🇨🇳 中国/長春 2025年6月29日~30日
戦後80年に合わせ悲惨な日本敗戦への端緒となった中国東北部「満州」を巡る旅。
最後の目的地は日本が築いた傀儡国家「満州国」の首都として建設されたかつての新京、現在の長春である。
6月29日の午前6時すぎ。
ホテルをチェックアウトして、戦前に日本によって作られた旧「奉天駅」、現在の瀋陽駅に向かう。
駅舎の天井はドーム状になっていて、これも東京駅を模したもののようだ。
歴史的な建造物の中に、中国式のチェックゲートが設けられている。
高速鉄道の駅といえばいかにも中国式の巨大駅舎が定番だが、あえて日本統治時代の駅舎を残しているのは共産党による歴史教育の一貫なのだろうか?
パスポートをかざしてゲートを抜けると、その先にある待合室は完全中国式の巨大空間だった。
予約した列車の出発時刻15分前に改札が始まるまで、この待合室でゆっくり過ごせばいい。
売店でパンとコーヒーを購入し、簡単な朝ごはんを済ませる。
瀋陽から長春までで距離はおよそ300キロ。
高速鉄道で1時間40分かかる。
チケットはTrip.comを通じて日本で事前購入しており、運賃は片道3336円だった。
列車は定刻に瀋陽駅を出発。
線路脇の高層ビルを眺めているうちに・・・
10分もすると一面のコーリャン畑に変わった。
満州事変によりこの広大な大地を支配下に置いた日本は、世界恐慌後に続く国内の不景気を克服する起死回生の一手として、貧困に喘ぐ農村部から大量の移民をこの地に送り込む。
いわゆる「満蒙開拓団」。
国策としての移住計画は敗戦直前まで続き、日本各地から満州に渡った移民の数は27万人に及んだ。
「開拓団」とはいうものの、満州入りした日本人移民に与えられた土地の大半は中国人農民を強制移住させ、タダ同然の安値で買い上げられた既存の農地だった。
当然のことながら農地を奪われた中国人たちに強い恨みが残り、土匪が横行する治安悪化を招く。
その結果、開拓団には村を襲う土匪や北の脅威ソ連に対する義勇軍の役割も求められる。
最終的には終戦直前のソ連侵攻により、移民たちは軍に見捨てられ悲惨な逃避行を強いられ8万人が死亡したという。
長春駅には定刻より少し早く到着した。
薄暗い地下通路を抜け、地上に上がるエスカレーターに乗る。
エスカレーターを降りると、そこには巨大宮殿のような長春駅が聳え立っていた。
日本によって建設された瀋陽駅とは全く異なる見る者を圧倒するようないかめしい建造物だった。
私が予約したホテルは、駅前のロータリーを隔てて長春駅と向き合う一等地に立っていた。
「長春春誼賓館」
西洋風のゲートと広い中庭を持つこのレトロな宿はかつて、日露戦争後の1909年に日本によって建設された「長春ヤマトホテル」だった。
歴史的建造物である本館「迎賓楼」は決して大きな建物ではない。
部屋数は25。
建物の外観は開業当時のままだという。
正面のエントランス脇には「春誼賓館 歴史百年」と書かれた銘板とともに、「長春市歴史建築 大和旅館」のプレートも掲げられていた。
大和旅館のプレートには「中共地下党活動旧跡」の文字も刻まれている。
日本が撤退した後の1945年から46年にかけて、国民党と内戦を繰り広げていた中国共産党の地下組織がここでたびたび集会などを開いていたらしい。
すなわち、わざわざ日本時代の建造物を残している背景には、中国政府による愛国主義教育の一環という意味合いがあるようだ。
中に入ると、ロビーはピッカピカ。
明らかに改修されている様子だけれど、階段上のカモメ模様のステンドグラスは開業当時から使われていたものだそうだ。
日本人宿泊客が多いことを想定してか、怪しげな日本語の文章でホテルの歴史が記されていて、満州国皇帝・溥儀や関東軍司令官・本庄繁もこのホテルに宿泊したことが記録されていた。
ただ私が泊まったのは歴史的な本館ではなく、その脇に立つ新館「貴賓楼」だった。
宿泊費は1泊6242円、中国としてもかなりリーズナブルだ。
ロビーは床も壁も大理石。
高い天井も含め、社会主義国の迎賓館だったことを感じさせる。
私が到着したのはチェックインにはかなり早い午前9時半前。
