今日は3月11日、あの東日本大震災から13年が経った。
行こうと思いながら、なかなか東北の被災地にも長く行けていないので、私自身は13年経って被災地がどのように変貌したのかを語ることはできない。
しかし、テレビで伝えられる状況を見る限り、復興工事はほとんど終了したものの、元のようなコミュニティーが復活した町は多くないように感じる。
震災がなくても過疎が進む地域で巨額の国費を投じて行われた復興工事。
それが本当に正しいやり方だったのか、住民たちの間でも意見が分かれる。
そんな人間の迷いをよそに、自然は確実に回復しつつある。
大津波で完全に流されてしまった岩手県陸前高田市のシンボル「高田松原」も、住民たちの努力によって復活しつつある。
まだ若い松の木に絡みつく、厄介者の葛をボランティアたちが手作業で取り除く作業に追われる。
海を隠すコンクリートの巨大な防潮堤を作るよりも、こうした自然を生かした復興の試みはやはり見ていて共感できる。
安全が確保できれば他のことはどうでもいいということではない。
人間が豊かな気持ちで生きていくためには、地域の誇りや美しい景観も安全と同じくらい重要である。
そんなことを感じる3.11。
私は畑に梨の木を植えた。
岡山では梨の栽培は決して盛んとは言えないので、気候的にあまり向いていないのかもしれないが、ホームセンターで苗木が売られていたため、試しに買ってみた。
本当は、桃や梅の苗木を植えるつもりだったのだが、ホームセンターにはすでに在庫がなく、聞くと先月まではいっぱい並んでいたということだった。
梨は1本では実がつかないらしく、受粉樹の組み合わせが重要になるという。
私が購入したのは「豊水」と「幸水」。
どちらの品種も私が好きな梨で、受粉樹としても適しているらしい。
もちろん、この2品種の組み合わせも悪くない。
ただ、梨を植える畑はもともと水田だった土地で、水捌けが悪く、粘土質の土壌が気がかりである。
案の定、畑に穴を掘ってみると、あっという間に穴の中に水が溜まった。
このまま苗木を植えても、土が硬くて根を張ることができないのではないかと心配になる。
そこでまず、土づくりを試みる。
耕した畑の土にバーク堆肥と発酵牛ふん、さらに赤玉土を加えて混ぜ合わせ、これを梨の苗木の植え穴に入れることに。
土を入れる前に、穴の底に「パーライト」と呼ばれる白い小さな粒をたっぷり入れる。
パーライトとは、ガラス質の火山岩を高温加熱し、急激に水分を蒸発させて作られた土壌改良資材だそうで、排水性や保水性、通気性を改善してくれるらしい。
パーライトの上に穴が埋まる程度に土を入れ、その上に梨の苗木を置く。
そして先ほど作った埋め戻し用の土を苗木のまわりに盛って、最後に掘り出した元の粘土質の土を周辺部に置いて周囲よりも少し高い盛り土にしてみる。
以前は参考書を見ながら、その通りにやっていたが、農作業も3年目ともなるといつもの適当さが顔を出して畑仕事も我流になってくる。
ともあれ、何もない畑に、2本の棒のように見える梨の苗木が植えられた。
後は、自然の力を信じてじっと見守るだけである。
間違って草刈りの際に苗木を切らないように、雑草が生え始めたら何かの目印なり防草対策なりを考えなければならないだろう。
ついでに、畑の別の区画を耕して、野菜作りのための土づくりも始めた。
ミニ耕耘機で軽く耕してから、バーク堆肥、発酵牛ふん、赤玉土を適当に投入。
これを再び耕耘機で混ぜていき、生えていた草やワラも一緒に土に混ぜ込んでいく。
こんな適当な土作りで本当に野菜が育つような土壌に変わるかはわからないけれど、農業で生計を立てようなどとは考えていないので、失敗したらまた来年頑張ればいいだけだ。
こうして2024年の農作業がいよいよ始まった。
初めて耕したこちらの畑には、トウモロコシとエダマメを植えるつもりだ。
これらの作物を育てると、畑の土が柔らかくなり、他の野菜を育てる環境を作ってくれるのだそうだ。
今月末に、高校入試が終わった一番年上の孫が岡山に遊びにくる予定なので、彼と一緒にトウモロコシの種を植えよう。
さて、どんな畑になってくれるか、不安も多少あるがその何倍も楽しみが増している。