🔶「旅したい.com」から転載
<沖縄>与那国馬と海底遺跡!日本最西端のワンダーランド【与那国島】をレンタカーで一周する
🇯🇵沖縄/与那国島 2020年1月18日~19日
与那国島と聞いて私にイメージできたのは、“海底遺跡”と日本で一番西にある島というぐらいでした。
日本のことをもう少し知りたいという動機から、島国日本に無数にある私の知らない島々を巡ることを新たな旅のテーマにしようと考えました。
その第一弾となるのが、沖縄県八重山諸島の西の端、与那国島でした。
与那国島へは石垣島から飛行機で!レンタカーは【最西端観光】が便利
与那国島に行くには、まず石垣島まで飛んで、そこから飛行機か船で行くことになります。
2013年に開業した新石垣空港は、正式名称を「南ぬ島 石垣空港」と言います。
「南ぬ島」は「南の島」という意味ですが、読み方は「ぱいぬしま」と読むそうです。これはなかなか読めません。
石垣島から与那国島へのフライトを運航しているのは「RAC 琉球エアコミューター」。
石垣島に到着してすぐに与那国島行きのフライトがあることを知り、予約していた午後の便を早めてもらいました。
使用する飛行機はプロペラ機、ボンバルディア社製のDHC-8-Q400CCです。
空港のターミナルビルから歩いて飛行機に乗り込みます。
機体には「島あっちい」と書かれたステッカーが・・・。
ネットで調べてみると、沖縄県民の人たちに離島を訪ねて交流してもらおうという沖縄県の事業のようで、費用の6割の補助が受けられるそうです。でもあまり人気がないようで、どのツアーも募集中で定員に余裕があると表示されています。
沖縄の人たちはあまり離島に行かないそうですが、私が代わりに行きたいようなツアーが並んでいました。
キャビンアテンダントは一人だけ。
非常時の案内を人が行なっているのを見るのも久しぶりで、温かさを感じました。
石垣島を飛び立って20分あまりで、与那国島が見えてきました。
分厚い雲が空を覆い、外洋の荒波が島の周囲を白く縁取っています。
近くに他の島がない絶海の孤島です。
こちらが与那国空港。
もちろん歩いて建物に向かいます。
空港を出ると、バスとタクシーが待っていました。
どちらも「最西端観光」と書かれています。
私がレンタカーを予約したのも「最西端観光」だったので、私が予約したレンタカーも空港の目の前に用意されているのかと勘違いしたほど、与那国島の交通を一手に牛耳っているようです。
それにしても、この空港、かなり年季が入っています。
「日本にもこんな空港があるんだなあ」と妙な感慨を覚えました。
さすがにこのフェンスは工事することになっているようです。
でも、与那国島の第一印象は、どこか南太平洋の島国に到着したようでした。
レンタカー会社はすぐに見つかりました。
空港を左手に出て、道を渡ったところで、他には建物らしきものもないので迷いようがありません。
与那国島には大手のレンタカー会社は進出しておらず、最西端観光が営む「SSKレンタカー」が市場をほぼ独占しているようです。
申し込みはメール。支払いは現金です。
軽自動車を借りて、1日5000円。狭い島なので、軽自動車で十分です。
バスやタクシーもわずかながらありますが、島内を効率よく見て回るなら、絶対にレンタカーかレンタバイクを借りることをオススメします。
道路は予想外にきれいに整備されていて、通行量もほとんどないので運転に自信がない人でも楽しく運転できるでしょう。
与那国島一周① 祖納集落の【ホテル入船】で「海底遺跡」ボートツアーに申し込む
レンタカーを借りた私がまず向かったのは、与那国町役場がある「祖納集落」。
集落の中程に、「ホテル入船」という宿があります。
ここに宿泊するためではなく、ツアーの予約を確認するのが目的でした。