ダメもとでフロントに行くと、「部屋を用意しますのでロビー脇の喫茶室でお待ちください」と予想外の反応が返ってきた。
喫茶室には飲み物やお菓子など豪華なウェルカムドリンクが用意され、案内してくれた女性が「どれでもご自由に」と言う。
中にはさまざまな中国茶もあって、私はその中から菊の花のお茶を選んだ。
ゆったりしたソファーに座って待っていると、透明なポットに入れられたお茶「菊花茶」が運ばれてきた。
若い頃、中国で初めて飲んだ花のお茶が感動的で、お土産に透明なポットを買って帰ったことを思い出す。
お茶を飲みながら、壁に飾られた古い写真を眺める。
こちらは日本統治時代の写真と見え、建物の正面にアルファベットで「YAMATO HOTEL」と書かれている。
こちらは満州国建国後の1934年に撮影された写真。
「日満婦人同志会」の会合のようで、和装、洋装、チャイナドレスの女性たちが写っている。
前列の右から3人目、チャイナドレスを着た女性は皇帝・溥儀の妹らしい。
夜になると電飾がきらめき、駐車場には高級自動車が並んだ。
まさに満州国の首都を代表する国際ホテルだったのである。
そしてこちらは戦後の写真。
このホテルで集団結婚式が催されたようだが、エントランスに掲げられた旗は中華民国の国旗である。
そのため、1946年から48年の間に撮影されたものと記されていた。
こうしてホテルの歴史に触れながら30分ほど待っていると、部屋の用意が整ったと鍵を渡された。
扉を開けると、絨毯敷きのゆったりとした部屋。
私がテレビ記者として海外を飛び回っていた1980年代の社会主義国にあった招待所を思わせるレトロな作りだった。
キングサイズのベッドに・・・
モダンなデスクに壁かけテレビ。
部屋の雰囲気はレトロだけれど、家具はそんなに古いものではない。
バスルームもモダンな作り。
予約した時には、値段から考えてかなりのおんぼろホテルを想像していたので、これで6000円台ならば文句はない。
窓から見えるのは社会主義国的な集合住宅と建設途上にある高層ビル。
北京や瀋陽と比べると、一昔前にタイムスリップしたような感覚を覚える。
ホテルを出て裏通りに入ると、すぐに飲食店街があった。
店先では串焼きの肉などが売られ、ローカルなレストランが立ち並ぶ。
ちょうどお昼時になったので、一軒の店に入ってみることにした。
日本でも最近よく見かけるマーラータンのお店のようだ。
言葉が全く通じないため、レジに掲げられた写真を指差しながらとりあえず注文する。
支払いは使い慣れてきたウィーチャットペイで。
レジのお姉さんに呼ばれて麺を受け取る。
お姉さんが備え付けのトッピングを指差すので、お好みで無料の具材を麺に加えていいらしい。
こちらが私が適当に注文した「肉醤米線」。
一見とんこつラーメンのようだが、Google翻訳で調べると「ミートソースライスヌードル」と表示された。
値段は私が注文した一番ベーシックな奴で12.80元、日本円で260円。
安い!
スープの中をまさぐると米でできた白い麺が顔を出した。
食べてみるとスープには甘味とコクがあり、なかなか美味しい。
もう少しお金を奮発して有料の肉や野菜をトッピングすればもっと豪華な麺になるようだが、私にはこれで十分。
恐る恐る飛び込んだこの店、どうやら悪い店ではないらしい。
この日の夕方、ホテルから地下鉄で南に下り、満州国時代の建造物が多く残る「新民大街」という通りに行ってみた。
降りた駅は「文化広場」。
この文化広場の北側に建つ大きな建物は、満州国時代に宮殿として建設が計画され、太平洋戦争の勃発により基礎工事だけで中断されたものらしい。
戦後中国政府によって完成され現在は吉林大学の施設として利用されているということだが、建物自体は満州国時代の設計のままだとも言われる。
この文化広場から南にまっすぐ伸びる大通りが「新民大街」。
かつて満州国の首都・新京の官庁街として建設され「順天大街」と呼ばれた。
通りの入り口には真新しいモニュメントが立ち、中国語と英語で次のように刻まれていた。
『満州国時代に順天街として敷設されたこの大通りは、1945年、14年間の抵抗の末に築き上げられた勝利すなわち長春解放後、名誉ある新民大街と称され、世代を超えて復興の象徴として受け継がれてきた。全長1445メートルの新民大街は現在、国家指定文化遺産であり、中国人民抗日戦争勝利80周年を記念し、この街は厳粛な壮麗さを取り戻すために細心の注意を払って修復された。』
