🇯🇵 京都府/宮津市&京都市 2025年11月22日
学生時代の仲間たちとの賑やかなドライブ旅3日目。
兵庫県を南から北に縦断して城崎温泉まで来たが、ここからルートを東に取り、京都府に入った。
やって来たのは日本三景の一つ「天橋立」。
当初幹事団がまとめたプランでは、あまりにベタでみんな行ったことがあるだろうとスルーされていたが、私を含めて案外行ったことがないという連中も多くて、せっかくなら一度は行っておきたいということで最終日の目的地に加えられた。
この日が三連休の初日とあって、駐車場に車を停めるのも一苦労だったが、リフトに乗って天橋立の南側に位置する高台に登った。
天橋立は、宮津湾と阿蘇海を南北に隔てる全長3.6キロに及ぶ湾口砂州。
砂州の右手が日本海に続く宮津湾、そして左手が砂州によって仕切られた内海の阿蘇海である。
宮津湾から流れ込む海流と野田川の流れがぶつかる場所に長い年月をかけて砂が堆積し、このような絶景を生み出した。
名所という所は、実際に行ってみるとがっかりすることも多いのだけれど、天橋立は予想した以上に美しい砂州であり、一見の価値があったと感じた。
天橋立といえば、「股のぞき」。
龍が天に昇るように見えるというので私も実際にやってみたが、どうしてどうしてそう簡単に龍は天には昇らない。
むしろ代わる代わる股のぞきをしている観光客を見る方が何倍も面白いというものである。
ということで、丘の上に作られた昭和レトロな遊園地にこれ以上止まっていても意味はないと、そそくさとリフトに乗って地上に降りることにする。
下りのリフトは最高だった。
眼前に天橋立の絶景が広がり、ちょっとした空中散歩である。
すれ違う観光客の多くは外国人。
オーバーツーリズムが問題となる京都からも近い天橋立は、今や外国人にも人気の観光スポットである。
地上に降り立った我々は、自分の足で天橋立を体感しに行く。
海に堆積した砂の帯の上には美しい松林が連なっていた。
この松、人間の手によって植えられたものは少なく、その多くは自生したものなのだそうだ。
そして、宮津湾側に広がる美しい砂浜。
夏には海水浴場としても利用されるというが、まさに日本伝統の景観とされる白砂青松の美がここにはある。
砂州の中央を貫く遊歩道を挟み、右に海、左も海。
その幅はとても細くて、かつて取材で訪れたマーシャル諸島の環礁を思い出した。
個人的に興味深かったのは、そんな砂州の真ん中に真水が湧き出す井戸があったことだ。
「磯清水」と呼ばれるこの井戸は日本の「名水百選」にも選ばれている。
かつてここを訪れた和泉式部は次のような歌を残したという。
『橋立の松の下なる磯清水 都なりせば君も汲ままし』
平安の昔から海に囲まれたこの井戸は枯れることなく、真水を生み出し、訪れた人たちを不思議な気持ちにしていたということか。
少し時間は早いが、天橋立の松林の中で営業していた「はしだて茶屋」で昼食を食べる。
いただいたのは「あさりうどん」と「黒ちくわ」。
どちらも天橋立の名物らしいが、まあ可もなく不可もなく、でも疲れた胃にはやさしい味だった。
砂州から本土に戻ると、軒を連ねるお土産屋の向こうに立派な山門が見えた。
日本三文殊のひとつ、文殊菩薩を本尊とする臨済宗「知恩寺」である。
創建は808年と伝えられる由緒あるお寺で、門前町では智恵の仏である文殊菩薩にあやかったお土産物が売られていた。
境内に入ると、松の木にたくさんの扇がぶら下がっているのが気になる。
どうやらこの扇はおみくじのようで、「すえひろ扇子おみくじ」と呼ばれる。
珍しいのでお土産にしたいと思うのだが、吉凶問わず松の木にぶら下げるのが習わしだそうで、大吉と書かれた扇も逆さまにぶら下がっていた。
そしてこの寺を最後に賑やかだった9人での旅は終了、京都組と神戸組に分かれ各々帰路につく。
私は5人のメンバーと一緒に京都に向かった。
この三連休は紅葉シーズンのピーク、京都の街は観光客で溢れかえっている。
でも私には、京都で立ち寄りたい場所があった。
市内に入り渋滞に巻き込まれながらなんとか京都駅近くのレンタカー屋に向かう途中、私はひとり車を降りて、地下鉄と電車を乗り継いでその場所を目指した。
その場所とは、紅葉の名所として知られる「東福寺」。
現在放映中のJR東海のコマーシャルでも紹介される大人気スポットである。
JR奈良線の東福寺駅から続く人の波に流されるようにしてたどり着いた先には、写真で見たことのある景色が広がっていた。
この写真を撮影した場所は「臥雲橋」と呼ばれる橋の上。
