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<きちたび>バルカン半島の旅2024🚌 クロアチア🇭🇷 世界的観光地ドゥブロブニクに我が心なぜか踊らず

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🇭🇷クロアチア/ドゥブロブニク 2024年10月27日

「アドリア海の真珠」と称され東西冷戦の時代から東ヨーロッパを代表する人気の観光地だったドゥブロブニク。

その海に突き出した城壁に囲まれた赤い屋根の街並みを雑誌やポスターで何度目にしたことだろう。

いよいよバルカン半島の旅のハイライト・・・と普通ならば盛り上がるところなのである。

しかし、ひねくれ者の私は・・・

ドゥブロブニクのバスターミナルに到着したのは午前11時半ごろ。

さて、どうやって旧市街まで行こうかと考えているところに1台の路線バスが止まったので、運転手に「これ、オールドタウンに行く?」と聞くと、「乗れ」とばかりに手招きされる。

釣られるようにバスに乗り込むと、バスは来た道ではなくドゥブロブニクの住宅街を南に向かって進んだ。

なんだかこの街、裕福そうに感じる。

バス代はクレジットカードのタッチ決済が使えたので、いくらかわからない。

10分ほど走ったところで、運転手が私に「オールドタウンだ」と声をかけてくれた。

イメージしていた場所とは違う普通のバス停。

すると運転手は親切に「そこの坂を降りろ」と指差して教えてくれた。

指さされた方向に行くと、なるほどそういうことかと納得する。

私が乗った8番のバスは旧市街の北側、「ミンチェタ要塞」と呼ばれる城壁が一番高くなった部分の近くを通るということを理解した。

ここも確かに旧市街の端っこではあるが、旧市街に入るためにはこの階段を降りて行かなければならない。

コトルに比べてもひと回り規模の大きい城郭都市である。

ドゥブロブニクの始まりは古代に遡り、ギリシャ人によって最初の拠点が作られたという説が有力なようだが、大きく発展したのは中世ラグーサ共和国の本拠地となった時期である。

ラグーサ共和国は1358年にハンガリーから独立した都市国家で、19世紀にイタリアに併合されるまで地中海の交易により繁栄を極めた。

一時は、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアと並ぶ5つの海洋共和国の一つに数えられたそうだ。

階段を降りきったところが広場になっていて、多くの観光客がたむろしていた。

おそらく団体旅行の人たちで次の指示を待っているのだろう。

私も年と共に自分で段取りするのが面倒になり、団体ツアーもいいかなと思うこともあるが、こうした自由に動き回らない不自由さを思うと、もうしばらくは個人旅行の方がいいかなといつも思う。

この広場は小さな港に面していて、岸壁に立つと左手に旧市街、右手には「ロブリイェナッツ要塞」が見えるため、多くの観光客が群がっていた。

早速橋を渡って、旧市街の中に入ってみる。

まず目に飛び込んでくるのは堂々たる大通り。

旧市街のメインストリートとなる「プラッツア通り」だ。

イタリアのどこかの街をそのまま城壁の内側に押し込めたような非常に完成度の高い街並みである。

同じような城郭都市でも、コトルとは少し印象が違う。

しかし、どういうわけか私の関心はそうした立派な建築物ではなく、大通りから何本も伸びる路地に向いてしまう。

左手に曲がる路地の奥が階段になっているのを見つけたからだ。

ちょうどトイレに行きたかったこともあり、まずはこの路地裏のレストランでランチでも食べようと考えた。

「Mama’s Restaurant & Bar」という名前のお店である。

店員さんに断ってトイレを借り、落ち着いたところで路地に並べられたテーブルに腰を降ろした。

もちろん大通りではなく、階段が見える向きに座る。

これはなかなかいい店を見つけた。

どうも私は狭くて猥雑なところを好む性癖がある。

クロアチア産のビールを注文し・・・

また、タコサラダを頼んだ。

私の頭の中で、アドリア海=タコサラダという公式が出来上がってしまったようだ。

ドゥブロブニクのタコサラダは、やはりコトルのそれと比べて洗練されていて、トマトなどもたくさん入って、見た目が美しい。

しかし食べてみると、コトルほどの満足度がない。

もちろん不味い訳ではないのだけれど、コトルに比べてタコの存在感が薄く、言ってみれば普通のサラダなのだ。

まあ、それでもやっぱりアドリア海のタコサラダは美味しい。

私は食べながらじっと階段を観察する。

ここには普通に住民が暮らしていて、一人のおばさんが出てきて、隣人と言葉をかわしている。

上を見上げれば、青空をバックに洗濯物が風になびいている。

こんな溢れかえるような観光客の中で生活するというはどんな気分なのだろう?

とてもオーバーツーリズムどころの話ではない。

妙なものが気になった。

建物から突き出した丸い穴が開いた突起物は何だろう?