与那国沖の海に眠る「海底遺跡」を船で訪ねるボートツアーをこの宿のオーナー新嵩喜八郎氏が主催しているのです。
新嵩さんはダイバーとしてこの海底遺跡を最初に発見した人物であり、その後も自ら観光船を操縦して海底遺跡を広く紹介する活動を続けています。
私は与那国島を訪れるならぜひこの海底遺跡を見てみたいと思い、電話でツアーに申し込んでいたのですが、最低5人集まらなければ船は出ないので到着後再確認するよう伝えられていたのです。
ホテル入船の廊下には、海底遺跡の写真が飾られています。
地質学者や考古学者の間では、これは自然の地形であるという見解が圧倒的なようですが、この切り立った階段状の構造物は「遺跡」と考えた方がロマンがあります。
ホテルの受付をしていたネパール人男性は、「(私が予約した)明日の朝は人が集まらないので船は出せないが、今日の午後に団体が入ったので、午後3時に船が出るのでそれに参加するか?」と聞きます。もちろんそのツアーに参加することにして、ホテルを後にしました。
ホテルの目の前には「崎原商店」という雑貨屋さんがあり、次々にお客さんが入っています。
ごく普通の小さな雑貨店ですが、どうやらこの集落では中心的なお店のようです。
飲み水も少なくなっていたので、私もここで飲み物を買うことにしました。
沖縄らしい食品も並んでいます。
「しょうが糖」に目が止まり、買おうと思って見ると、全部賞味期限がとっくにきれていました。
結局買ったのは、さんぴん茶となぜか瓶に入った「バターピー」。
この瓶詰めのピーナッツがこの日の私の昼食になりました。
なぜならこの集落にある食堂はどこも昼は閉まっていてランチをやっている店がなかったからです。
雑貨屋の店員さんに教えてもらった店も全部閉まっていました。
どうなってるんだ? この村は?
町役場もある集落でご飯も食べられないとは、ちょっと驚きです。
翌日同じ集落を通りがかると、前の日に閉まっていた店が営業していたので、いつもランチが食べられないということではないようですが、与那国島では夜だけ営業する飲食店が多いことを知っておいた方がよさそうです。
与那国島一周② 与那国馬たちの楽園!最東端の断崖【東崎】は最高の撮影スポット
レンタカーを運転して、一路東へ・・・。
道路を走る車はほとんどなく、島を独占したような気分になります。
そんな私の前に立ちふさがったのが、こいつ。
馬です。
場所は与那国島の東の端「東崎」です。
岬の先端に灯台が立っていて、その手前に荒涼とした草地が広がっています。
海に向かって岩がむき出しになった急傾斜地になり、ところどころにソテツが生えたその風景は、本土ではなかなか目にしないものです。
この一帯は、「東牧場」と呼ばれていて、馬や牛が放牧されていました。
与那国島で飼育されている馬は「与那国馬」と呼ばれ、日本在来馬8種のうちの一つだそうです。
離島のため他の馬の交配することなく古くからの種が純粋に受け継がれてきました。
かつては、農耕や運搬、乗用に使われてきましたが、自動車の普及でそうした用途はなくなり、今ではもっぱら観光資源として保護飼育されているといいます。
そのせいか、馬たちはいたって自由奔放。
自動車も滅多に来ないので、東崎の駐車場も我が物顔で占拠しています。
私が車を近づけても、逃げようともしません。
車を降りて、灯台の方向へ歩いていくと、歩道の上には馬の糞・・・。
遠目にはきれいな牧場も実際に歩くと、至る所に糞が散乱しています。
でも馬たちはとてもおとなしく、近くで写真を撮っていても人間を怖がる様子はまったくありません。
牧場に置かれた説明書きには、こんなことが書かれていました。
