🇮🇪アイルランド/アスローン 2019年8月7日
司馬遼太郎さんは「街道をゆく」の中で、こんなことを書いています。
アイルランド人は、客観的には百敗の民である。が、主観的には不敗だとおもっている。
ともかくも、この民族はつねについていなくて、いつも敗けつづけでありながら、その幻想の中で百戦百勝しているのである。
街道をゆく31「愛蘭土紀行Ⅱ」より
そんな「百敗の民」の古戦場の一つ、アスローンという田舎町を日帰りで尋ねました。アイルランドの暗い過去に触れる旅です。
その際に鉄道を使ったのですが、アスローンからの帰路、私たち夫婦はある失敗をしてしまいました。皆さんもお気をつけください。
インターシティに乗って
アイルランドといえば、緑に覆われた大地のイメージがあります。
首都ダブリンだけ見ても、アイルランドを見たことにはならないと考えた私は、妻を誘って鉄道で地方に行くことにしました。
本当は司馬さんも憧れた不毛の島アラン島がよかったのですが、時間が足りません。持参した「地球の歩き方」を眺めながら、目的地をアスローンに決めました。ダブリンから列車で1時間半。距離がちょうどよかったからです。
朝7時すぎ、路面電車ルアスを乗り継いでヒューストン駅に到着しました。
アイルランド島の西部や南部への起点となるターミナル駅です。
券売機で往復の切符を買い、ホームに止まっていた7時35分発のゴールウェイ行きの列車に乗り込みます。
料金は1人往復で29ユーロ(約3400円)です。
アリルランド国鉄の時刻表や料金については、こちらのサイトで。
Irish Rail http://www.irishrail.ie/
外観は古めかしい列車ですが、車内は意外にきれいでした。テーブルを挟んで向かい合う4人席が基本です。
私たちが乗ったのは、アイルランド国鉄が運営する「インターシティ」という長距離列車。
日本のように指定席・自由席の区別はなく、誰かが予約していなければどの席に座っても自由。予約されている席は窓上のランプでわかるようになっています。
列車は定刻に出発。少し走ると、もう緑の大地が広がってきました。
「空が広いなあ」なんて思っていると・・・
こんな凄い雲が、眼前に現れたり、突然雨が降り出したり・・・。
アイルランドの雲は、実に見応えがあります。
雲の下には羊たち。
まさに絵に描いたようなアイルランドのイメージです。
途中、「Tullamore」という駅に停まります。
アイリッシュウィスキーの代表ブランド「タラモア・デュー」の故郷タラモアです。
人気の衰えで一時は閉鎖していましたが、2014年に新蒸溜所がタラモア郊外に建設され復活しました。ビジターセンターも整備されているそうです。
タラモアをすぎると、かつての砦かそれとも教会でしょうか?
石造りの廃墟も窓から見えます。
アスローンがあるアイルランド島中央部は、古くから戦略上の要衝として繁栄すると同時に争いの舞台ともなりました。
アスローン城とシャノン川
ダブリンを出発して1時間半ほどでアスローン駅に到着しました。
「Athlone」の上に書かれた「Baile Atha Luain」という文字は、アイルランドの第一公用語であるゲール語。先住のケルト民族の言葉です。
同じ地名でも全く違う呼び方のようです。
石造りのどっしりとした駅舎です。
町の中心部までは遠くなさそうなので歩くことにしました。
10分ほど歩くと、目の前に川が現れました。
シャノン川です。
随分、水量の豊かな穏やかな川です。
川沿いの道を進むと、遠くに大きな教会が見えてきました。
町の中心にそびえる「セント・ピーター教会」です。
川岸には多くの船が停泊しています。
シャノン川はアイルランドで最も長い川ですが、300kmの長さに対して高低差はわずか76m、昔から水運が盛んだったと言います。
今では、川を使ってアイルランド各地を旅行する人たちの寄港地として、また町の上流に広がる広大なリー湖を巡る遊覧船の拠点として、アスローンを訪れる観光客も多いそうです。
こののどかな田舎町がかつて、激しい戦いの舞台となりました。
「アスローン橋の戦い」と言うそうです。
その主戦場となったのが、シャノン川沿いに建つアスローン城です。
イギリスの侵略
アスローンが戦場となった17世紀は、イギリスがアイルランドを侵攻し全土を植民地化した時代でした。
そのきっかけは1642年イギリスで起きたピューリタン革命でした。司馬遼太郎さんは、こう書いています。
「国教会を清浄化せよ」と、16世紀から17世紀にかけて、狂ったように叫び、弾圧に屈せず牙をむいたのが、清教徒とよばれる英国内の過激な新教徒だった。清浄という規準はなにか。新教のことである。汚濁とはなにか。カトリックとその残滓のことである。それをピューリファイせよ。(中略)