気になって仕方がないので、店員のお兄ちゃんを呼び止めて聞いてみた。

彼はそんなものを気にしたこともなかったという風に、よくわからないけど物干し竿をかけるためのものじゃないと言った。

なるほど、確かにそうだ。

ベランダがないので、洗濯物を干すためには何かに竿かロープをかけなければならない。

もう一つ、私の関心が向いたのは、私より先に路地裏に陣取っていた中国人の若者たち。

一人先生なのか大人の女性が同行しているが、他は全員10代の若者たちである。

みんな会話をすることなく黙々とスマホをいじっていて、時折先生らしき女性がビデオ通話しているスマホを向けられて、スマホに話しかけたりしている。

おそらく本国にいる関係者にみんな元気だと伝えているのだろうが、本当にどこに行ってもこうした中国人を見かける。

それに対して、日本人の若者には全く出会わない。

世界を広く知ることは、発想の幅を広がるうえで欠かせないけれど、日本の若者が海外にいないという事実はおそらく日本の未来にとって大きなマイナスになるだろうと感じた。

食事を終えた後、街の中をぶらぶらする。

ここは「ルジャ広場」と呼ばれるメインの広場。

周囲には「スポンザ宮殿」や「時計塔」などの歴史建造物が立ち並ぶ。

時計塔の文字盤など当時の人たちの遊び心も感じられ、それはそれで面白いのだが、どうしたことか私の心が踊らない。

おそらく先に似たようなコトルを見てしまったせいで、またかという感覚になっているのかもしれない。

でも同時に、自分はドゥブロブニクよりもコトルの方が好きだったとも思うのだ。

両者を比較して感じるのは、ドゥブロブニクは建物がきれいすぎるという点だ。

コトルの建物が少し黒ずんでいるいるのに対し、ドゥブロブニクの建物はどれも洗いあげたように白い。

戦争でセルビア軍の攻撃を受けて破壊され修復したということとも関係しているかも知らないのだが、どうも歴史の重みが感じられず作り物という印象を受けてしまうのだ。

もう一つの違いは路地。

コトルの路地は文字通り迷路のように規則性がなく、よほど意識をしても迷ってしまうのだが、ドゥブロブニクの路地は碁盤の目のように直線的で迷いようがない。

つまらないので、人のいない端っこの方を歩いてみたりした。

中央部分はまさに京都のように平坦で面白みに欠けるのだが、端の方は上りの階段になっていて住民の人たちが普通に暮らしている。

とはいえ、やはり迷路にはなっておらず、街の作りとしてはコトルの方が面白い。

3つ目の違いは、裏山である。

コトルほど大迫力で迫ってくる山がドゥブロブニクにはないのだ。

裏山の頂上にはロープーウェイの駅があり、旧市街の裏手から山頂まで一気に登れるらしいのだが、山としての魅力でいえばコトルの「ベスティン・グラッド」には到底及ばない。

しかし、そんなドゥブロブニクにも印象に残ったものがある。

それは教会の前で踊る少女と・・・

時計塔の鐘をつく少年?の像を偶然見つけたことだ。

この時計塔のことはネットで調べれば普通に紹介されているのかもしれないが、予備知識なしで偶然こうした隠しアイテムを見つけると、なんだか得した気持ちになれるから不思議だ。

ほんの1時間ぐらいいただけなのに、すっかりドゥブロブニクに飽きてしまい、気温も上がってきたので、とりあえずカフェにでも立ち寄ってからホテルに向かうことに決めた。

「グンドゥリッチ広場」にある「Lucijan」という店を選び、カフェオレを注文する。

パラソルの下の席からは、ドゥブロブニクの詩人イワン・グンドゥリッチの記念碑やいくつかの屋台が並ぶ広場の様子がよく見える。

カフェで少し休んだ後、予約したホテルまではボートで行くことに。

世界中から観光客が集まるドゥブロブニクはとにかくバルカン半島にしてはホテル代が高く、旧市街の中の宿はどこも5万円ぐらいする。

だから手頃でそれなりのホテルということで探した結果、旧市街からは20キロほど離れたツァブタットという町になってしまったのだ。

ただ、現地に着いてから知ったのだが、ツァブタットまでは旧市街にある小さな港から直行便のボートが1時間に1本運航しているらしい。

レストランのお兄ちゃんに教えてもらって港に行ってみると、観光船を扱う会社がいくつもブースを並べていて、その中に確かにツァブタットと書いてあるブースがあった。

料金は15ユーロ、およそ2500円である。

私は午後2時のボートに乗った。

結局ドゥブロブニクには2時間もいなかったことになる。

「また明日来ればいいや」とその時は思ったが、結局面倒になり、ドゥブロブニクの街を山頂から見下ろすためのロープーウェイにも乗らずに終わった。

ドゥブロブニクとはどうやらあまり相性がよくなかったようだ。

ボートは私を含め10人ほどを乗せて出航した。

逆光ではあるが、海からドゥブロブニクを眺めるのも悪くない。

アドリア海に面してそそり立つ高い壁。

これを攻略するのはなかなか大変そうだ。

そして、壁の向こうに見える街並みはいかにも豪華で、中世の船乗りたちを魅了したことは容易に想像がつく。

そしてドゥブロブニクの商人たちもこの港から世界の海に乗り出して行ったのだ。

ドゥブロブニクからツァブタットまでの海岸線は、岩場に張り付くようにホテルや高級住宅が建てられ、ちょっと南仏をイメージさせる。

岬の向こうに私好みの山々が見えてきた。

あの山がドゥブロブニクの背後にあれば、私の心も踊ったことだろう。

50分あまり船に揺られ、ようやくツァブタットに着いた。

と思ったのだが、ここで降りる客と降りない客がいる。

あれっ? どういうこと?

Googleマップで見ると、ホテルまでは歩いて行ける距離なので、とりあえず私もこの船着場で降りることにした。

私たちを降ろすと、ボートは沖合に向かって離れていった。

あの船、どこに行くんだろう?

と疑問だったが、どうやら大きく突き出した岬の反対側に終点となるツァブタットの本当の港があったらしい。

そちらの方が多少ホテルには近かったようだが、まあ大きな問題ではない。

たくさんのボートが停泊する入江を眺めながら10分ほど歩くと、予約したホテルが見つかった。

全く期待はしていなかったのだけれど、これがなかなかの絶景ホテルだったのである。

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