『 体高は115cm、体長は120cm、胸囲は130cm前後で日本の在来馬の中で最も小型である。また、蹄は硬く蹄鉄を必要としなく、強健で粗食に耐え、性質温順である。このような小型馬でありながら重い荷物を背中に載せて運び、馬車を牽き、畑を耕すために鋤を牽き、人を乗せ、与那国島にとっては馬は貴重な家畜でした。』
そんな健気な馬たちを讃えるように、空を覆っていた厚い雲が一瞬割れて、馬たちの上にだけ青空が広がりました。
最果ての島の荒涼とした風景の中で、黙々と生きてきた与那国馬。
この馬に合うことを目的に、与那国島を訪れる価値があると思いました。
東崎には、牧草地の上に灯台と展望台があります。
しかし展望台の方は、海からの強風にあおられて腐食が進み、利用できなくなっていました。
そして灯台に近づくと、断崖から落ちないよう設けられたとみられる手すりが、無残に朽ち果てていました。
人工物を無力にする強烈な風が岬を吹き抜けていきます。
1月とはいえ、与那国島では長袖ぐらいで寒さは感じませんが、この岬では体感温度が全然違って、東京で着ていたダウンジャケットを取り出したほどでした。
恐る恐る崖から身を乗り出すと、真っ逆さまに切れ込んだ断崖の下で、荒々しい東シナ海が白い波を泡立たせていました。
間違って落ちたら、ひとたまりもありません。
それでも、晴れた日には、この岬から66キロ離れた西表島が見えるそうです。
きっと青空が広がる穏やかな日には、この東崎もまったく違った表情を見せるのでしょうね。
とにかく、与那国島の素敵な写真を撮りたいと思ったら、与那国馬に会えるここ東崎が絶対にオススメです。
与那国島一周③ 車がほとんど通らない島の東南エリア【軍艦岩】と【立神岩】
東崎を後にして、島の南側の海岸線を今度は西へと向かいます。
民家もなければ、人通りもなく、すれ違う車もありません。
道の向こうに見える山は、与那国島の最高峰「宇良部岳」。三角形の山容から「与那国富士」とも呼ばれています。
右手に展望台が見えてきました。
石碑に目をやると、なんと「NHK大河ドラマ 琉球の風」。
私は見ていないので何の感慨もありませんが、1993年に半年間だけ放送された異例の大河ドラマだったようです。
薩摩に侵略された琉球を舞台に選ぶとは、当時のNHKは今とは違って野心的だったようです。
「琉球の風」のロケが行われた場所には、通称「軍艦岩(サンニヌ台)」があります。
小さな展望台から眺める岩は、軍艦というか潜水艦のように見えなくもありませんが、かなり微妙です。
別の角度から見ると、もっと軍艦らしく見えるのかなと思いましたが、そちらの道は立ち入り禁止になっていました。
貧しい与那国島では、観光スポットを整備するお金がないのでしょう。
軍艦岩からさらに西に走ると、少し立派な展望台が現れました。
この時一瞬、東の空に晴れ間がのぞきました。
海から垂直に立ち上がった与那国の地形がはっきりとわかります。
この展望台から見えるのは、与那国島随一の景勝地「立神岩(たちがみいわ)」です。
「与那国観光WEB」にはこんな話が載っていました。
『 その昔、海鳥の卵を取ろうと、この岩に登って下りられなくなった若者がおり、神に祈りを捧げて眠りについたところ、眼を覚ましたら無事に戻れていたという伝説があると言われています。』
切り立った崖が続く海岸線にポツンと立ち上がった立神岩。
展望台に登ると、はっきりと見ることができます。
ちなみに、晴れた東側はこんな感じ。
空と海が青くなると、与那国島の風景がまるでハワイのように見えてくるから不思議です。
もう少し車で西に走ると、もっと近くから立神岩を望める展望台があります。
確かに目の前に岩が見えて迫力はありますが、断崖絶壁をバックに直立する孤高の印象は薄れます。
実は、立神岩を西から望める3箇所目の展望台があります。
他の2箇所と違って駐車場もなく、高台につながる小道があるだけです。