なるほど、歩道は新しい敷石で整備され、時代を感じさせる街灯も最近設置されたもののようだ。
中国各地で進められる対日戦勝利80周年の記念事業として、長春に遺る満州国時代の建造物も新たな愛国教育の使命を担うことになったらしい。
百度地図アプリを頼りに、新民大街を北から南に歩く。
まず目につくのが大通りの東側に立つこちらの巨大な建物。
東京の国会議事堂によく似ている。
入り口の門にはこんなプレートが。
『偽満国務院旧址』
「偽満」「偽満国」とは現在の中国における満州国の呼び名であり、現在は長春市人民政府によって市の歴史建築に指定され保存されている。
この建造物はかつて、満州国における最高行政機関「国務院」だった。
満州国の首相に当たる国務総理をトップとし、制度上は皇帝直属の機関とされたものの、関東軍の軍人が要職を押さえていたため、皇帝の意思が政治に反映されることはほとんどなかった。
新民大街の通りを隔てて反対側に立つこちらの建物は「偽満州国軍事部旧址」。
満州国の軍事行政を統括する役所だった。
煉瓦造りの西洋建築の上に築かれた日本風の屋根が特徴的だ。
新民大街を南に進むと、右手にきれいな公園があった。
中国の植栽はたいてい時間が経過すると荒れてしまうのが普通なので、この公園はおそらくごく最近整備されたばかりだろう。
公園を過ぎてさらに南に歩くと「偽満州国経済部旧址」。
経済部は満州国の経済全般を司どる役所だったが、日中戦争の長期化により物価や貿易の統制、配給制の実施などが任務となる。
経済部の向かいに立つのは「偽満司法部旧址」。
司法部は今でいう法務省のような役所で、治安維持に重要な役割を果たした検察庁もその監督下にあった。
新民大街の南端にあるロータリーに面して立つのが「偽満州国総合法衙旧址」。
すなわち裁判所だった建物である。
これら満州国時代の巨大建築物は、今も大学や病院として現役で利用されていた。
そして個人的にとても興味深かったのが、こちらの建物。
新築工事が進められている「吉林省文化和旅游庁」、すなわち吉林省の文化観光政策を担う役所なのだが、なぜかわざわざ満州国時代の建物に似せたデザインを採用しているのだ。
つまり、長春市もしくは吉林省は、満州国時代の建築を観光資源として活用しようという意欲に溢れているように私には見えたのである。
新民大街の南には、広大な「南湖公園」が広がっていた。
北京の頤和園に次ぐ、中国では2番目に大きな面積を持つ都市公園だそうだが、実はこの大きな湖は日本人が満州国時代に作った人工湖なのだ。
氾濫を繰り返す川の水を堰き止めて、治水と給水、さらには新しい首都にふさわしい憩いの場を作るとの目的で、巨大な人工湖を作りその周辺に公園を整備したということらしい。
この公園は今も長春市民の憩いの場となり、夕方になると多くの市民が集まってきた。
一方、南湖公園の入り口に聳えるこちらの記念塔は「解放記念碑」。
満州国崩壊後の1948年10月に、人民解放軍が国民党との内戦で長春を支配下に置いた日を記念してこの場所に立てられたそうだ。
日本が残した公園や建物はそのまま利用しつつ、逆に愛国教育の題材として利用するという中国のしたたかさを感じる。
歩き疲れたので、公園近くのバス停から路線バスに乗る。
バスの運賃は地下鉄と同じ2元、およそ40円だ。
訪れたのは「人民広場」。
満州国時代には、満州国の最初の年号とされた「大同」にちなみ「大同広場」と呼ばれた。
大同広場は満州国の首都となった長春の中心として新たに作られた巨大なロータリーで、直径300メートル、外周は1キロもある。
この広場を取り囲むように満州国時代には官庁や一流企業の建物が建ち並んだという。
現在も残る歴史建造物としては、こちらの「偽満州国中央銀行旧址」が代表的だ。
その名の通り、日銀にあたる満州国の中央銀行だった建物で、現在は中国の中央銀行である「中国人民銀行」の長春支店になっていた。
同じく広場沿いに立つこちらの建物は「偽満州電信電話株式会社旧址」。
