🇲🇾 マレーシア/クアラルンプール 2025年2月14日
キャッシュレス化が進み全く現金を必要でないシンガポールからマレーシアに入ると、現金のみというお店が多くて慌てて両替に走るということがままある。
こちらがマレーシアの通貨であるリンギット紙幣。
肖像に使われているのは初代国王トゥアンク・アブドル・ラーマンである。
マレーシアは立憲君主制の連邦国家なのだが、その象徴である国王の地位は他の君主国とは異なっているという。
なんと任期5年の輪番制なのである。
その不思議な政体について、鳥居高編著『マレーシアを知るための58章』から引用する。
マレーシアの人々の会話にしばしば出てくるアゴン。正式にはヤンディ・プルトゥアン・アゴンという。1957年のマラヤ連邦成立時に新設された立憲君主としての国王である。制度上の大きな特徴は「輪番制」、「5年任期」、「信任投票による選出」、「副国王」という4点である。他国の国王制度に見られる世襲、終身、皇太子を基本とする制度とは大きく異なる。
輪番制度とは9州の統治者(称号としてはスルタン)が国王ならびに副国王(国王がその職務を遂行できない場合に代理を務める)に5年を任期として、順番に就任する仕組みである。具体的には1957年時点で統治者としての在位の長さに基づいて「就任予定リスト」が作成された。しかし、この予定リストの第1位と第2位に列せられたジョホール州とパハン州の統治者は初代国王就任をそれぞれ「辞退する」旨を事前に統治者会議の事務を担う国璽尚書に申し出た。このため第3位に位置していたヌグリ・スンビランの統治者が初代国王に、スランゴール州の統治者が初代の副国王にそれぞれ選出され就任した。ヌグリ・スンビランの統治者は図らずして、初代国王となり、彼の肖像は今日まですべての額面の紙幣の表側に描かれることになった。国王と副国王の地位を統治者9家に一巡させるために、リストの運用に工夫が施された。まず国王就任の順番が回った時に統治者本人が辞退した場合は、いずれ国王への就任を求めるために、予定リストの最後尾に回した。次に国王に就任するまでに統治者が逝去した場合は、後継の皇太子が自州において統治者としての在位年数が短いことから、やはり就任予定リストの最後尾に回された。国王10代目からは2巡目に入っている。現行のリストは第1巡目の即位の順番に手を加えず運用されており、2023年現在、第16代国王はパハン州出身の統治者である。
制度上の特徴である信任投票制度について見ておこう。この信任投票は統治者会議の中で9人の統治者と国璽尚書と統治者会議の秘書官のみが出席を許される特別会議において実施される。事前に国王と副国王に就任の意思があることを表明した候補者について、「適当」か「適当でない」と事前に印刷された無記名投票用紙にマークをつけて投票することになっている。信任投票が過半数に達した段階で投票用紙は焼却される。これらの一連のプロセスは5年に一度しか行われない選挙とはいえ、投票結果に関して、9人統治者間にわだかまりを持たせない配慮であろう。また任期制であることから、1人の統治者が国王として国政に影響を持ち得るのは任期の5年間のみであり、継続的に影響を持ち得ないことを意味する。
この世界でも珍しい国王の輪番制に興味を持った私は、ぜひ国王の館すなわち王宮を見に行きたいと思った。
ちゃんとした下調べもせず、Googleマップで行き方を検索しとりあえず電車とバスを使って王宮「イスタナ・ネガラ」に行こうと目論んだ。
ホテル近くの駅から地下鉄MRTに乗車、王宮近くの「セマンタン駅」まで行く。
この路線は比較的新しく、いずれは環状線になる計画らしい。
ダウンタウンから北西に位置するセマンタンは新興地域らしく、新しい高層ビルやマンションが建ち並んでいた。
クアラルンプールは、古い街並みが残る中心部にも新たな超高層ビルが建つ一方で、郊外にどんどん新たな町が建設されている。
ここもそうしたニュータウンの一つのようだ。
駅を出ると、Googleマップが指定した路線バスの乗り場があった。
番号を確認して、王宮の方に向かうバスに乗り込む。
バスは全く方向違いの住宅街をぐるっと回り、再び駅の方へ戻って来ると・・・
今度は王宮の脇と通り越して丘の上に建設された近代的な街へと入っていく。
このビルも相当高い。
すごく前衛的な外観の超高層ビルである。
そうかと思えば、バスは何かの複合施設の敷地に入っていった。
なんだか変な所に来てしまったと思って調べてみると、ここはマレーシア貿易開発公社とそこが運営するコンベンションホールのようで、展示ホールや劇場も備え、すでにさまざまなイベントが開催されているという。
しかしこれは「KLメトロポリス」というビッグプロジェクトの一部のようで、今後20年かけてさまざまな開発が行われ、マレーシア政府の経済産業省もこの未来都市に引っ越して来る計画になっている。
路線バスに乗ったおかげで、意図せず新たなクアラルンプールの姿を見ることができたが、肝心の王宮にはどうやっていけばいいのか?