与那国島のシンボルと言われる立神岩。
せっかくなら、角度の違う三つの展望台から見比べてみるのも、楽しいかもしれません。
与那国島一周④ 世界最大の蛾「ヨナグニサン」の博物館【アヤミハビル館】
与那国島の最高峰「宇良部岳」の中腹に、ちょっと変わった博物館があります。
「アヤミハビル館」。
アヤミハビルとは、与那国の方言で世界最大の蛾「ヨナグニサン」のことです。
そう、与那国島で数少ない観光施設は、蛾の博物館なのです。
『 翅を広げると最大で24cmに達する世界最大級の蛾、ヨナグニサン。与那国島では昔からアヤミハビルと呼び親しまれてきました。特に与那国島での個体数が多かったことが和名の由来になっていますが、石垣島、西表島にも分布しています。しかし石垣島では数十年来発見例がなく、絶滅した可能性が高くなっています。国外に目を向けると台湾、中国南部、東南アジア、インドに至る広い地域に分布しています。八重山諸島に生息するヨナグニサンは翅の模様の違いなどから琉球亜種に分類され、分布の東限にあたる個体群として貴重です。』
大きいだけでなく、翅の上の端っこをよく見ると、蛇の頭に見えませんか?
でも、その生涯はほとんど幼虫の姿で過ごし、さなぎから成虫に羽化した後、オスの寿命は4〜5日、メスの寿命も5〜9日程度しかないのだそうです。
その短い間に交尾をし卵を産むと、まるで枯れ葉のように死んでいくのです。
その見た目から蝶のようには愛されない蛾ですが、ちょっと同情してしまいました。
ヨナグニサンだけでなく、この施設では与那国島固有の生物についての展示もされています。
この蛇は「ヨナグニシュウダ」といいます。
アオダイショウの仲間で、毒はありません。与那国島にはハブを含めて毒ヘビはおらず、このヨナグニシュウダが生態系の一番上にいるそうです。
それにしても、博物館を訪れる客はほとんどいません。
「なんでこんな辺鄙なところに博物館を作ったんですか?」
蛇の説明をしてくれた係員に聞いてみると、「宇良部岳がヨナグニサンの生息地だからです」ということでした。
せっかくなので与那国島の最高峰、宇良部岳の山頂に登ってみました。
天気が良ければ青い海原が広がっているのでしょうが、この日は雲が低く垂れ込めていました。
与那国島一周⑤ 島の南「比川集落」には【Dr.コトー診療所】と自衛隊施設が
観光ガイドブックで紹介される与那国島の情報はごくわずか。
その中には必ずドラマ「Dr.コトー診療所」のロケ地が観光スポットとして登場します。
ドラマを見ていないのでなんの思い入れもありませんが、スルーするのもなんなのでちょっとだけ立ち寄ることにしました。
診療所は、与那国島に3つしかない集落のうち、一番小さな「比川集落」にあります。
ドラマの舞台は八重山諸島の架空の島「志木那島」。
診療所の建物は、ドラマ撮影のために新しく作られたそうです。
全てはフィクションですが、ドラマロケは実際にこの与那国島で行われてようなので、一度ドラマを観てみたいと思いました。
知っている場所が登場すると、ドラマはまた別の楽しみ方ができるものです。
ただし、診療所の中に入るには、入場料が必要なようです。
誰も管理している気配はありませんが、特に入りたいわけでもないので外から写真を撮っただけで早々に退散しました。
Dr.コトーよりもずっと私の関心を引いたのは、こちらのアンテナ群でした。
宇良部岳周辺を車で走っている時に、突然視界に入ってきたのです。
何もないのどかな島に突如出現した謎のアンテナは、どうやら最近建設された自衛隊のレーダー施設のようです。
調べてみると、中国による海洋進出に対応するため、与那国島に自衛隊が駐留するようになったのは2016年のことでした。
