<きちたび>3泊4日ウラジオストクの旅⑤ シベリア征服!ロシアはいかにして世界最大の国家となったのか?

ロシア人 vs 満州人

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ロシア人と満州人が衝突するのは時間の問題だった。

この絵は、1680年代、ロシア人が築いたアルバジン要塞を満州軍が包囲攻撃している図である。そして1686年、ロシアと清国の間にネルチンスク条約が結ばれた。ロシア人は極東地方から退去したが、中国との間に国境線を取り決め、交易が可能となった。

この時代、南を塞がれたロシア人の探検隊は北方を目指し、カムチャッカからアラスカへとその領土を広げていった。ベーリングを隊長とする探検隊がアジアとアメリカがつながっていないことを確認したのも18世紀初めのこの時代だった。

19世紀に入ると、イギリスやアメリカなど列強のアジアでの活動が活発化する。これに対応してロシアは、1855年には日本との通商条約を締結したのに続き、中国との間でも1858年にアイグン条約、天津条約を、1860年には北京条約を結んだ。これによりロシアは晴れて太平洋への出口となる極東地方を手に入れたのだ。

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巨大国家は過去の遺物

このブログの冒頭で書いたように、ロシアが現在の広大な国土を獲得し日本の隣国となったのは1860年。今からわずか158年前のことである。

当時は欧米列強による植民地獲得競争が激化していた帝国主義全盛期でもあった。多くの国が船によって本国から遠く離れた異国を征服していったのに対し、ロシアだけは本国から東へ東へと地続きに領土を拡大していった。第二次大戦後、多くの植民地は独立し、かつての列強はその支配地域を大幅に縮小する中で、唯一ロシアだけは帝国主義時代に征服したシベリアの大地をいまだに維持し、世界最大の国土を持つ国となったわけだ。

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しかし、国土が広くなるということはそれだけ多くの問題を抱えることにもなる。

その後ロシアは、西ではドイツやスウェーデンと戦い、南ではトルコと戦い、そして東では日本と戦うことになる。

常に戦争を抱えるロシアは軍事優先の国造りを運命付けられてたとも言え、それが民衆の不満を呼び起こし、世界初の社会主義革命へとつながっていくのである。

今もロシアはその国土を守るため、チェチェンを弾圧し、ウクライナに干渉している。北方領土についても譲る気はなさそうだ。

IT化され戦争が少なくなった現代社会では、シンガポールやスイスのような小国こそが高い生活水準を国民に約束できる。反対に巨大国家を維持するためのコストを賄うのはロシア国民にとっても大きな負担になるだろう。

今は原油で稼いで何とかしのいでいるが、近い将来、ロシアは今の国土を維持できない、もしくは維持することを国民が望まない時代が来るのではないかと私は予想している。

大きいことはいいことだというのは、戦争を前提とした世界での話だ。

ロシアの指導者が広大な大地を守るため、戦争を前提とした世界に時計の針を戻そうとする誘惑に負けないよう祈りたいと思う。

<関連リンク>

3泊4日ウラジオストクの旅

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⑤シベリア制服!ロシアはいかにして世界最大の国家となったのか?

⑥ホテル・ビーチ・遊覧船・そして・・・!写真で綴るロシア極東の街歩き

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