🇨🇳 中国/北京 2025年6月25日~26日
北京に来た最大の目的だった盧溝橋訪問を終え、とりあえず私には行きたいところは特になかった。
地下鉄に乗りホテルに戻ってもいいのだけれど、せっかく北京に来たのだから少し街をぶらぶらしたいと思った。

地下鉄のマップを睨みながら、「珠市口」という駅で降りることにした。
北京を訪れるのは今回が3回目だが、初めて訪れた1985年に支局の人に連れて行ってもらった「前門大街」の活気を思い出したからだ。
天安門広場の南側にあるこの地区は北京の下町、古くからの商業地区である。

駅を降りるとすぐに「粮食店街」と書かれた風情のある路地があった。
その名から飲食店街を想像し、大通りではなくこの路地をぶらぶらすることにする。

道端の壁には大道芸人らしき人たちを描いた絵が飾られていた。
昔はこういう人たちがこの路地で活動していたのだろう。

早速、良さげな飲食店を発見。
麺を食べさせる店のようで、店先には主な麺の写真と値段が書いてある。
その中に「延吉冷麺」というのがあるのを見つけ、この店で早めの夕食を食べることに決めた。

時刻は午後6時、店内はそこそこ賑わっていて、まあ悪い店ではないようだ。
注文を取りに来た女性店主に店先で撮影した「延吉冷麺」の写真を見せる。
言葉は全く通じなくても、こういう店なら注文に困ることはない。

店の壁には毛沢東が描かれた共産党万歳のチラシが貼られている。
一時は天安門事件で揺らいだ中国共産党の一党支配も、習近平体制での締め付けにより不動のものとなり、共産党員の数も初めて1億人を超えたと報じられていた。
こうした小さなお店の壁にわざわざ毛沢東のチラシを貼ってあるのも、きっと魔除けのような効果があるのだろう。

冷麺が運ばれてきた。
延吉といえば北朝鮮に近い中国東北部、かつての満州の街の名である。
だから日本で食べる冷麺のような味を想像していたのだけれど、ちょっと違って甘い。

深く考えずに注文してしまったが、異国の地で冷たいものを食べるのはお腹を壊すリスクもある。
それ以上にまずは美味しくないので無理して全部食べるのをやめ、失礼のない程度に麺をすすり、あとは残して店を出た。
今回の旅行で中国で初めて食べたこの冷麺1杯が25元、日本円にしておよそ500円だった。

店を出て路地を進んでいると、とても賑わっている店を見つけた。
店先に赤い提灯がいくつも飾られ、北京ダックを売るカウンターもある。
ちょっと食べ足りないので、この店でもう少し食べていこう。

目に止まったのは炸醤麺、22元。
先ほどの店にも炸醤麺があって、北京名物と書いてあった。
調べてみると、日本でもお馴染みのジャージャー麺は北京の代表的な家庭料理らしい。

客席の数も多い立派なお店だが、店内はほぼ満席、早い時間から客で賑わっていた。
中国の人たちの食欲は相変わらず旺盛で、他のテーブルではたくさんの料理を並べて家族や友人たちとワイワイ食事を楽しんでいた。
私は店先で撮影した炸醤麺の写真を示して注文。
料理が来るまで店の雰囲気を楽しんだ。

炸醤麺が来た。
あれあれ? 写真とだいぶイメージが違う。
でも、炸醤麺特有の甘辛い味噌ダレは日本で食べるジャージャー麺に比べ濃厚そうだ。

うどんのような麺にタレを絡めいただく。
なるほど、これは美味い。
先ほどの冷麺に比べて見た目は素朴だが、味は断然こちらの方が上である。
しかし、2杯も立て続けに麺を食べ、さすがにお腹がいっぱいになった。

夕食を済ませ、メインストリートである「前門大街」に行ってみる。
私の記憶とは全く異なる街並み。
調べると、2008年の北京五輪に合わせて街全体が再開発され、清朝末期から中華民国時代の街並みが再現されているとか。
中国を旅行すると、各地でこのような再開発を目にするのだが、所詮はただの商店街、昔の風情はもはやなくなってしまった。
個人的には、再開発されたメインストリートよりも裏通りの方が何倍も好きだ。

このエリアには、昔の中国をモチーフとした彫像がたくさん設置されている。
女主人に使える使用人や・・・

酒場で議論する男たち。
ユーモラスで人間味あふれる作品が多い印象だが、あえて共産党政権が否定する昔の中国の風俗を描く狙いはどこにあるのだろう?

