<きちたび>バルカン半島の旅2024🚌 ボスニアヘルツェゴビナ🇧🇦 夜行バスでたどり着いたモスタルの素敵な宿「Hotel Restaurant Kriva Cuprija」

🇭🇷クロアチア/ドゥブロブニク〜🇧🇦ボスニアヘルツェゴビナ/モスタル 2024年10月28日

ボスニア行きのバスは15分ほど遅れてドゥブロブニクのバスターミナルに到着した。

今回のバルカン半島の旅ではこうした遅れは初めてだった。

「アドリア海の真珠」と呼ばれるドゥブロブニクに少しでも長く滞在したいと夕方のバスを予約したが、結果から言えばホテルでダラダラと過ごしただけだったので午前のバスで十分だった。

到着を待ち侘びた旅人たちが一斉に乗り込んで、バスは25分遅れでバスターミナルを出発した。

バスは左手にアドリア海を望みながらクロアチアの海岸線を北西に走っていく。

まさに夕日が海に沈もうとする時間帯だ。

私はずっと海を眺めていた。

沖には大小さまざまな島が浮かび、さながら瀬戸内海を思わせる多島美である。

そんな美しい海沿いの道は1時間近く続き、次第に夜の闇に溶け込んでいった。

クロアチアの東の端に位置するドゥブロブニクはかつては飛地であった。

内陸国だと思っていたボスニアヘルツェゴビナがわずか10キロ足らずではあるが、アドリア海に面した領土を所有しクロアチアを分断していることを今回の旅で初めて知った。

そのためドゥブロブニクからクロアチアのアドリア海に面した中心都市スプリトまで行こうと思うと、少し前までは一旦ボスニアヘルツェゴビナに入国する必要があったが、2年前ドゥブロブニク側のペリェシャツ半島とクロアチア本土をつなぐ橋が完成し迂回することができるようになった。

しかし私たちのバスは新設された迂回路ではなく、旧来からある道路を進みボスニアヘルツェゴビナとの国境に向かう。

国境に到着する頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。

かつてクロアチアの車両が日常的に通過した国境だけに、出入国の手続きは至ってスムーズだったが、ボスニアヘルツェゴビナ領内に入ると驚くほど明かりが見えず真っ暗だった。

このあたりには民家がないのか、それとも電力事情が厳しいのか、明らかにクロアチアとは様子が違う。

私がこの国を訪れたのは1990年代前半、ユーゴスラビアからの独立宣言に伴い発生した激しい内戦を取材するためだった。

あれからちょうど30年、この国は今どうなっているのだろう?

ようやく明かりが見えたと思ったら、バスが停車した。

小さな売店のようなものが見える。

ここがアドリア海に面するボスニアヘルツェゴビナ唯一の港町ネウムらしい。

それにしても、街のこの暗さはどうしたことだろう?

