<きちたび>アラビア半島の旅2023🕌ドイツ🇩🇪 古い街並みを丸ごと再生!21世紀に蘇ったフランクフルト「旧市街」を歩く

🇩🇪 ドイツ/フランクフルト 2023年2月2日

フランクフルトには何度か来たことがあるが、仕事だったりトランジットだったりで、まともに市内を歩いたことがなかった。

だから今回の中東旅行がフランクフルト経由になった時に、最低でも1泊してドイツを代表するこの街のことを知りたいと思った。

ガイドブックを見ると、レーマー広場を中心とする旧市街が一番の観光スポットだという。

だからわざわざ旧市街に宿を取り、短い時間であっても自分の足でぶらぶらしてみようと思ったのだ。

お散歩を始めたのは朝の7時40分。

2月のこの時期にはまだ夜が開けておらず、ようやく空の色が黒から青に変わり初めていた。

ホテルの隣にそびえる大聖堂にはまだ灯りがともっていて、とても神々しい。

この大聖堂は、正式名を「聖バルトロメウス大聖堂」といい、神聖ローマ帝国皇帝の選挙や戴冠式が行なわれた教会として、通称「カイザードーム」とも呼ばれているそうだ。

朝9時になれば教会の内部も見学できるそうだが、まだ時間が早すぎて開いていないし、まあ教会の中というのはだいたい同じなので今回は外観だけ拝むことにしよう。

大聖堂前の路地を西に進む。

小雨が降ったりやんだりしているが、思ったほど寒くはない。

このところのフランクフルトの最低気温は6〜7度もあり、昼間もほとんど気温が上がらない。

路地を少し入ったところに、昨日私が降りた地下鉄のDom/Romer駅だ。

なかなか素敵なエントランスだが、駅名のDomとは大聖堂のことで、大聖堂駅といった感じなんだろう。

ちなみに、私が泊まったHotel am Domも「大聖堂脇のホテル」という意味らしい。

駅の前を通り過ぎたところに、ドイツ土産の定番でもある木組みの家のミニチュアを売る専門店があった。

まだ店は開いていないが、ショーウィンドウにはまばゆいばかりの照明がたかれ、薄暗い街並みの中でそこだけが光り輝いていた。

この周辺の旧市街には、ミニチュアそっくりの昔ながらの街並みが残っている。

ヨーロッパらしい街の保存が徹底していると感心したのだが、実はこの一帯は第二次大戦で完全に破壊されたことを知った。

私の見ているこの伝統的な街並みは何と2017年に再生されたばかりの全く新しい「旧市街」だったのだ。

とても信じられない。

これだけ完璧で見事な再開発はなかなかお目にかかれないだろう。

ネットで見つけた記事には、再開発の経緯が詳しく紹介されていた。

再建計画が開始される前は、この地域は主にビュルゲラムトやその他の政府施設にアクセスするための駐車場として使用されており、いくつかの薬物使用事件が目撃されていたため、地元の人々からは非常に危険であると見なされていました。 歴史資料の調査と、地元住民60人の協力による計画ワークショップの設置を経て、2014年11月に35棟の古民家の作業が開始され、2017年に完成しました。

引用:Decor Design

斬新なデザインのビルを建てる再開発と比べて、なんて温かみのある再開発だろう。

この真新しい旧市街は早速フランクフルトの観光名所となり、観光客だけでなく、地元の人たちも引き寄せた。

それは単なる作り物ではなく、自分たちの誇るべき歴史を蘇らせたものだからである。

路地を抜けると、美しい広場に出た。

再生された旧市街の中心「レーマー広場」だ。

広場を取り囲む伝統的な木組みの家も、古い建物と新しい建物が見事に調和するように再開発されたらしい。

新しいけどモダンすぎない。 歴史にインスパイアされていますが、時代遅れではありません。 居心地が良く、高品質で、個性的でありながら、全体として均質です。 典型的なフランクフルト、典型的な旧市街、典型的なドムレーマー地区。

引用:Decor Design

これがリノベーション プロジェクトのデザイン コンセプトを定義するデザイン原則なのだそうだ。

決して昔を再現するだけではない。

現代の技術も活かしながら21世紀なかではの旧市街を作りあげたのである。

広場に面した建物には、ドイツやEUの旗とともにウクライナの国旗が掲げられていた。

この広場は古い時代へのノスタルジーではなく、今のドイツを象徴する場所なのだ。

この大規模な再開発によって「15 の既存の建物が再建され、20 の新しい建物が導入されましたが、旧市街の典型的なスタイルの要素が組み込まれ」、このプロジェクトは2019 年、カンヌで開かれる国際的な不動産見本市「MIPIM」で表彰された。

