日本のジャーナリズム界で最高の栄誉とされるのが「新聞協会賞」。
その年最も価値があったスクープが選ばれることになっているが、その名前の通り、その選考過程は大手新聞社が牛耳っていて、テレビ局にとってはなかなかハードルが高い。
そんな「新聞協会賞」に今年、ちょっと異例の番組プロジェクトが選ばれた。
NHKスペシャルのミャンマープロジェクトである。

「What’s Happening in Myanmar?」と題されたこのプロジェクトについて、NHKのサイトには次のように書かれている。
今年2月1日に発生した軍事クーデター以降、ミャンマー国内では1105人が死亡、これまでに8223人が拘束されました(出典:人権団体AAPP 9月16日現在)。NHK東京のミャンマー取材チームは、クーデター発生直後から現地の実態を伝え続けてきましたが、その大きな手がかりになったのが、市民が撮影し、SNSなどで発信した動画です。市民の死の瞬間や、軍の暴力を捉えた衝撃的な映像も少なくありません。複数の動画や画像を最新技術で分析することで、弾圧の実態や市民の死の真相究明につなげたケースもあります。このウェブサイトでは、そうした取材の成果を一覧できるようになっています。また、すでにSNS上から削除された貴重な動画をそのままアーカイブしてありますので、あなたは、市民たちが直面したクーデターの“リアル”を、地図上・タイムライン上でトレースすることができます。
いまミャンマーでは、軍による厳しい情報統制が進み、実態はますますブラックボックス化しています。武装勢力と軍とが衝突する泥沼化の事態が起きていますが、そうした現状が覆い隠される可能性もあります。それでも、私たちは、今なお送られてくる映像などを手がかりに、ミャンマー情勢をウォッチし続けたいと思います。
NHK東京・ミャンマー 取材班
スマホとSNSが世界的に普及し、誰もが動画や写真を撮影して簡単に発信できる時代。
私が現役記者だった頃には考えられない新たな環境がデジタル社会の中で生まれている。
こうした時代におけるジャーナリズムを模索する人たちの間から、「デジタルハンター」とか「オープンソースインベスティゲーション」といった新たな調査報道の手法が生まれ、世界中に広がっている。
日本ではまだまだこれからといったジャンルだが、NHKのミャンマープロジェクトはまさにこうした手法を用いて新たな報道のあり方を提示したという意味で画期的と言っていい。
新聞協会賞のサイトを見ると、こんな受賞理由が書いてあった。
日本放送協会は、ミャンマーでの軍事クーデターに対しSNSを使って抵抗する市民の姿や軍による情報統制の実態を、2021年4月4日の番組で放送した。
引用:日本新聞協会
現地取材が困難な中、インターネットを通じて映像や写真を集め、その信ぴょう性を検証した上で徹底した解析を加え、デモ中の女性の死の真相に迫るなど軍の非道な弾圧を暴いた。8月22日放送の続編でも、地方都市での市民の大量虐殺を映像で解き明かし、視聴者に衝撃を与えた。
デジタル時代の新たな取材手法を駆使し、軍の情報統制をかいくぐってミャンマーの混乱を伝える優れた調査報道として高く評価され、新聞協会賞に値する。

プロジェクトのサイトを見ると、ミャンマー各地で撮影された動画がたくさん並んでいる。
しかし、そのほとんどが市民の抗議活動が活発だった2月から3月に撮影されたものであり、最大都市ヤンゴンの北に位置するバゴーという町で4月9日に撮影された動画が最後となっていた。
軍の弾圧によって動画の撮影や発信が危険になった証拠である。
私がバンコク支局に勤務した1980年代、ミャンマーは軍事独裁体制で事実上の鎖国状態であり、ジャーナリストの入国を一切認めていなかった。
ミャンマーで何が起きているのか、国際社会が知る術はほとんどなかったのである。
私は一度だけ、身分を隠して観光ビザで入国したことがあるが、その際にはビデオカメラも持ち込めず現地で民生用のビデオカメラをなんとか借りて撮影したことを覚えている。
そして私が入国した翌年の1988年、「8888民主化運動」という抗議活動が起き、今回同様多くの死傷者が出た際、私が撮影したヤンゴン市内の映像が繰り返し放送されたものだ。
とにかく、それほど強権国家での取材というのは難しいものである。