お客さんがほとんどいなくなったバスの中で、私は運転手さんに聞いてみた。
すると運転手さんは「もっと早く言ってくれればよかったのに」と言い、「もうこの先降りるところはないよ」とガッカリすることを口にした。
Googleマップ上では王宮の近くにバス停らしきものがあり、そこから歩くようになっているが、実際にそこはハイウェイの上でバス停など存在しなかった。
しかし、諦めきれない私は、ハイウェイの路肩が少し広がった場所を見つけ、「ここで降ろして」とお願いしてみた。
すると優しい運転手さんは「知らないよ」といった感じで、バスを止めドアを開けてくれた。
とりあえず降りて、それからどうするか考えよう。
バスを降りると運転手さんが言った通り、ハイウェイの上で人間が歩くための歩道もない。
ましてやGoogleマップが示していた王宮への道などどこにも存在しなかった。
そこで気づいたのだが、Googleマップ上のグレーの点々は人間が歩く道ではなく、道はないけれどここが最短ということを示しているに違いない。
さあ、どうするか?
しばし途方に暮れる。
王宮はおそらく右手の丘の上にあるのだろう。
ハイウェイから丘の上に伸びる脇道がきっと王宮に行く唯一のルートなのだ。
しかし、それは歩道のない自動車専用道路。
つまり、王宮に行きたければツアーに参加するか、タクシーでも捕まえて車で行くほか方法はないのだ。
私は周囲の様子を観察したうえで、そのように結論づけた。
仕方がない、王宮に行くのは諦めて駅に戻ろう。
そう決めて、車が猛スピードで通り過ぎるハイウェイの路肩を歩いて駅のある方向に進んだ。
ハイウェイの合流部を車が来ない隙を狙って通り抜け、なんとか交差する道路の上に来た。
高い所から自分が歩いてきたルートを眺めると、私が今行っている行為は明らかに道路交通法違反であり、警察に見つかれば罰金は免れない所業だと理解できた。
バスの運転手さんが忠告した通り、ここはバスから降りてはいけない場所だったのだ。
この界隈は丘が複雑に入り組んで、かなりの高低差がある。
目指す駅は丘の上、街の中心部をつなぐMRTの線路が私の遥か頭の上を通っていた。
とにかく、駅の方向を目指して歩道なき道を歩く。
ずっときつい上り坂が続き、全身汗でびっしょりになる。
こうして何とかセマンタンの駅まで帰り着いたのは、ハイウェイ上でバスを降りてから30分後だった。
いやはや、見知らぬ国で無謀なことはやめておいた方がいい。
ろくなことにならないと反省する。
すると・・・
駅のホームから王宮があるであろう方向を未練がましく眺めていた時のことだ。
ビルの隙間からドームのようなものが見えた。
あれってモスク、それともひょっとすると王宮の一部だろうか?
そう思ってネットで調べてみると、あれは紛れもなく王宮の一部だということがわかった。
こちらがネットから拝借したマレーシアの王宮「イスタナ・ネガラ」の写真だ。
市内観光ツアーの観光客は必ず連れて行かれる場所だというが、敷地内は立ち入り禁止、この正面の門の手前までしかいけないらしい。
でも、駅のホームから見えている金色のドームはこの写真のドームとまさに同一である。
散々苦労しても見えなかった王宮が、ほんの一部とはいえ駅のホームから簡単に見えた。
これも神の配剤というものかもしれない。
さて、任期5年の輪番制というと、いかにも形式的で弱そうな国王だと感じるが、実は意外にその権力は強いのだそうだ。
再び『マレーシアを知るための58章』からの引用。
国王は、連邦における立憲君主としての役割とマレー人社会の擁護者という2つの役割を担う。
まず国王は連邦憲法やそのほか連邦法に基づく諸任務を遂行する際に、内閣および内閣の一般的な権限のもとに行動する大臣の助言に従って行動することが求められる。この「内閣の助言」に関する規定はマハティール政権が行った1994年の憲法改正によって、国王が「助言に従わなければならない」ことを改めて明言した条項が新設され、より強化された。
しかし、国王は連邦首相の任命権、国会解散の要請に対する同意の保留権などに関して、自由裁量権を持って行動することができる。2000年代、特に2018年の政権交代期にこの首相の任命権が注目を集めた。このほかに国王は国軍の最高司令官であり、また恩赦を与える権限、さらに国会全体に甚大な非常事態に際し、非常事態宣言を発令する権限も有する。
一方、国王は連邦レベルにおいては連邦憲法第153条における「マレー人などの特別な地位」の擁護者としての役割が与えられているほかに、統治者が存在しない4州でのイスラームの長としての役割を担う。立憲君主としての連邦をまとめる存在であると同時に、マレー人社会の擁護者であるという2つの役割を担うことになっている。この二重性は国王が多民族から構成されるマレーシアの象徴でありながら、国会など多民族が集まる場においても、マレーの伝統的な衣装を身にまとい、腰にはマレー文化における権力の象徴「クリス=短剣」を帯びた姿で参加することに象徴されている。