レーダー基地からさらに車を西に走らせると、「南牧場」と呼ばれるエリアに入りました。
馬たちが海岸沿いの岩場に放し飼いされています。
そうかと思えば、歩道を占拠して道路脇の植物を一心不乱に食べている馬もいます。与那国馬は、どこまでも自由です。
おかげで、道路は馬の糞だらけです。
さらに進むと、道路の真ん中を馬が歩いています。
道路を堂々と歩く馬の写真を撮っていると、その前方に与那国島では珍しい真新しい建物が建っているのが見えました。
なんだろうと思ってみてみると、ここも自衛隊の施設でした。
現在160人ほどの自衛艦が任務にあたり、家族も一緒に赴任した隊員もいるため、学校の生徒数が増え、一時1500人を割り込んだ島の人口も1700人台まで回復したそうです。
でも自衛隊の配備にあたっては、島を二分する住民投票が行われ、複雑な気持ちを抱く住民も少なくないと聞きました。
与那国島一周⑥ 運が良ければ100km離れた台湾が見える!日本最西端の岬【西崎】
自衛隊施設を通り過ぎると、いよいよ与那国島の西の端、そして日本で最も西に位置する岬「西崎」が見えてきます。
西崎と書いて、「いりざき」と読みます。
与那国島を訪れる観光客が必ず記念撮影するのが、この記念碑。
「日本国 最西端之地 与那国島」と書かれています。
日本最西端を示すこの石碑は、意外なことに国や自治体が作ったものではなく、与那国中学と久部良中学の卒業生グループが建てたものでした。
石碑の裏側には、与那国島から主要都市までの距離が刻まれていました。
石垣島より台湾の方が近く、東京よりもソウルや北京の方が近いことがわかります。
そして岬の先端部にそびえ立つのが西崎灯台。
島唯一の港を見下ろす西崎灯台は、先ほど見た東崎の灯台に比べれば船の航行にとって欠かせない現役感のある灯台です。
灯台の脇に設けられた展望台には、岬の向こうに見える台湾の山々が描かれていました。
年に数回、実際に台湾が見える日があるのだそうです。
私も岬の先端に立って、西の方角に目を向けます。
雲が垂れ込めて、台湾は見えません。
ついでに、岬から北の方角も見てみました。
与那国島の北およそ150キロの所には、中国との間でもめている尖閣諸島があるはずですが、こちらも当然見ることはできません。
太古の時代、黒潮が流れる与那国周辺には手漕ぎの船では容易に近づくことができませんでした。
そんな絶海の孤島も、今では自衛隊を受け入れ、離島防衛の最前線へと変わろうとしていることを実感しました。
与那国島一周⑦ 「海底遺跡」ツアーの久部良港で味わうアルコール60度の「花酒」
西崎から北東方向を眺めると、久部良集落と港がよく見えます。
与那国島には船が入港できる港はここ一つだけ。石垣島から週2便運航されているフェリーもこの港に到着します。
カジキ漁に向かう漁船、ダイビングや海底遺跡に向かう観光船も、この港から出港して行きます。
私も午前中に予約した観光船に乗って、海底遺跡の見物に出かけました。
発見者の新嵩喜八郎氏自ら船長を務める観光船は、海の中が窓越しに眺められるグラスボートになっています。
新嵩さんの解説はスピーカーが不明瞭でよく聞き取れませんでしたが、きれいに階段状になった部分もあり、確かに遺跡だと言われればそう見えなくもありません。
しかし、それほど人工的には見えない部分の方が多く、やはり自然の地形と考える方が説得力がありそうです。
それでも海底遺跡を全国に紹介し、自ら船で観光客を案内する新嵩さんの与那国島への貢献は大きいと思ったので、ツアーが終わって港に戻った時、お願いして写真を撮らせてもらいました。
私のように海底遺跡が見たくて、与那国にやってくる人も結構いると思います。
さて、話は久部良港に戻ります。
戦後の一時期、この港は米軍占領下の沖縄に生活物資を運ぶ密貿易の拠点としてものすごい活況と呈しました。
