🇲🇪モンテネグロ/コトル〜🇭🇷クロアチア/ドゥブロブニク 2024年10月27日
アドリア海の代表的な観光地といえば「アドリア海の真珠」と呼ばれるクロアチアのドゥブロブニク。
一方まだそこまで有名ではないが人気が急上昇しているのか「アドリア海の秘宝」と呼ばれるようになったモンテネグロのコトルである。
共に両国を代表する世界遺産の街、そして中世の面影を今に伝える城壁に囲まれた都市。
コトルでの2泊の滞在を終えた私は27日、次の目的地ドゥブロブニクに向かった。

朝7時40分。
朝食を済ませ、まだ寝静まっているコトルの街を後にする。

「海の門」から外に出ると、前の晩までそこにあったクルーズ船が姿を消していた。
夜中のうちに次の港に旅立ったようだ。
コロナ禍で一旦は冷え切ったクルーズ熱も、喉元過ぎれば熱さを忘れ、何事もなかったように復活している。
移動と宿泊を兼ねた豪華船の旅は、私にはさほど魅力は感じないが多くの人を魅了するのだろう。

名残を惜しみつつ、バスターミナルまで歩く。
私を虜にした山「ペスティン・グラッド」も、これが見納めだ。

午前8時半、ドゥブロブニク行きのバスは時間通りに出発した。
2つの世界遺産を繋ぐこのルートは利用者も多いため、1日の運行本数も多い。
ただ、有名なドゥブロブニクを拠点に日帰りでコトルを訪れる客が圧倒的なので、コトル発のバスはさほど混んではいなかった。

バスは「海の門」の前を通り抜け、北を目指す。

目の前に山が迫ってきた。
私は早めにバスターミナルに着いて一番前の席を確保したため、フロントグラスからの視界は良好だ。

山はますます迫ってくる。
コトル湾に面して、いくつもの小さな集落が点在していて、それぞれ絶景を売りにした観光で成り立っている。

日本であれば、このままトンネルに入って、コトル湾ともおさらばということになるのだろうが、トンネルの少ないモンテネグロでは、山に穴を開けず、湖の縁を回って地形のままに道が作ってある。
だからバスは山の手前で左に90度回り、西に進路をとった。
その結果、窓から見える景色も変わる。
なかなかの絶景ロードだ。

左の窓から見える入江の一番奥にコトルの街がある。
この先バスはさらに90度左に曲がり、今度は南に向かって進んでいった。
直線距離にしてわずか20キロの距離にあるドゥブロブニクまで3時間以上かかるのは、こうした道路事情のためだったのである。

写真ではよくわからないが、コトル湾に浮かぶ2つの小島が見える。
一つは岩場の上に建てられた「岩礁の聖母教会」、そしてもう一つはベネディクト会の修道院がある「聖ジョージ島」である。
ボートツアーの目玉となる島で、先ほど気づいた時には通り過ぎてしまい撮影しそびれたものが、バスが180度ぐるりと回ったおかげで、距離は遠いものの対岸からカメラに収めることができた。

バスは今度は右に90度回り、再び西に向かう。
湖の上には霧が立ち込めていた。
今の季節、昼間は半袖でも暑いほどに気温が上がるが朝晩はかなり冷える。
水温と気温の差がこうした朝霧を生む原因であろう。
なかなか幻想的な光景だ。

しかし、湾全体に霧がかかるわけではなく、少し走ると嘘のように視界が開けるのだ。
海の様子、山の様子、そして光の加減で、コトル湾の自然は様々な姿を見せてくれる。

こうして1時間半に渡ってコトル湾をぐるりと回ったバスは、モンテネグロの国境の町「ヘルツェグ・ノヴィ」のバスターミナルに到着した。
コトル湾の入口に位置し、アドリア海沿岸で最大のセルビア人人口を抱えるこの街は、目まぐるしいほどに支配者が入れ替わったという。

