グリーンランドの観光業はまだ未発達である。
島には5万人あまりしか人が住んでいないうえ、国際線の運航本数が極端に少ないため、外国人の観光客も少ない。
だから最大都市であり、政治経済の中心地であるヌークでも、宿泊できるホテルの数は限られていた。
外国人が一番よく利用するとされるのが、街の中心部にある「HOTEL HANS EGEDE」。
18世紀、この土地で布教を始め町の基礎を作ったルター派の宣教師ハンス・エゲデの名を冠したホテルである。
目の前に最大のショッピングセンターがあり周辺には飲食店もあり便利ではあるのだが、1泊3万円以上する宿泊代に見合う魅力を予約サイトから見出すことができなかった。
そこで残された数少ない候補の中から選んだのが、今回宿泊した「HOTEL SOMA NUUK」である。
「SOMA」とは船乗りの意味らしく、Googleマップなどでは「Hotel Seamen’s Home」と表示される。
実際に町の中心からは少し離れた坂の下、すぐ近くには港があるというロケーションにポツンと建っていた。
でも結果的には、大正解のホテル選択だったのである。
ヌークの空港からタクシーを使い、ホテルに到着したのはようやく空が白み始めた午前10時ごろ。
空港からの所要時間は10分ほどだったが、料金は3500円ほどかかった。
グリーンランドも決して物価は安くない。
チェックインは午後2時からだったので、荷物だけ置かせてもらって市内をぶらぶらしようと考えていたら、部屋の準備ができているのですぐに入れると言われた。
アーリーチェックインの料金も特に請求されないらしい。
こういう心遣いは本当にありがたい。
部屋はいたってシンプルなものだった。
狭いシングルベッドとテーブル椅子などがあるだけ。
予約サイトで自分が選んだ部屋とはちょっと感じが違うなと思ったが、早めに部屋に入れてもらっただけで満足なので、早速荷物を開いて棚に並べた。
これまたシンプルなものだが、トイレやシャワーも部屋に付いている。
とりあえず必要最低限のものは揃っているということだ。
確か、水回りが共用の部屋もあり、それだと1泊1万円ほどとこの町では破格の安さだったのだが、時差ボケで夜中にトイレに何度も行くことを考えると、どうしても専用のトイレが欲しかったことを思い出す。
窓からは港が見え、その向こうには凛々しい山がそそり立っているのが見えた。
部屋はシンプルだが、眺めは悪くない。
荷物を部屋に置くと、服を脱ぐ前に外に出てみることにした。
ホテルのロビーにはヌーク周辺の気象状況をリアルタイムで教えてくれるモニターがあるのだが、驚いたのは気温がプラス2度もあることだった。
私のイメージにあったグリーンランドは冬は雪と氷に閉ざされて氷点下10度20度が当たり前だと思っていた。
フロントの女の子に「雪が少ないな」と声をかけると、」ここ数年おかしいのよ」と答えた。
ただ今日は風が少し強いから体感はかなり寒いともアドバイスしてくれた。
ホテルの目の前にある小高い丘に登ってみる。
港の入江の沿岸にはコンテナが積み上げられている。
ホテルを決める時、ストリートビューで場所を確認した時にこのコンテナが私を躊躇させた。
しかし、適度に雪がお化粧してくれているので、むしろカラフルでいい感じだ。
そして背後には、部屋から見えたあの凛々しい山。
調べてみると、「Sermitsiak」と呼ばれる山のようで、フィヨルドを隔てたヌークとは別の半島にある山だということがわかった。
私は一発でこの山が好きになった。
港の方に歩いて行ってみる。
グリーンランドに来るからと最高の防寒対策をしてきたので、寒さは感じない。
むしろ、想像していたほど寒くないので拍子抜けしてしまったぐらい。
ひんやりとして気持ちのいい朝だ。
「ロイヤル・グリーンランド」社のトラックが止まっていた。
この会社のエビは日本でもかなり輸入されていると聞いた。
グリーンランドの経済はずっと漁業を中心に回っていたし、それは今も変わらない。
しかし温暖化の進展とともに外国資本による地下資源の開発も本格化し始めており、グリーンランドの輸出構成も将来大きく変わることも予想される。
港の入江の西側は切り立った崖になっていて、剥き出しの岩の上に建物が建てられていた。
そういえば、グリーンランドの沿岸部の地表は硬い岩と凍った泥土できているのだが、地元の人たちはわざわざ硬い岩を削り、そこに家を建てるのだそうだ。
なぜなら、凍土は夏になると地下の氷が溶けて凹み、冬には膨らむため、家が破壊されるためらしい。
午前10時半、あたりはだいぶ明るくなった。
それに合わせて小さな船が次々に仕事に出ていく。
私が写真を撮っているのに気づいた一人のおじさんが、私に向かって手を挙げてくれたが、彼の手には猟銃が握られていた。
魚ではなく、アザラシなどの海獣の猟が目的なのだろう。
ホテルに戻り、目の前の岩に登ってみる。
そこからは湾がよく見える。
東の空が赤く染まり始めてから、もう40分以上経ったが、太陽はまだ顔を出さない。
でも、グリーンランドでは何時ごろ太陽が昇るのかを確認したくなって、そのまま岩の上に止まり日の出まで撮影を続けることにした。
10時45分。
だいぶ赤くなってきた。
もうすぐ太陽が山から顔を出しそうだ。
特にこの台形をした山の際が一段と明るくなってきたので、もうすぐこの山から太陽が昇るだろうと私は考えていた。
しかし、ほぼ北極圏にあるヌークの太陽は私の予想を裏切った。
太陽は午前11時になってもまだ出てこなかった。
明るい場所も先ほどよりも右に移っている。