この派手な店構えは北京ダックの有名店「全聚徳」。
2回目に家族を伴って北京を訪れた際に一度食べたことがある。
初めて北京を訪れた際には支局の人に前門に連れてきてもらったのだが、40年前の中国では立派なレストランに入っても実際に食べられる料理が限られていた。
何十ページにも及ぶ馬鹿でかいメニューが運ばれてきて、時間をかけて料理を選んでも、ほとんどの料理は「没有(メイヨウ)」、つまり提供できないという返事が返ってきた。
それがとても印象的で、「北京=前門=没有」という図式で私の頭の中に鮮明に記憶されているのだ。
あれから40年、中国は著しい経済発展を遂げ、世界屈指の「飽食の国」に返り咲いた。

メインストリートの北の端までくると、目の前に天安門広場の南端に立つ「正陽門箭楼」が見える。
この奥に立つ「正陽門」は北京城の南門に当たり、明の時代に建造されたこの門は1900年、義和団の乱鎮圧のために出兵した日本を含む8カ国の連合軍によって破壊された。
後に修復され、城壁の大半が取り壊されたかつての北京の痕跡を止める数少ない遺跡として去年世界遺産にも登録された。

前門から天安門広場を散歩しながらホテルまで歩こうと思ったが、地下道にいた警備の警察官に止められた。
「この出口は使えないからあちらに行け」と言っているらしい。
過去2回北京を訪れた時には天安門広場を訪れたが、このように行動を制限されたことはなかった。

辛うじて撮影できたのがこの一枚。
左側に写る城門が「正陽門」、そして右側の建物が「毛沢東紀念堂」である。
所々に警備の警察官が立っているが、観光客の姿は驚くほどにない。
私は40年前、貸自転車屋で借りたレンタサイクルでまだ自動車がほとんど走っていない天安門広場を駆け抜けたものだ。
20年ほど前、2回目の北京では故宮に入ろうとしてカメラを路上に落としてしまい写真が撮れなくなってしまった苦い思い出もある。
当時もそれなりに警察官は配備されていたと思うけれど、観光客の行動が規制されるようなことはなかった気がする。

ところが今回、天安門広場周辺の歩道は至る所で規制され、一方にしか進めないようになっていた。
天安門の方向に行きたいのに、全く関係ない方向へと誘導される。
どこに行っても公安の車両と警察官ばかり。
観光客は訳もわからぬままに一方通行に従ってひたすらに歩かされるのだ。

進路に沿って、こんな案内板が立ってはいるのだが、矢印はまるで見当違いの方向を指している。
おまけに天安門周辺は道幅が広くて1つのブロックがやたらに大きくて、次の角を曲がろうと思っても1キロほど歩かなければならず、しかもその角が希望通りに曲がれるかどうかも行ってみなければわからないのだ。

道の反対側にはチェックポイントのようなものが見える。
天安門広場に行きたい人はここから1キロほど東に歩いて次の交差点で道を横断し、1キロほど西に戻ってこのチェックポイントを通らなければならないらしい。
一瞬行ってみるかとも思ったが、歩いている間にバカらしくなってそのままホテルに戻ることにした。

結局、天安門は諦めて北京の繁華街「王府井」を歩く。
時刻は午後8時になろうとしていた。
いつの間にか陽は落ちて、商業施設のイルミネーションが輝き出している。

「北京の銀座」とも呼ばれる王府井。
人の多さは以前と変わらないが、通りに面する建物は20年前に比べてすっかり洗練されている。
高級ブランドのショップが軒を連ね、行き交う中国人の人たちも生活にゆとりがありそうに見える。

時計台の前に設置された巨大スクリーンには「I ♡ Beijing」の文字。
経済の低迷が伝えられる中国だが、ここにはそんな不景気の影はほとんど見られない。
米中の貿易戦争が激化しても、中国の株式市場はこの1年で急上昇し、億万長者の数もアメリカに次ぐ第2位で去年1年でその数を増やしたという。
中国経済の歪みは地方都市や農村部では表れているのだろうが、首都北京、その中心地である王府井には関係ないのかもしれない。

翌朝、懲りずに再び天安門へのアプローチを試みた。
午前8時半、ホテルを出て王府井を通り、広場に通じる東長安街を歩いて天安門を目指す。
途中、路上で片足をあげポーズを決める男性がいた。
体操なのか路上パフォーマンスなのか定かではないが、中国の人は朝よく体操をしている。

王府井と長春街の交差点には警察のテントがあった。
大勢の警察官が通行人に目を光らせている。
特に、この交差点を西に、すなわち天安門の方へ向かおうとする者に対するチェックは厳しく、歩く私の前にも警察官が近づいてきて何やら質問しているらしい。
おそらく「どこに行くんだ?」と聞いていると思い、咄嗟に「パレス」と答えるとそのまま通してくれた。

王府井と東長安街の角には中国一の老舗有名ホテル「北京飯店」がある。
このホテルの前にも「公安」と書かれた車が常時止まり監視に当たっていた。
20年前家族とここに宿泊したことがあるが、その頃には警備はこんなに物々しくはなかった。
香港での弾圧で明らかなように、習近平政権が天安門事件について徹底的な情報統制を行なっていることを知っていたが、まさか普段からこれほど監視が強化されているとは正直驚いてしまう。