始まりは14世紀、ボスニア王によって要塞が築かれたのに始まり、ヘルツェゴビナ→オスマン帝国→スペイン→ヴェネチア→オーストリア→ロシア→フランス→モンテネグロ→ダルマチア→オーストリア=ハンガリー→セルビア→ユーゴスラビア→イタリア→モンテネグロ。
いかにコトル湾が戦略的に重要であったかが、この変遷を見ただけでわかるというものである。

ヘルツェグ・ノヴィを出るとすぐに国境に着いた。
これまで通ってきたアルバニア=コソボ、アルバニア=モンテネグロ間の国境に比べて、比較的チェックは厳しい。
何といっても、クロアチアはEUの加盟国。
域内では自由な往来を認める一方で深刻な移民問題を抱えるEUとしては、域外の国との国境管理はしっかりやらなければならないということか。

そしてもう一つ。
モンテネグロとクロアチアは、ユーゴスラビア分裂の過程で直接戦火を交えた関係にある。
クロアチアの飛地だったドゥブロブニクも、セルビアとモンテネグロの軍によって包囲され、実際に砲撃を受けているのだ。

そういう理由もあったか、モンテネグロとクロアチアの国境ゲートはかなり離れた場所にあり、両方を抜けるのに50分ほどかかってしまった。
クロアチアからモンテネグロに向かう反対車線はもっと長い行列ができていたから、おそらく1時間以上はゆうにかかっただろう。
とはいえ、実際には私は何も質問されることもなく、荷物のチェックもなしで難なく通過、ごく一部の人についてだけ荷物の中まで徹底的に調べるという管理体制のようだ。

クロアチアに入ると、しばらくあまり人の気配のない自然が続くが、中でも特徴的だったのが、この細い針葉樹イトスギがやたらと目につくことだった。
同じアドリア海沿岸のアルバニアでもモンテネグロでも、こんな木は生えていなかったので、クロアチア人が人為的に植えたものなのか。

山もモンテネグロに比べると、穏やかで優しい印象を受ける。
クロアチアに来たのはパリ特派員時代の1990年代以来。
あの頃のクロアチアは独立戦争を戦った直後だったため、首都ザグレブのあちらこちらにまだ防衛用の塹壕が築かれていた。

あれから30年。
クロアチアはEUにも加盟し、順調に経済発展を遂げてきた。
ドゥブロブニクの街の郊外にある空港も、西ヨーロッパのようなモダンな装いだ。

海が見えてきた。
空港から世界遺産の旧市街に向かう幹線道路ということで、沿道には広告の看板も目立つ。
日本人の目から見ると、ある意味見慣れた光景になったとも言える。

道路がかなり高いところを通っているため、山が海近くまで迫る雄大な景色が堪能できる。
おそらく日本から直接ドゥブロブニク空港に降り立ったならばもっと感動しただろうが、コトルで過ごした後だけに、またこういう感じねといささか冷めた自分を感じる。

クロアチアでもあまりトンネルは掘らず、地形のままにうねうねと曲がりくねった道路を作るのが一般的なのか。
それにしても有名観光地にしては交通量が少ない。

おっ!
眼下にドゥブロブニクの旧市街が見えてきた。
コトルと異なり、城壁が直接海に面して立っている。

と思った瞬間、バスはその場を通り過ぎ、旧市街は一瞬で見えなくなった。
そのままバスはまっすぐ進み、橋の手前で右に曲がった。

バスは細い入江に向かって下り坂を降りていく。
この入江の背後にも山が迫り、なかなか美しいところだ。
人が作り上げた古い街並みも素晴らしいが、やっぱり私は自然の方に惹かれる傾向にある。

こうして、コトルを出発しておよそ3時間半、無事にドゥブロブニクのバスターミナルに到着した。
どうやらここは新市街に作られた新しい港のようで、前の日までコトルに止まっていたクルーズ船がバスターミナルの真裏に停泊していた。
コトルからドゥブロブニクへ。
2つの世界遺産を繋ぐこの道は、写真ではうまく伝わらないないけれど、おそらく世界有数の絶景ルートだと思う。
ちなみに運賃は片道24ユーロ、およそ4000円だった。