<吉祥寺残日録>トイレの歳時記❄️七十二候「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」と初場所・初縁日 #210125

日曜日に予報されていた雪は結局降らなかった。

思ったほどには気温が下がらなかったためらしく一日中、冷たい雨が降っていた。

今朝は久しぶりに、朝日が池の水面に反射している。

が、・・・朝から眠たい。

自宅待機にもすっかり慣れて新鮮味がなくなってきているのだろう、このところ気力の衰えを感じるようになった。

ふと考えると、2021年になってからどこにも出かけず、電車にも乗らず、吉祥寺から一歩も出ずに25日が経った。

今日は、七十二候の「水沢腹堅」。

我が家のトイレのカレンダーには「すいたくふくけん」とルビがふられているが、一般的には「さわみずこおりつめる」と読むらしい。

厳しい寒さで沢の水も凍る頃といった意味で、一年のもっとも寒い時期を表す言葉のようだ。

事実、日本で記録された過去最低気温は北海道旭川のマイナス41.0度だが、これが観測されたのは1902年1月25日のことだ。

これだけ外出を自粛している効果が少しはあったのか、東京都の新規感染者数が少し下がり始め、昨日は12日ぶりに1000人を切った。

菅さんも小池さんもやれやれと思っているかもしれないが、イギリス型の変異種への警戒も続き、まだまだ気を緩められない状況が続く。

そんなどこにも行けない年の初めに私の楽しみといえば大相撲、すっかりジジイの仲間入りだ。

場所前に横綱白鵬らが新型コロナに感染していることがわかり、九重部屋、友綱部屋、宮城野部屋、荒汐部屋の力士全員65人が休場。

ケガの横綱鶴竜も休場して横綱不在で、関取も15人が初日から休場する異例の場所となった。

注目は綱取りを目指す大関貴景勝だったが、なんと初日から4連敗で早々に横綱昇進の可能性が消え、10日目に休場してしまった。

そんな冴えない初場所を制したのは平幕の大栄翔。

初日から連日、3大関を含むすべての役付き力士全員を倒し、全勝で勝ち越しを決めると、その後も一度もトップの座を明け渡すことなく13勝2敗で初優勝を飾った。

埼玉県出身の力士が優勝するのは長い大相撲の歴史でも初めてだという。

しかも初場所に限っていえば、6年連続で初優勝力士が制したことになる。

2016年が琴奨菊、17年は稀勢の里、18年が栃ノ心で19年が玉鷲、そして去年の初場所は驚きの幕尻・徳勝龍が制した。

いよいよ白鵬時代の終焉も見えてきて、ポスト白鵬の群雄割拠がまだしばらく続きそうだ。

トイレのカレンダーを眺めながら、今月ずっと気になっていたことがある。

それは、昨日24日の欄には「初地蔵」、今日25日の欄には「初天神」など、「初○○」という聞き慣れない言葉がたくさん書き込まれていたことだ。

試しに調べてみると、「初天神」とは、年の最初の天神様の縁日のことだそうで、毎月25日が全国にある天満宮の縁日だが、初天神にお参りすると特別な御利益があるのだそうだ。

ちなみに、天神様の縁日が毎月25日とされるのは、菅原道真公の誕生日が6月25日で、命日が2月25日であることに由来する。

ついでに「初地蔵」についても調べてみると、こちらは謎が多い。

そもそも道端で見かける「お地蔵様」というのは何なのか?

ウィキペディアによれば、地蔵菩薩とは『仏教の信仰対象である菩薩の一尊。釈尊が入滅してから弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代の衆生を救済することを釈迦から委ねられたとされる』と書いてあるのだが、その後を読んで驚いた。

地蔵菩薩は、忉利天に在って釈迦仏の付属を受け、釈迦の入滅後、5億7600万年後か56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされる

出典:ウィキペディア

地蔵菩薩とは、釈迦がいなくなってから弥勒菩薩が現れるまでの繋ぎ、すなわち中継ぎ投手のようなものだが、その期間が5億〜56億年もあるのだという。

気が遠くなるような超ロングリリーフである。

しかも、なぜ24日が地蔵菩薩の縁日になっているのかもわかっていない。

地蔵菩薩の命日が4月24日という説を書いているお寺もあるが、地蔵菩薩が死んじゃったら誰が代わりに救ってくれるの?って感じで、宗教のいい加減さと商業主義が凝縮されているように感じて、それはそれで面白かった。

我が家のカレンダーには他にもいろんな「初○○」が書かれている。

1月5日  初水天宮

1月8日  初薬師

1月10日 初金毘羅

1月18日 初観音

1月21日 初大師

1月28日 初不動

「薬師」と「観音」と「大師」と「不動」と何がどう違うのかも知らないが、こんなにいろんなお寺を回っていると、あっという間に1月が終わってしまうことだけは間違いない。

ちなみに、「縁日」というものを調べてみると、毎月ほぼ毎日が何かしらの縁日になっていることがわかる。

歳をとって暇になって自分の死と向き合うようになると、昔から人はこうしていろんな神様仏様を回ってお祈りをしていたのだろう。

人の弱みにつけ込んだ「霊感商法」にも見えるが、年寄りの暇つぶしとして確かなニーズがあったからこそ、今日まで続いてきたに違いない。

宗教というものは、やはり恐るべしである。

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