満州国時代の独占的通信会社の本社は、現在も中国の三大通信キャリアの一つ「中国聯合通信」(China Unicom)が使っていた。
中央銀行といい、通信会社といい、同じような用途で利用されているのが奇妙である。
戦後「人民広場」と改称された広場の中央には、日本を駆逐したソ連軍兵士を讃える記念塔が立っているという。
「ソ連赤軍烈士記念塔」
てっぺんにソ連の戦闘機が飾られたこの塔は、わざわざ地下道を通って見に行かなくても通りからよく見えた。
そして人民広場を貫いて南北に伸びる大通りが「人民大街」。
満州国時代には「大同大街」と呼ばれる首都のメインストリートだった。
広場から長春駅に向かって人民大街を北に歩く。
すると突然ビルが途切れ、樹木に覆われた広大な敷地が現れた。
木々の間からお城の屋根のようなものが見える。
中の様子が伺い知れないこの施設。
これまで見てきた満州国の建物群とは明らかに異なるこの施設こそ、満州国を事実上操っていた関東軍の司令部であった。
この広大な施設は現在、中国共産党吉林省委員会が使用しており、迂闊に写真を撮っていると誰何されるのだそうだ。
ということで私も道路の反対側から目立たないようにささっと撮影するだけで、その場を離れた。
後で知ったのだが正面ゲートは敷地の南側にあるらしく、他の建物同様に「偽満州国関東軍司令部旧址」という看板が掲げられているかは確認しなかった。
関東軍司令部旧址の北側に隣接するこちらの建物は、昭和の時代の警視庁に似ている。
こちらも共産党の施設のようだが、入り口には「偽満州国国防会館旧址」と書かれた石碑が置かれていた。
もともと憲兵隊が使っていた建物のようで、警視庁に似ているのも意味がありそうだ。
ちなみに、関東軍司令部の敷地内にある司令官の官邸が現在「松苑賓館」というホテルになっているらしいので、私が宿泊した旧ヤマトホテルではなくこちらに宿泊するのも面白いかもしれない。
こうして満州国時代の建造物を探して長春の街をうろうろしている間にすっかり日も暮れてしまった。
最後は歩くのがキツくなってバスで長春駅まで辿り着く。
ホテルに戻ってからまた食事に出かけるのも面倒なので、このまま夕食を食べることにする。
選んだのは昼間に麺を食べたお店。
夜になると路上のテーブルも賑わって、また独特の雰囲気になる。
店内では上半身裸の男たちが酒盛りをしていた。
中国の男性は暑いとすぐに脱ぎたがる。
店内に掲げられた写真を見ながら注文したのは「香辣肉丝盖饭」。
日本でも馴染みの青椒肉絲(チンジャオロース)の辛いやつをご飯にかけた丼ものらしい。
「燕京ビール」と合わせて23元、およそ470円ほどだ。
味の方は見た目通り。
特別美味しいわけでもないが、ボリュームは十分、味もまずまずである。
ホテルに戻り、翌朝空港に行くためのタクシーを頼もうとしたら、意外なアドバイスを受けた。
北京行きの飛行機が出発する「長春龍嘉国際空港」に行くなら高速鉄道が安くて便利だというのだ。
調べてみると、確かに空港直結の龍嘉駅までは長春駅から高速鉄道で14分。
タクシーで行くと1時間くらいかかるようだ。
中国ではものすごいスピードで全国に高速鉄道網を整備していて、その利便性は日々向上しているらしい。
翌朝、午前6時にホテルを出て目の前の駅に向かった。
もう少しゆっくりでもよかったのだが、中国ではどこで災いに遭遇するかわからないので何事も時間に余裕を持った方がいい。
問題なく駅にも入場でき、待合室で1時間ほど時間を潰す。
そんな退屈な客を狙ってたくさんのマッサージチェアが置いてあったので、私も試しに揉んでもらうことにした。
スマホをかざしウィーチャットペイントのアプリを起動すると、マッサージ機は動き出した。
中国の街はどこも無駄に広くて歩き疲れて足はパンパンだ。
多くの人が利用したとみえ、マッサージ機は多少ベタついた感じもあったけれど、疲れた体には心地よく、ちょうど時間が切れたタイミングで改札が始まった。
昔の日本人が広大な満州で築こうとした夢の首都。
長春は私たちにいろんなことを考えさせてくれる。
しかしそこは所詮他人の土地。
謀略と武力で奪い取った夢は、わずか13年で儚く消え去ったのである。