その後、次の休憩ポイントに停車するまでのおよそ40分、バスは暗闇の中を進んでいく。

果たしてどんな景色が暗闇に隠れているのか、それが見えないことがもどかしく感じた。

移動することだけが目的ならば夜行バスも便利ではあるが、私にとってバスから見える景色はその国を知るための重要な情報源。

やはり午前中のバスを選ぶべきだったと後悔する。

この日の目的地モスタルに到着したのは午後8時だった。

バスは街外れの薄暗い道端に停車した。

付近にタクシーなどは見当たらない。

Googleマップでチェックすると予約したホテルまでは徒歩で20分ほど。

ここは迷わず歩いてホテルに向かうべきと判断する。

モスタルは南部ヘルツェゴビナ地方最大の街とはいえ、内戦時にはイスラム教徒とクロアチア人の間で激しい戦闘が行われ、今も両民族の間で緊張が続いていると聞く。

暗い通りを歩いていても廃墟のような建物が今も残り、人通りもほとんどない。

少し不気味な空気を感じつつ、緊張気味に足速にホテルを目指す。

薄暗い通りに1つ光が見えると思ったら、その建物には「虐殺博物館」と書かれていた。

すでに閉館時間を過ぎていたが、モニターには内戦当時の生々しい映像がエンドレスで流されている。

誰もいない暗い通りで戦争の残虐なシーンを見せられるのは決して気持ちのいいものではない。

しかし、この博物館の前の路地を右手に曲がるとそれまでとは全く異なる別世界が私を待っていた。

まるでテーマパークにでも迷い込んだような街並み。

石造りの商店が並び、道路にもびっしりと丸い石が敷き詰められている。

ただ、ほとんどの店はもう閉まっていて、人通りもまばらだ。

角を曲がると、目の前にライトアップされた石橋が現れた。

この街のシンボルである世界遺産「スタリ・モスト」だ。

オスマン帝国時代に架けられたこの橋は、内戦の際に砲撃によって破壊されボスニア内戦を象徴するニュースとして世界的な関心を集めた。

私もこの街の取材を目論んだが、状況が悪過ぎてモスタルには近づけなかった。

そんな若き日の思い出を抱えながら私は「スタリ・モスト」を渡り、ネレトヴァ川の左岸に入った。

モスタルではあの戦争以来、今通った川の右岸がイスラム教徒エリア、そして左岸がクロアチア人エリアに分けられて、それぞれ別々にバスターミナルを持ち郵便局を持って不必要に交流することなく暮らしているという。

左岸に広がるクロアチア人エリアでは、中央を貫く支流が轟音を響かせながら流れていた。

その支流を見下ろすように崖に沿って器用にテラス席が設けられている。

なんだかディズニーランドのような非日常感を感じさせる街だ。

スマホを頼りに支流沿いの小道を進むと、予約したホテルはすぐに見つかった。

「Hotel Restaurant Kriva Cuprija」

観光の中心地スタリ・モストから歩いて数分のとても便利な場所にあった。

激しいせせらぎの音を聞きながら階段を降りるとテラス席の向こうにホテルのレセプションがあった。

夜間の到着を事前に知らせていたため、チェックインはとてもスムーズに終わった。

ウェルカムドリンクの歓迎を受け、とても洗練された印象の青年からWi-Fiや朝食など滞在中の説明が聞いた後「何か質問があるか」と問われ、私はぜひ聞きたかった一つの質問をぶつけた。

「セルビア人地区に行きたいのだが連れて行ってくれるタクシー運転手を知らないか?」

青年は少し困った顔をした。

ボスニアヘルツェゴビナは国連にも加盟する1つの独立国家ではあるが、戦争から30年が経った今でも、その国土はイスラム教徒とクロアチア人中心の「ボスニアヘルツェゴビナ連邦」とセルビア人中心の「スルプスカ共和国」に二分されている。

一般の国民は基本的に自らが所属するエリア内で生活しかつて敵対した民族の支配地域にあえて立ち入ることはない。

だからモスタルからセルビア人地区に行くのは容易ではないと青年は説明した。

ただ、一応探してはみると約束したうえで、私を部屋まで案内してくれた。

このホテルは断崖に沿って複雑に建てられていて、私の部屋はせせらぎに面した2階建の2階だった。

自然の石を積み上げて造られた建物は実に趣がある。

ところが、部屋の中は全く装いを別にしていた。

壁も天井も真っ白に統一され、伝統的な外観とは対照的に実にモダンな作りになっている。

バスルームも石材をふんだんに使った機能的で清潔なものだった。

どうやら予想以上に洗練されたホテルのようである。

窓を開けるとすぐ下を流れる急流の眺めとともに、ゴーというものすごい水の音が飛び込んできた。

しかし窓を閉めれば嘘のように騒音は消え、眠るのに全く支障はない。

かなりいいサッシを使っているらしい。

その日はそのまま深い眠りに落ちていった。

翌朝。

部屋から出た時、このホテルが本当にすごい場所に建っていることを再認識した。

ホテルの敷地は支流がカーブしたところに石を積み上げて造成してあり、川は何段もの小さな滝が連なる形で相変わらずすごい音を立てながら流れ下っていた。

そんなロケーションだけに、朝食をいただくテラス席はまさに絶景だった。

支流を真下に望み、目を上げるとモスクの尖塔がいくつも見えた。

これは、私がこれまで宿泊したホテルの中でもトップクラスの眺望だと思った。

この宿の朝ごはんは、通常のビュッフェに加えてスイーツが特に充実している。

飲酒をしないイスラム教徒が多い国ではその代わりに甘いものとコーヒーという文化が発達するのかもしれない。

誰よりも早くテラス席に行き、他のお客さんが起きてくる前に最高の席を確保した。

モスクからは一斉に朝のお祈り、アザーンが聞こえてくる。

モスタルは世界遺産に選ばれるだけあって、私が予想していたよりもはるかに素敵な街である。

朝の爽やかな風に吹かれながらいただく朝食が15ユーロ。

まあ、そこそこの値段ではあるが、このロケーションを考えれば1回は試してみる価値はあると私は思う。

そして宿泊費は2泊で2万2312円。

モスタル観光の拠点としてはかなりオススメである。

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