NHKのミャンマープロジェクトでは、日本人記者が現地で取材する代わりに現地から発信される膨大な映像を分析して、今何が起きているのかを解き明かそうとした。
その1本目の放送が、4月4日に放送されたNHKスペシャル「緊迫ミャンマー 市民たちのデジタル・レジスタンス」だった。
NHKのサイトには、この番組についてこのように紹介されていた。
緊迫のミャンマー情勢・いま何が起きているのか?▼抗議デモを続ける若者たちを現地取材▼密着!Z世代による“デジタル・レジスタンス”▼現実世界とネット“表裏一体”の攻防の行方を追跡▼世界各地からキーボード戦士が続々参戦▼ネットやSNS上の投稿動画を徹底解析!軍による弾圧の実態▼日本に住むミャンマー人たちの闘い方とは?▼クーデターの背景に何が?88年との違い▼求められる国際社会の役割は?
引用:NHK
抗議活動中に死亡した一人の女子学生について、日本に暮らすミャンマー人の協力を得ながら複数の映像を検証することによって、彼女が軍によって射殺されたという事実を証明していく。
「女子学生はデモ隊が放った銃弾によって死亡した」とする軍当局の見解を覆すとてもスリリングな内容だった。

続いて、8月22日に放送された続編NHKスペシャル「緊迫ミャンマー 軍弾圧の闇に迫る」も大変濃い内容だった。
NHKサイトによると・・・
4月に放送して国内外で大きな反響を呼んだNHKスペシャルの第2弾。その後、ミャンマー国内の状況はさらに悪化し、軍の弾圧によって少なくとも900人以上が死亡している。なぜ軍はそこまで“暴走”を続けるのか?番組では、軍から離脱した複数の将校の証言に加え、軍の内部資料を入手。そこから、軍の体質や、巨大な「利権構造」が見えてきた。今回も衝撃的な現地映像を入手し、デジタル調査報道を展開。軍弾圧の実態に迫る
引用:NHK
この続編は、映像の分析だけでなくミャンマー軍の権力構造にまで迫るという意味で、より調査報道の本質に近い。
その内容から、私が面白いと思った部分を記録させていただこうと思う。

40万の兵力を有するミャンマー 軍。
武力によって民主化運動を押さえ込み、8月1日にはミン・アウン・フライン司令官が暫定首相に就任すると発表した。
動画を撮影する市民への発砲、電話の盗聴、SNSへの監視などあらゆる手段を使って、デモを封じ込めている。
7000人以上の市民が拘束され、拷問も行われているという。
番組の前半では、最大都市ヤンゴンと首都ネピドーを繋ぐ幹線道路に位置する要衝バゴーで4月9日に起きた軍による無差別虐殺の実態に迫る。
日本に住むミャンマー人や海外の調査チームと協力し、200枚の写真と100本の動画を入手、撮影場所などを衛星写真などと照合しながら特定する。
目撃者16人の証言と合わせて多角的に分析した。
その結果、この日の未明、軍は逃げ道を塞いだ上で4方向から市内に突入、40ミリグレネードと呼ばれる殺傷兵器まで使ってバリケードを攻撃したことがわかった。
寝込みを襲われた市民たちは逃げ場を失い、軍はドローンを使って市民の行方を掴み追い詰めていったという。
バゴーは今も軍の監視下に置かれている。
番組の後半は、ミャンマー軍の実態にも迫っている。
今回のクーデターをきっかけに軍を離れ逃亡中の元将校4人とオンラインで接触し、知られざるミャンマー軍の情報を収集していく。
元大尉の証言。
「軍にいると外とのつながりがとても少ない。政治や国民について触れている記事は読めない。軍隊の中で得られる情報は、軍が統制している新聞やテレビしかないのです」
元少佐の証言。
「軍は国民がどうなってもいいと考え、罪のない人を殺したり市民を痛めつけています。権力を握るためなら何でもやるのが軍なのです」
元少佐ヘイン・トー・ウーさんは顔出しで取材に応じた。
軍人やその家族は、社会から切り離され軍の管理する敷地の中で生活する。
その行動全てが監視され、仮に逃亡すれば逮捕され死刑になることもあるという。
叩き込まれるのは軍の思想、特に民主化を求める市民は悪だという考えである。
1988年の民主化運動も「暴徒化した市民が多くの兵士を殺した」と教えられてきた。
「権力を握りたい人が軍を操っています。軍を離反したのはやり方がひど過ぎるからです。もし軍人やその家族が裏切る行為をしたら起訴されてしまいます。(軍から)逃げることは決して許されません。家族も同様に逃げることは難しいのです」
もう一人、元大尉のトゥン・ミャッ・アウンさんも顔出しで証言する。
「自分の目の前にいるのは敵だと思えと常に洗脳されてきました。現場の指揮官から殺してしまえという命令を下されることもあります。
さらに、前政権に任命され今もその職にとどまっているチョー・モー・トゥン国連大使は番組のインタビューに応じてこんな話をした。
「軍がクーデターを強行したのは幹部たちの私的利益のためです。軍は軍系企業を所有しかなりの特権を享受しています。免税措置においても優遇されているのです」