1649年夏、クロムウェルは“共和国軍”二万をひきいてアイルランドにおしわたり、かれらがカトリックだというだけで、大虐殺をやった。聖職者、修道女、女子供をえらばなかった。
ドロヘダでは四千人を虐殺して、ウェックスフォードでは二千人を虐殺した。働きざかりの男を見つけると、アメリカ大陸へ奴隷(年期奉公人)として売りとばした。
「プロテスタント」という言葉が、アイルランドにおいては、悪魔もしくはそれ以上のイメージになったのは、このときからだった。
宗教は、水か空気のようである場合はいいが、宗教的正義というもっとも悪質なものに変化するとき、人間は簡単に悪魔になる。
街道をゆく31「愛蘭土紀行1」より
カトリック地主の土地は取り上げられ、イギリスから来たプロテスタントたちに与えられました。
1688年には、再びイギリスで名誉革命が起き、カトリック教徒だったイングランド王ジェームス2世が王位を追われます。
ジェームスはフランスの力を借りてアイルランドに上陸。カトリックの人たちはジェームスと共に戦ったため、アイルランドは再びカトリック対プロテスタントの戦場となりました。
1690年に始まったウィリアマイト戦争です。
アスローンの町が戦場となったのもこの時です。
1691年、2万人のプロテスタント軍がアスローンを包囲しました。シャノン川の東側に陣取り、アスローン城に立てこもる「ジャコバイト」と呼ばれるカトリック兵と対峙します。
プロテスタント側の激しい砲撃によって川の西側は破壊尽くされましたが、ジャコバイトは激しく抵抗。でも、結局は浅瀬を渡る奇襲作戦により、ジャコバイトは敗走を余儀なくされました。
その後、アイルランドはイギリスの植民地となり、少数のプロテスタントが多数のカトリックを支配する時代が長く続いたのです。
アイルランドの独立が正式に認められたのは、第二次大戦後の1949年のことです。
アイルランドの重い歴史に触れたところで・・・
アスローン城のすぐ前にあった小さなカフェで一休みです。
「NAVE COFFEE SHOP」。
カウンターに座ると、城壁が視界いっぱいに広がります。
真面目そうな男性が一人で営む清潔なカフェ。
でも、スコーンがとても美味しいのです。
もちろんコーヒーも・・・。
ダブリンにも負けない美味しいコーヒーを飲みながら、アイルランドの人たちが抱くイギリスに対する複雑な思いを想像してみたりします。
清教徒革命や名誉革命。イギリス議会主義を生んだ偉業として肯定的に教えられた記憶があります。
でも歴史は、いつも勝者によって書かれます。敗者の側から見ると、全く違う解釈が成り立つのでしょう。様々な視点から歴史を見てみること、それが大切なことです。
明るい日差しが差し込むカフェには、そんな暗い歴史を洗い流してくれるような静かな時が流れていました。
帰りの列車での失敗談
来た時とは別の道をたどって、駅へと歩きます。
アスローン駅に着いたのは、午前10時すぎ。
10時28分ダブリン行きの列車が間もなく到着するようです。
朝とは違って、かなり多くの乗客がホームで列車を待っていました。
私たちはなるべく空いている車両に乗ろうと、ホームの端っこで待ちます。
暑くも寒くもない気持ちのいい時間。
様々な表情を見せるアイルランドの雲を楽しんでいると、列車を待つのも苦になりません。
インターシティ列車が、時間通りにアスローン駅に入ってきました。
列車はすでに混んでいて立っている乗客もいましたが、予想通り一番後ろの車両には空席があり、二人とも無事に座ることができました。
のんびりと1時間半、列車に揺られると、昼前にはダブリンに到着します。
「何を食べようかな?」などとぼんやり考えていると・・・
途中停まった駅から乗り込んできたおじさんが「ここは私たちの席だ」と言うではありませんか?
「えっ?」
ぽかんとしている私に、おじさんは笑いながら窓の上を指さしました。
私たちの座っている席のところだけ、赤いランプがついています。
そう、そこは予約席だったのです。
迂闊でした。もちろん仕方なく席をおじさんに譲り、代わりの席を探します。
しかしいつの間にか、列車は満席になっていました。他の車両に行ってみても、乗客たちが立っています。
おまけに、アイルランドの列車では定期的に車内販売のワゴンが回ってくるので、通路にじっと立っているわけにもいきません。
中には、扉の前にどっかりと座り込み、しっかりと居場所を確保している人もいます。
出遅れた私たちは結局、出口の扉にへばりつくように狭い場所を確保し1時間ほど立つ羽目になりました。
乗車の時、席が空いていることをチェックせずに座ったのが敗因です。
アイルランドで列車に乗られる方は、くれぐれも窓上のチェックをお忘れなく。
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