北京飯店の前を西に進み、天安門に辿り着くまでの間にいくつものチェックポイントがある。
中国人の人たちは身分証明書のカードを提示して荷物検査を受けている。
私はパスポートをホテルに置いてきたため、パスポートのコピーを提示してみた。
最初のチェックポイントは無事に通過。
「よしよし、見た目は厳重でも案外なんとかなるかも」と少し希望が湧く。

しかし次のチェックポイントでは行列ができていて、より詳しいチェックが行われているようだ。
私はやはりパスポートのコピーを提示する。
すると一人の警察官が「リザベーションは持っているか?」と英語で質問した。
「持っていない」と答えると、その警察官は申し訳なさそうに「予約がない方はここを通ることはできない」と私に告げ、来た道を戻るように命令した。
予約というのは故宮に入るための事前の予約のことである。
コロナ禍以降、中国政府は北京の主要な観光施設の入場規制を強化し、事前の予約によって入場者数をコントロールしている。
ただ私のように、故宮には入場せず公道を歩いて天安門前まで行こうという場合でも、同じく事前の予約が必要ということらしい。
前日の経験からこうなることをある程度予想していた私は、その段階で素直に指示に従い、その場を離れることにした。
中国で警察と揉めてもろくなことはない。
しかし、百聞は一見にしかず。
天安門周辺の厳戒態勢は私の想像を遥かに超える厳しさだったことがとても印象に残った。

天安門行きを断念した私は王府井に戻り、地下鉄でどこかに行くことにした。
「地球の歩き方」をパラパラめくり、王府井から簡単に行けそうな「什刹海」という駅で降りることにする。

「什刹海(じゅうさつかい)」は故宮の北側に位置する小さな湖で、北京市民の憩いの場となっている場所らしい。
特に夏場のボート遊びは有名だそうで、湖畔にはたくさんの遊覧船、そして歩道には観光客相手の人力車がたむろしている。
清代には貴族や高官たちがこの地に邸宅を建て、今では湖畔にカフェバーなどが集まるエリアだという。

柳の木が並ぶ遊歩道を歩くと「大運河」と書かれた石碑があった。
随の時代に黄河と揚子江を結ぶ南北の大動脈として建設された京杭大運河。
什刹海は北京側の起点ともなっているようだが、
とはいえ、運河の終着点杭州にある西湖のようなスケールはなく、私の目には凡庸な行楽地にしか見えなかった。

3つの湖からなる什刹海のうち一番南にある「前湖」から一本の川が流れ出ていた。
両岸には柳が植えられ、川面を隠す蓮にはちょうど花が咲いている。
それはまさに日本人が抱く中国の街並みそのもの。

この川沿いに歩いていくと、石造りのお屋敷が並ぶ歴史地区に。
とはいえ、この一帯は川岸もすっかり整備されてしまって自然な人の営みを感じさせない。
この界隈は昔の北京を知るためのモデル地区になっているようなので、ガイドに連れられた観光客はこの造り変えられた歴史地区を見学するのだろう。

しかし川縁を離れ一歩路地に入ればご覧の通り、一気に人間臭い光景が広がる。
この界隈は昔ながらの街並みが残る「胡同」と呼ばれるエリアだが、観光客に見せるモデル地区の裏側には今も庶民が昔ながらの暮らしをしているのが面白い。

急速に開発が進む北京では、こうした昔ながらの胡同は次々に姿を消し、住民たちは政府が用意する公営住宅に強制移住させられることも珍しくない。
一党独裁政治が推し進める都市開発は、民主主義国家では考えられないスピードで人々の生活を一変させたけれど、やはり私には抵抗感の方が強い。

庶民的な路地を進むと、賑やかな通りに出た。
ここは「南鑼鼓巷(みなみらここう)」と呼ばれる北京の観光名所。
それこそ昔ながらの街並みが残る胡同の代表格だったのだが、20年ぶりに訪れるとすっかり様子が変わっていた。
かつて並んでいた普通の民家は完全に姿を変え、道の両側には観光客目当ての商店が立ち並んでいる。
なんじゃこりゃ。
これじゃ胡同の魅力羽田台無しで、こんなところに来ても面白くもなんともない。

呆れ果ててすぐにホテルに戻ることにしたが、南鑼鼓巷の入り口には地下鉄の駅が出来ていて、警備にあたる公安の車が観光客を監視するように止まっていた。
中国の観光地はどうして魅力を半減させるように変わっていくのだろう?
それでもコロナ禍後、中国人の国内旅行ブームは続いていて、中国の人たちには普通の民家よりも土産店の方が好まれるのかもしれない。
20年ぶりに訪れた北京の印象は、私にとっては陳腐でつまらない方向にどんどん進んでいるように感じた。