東京での用事が全て終わり、昨日妻が岡山にやってきた。
今月の帰省中ずっと雨が降ったり止んだりのぐずついた天気が続いていたが、それが嘘のような昨日の朝から青空が広がり妻の到着を歓迎するようだと思った。
先日母の買い物に付き合ってスーパーに行った時、ちょっと立派な紫陽花の鉢が800円で売られていたので2株購入し、妻が到着するのを待って畑に植えようと考えた。
昨日の朝から畑の草を刈り、紫陽花の苗が雑草に負けないように周囲にはビニールマルチを貼って、万全の態勢を整えて妻の到着を待ち構えた。
妻は午前中に東京を出発し、岡山に到着したのは午後3時半ごろだった。
最寄りの駅まで迎えに行って、スーパーで買い物をしてから家に戻る。
ここまでは順調で至って和やかな雰囲気だった。
ところが家に到着した途端、ある物が妻の逆鱗に触れた。
それは母がマンションに長年仕舞い込んでいた提灯である。
この提灯はお盆に飾るものらしく、父が死んだ時に母が自分で購入した提灯の他に父の知人から贈られたものも後生大事に保管していたらしい。
「伯母の初盆に飾ってあげて」と言われ私はそれを譲り受け、古民家に持ち帰っていた。
私も提灯など欲しくはなかったが、どうせ狭い母のマンションで場所塞ぎにしかなっていないし、片付けをしたがらない母があげるというのだからもらっておいてこっそり処分すればいいと考えた。
ところが、妻にはそれが許せなかったらしい。
「せっかく業者に依頼して家の不用品を片付けたのに、何でまた要らないものをもらってくるの」
おそらくは旅の疲れも相まって怒りに火がついたようだ。
私があれこれ言い訳する暇も与えず、妻はその場で提灯の箱を破り、中の提灯を壊し、ゴミ袋に詰め込み始めた。
突然の行動に私は驚き、止めようとするが妻の怒りは収まらない。
これは単に提灯の話ではなく、何事も岡山の習わし通りにやるものだと思っている母と昔のしきたりにこだわらず自分たちのやり方で伯母の供養をしたいという妻の考えの違いが根底にある。
妻のそうした気持ちを知りながら、私が母に言われるがまま提灯を受け取ってきたのが許せなかったんだと思う。
たかが提灯ぐらいでそこまで怒らなくてもいいのにと思いつつ、私は猛然と提灯を破壊する妻を見守るしかなかった。
後悔先に立たず。
もらった提灯を捨てたと言ったら母はどんな顔をするだろう。
母が提灯をあげると言った時、私が「要らない」と言えばこんな厄介なことにはならなかったのだ。
妻が嫌がることはわかっていたし、私自身提灯など要らなかった。
でも伯母の初盆だし、お盆にちょっと飾ってそのまま捨てて仕舞えばいいとその時は安易に考え受け取ってしまったのだ。
こうした先祖供養のトラブルについてネットの記事を目にしたばかりだった。
姑が嫁に「お墓のことはお願いね。あなたもいずれ入るんだから」と頼んだところ、お嫁さんから「私はその墓に入るつもりはありません」とキッパリと言われたという。
その話を姑がSNSにアップしたところ、書き込んだ姑を批判しお嫁さんの考えを支持する意見が多数寄せられたという記事だった。
お墓や先祖供養に対する考え方は世代によって大きく異なる。
日頃仏教とは全く縁のない生活をしている人間が葬式や法事となると急に仏教のしきたりに従うというのも変な話だ。
故人を偲ぶことと昔からの作法に従うことはイコールではない。
だから私も基本的には妻の考えに近いのだが、母の希望を無碍にするのも心苦しく妥協の産物として提灯を受け取ってしまったのだ。
しかし妻はそんな私の曖昧さがとても嫌だったんだろうと思う。
昨日の夜は二人とも険悪な雰囲気で、久しぶりの再会が台無しとなってしまった。
たかが、提灯ごときのために。
今朝、気を取り直して妻と畑をひと回りしてきた。
今更破壊された提灯は元には戻らないし、戻す意味もない。
最初から処分するつもりだったものが、お盆の前に前倒しになっただけのことだ。
こういう時はいつまでの言い争っていても仕方がない。
そんな私の気持ちを代弁するように、坂道の真ん中で大きな亀がじっとしていた。
どうしてこんなところに亀がいるのかはわからないが、ややこしい立場に置かれた時はじっと耐えて嵐が過ぎ去るのを待つしかないだろう。
提灯を捨てたことはいずれ母の耳にも入り、母はちょっとショックを受けるかもしれないが、それはそれ、状況に応じて次の手を考える以外にない。
今は下手に動かず、首をすくめて母と妻の間でじっと耐える時である。