「臥雲橋」は「東福寺三名橋」の一つに数えられながらも、一般の通行が認められた参道に位置するため拝観料などは取られない。
色づいたもみじの先に見える建物が紅葉の名所として名高い「通天橋」である。
時刻は午後3時半を回り、太陽は西に傾いてしまったため、肝心のもみじには陽の光が当たってはいなかったけれど、通天橋にはまだ光が届き、さすがに紅葉の名所と呼ばれるだけのことはあると感服する。
急いであの通天橋に行かなければ・・・。
そう思って、そそくさと臥雲橋を離れ、東福寺の入り口を目指す。
東福寺にたどり着くと、「通天橋への入場は午後4時までです。お急ぎください」と繰り返しアナウンスが流されていた。
時刻は午後3時45分。
なんとかギリギリで間に合った。
京都に詳しい友人たちには、「三連休の東福寺なんか行くもんじゃない。入場券を買うところも大行列だ」と散々脅されたのだが、さすがに入場締め切り直前のこの時間になるとチケット売り場にも行列はなく、スムーズに通天橋の入場券をゲットすることができた。
拝観料は1000円。
チケットを入手すると係員に促されるままに、入場門に続く行列に並ばされた。
午後3時47分、無事に入場ゲートを通過する。
通天橋に通じる小道にはずらりと観光客が並び、ゆっくりと前進していく。
頭上を覆うもみじの木々は、日の当たり具合なのだろうか、まだ緑のものもあれば、赤くチリチリになっている葉っぱもある。
小道はまっすぐ通天橋に向かうのではなく、境内を回遊するように作られている。
境内の中央を小川が流れていて、その川に向かって一旦下り、その後は上りとなるのだ。
通天橋も臥雲橋もお寺ができる前から存在した「洗玉澗」と呼ばれるこの谷を渡る目的で架けられた橋ということらしい。
洗玉澗の谷を上り下りすることにより、さまざまな角度から通天橋を眺めることができる。
昔の人は実によく考えたものだ。
あえて斜面に植えることにより、たくさんのもみじが重層的な美を構成していることがよくわかる。
ところどころ撮影スポットも設けられていて、みんな思い思いに記念撮影に興じる。
もう少し早い時間ならば、一面の紅葉に太陽の日差しが注ぎ、輝くばかりの美しさであったろう。
着物姿のタイ人観光客の一行も、楽しげに写真を撮っていた。
噂に違わず、東福寺はまさに京都有数の「映える」紅葉スポットなのである。
こちらが谷底を流れる小川。
裏山から流れ出て、東福寺の境内を横切った後、鴨川へと注ぎ込む。
こうして写真に写してみると、まるで深い山奥にでも迷い込んだように見える。
でも周りには人がいっぱい、自由に進むこともままならない。
人間が長い歳月をかけて作り上げたこの景観は、なんとも不思議な人造の自然美なのである。
「洗玉澗」の谷を登りきり、いよいよ通天橋にたどり着いた。
奥に見えるのは「開山堂」という建物に通じる楼門で、希望すればこちらの建物も見物できるようなのだが、案内の人が「通天橋に行く方は右へ。今が一番光が綺麗な時間ですよ」と誘導している。
私の目的は一も二もなく通天橋からの眺めを自分の目で確かめることだったので、迷うことなく右折して、その名も高き通天橋に向かった。
通天橋は、本堂と開山堂をつなぐ橋として1380年に架けられた。
長さ26メートル、幅2.7メートル。
現在の橋は昭和の伊勢湾台風で橋が崩壊したのを受けて、1961年に再建されたものだそうで、その際に橋脚も鉄筋コンクリートの頑強なものになったという。
今ではすっかり観光客のための橋のようになっているが、もともとは修行僧がわざわざ渓谷を上り下りせずに済むよう作られた修行のための橋なのだそうだ。
「今は一番光線の具合がいい」という誘導員の言葉とは裏腹に、夕方のこの時間は西陽が完全に逆光となり、満足に紅葉を見ることができない。
おまけに、橋の中央の突き出た部分には人が溢れて近寄れないため、一旦南側に回り込んで、なんとか洗玉澗の全貌をとらえる。
植えられたもみじの数は2000本とも言われる。
一般的なイロハモミジは意外に少なくて、通称「通天もみじ」と呼ばれる葉先が3つに分かれた「トウカエデ」が多いのだそうだ。
紅葉の向こう側に見える建物は、最初に撮影した「臥雲橋」である。
せっかく人混みの中、通天橋まで来たのだから、一番眺めのいい出っ張りの部分にも行ってみたい。
そう思って、先客が出るのを待ちながら少しずつ前に進んでいく。
こちらが出っ張り最前列からの眺め。
まだ葉が緑色のままの谷底まで見えるため、紅葉のグラデーションがさらに際立つ気もするが、人を掻き分けてまで前に出なければならないほどの違いはないように感じた。