ミン・アウン・フライン国軍最高司令官をはじめ、軍の最高幹部が要職に名を連ねる軍系企業「MEHL」と「MEC」。
130を超える子会社を持ち、金融や通信、エネルギー事業などあらゆるビジネスに関わっている。
しかしどれだけの利益が軍や軍人に流れているのかは明らかにされていない。
こうした中、軍に関する情報がハッキングされインターネット上に公開された。
数十万点以上に及ぶ資料には、軍系企業の財務状況や収入内訳が記載されていて、世界中の報道機関がその分析を進めているという。
その中にあった2019年の「MEHL」の株主リストを見ると、38万人に及ぶ株主の9割以上が軍人や退役軍人だった。
1700を超える全国の部隊にも配当が支払われていることがわかった。
さらに、「MEHL」の理事会配当金表によれば、ミン・アウン・フライン司令官は10年前の時点で年間3000万円の配当を得ていた。
20年間に株主に支払われた配当金は、実に2兆円にも達している。
こうした軍の利権構造を変えようとしていたのがアウンサン・スーチーさん率いるNLDだとされ、これがクーデターの背景にあると指摘されている。
欧米諸国がミャンマー軍に経済制裁を科す中で、中国は制裁に反対している。
中国が巨額の予算を投じて建設した石油と天然ガスのパイプライン、ミャンマーの港町チャウピューと中国の雲南地方を結ぶ。
番組がチャウピューを取材すると港には中国籍のタンカーが停泊し、独自に入手した入港記録によると、クーデター以後も中国船籍や香港船籍の船が次々にやってきていたことがわかった。
日本政府はミャンマーの民政移管以降ODAを増やし、2019年には年間1900億円の支援を行ってきた。
クーデター後、新規の援助はストップしているが、制裁は課していない。
軍と関係を持つ日本企業が多数存在するからだ。
ヤンゴンで進められてきた官民合同の「Yコンプレックス事業」。
ホテルや商業施設、オフィスが入る複合施設を日本のゼネコン「フジタ」が中心となって建設中だが、日本の政府系金融機関も融資する総事業費360億円以上のビッグプロジェクトである。
軍の博物館の跡地を借りていて、貸主は兵站局と記されている。
兵站局は軍の組織で、武器の購入などを担当しているという。
「Yコンプレックス事業」はクーデター後、工事の中断を余儀なくされている。

民主化運動が弾圧されたミャンマーでは、医療体制が崩壊する中でコロナが猛威をふるい、民主化運動に挫折した市民たちが国境近くの少数民族支配地域で軍事訓練を受けているという。
私がバンコク支局に勤務した当時のミャンマーに逆戻りしてしまった。
あの頃も、カレン族やカチン族などの兵士が国軍に対してゲリラ戦を挑んでいたが、わずかな武器でジャングルの中を這い回る展望のない戦いだった。
民主化したミャンマーで育った若者たちはそうした歴史を知るまい。
国際社会の制裁だけではそう簡単に軍事独裁体制は打ち壊すことはできない。
悲しいことではあるが、それが歴史の教訓であり、最終的にはミャンマーの人たちの手によって体制を倒すしか方法はないのだ。
それでも、1980年代にはほとんど見えなかったミャンマーの深部が、デジタル技術によって少しだけ見えるようになった。
私がもし若ければ、「デジタルハンター」の仕事にどっぷりとはまったに違いない。
日本のテレビも、もっともっと新たな調査手法を磨いて、見えなかった闇に光を当ててもらいたいと願わずにはいられない。
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