み物を注文することに。
メニューを眺めていて気になった「Tea with rum」というのを頼んでみる。
冷えてきたので、あたたかい飲み物がちょうどありがたい。

ようやくいい感じになってきたのは、ちょうど6時ごろのことだった。
照明がともり、私が一番好きな時間だ。
ラム入りの紅茶も、もう2杯目を頼んでいた。

さらに15分ほど経つと、山は完全にシルエットになった。
かなり寒くなってきた。
そろそろ行こう。

宿泊客だけが残った夜のコトルを歩く。
人影はまばら、とても魅惑的だ。

誰もいない路地を抜け・・・

レストランのパラソルが広げられた広場を通り・・・

武器広場に出た。
昼間ごったがえすような混雑だった広場は、夜になると全く違う表情を見せている。

ホテルに戻ろうと思って再び路地に入ると、どこからかギターの音が聞こえてくる。

音の聞こえる方に歩いていくと、2人のミュージシャンが聞き覚えのあるバラードを奏でていた。
とても上手だったけれど、その広場に観客はいなかった。

見上げると、山の上でも光の帯が輝いていた。
山の斜面をぐるりと囲む城壁がライトアップされているのだ。
明日は世界的な絶景をこの目で見るため、あの山に登ろう。
そう決意して、早い眠りについた。