沖縄や海外から密貿易業者が集まり、集落には料亭や映画館、劇場などもあったそうです。
今では見る影もない寂れた漁村ですが、私は与那国での宿をこの久部良集落に取りました。
港の目の前にある「日本最西端国境の宿 はいどなん」です。
一泊朝食付きで4000円。
最果てを感じさせるなかなか渋い宿でした。
宿の人に紹介され、夕食は近くの居酒屋「島料理 海響(いすん)」で食べました。
ここで飲んだのが、与那国特産の「花酒」。
アルコール度数60度という与那国島だけでしか作られない強烈な泡盛です。
小さいグラスが花酒、大きい方はただの水です。
合わせるつまみは、これまた与那国を代表する「かじき刺身」。
その後も本土では食べられない珍しい料理を堪能して、有意義な夜を過ごせました。
「島料理 海響」について詳しくは、こちらの記事もどうぞ。
与那国島一周⑧ 女首長サンアイ・イソバのねぐら【ティンダバナ】と滑走路
海響での夕食の際知り合った人にこんな話を聞きました。
「飛行機を撮影するために与那国島に来る人がいる」
聞くと、プロペラ機が低空で降りてくるので、滑走路の手前に待機していると頭上を飛ぶ飛行機が撮影できるのだと言います。
その話を聞いていた店の女性は、祖納集落の裏にそそり立つ「ティンダバナ」と呼ばれる断崖から飛行機を撮影する人もいると教えてくれました。
翌朝、私はティンダバナに向かいました。
祖納から見上げると、頭上にのしかかってくるような威圧感を感じる崖です。
ここは16世紀、琉球王府の侵略に抵抗した女首長サンアイ・イソバがねぐらにしていたと伝わる山の窪地でした。
15世紀までは誰も近づけない絶海の孤島として、伝統的な部族生活を送っていた与那国の人たちはこの頃から強力な武力を持った外部からの侵略を受け、やがて過酷な人頭税を課され、奴隷のような生活を送るようになったのです。
サンアイ・イソバはそうした外部勢力に抵抗した島の英雄として語り継がれ尊敬を集めてきました。
「どこから飛行機が撮影できるのだろう?」
飛行機の到着時刻が迫る中で、崖の脇の細い道を辿って飛行場の方向に回り込もうと試みますが、行き止まりで飛行場はまったく見えません。
諦めて、飛行場近くに車を走らせます。
滑走路の手前の小道に入ると、望遠レンズを構えたカメラマンが一人、撮影の準備をしていました。
「ここって有名な撮影ポイントなんですか?」
カメラマンの人にそう声をかけると、「有名と言うことはないですが、知る人ぞ知るって感じでしょう」と教えてくれました。
飛行機がやってきました。
頭上を通過して・・・
滑走路へと着陸しました。
プロペラ機なので、予想したよりは音も小さく迫力はありませんでしたが、確かに近くから飛行機を見ることはできました。
与那国島の旅にはレンタカーが絶対にオススメ!与那国馬に癒されよう
1泊2日で与那国島をぐるりと回った今回の旅。
公共交通機関が整っていない与那国島を自由に回るためには、絶対にレンタカーがオススメです。
レンタサイクルもありますが、結構高低差があってきついです。
スクーターのレンタルもあって、レンタカーよりも安いですが、海沿いの道は風が相当強いのでそれなりの覚悟が必要でしょう。
でも、車がほとんど走っていない海沿いの道を走っていると、まるでコマーシャルの1シーンのような絶景ドライブが楽しめます。
日本なのに日本じゃないような与那国島ですが、私の記憶に一番残ったのは、与那国馬たちのおおらかで、あまりに自由な姿でした。
与那国馬たちと出会うためだけにこの島を訪れたとしても損はありません。絶対に、癒されます。
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