マレーシア北東部の中心都市コタバルに行った時、街を歩いていて偶然こんなゲートを見かけた。
これは一体何だろうと興味を抱き、ゲートを入っていくと、その奥に高い塀に囲まれた立派な建物が立っていた。
ちょっとバリ島のリゾートホテルにも似たこの建物。
脇に立てられた案内板を見てみると、なんと「THE GRAND PALACE」と書いてある。
その説明はこうだ。
『大宮殿(Istana Balal Besar)は、19世紀に大変人気のあったマレー建築の様式に沿って1844年に建てられました。ケランタン全土の熟練した大工が、厳選されたセンガル材で宮殿を建てました。大宮殿は、ケランタン川のほとりにある古い住居の代わりに新しい宮殿を望んでいたスルタン・ムハンマド2世によって建てられました。その後、州を統治した数人のスルタンがこの宮殿に暮らしました。最近では、宮殿は王室の行事や儀式などの重要な機会にのみ使用されています。そこには王室の玉座とケランタンの王室の宝物が含まれています。』
つまり、ここはこの地域を支配したスルタンの宮殿。
マレーシアの国王になる資格を持つ9人のスルタンのうちの1人が、この宮殿の主人ということになる。
イギリスがマレー半島を支配する以前は、スルタンが支配する王国がいくつも存在し、お互いに交流したり時には争いながら緩やかな共同体を形成していたのだろう。
ついでながら、コタバルの王宮近くで見つけたローカルな食堂のことを記録しておきたい。
太平洋戦争の口火を切るコタバル上陸作戦の取材を終え、ランチでも食べてから空港に行こうと思って歩いていた時、偶然見つけたのがこの食堂だった。
週末ということもあってものすごく混んでいて地元の人にすごい人気のお店だということは一見してわかった。
大屋根の建物に入ると、ビュッフェスタイルで各々好きな料理を選んで皿に盛っている。
ただ、誰に断ればいいのか、どうやって支払いをすればいいのか、全くルールがわからないのでしばらく立ちすくんで様子を見ていた。
並んでいるのは、魚料理が多く、魚の頭を丸ごと揚げたものやブル切りにした魚を煮込んだものなど、日本人からするとあまり食欲をそそられない豪快な料理が多い。
それぞれ値段のようなものが書いてあるが、お客さんは適当に好きなものを取ったらレジにも寄らずそのままテーブルに運んで食べている。
そうかと思うと、こちらの野菜は何だろう?
どう見ても道端に生えた雑草にしか見えない。
この草どうやって食べるんだろう?
そもそもこの店、一体どういうシステムになっているんだ?
さっぱり理解できないままに、私も他の客に混じり、できるだけ当たり障りのなさそうな料理を選んで皿に載せた。
すると、完全にマレー語で支配されたこの店で唯一英語で書かれた看板を見つけた。
①まずテーブルを確保し、②好きな料理を選んで、③ドリンクを注文すれば、④店員さんがテーブルで精算してくれるから、⑤それを持ってレジで支払いをする。
どうやら、そういうシステムのようだ。
ようやくここのルールがわかったので、私は迷いなく空いたテーブルを探した。
これが私が選んだこの日のランチ。
チキンとナスとスイカ、そしてライムも。
他の人たちは家族や友人で訪れて、幾つもの皿をテーブルに並べているが、どう見ても食べたいと思える料理は見当たらない。
料理は決して美味しいとは思わないが、これがマレーの伝統料理。
マレーの人々が昔から受け継いできた食事のスタイルなんだと思うと、すごく大発見をしたような興奮を覚えた。
よく見ると、コンボと書かれたセットメニューがいくつか用意されているようである。
ビュッフェのように並んだ料理に比べると、ずいぶん綺麗に盛り付けてある。
「あれにすればよかったかも」と思った時には時すでに遅し。
とりあえず自分が選んだ食材にかぶりついていると、小さなカバンを持ったお姉さんがテーブルにやってきて、値段を書いた紙を置いていった。
この日の私のランチは、全部で8.50リンギット、日本円にして300円弱だった。
まあ安いといえば安い。
だから地元でも人気なのだろう。
きっとちゃんと美味しい料理を選ぶ目を持っていれば、安くて美味しい庶民の味を堪能できたのだと思う。
それにしても、宮殿と大衆食堂が隣り合って存在するところがマレーシアの面白さである。
庶民がそれぞれの生業に励むように、国王もまた5年の任期の間、国家安寧のために職責を全うする。
マレーシアはまだ独立から半世紀ほどの新しい国ではあるが、輪番制の国王の下、植民地経済から脱却し、スルタンの国から近代国家へと脱皮しようとしているのである。