東京の太陽に比べて、緯度が高い分、低い角度で横にスライドしているようだ。
昔、アラスカのアンカレッジで、水平線スレスレを横にスライドしていく太陽を見たことがある。
きっとあれと同じ動きを山の影で行なっているに違いない。
上空に一筋の飛行機雲側現れた。
今日はどうやら快晴のようである。
猛吹雪を覚悟してグリーンランドに乗り込んで来たのに、寒さも感じず日の出を待っている自分がなんだか不思議だ。
そして、やっと。
山影から太陽が顔を覗かせたのは午前11時14分であった。
出てきた場所も当初の予想よりもかなり南にずれ、結局私は日の出を待って30分間、この岩場に立ち続けていたことになる。
でもグリーンランドでこんなきれいな朝日が拝めるとは思っていなかったので、気分は晴れ晴れとしている。
街中のホテルに泊まっていたら、この素敵な朝日に出会うことはなかっただろうか
部屋に戻ると、窓から見えるあの山にも太陽に光が当たっていた。
手前の山の上に並んだ家々も朝日で浮かび上がって見え、ものすごくきれいだ。
前の夜はオーロラツアーで結局一睡もしないままグリーンランドに飛んできたので、一休みしようかと思ったのだが、この晴天がいつまで続くかなりわからないので、洗濯をしてから少し街を散歩することにした。
2時間あまり街をウロウロして、ちょっと一休みしようとホテルに戻って来ると、フロントの女性に声をかけられた。
手違いで、私が予約した部屋よりも安い部屋に案内してしまったというのだ。
女性は申し訳なさそうに、別の部屋の鍵を渡し、確認していただいてよければ部屋の移動をお願いしたいと言った。
ちょっと変だなとは思っていたが、午前中にチェックインさせてもらい、荷物もバラして洗濯までしていたので、このままベッドに寝転んで休みたい衝動はあった。
ちょっと面倒くさいと思いつつ、私は女性に渡された部屋をとりあえず見に行った。
しかし、ドアを開けた瞬間、引っ越そうと思った。
その部屋は、新しく増設された新館の2階にあり、今いる本館1階の部屋とは比べ物にならなかった。
部屋が広いうえ、クイーンサイズのベッドが置かれていた。
今いる部屋のベッドはソファーベッドくらいの大きさしかなく、咳のためのたうちながら寝ていると落っこちる危険性もあった。
そして何より、北向きと東向きの2つの窓があるのが決定的だった。
開放感がまるで違う。
北側の窓からはあの山だけでなく、港の様子もよく見えた。
ひょっとすると、部屋にいながらオーロラが見えるかもしれない。
また東の窓からも海や山が見え、船が港を出入りする様子が部屋から眺められた。
これはグリーンランドでも最高の部屋なんじゃないか、そう思った。
確か部屋を決めかねて予約サイトを行ったり来たりした時、この窓から見える絶景の写真を見て、多少高くてもこの部屋にしようと決めたことを思い出した。
早速、部屋替えの効果が現れた。
あれは、午後10時すぎだったと思う。
グリーンランドに到着した最初の夜、空には星が見えていた。
フロントの女性スタッフから、「今夜はオーロラが見えるかもしれない」と聞いていた私は、オーロラのアプリを見ながら、時折部屋から窓の外の様子を伺っていた。
すると、主に見ていた北側の窓ではなく東の窓から緑がかった薄い雲が見えるような気がした。
「あれって、オーロラじゃない?」と思い、スマホで撮影してみるとやはりその雲は薄い緑色をしている。
「やっぱり、オーロラだ」
とはいえ、前日アイスランドで素晴らしいオーロラを見た直後なので、窓の外に伸びるぼんやりとしたオーロラを見ても昨夜のような興奮はない。
でも、せっかくなので防寒対策を整えて屋外に出てみる。
すると、ホテルの前庭からもうはっきりとオーロラが確認できるではないか。
ホテルの屋根の上に、東から南へ2本の緑色の帯が伸びている。
バスに乗って探し回ったアイスランドのオーロラとは違い、グリーンランドのオーロラはすぐそこにあった。
南東の方向を見ると、港の入江の上にくっきりとしたオーロラの帯が見える。
ホテルの目の前にある岩の丘もiPhoneのカメラにくっきりと映し出され、なんとも幻想的な一枚が撮れた。
繰り返すが、この写真を撮影した場所は、私のホテルの目の前なのである。
果たして街中からもこのオーロラは見えているのだろうか?
あえて町外れのホテルを予約した甲斐があったというものだろう。
丘の上にあるタンク類もいい被写体となる。
オーロラ写真って、単独でオーロラを撮るよりも、一緒に映り込む風景の方が重要な気がする。
オーロラ越しに星も写っていた。
その夜のヌークは、滞在中最高の快晴であった。
その後、美しいオーロラを撮影する場所を求めて近くを歩き回ったが、次第にオーロラは薄くなり、結局ホテル前で撮影した最初の写真を超えるものは撮れなかった。
オーロラは一瞬の自然現象である。
明るく見えた瞬間にすぐに撮影しなければすぐに消えてしまう。
プロのカメラマンのように、その一瞬を待って何時間も何日も張り込むなら別だが、ホテルに居ながらにしてオーロラを撮影できるスポットとしてこのホテルには捨て難い魅力がある。
さらに、滞在中に参加したボートツアーの集合場所も、このホテルのすぐ裏にあって、何かにつけて大正解のホテル選びであった。
町外れとはいえ、そもそもヌークは小さな町なので10分か15分も歩けば街の中心部だ。
もしもヌークでのホテルに迷ったら、私は断然「ホテル・ソーマ・ヌーク」をオススメしたい。
「HOTEL SOMA NUUK」 住所:Marinevej 3, Nuuk 3900 グリーンランド https://hotelsoma.gl/nuuk/