「京都屈指の紅葉の名所」とも言われる東福寺通天橋。
やはり死ぬ前に一度は見ておきたい名所であることは確かで、友人たちと分かれてひとり大急ぎでやってきた甲斐はあったと感じた。
通天橋での紅葉見物も無事に果たし、すっかり目的を達成した気分になったが、せっかくなので初めて訪れる東福寺も少し見学して帰ろうと思い、地図を見る。
東福寺は鎌倉時代、公家の名門九条家の菩提寺として建てられた臨済宗東福寺派の大本山である。
京都最大の伽藍を目指して建てられたというだけあって、その敷地は広大なもので、東福寺の名も奈良の東大寺と興福寺から一字づつ取って付けられたそうだ。
そのため、東福寺の七堂伽藍はいずれも大きくて立派なものばかり。
昭和に再建されたこちらの本堂は、高さ25.5メートル、間口41.4メートルあり、昭和の木造建築としては最大を誇るという。
その南側に建つのは国宝に指定されている「三門」。
こちらは室町時代初期に再建されたもので、高さは22メートル、禅寺の三門としては日本最古にして最大だという。
東福寺からの帰り道、JRのポスターを見かけた。
そうか、ポスターに使われた写真は通天橋から撮ったものではなく、臥雲橋から通天橋を眺めた構図だったのだ。
別の大したことではないけれど、自分の目で確かめたからこそわかる違いなのである。
混雑する紅葉見物でいささか疲れたので、観光はこれにて終了。
18時に友人たちと夕食を共にする約束をしていたので、少し早いがバスを乗り継いで京都駅の南口へ向かう。
予約したお店は確認できたが、約束の時間にはまだ早すぎるので、近くの居酒「とり匠 ふく井」で一杯やりながら待つことにする。
注文したのは京都らしく「おばんざい3種盛り」と京都の純米吟醸酒「京生粋」。
合わせて1648円。
これはこれで美味しかったのだけれど・・・
目の前で時折上がるものすごい炎に圧倒されて印象は薄くなってしまった。
この炎、お店の名物である「鶏の黒焼き」を作っているところらしい。
どうせなら、こちらを注文すればよかったと何度も思った。
そうこうしているうちに約束の18時となり、友人オススメのお好み焼き屋「あらた」に向かう。
京都では知る人ぞ知る有名店でなかなか予約が難しいらしいが、友人が頑張って6人分の席を予約してくれた。
1人が体調不良で一足早く東京に戻ったため、5人で鉄板を囲むことに。
お好み焼きのお店ではあるが、この店ではホルモンが有名らしく、実に多彩な鉄板焼きのメニューが並んでいる。
店を予約した友人が代表して適当にいろいろ頼んでくれたのはいいのだが、次から次に運ばれてきて、どれが何やらわからないままにものすごいスピードで食べていく。
最初に来たのは焼きうどんと焼きそば。
まあ普通の美味しいのだが、食べ終わるよりも早く次のメニューが鉄板の上で焼かれる。
これはホルモンのどこかの部位。
店員さんも大忙しなので、どれが何の部位だか聞くのも憚られ、結局なんだかわからないままに食べ進む。
続いてお好み焼き。
中身は「すじ玉」だった気がするが、よく覚えていない。
そして最後に焼かれたのが、こちらのお好み焼き。
確か、この店の名物である「あらたお好み」じゃないかと思う。
どれも美味しかっただけに、もう少しゆっくり、何を食べているかを理解しながら食べたかった。
最初にいろいろ頼まずに、少しずつ注文するのがコツかもしれない。
食べログ評価3.65、私の評価は3.50。
腹いっぱい食べた後は、店からほど近い「東寺」のライトアップを塀の外から眺めて京都駅へ。
兵庫から京都へと駆け巡ったシニア9人による賑やかな旅はこうして終わった。
最終的に来年2026年の旅行は、10月青森県に行くことが決まった。
青森市で三内丸山遺跡や青森県立美術館を見物し、津軽三味線を聴き、酸ヶ湯と恐山を巡る3泊4日の旅である。
大学の同級生とはいえ、最高齢者はそろそろ70歳になる。
いつまでこの旅行が続けられるかわからないけれど、全員バラバラの仕事をしてキャリアを歩みながら、定年退職後再び学生時代のような気のおけない関係に戻れたのは奇跡と言ってもいいだろう。
この友人たちを大切にして、できるだけ長く楽しい旅を続けたいものである。
「お好み焼き あらた」
電話:075-661-5444
営業時間:17:00 - 23:00
定休日:日曜
https://www.instagram.com/arata_okonomiyaki/?hl=ja