日本以上に個人の権利が尊重されるドイツで、こんな野心的なプロジェクトが実現したのだ。

日本でも、こうした歴史的意義のある大規模再開発ができないはずはない、と感じた。

レーマー広場を北に抜けると、トラムが走る大通りに出た。

トラムの後ろに見える古い建物は「パウルス教会」。

1848年に第1回のフランクフルト国民議会が開かれ、ドイツ国憲法が協議されたドイツ民主主義を象徴する場所だそうだ。

そのパウルス教会の向こうには、現代ドイツを象徴する近代的な超高層ビル群が立ち並んでいた。

電車通りを西に進み、ダウンロードしたGoogleマップを頼りに「ゲーテハウス」を目指す。

このあたりはフランクフルトの中心街だと思うのだが、平日の午前8時とは思えないくらい人影も車もまばらである。

冬は仕事始めが遅いのか、それとも何かの祭日だったのだろうか?

そして8時すぎ、朝散歩の最終目的地「ゲーテハウス」にたどり着いた。

この家は、ドイツの文豪ゲーテが生まれた場所で、彼は16歳までこの家で過ごした。

戦争で焼け落ちたが修復され、現在は博物館として公開されている。

4階建の建物の内部は、ゲーテたちが暮らしていた18世紀の様子を再現しているらしいが、博物館から開くのは午前10時から。

とりあえず、外観だけ拝んでホテルに戻ることにした。

ホテルに戻る途中、街灯が突然消えた。

素敵な旧市街のお散歩は、黄色い街灯がともっている時間の方が美しい、そう思った。

2月であれば、私が歩いた午前7時半から8時の間、まさにミラクルアワーである。

もちろんカフェや土産店はまだ開いていないが、空の青と街灯の黄色が織りなす美しい街並みはそのマイナスを補って余りあると私は感じた。

ホテルを10時にチェックアウトして空港に向かう途中、私にはもう1カ所訪ねたい場所があった。

中央駅で地下鉄を降り、駅正面の道を東に戻る。

10分ほど歩くと、テレビニュースで時々目にするモニュメントの前に出た。

黄色い星に飾られた青いユーロのマーク。

そうここは、ヨーロッパの共通通貨ユーロを管理する欧州中央銀行、ECBの本部である。

私がバリ特派員だった1990年代、ヨーロッパは歴史的な通貨統合に向け大揺れだった。

ドイツのマルク、フランスのフランなど各国が守り続けてきた自国の通貨を捨てて、多国籍の共通通貨を産み出そうという壮大な実験である。

当然抵抗もあるし、デメリットも数え上げればキリがなかった。

それでも冷戦終結直後の指導者と国民は、ヨーロッパで再び戦争を起こさないことを優先して、あえて愛着のある通貨を捨てる決断をしたのだ。

あの時代、世界にはまだそんな理想主義が残っていた。

今の日本人にそんな覚悟はあるだろうか?

アジアの平和のために日本円を捨てることを想像して欲しい。

しかし、あの頃の理想は世界から消え去ってしまった。

利害の対立する国々が話し合いによって少しずつ解決策を見出し、互いに歩み寄って共同体を作っていく。

効率が悪くても、世界の平和を守るにはEUを作り上げたヨーロッパのリーダーたちのような信念と粘り強さがなければ、私たちが享受している平和を守る方法はないのだと、私はユーロ導入のプロセスを取材しながら確信したのである。

フランクフルト中央駅からECBに至る道路沿いには、トルコ系やアラブ系の移民たちの姿が目立つ。

このあたりの商店の多くも移民たちが経営しているようだ。

こうした光景を苦々しく思っているドイツ人も多いのだろう。

近年、ドイツでも移民排斥を訴える極右団体が台頭している。

昔のドイツを懐かしがる人々の気持ちも理解できる。

しかし移民を受け入れず、単に安価な労働者として利用することしか考えていない日本と比べれば、ドイツは立派だ。

真正面から移民問題を争点にして選挙を戦っている。

そして今なお多数派は移民の受け入れを許容しているのだ。

アーリア民族の優越性を訴えたナチスへの反省がまだ辛うじて残っている。

それに対して日本は、いまだに単一民族との幻想を捨てられず、人口減少を憂えながらも移民問題には与野党ともに向き合おうともしないのだ。

ドイツに学ぶべきことはたくさんある。

トランジットの数時間フランクフルトの街を歩きながら、私はそんなことを考えていた。

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