<きちたび>3泊4日ウラジオストクの旅⑤ シベリア征服!ロシアはいかにして世界最大の国家となったのか?

ロシア人のシベリア征服

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ここでようやく、このブログの本題であるロシア人が登場する。

極東から一旦目を転じて、モンゴル帝国に滅ぼされた後のロシアの動きを見ておく。

当時ルーシの中核をなしていたのはキエフを都とするキエフ大公国だったが、13世紀初頭モンゴルによって征服され、キプチャク・ハン国の支配下に入った数多くいるルーシ諸公の一人に過ぎなかったモスクワ公は、モンゴル支配下でルーシ諸公がハンに納める貢納を取りまとめる役を請け負うことで次第に実力をつけ、15世紀にキプチャク・ハン国の支配を実質的に脱してルーシの統一を押し進めた。

そしてこのモスクワ大公国がロシア帝国の前身となる。

有名なイヴァン雷帝の時代、ロシア人によるシベリア征服事業が始まる。その先鞭をつけたのが、ロシア民話の英雄イェルマークによる探検だった。コサックの頭領だったイェルマークは1577年ストロガノフ家に任命され西シベリアにあったシビル・ハン国の攻撃を開始した。これにイヴァン雷帝がお墨付きを与える形でロシアの東方への拡張が始まる。

そして1639年、コサックの探検家モスクヴィチンがロシア人として初めてオホーツク海まで到達する。

『 約60年かかったロシア人のウラルから太平洋への進出は、主に平和的な性格を持っていて、地域のために新しい社会・経済的な関係の拡大をもたらした。地元の住民はヤサーク(人頭税)を課税され、それはクロテンの毛皮で、のちにはリスの毛皮で支払われた。 モスクワ政府は、毛皮が国庫にもたらす利益に大いに関心を抱かせられた。毛皮は最も重要な商品で、国はこの毛皮と交換に、自国の貨幣を鋳造するために必要な銀を手に入れていた。』

つまり・・・

『 広大なシベリアと極東の開拓では、軍務に服する人たちや、獣皮を求める狩猟企業主たちが指導的な役割を果たしていた』のだ。

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ロシア人が出会った人々

東へ東へ進出するロシア人たちが遭遇したのは、どんな人たちだったのか?

博物館にはこんな写真が展示されていた。

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そして、こんなチャーミングな衣装も・・・

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それにしても、この衣装、とても優しい絵だ。きっと平和に暮らしていたんだろうと想像できる。

彼らは、激しく抵抗することもなく、ロシアの侵略を受け入れた。

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こうしてシベリア、極東へのロシア人の移住が始まる。各地に要塞が築かれた。

その結果、それまでお互いのことをほとんど知らなかったロシアと中国の国境が接近した。

『 ロシア人のアムールへの登場は、満州人による中国侵略と1644年の満州王朝清の政権樹立の時期に一致した。初めのうちは、満州人の主要な関心と苦労は、激戦が展開された中国国内の地での、反満レジスタンスの鎮圧に向けられていた。 清国人たちは、1678年になってようやく、自国の北東の領域に、柳柵と呼ばれた国境の防衛施設の境界線を設け、行政上の形式を整え始めたばかりであった。』

つまり、ロシアは先住民族たちが中国に出払った留守に極東地方に進出してきたことになる。

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