2週間に渡った今月の帰省も明日でおしまい。
実に盛りだくさんで、私がやりたかったことも、妻がやりたかったこともいろいろと実現することができた。

妻がやりたかったのは、大きくなった柿や庭木の剪定。
ずっと前から私に「早く切って」と催促するのを、「冬になったらね」とかわしてきたが今回ついに断行した。
前述の通り、通りにはみ出していたアラカシの木を大胆に伐採し、いよいよ柿の剪定に取り掛かった。

妻の要求が特に強かったのは、家の裏にある御所柿の老木。
美味しい柿が採れるのだが、いかんせん家の屋根にぶつかりそうな場所にあり、毎年熟した柿や大量の落ち葉が落下してその掃除に苦労するというのだ。
高くなっている裏の道から高枝バサミを使って実を採ることはできる枝は残して、家に近い枝は実も採りにくいので可能な限り切ることにした。
電動のポールチェーンソーと高枝バサミを使って、容赦なく枝を切り落としていく。

結果的には、だいぶ枝が減りすっきりした姿となった。
妻は家にくっつきそうな太い幹も切りたいと言ったが、私の年齢以上に年老いた老木なので、あまりに強く剪定してしまって木が枯れてしまうことを私は危惧した。
妻を説得し、なんとか今年はこの程度の勘弁してもらって、来年この木が死なずに実をつけるかどうかを見極めることになった。

水道管の凍結も妻の心配事だったので、ホームセンターで水道管に巻くスポンジのパイプを買ってきて自分たちで工夫しながら家の裏に露出した水道管に取り付けた。
実際にこの週末は日本列島に12月としては非常に強い寒波が流れ込み、温暖な岡山もかなり冷え込んだ。
マジで水道管が破裂する事態も想定される寒さだったので、妻の予知能力に従って手を打ったのもあながち間違いではなかった気がする。

古い納屋の扉がところどころ穴が開いているのも妻には気になっていたようで、納屋に転がっていた薄い板を打ち付けて補修した。
それを見て、妻はひらめいたらしい。
以前使った防水用の塗料を持ち出してきてその板に文字を書いた。
「のんびり村」
東京と岡山を往復しながら、決して無理をせず自分たちができる範囲で農業を楽しむ今の私と妻の合言葉、私たちのお気に入りの屋号である。

一方、私がどうしてもやりたかったことといえば、近所の人に貸したまま耕作放棄地となってしまった広い畑を取り戻すことだった。
「忙しくなりすぎる」と反対する妻をなんとか説得し、近所の人と話をして、無事に来年から返してもらうことになった。
返してもらった以上、合わせて3000平方メートルもある畑とブドウ畑を自分たちで管理していかなければならない。
正直、その農地を使って作物を大量に生産し出荷してお金を稼ごうなどという考えは毛頭ないが、ご近所に迷惑をかけない程度には草を刈り、果樹を植えたり、自分たちで食べる野菜を育てたりして利用したいと考えたのだ。

今回の滞在中、連日耕作放棄地の草刈りに追われた。
充電式の草刈機なので、午前と午後の2回合わせて1日4時間ぐらい草刈りを続け、ほぼ1週間かかってようやく大体の雑草を刈り取った。
雑草がなくなった畑は広々としていて気持ちがいい。
伯母はかつてこの広い畑全体を使って一人でブドウを栽培し出荷していたのだ。
しかも草刈機など機械は一切使わず、ただ黙々と鎌で草を刈り、来る日も来る日も畑で働いていたんだと思うと、昔の人の苦労が途方もないものだったことが骨身に染みて理解できた。

今回の滞在中、思いがけず、耕作放棄地になっていたブドウ畑を買いたいという人物が訪ねてきた。
その人は我が家から数キロほど離れたところに住んでいて、親の介護のために勤めていた住宅販売会社を辞めて専業農家に転身したという50代の男の人だった。
今は広い田んぼを借りて大規模に米作りをしているが、コメはお金にならないので、利益を出すためにブドウにも手を広げるとのことで、なかなかのやり手といった印象を受けた。
私の畑を買い取って、そこに新しいハウスを建て長期的な視野に立ってブドウの栽培を行う計画だという。
売るといっても、この辺りの農地はタダ同然の値段で取引されていて決して儲けにはならない。
それでもこの人ならば、きっとしっかり畑の管理をしてくれるだろうと思い、心が揺れた。

しかし、妻と話し合ううちに、今すぐに売却を決めるには不確定要素が多いことに思い当たる。
そもそも対象となるブドウ畑は、認知症で施設に入っている伯母の名義になっていて、私が勝手に売ることはできない。
私が相続した段階で売る約束をして今とりあえず貸すにしても、もし仮に私が伯母より先に死んでしまった場合、養子縁組を根拠とした相続の権利は消滅し、将来売るという約束も果たせない可能性があることに気づいたのだ。
さらに、私には3人の息子がいて、今は誰も農業に興味を持っていないが、彼らも歳をとり私と同じように畑仕事をしてみたいと思うかもしれない。
首都直下地震が起きるリスクや世界情勢の緊迫化によって食糧危機が現実のものとなる可能性もあるだろう。
私の親たちの世代が、戦後農地を持っていたことで飢えを凌いだように、将来この農地が私の子孫たちの命を救うことだってありうるのだ。
そんな話を妻と交わし、最終的に折角の話ではあるが断りの電話を入れた。

そして、このブドウ畑の管理について考えるうちに、手のかかるブドウをやめて何にでも使える普通の畑に戻すことを決めた。
この畑はもともとは水田だったところで、弓形に変形していて、低いブドウ棚の下での作業は身体に負担が大きすぎ、草を刈るにもコンクリート製の支柱やワイヤーが邪魔になって費用対効果が合わないと考えたのだ。
実際に家の前の小さなブドウ畑だけでも食べきれないほどのブドウが収穫でき、こども食堂などに寄付したぐらいで、さらに大きな畑でブドウを栽培しても提供先を探すのに困るだろう。
いったんそう決まると頭の中がすっきりして、やるべきことが見えてきた。
とにかく雑草を刈り、ブドウ棚を倒して、更地に戻すのだ。

まず最初に手をつけたのは、ブドウ棚にかけられたビニールを外す作業だ。
このビニールの主たる目的はブドウの房を雨から守ることなのだが、2年間放置された結果、あちらでもこちらでも風で吹き飛ばされたり枝に突き破られたりしてビニールが剥がれ落ちてしまった箇所が目立っていた。

透明のビニールは、「トンネル」と呼ばれる針金で編まれた半円形の構造物を覆うように設置されている。
およそ1メートル間隔で、黒いビニール紐で固定され、その間の部分は金属製の洗濯バサミでビニールを針金に留めるようになっていた。
ビニールの紐は端っこを引っ張ると解けるように結んである。
解くのは簡単で助かるが、これを結んだ時は手間がかかっただろうと想像する。

紐を解き、洗濯バサミを外し、10メートルほどの長いビニールを手繰り寄せて大きな袋に集めていく。
袋はすぐに一杯になり、家に持ち帰ってはゴミ袋に移し替える。
単調な作業だが、ブドウ畑の景色が少しずつ変わっていき、いよいよ本当にブドウ棚を倒すんだなという実感が湧いてきた。
でも、ブドウ棚ってどうやって解体するのか、ネットを調べても詳しい情報は得られない。
業者にお金を払って壊してもらうこともできるだろうが、折角ならば自分でゆっくり時間をかけて壊していきたいと思っている。
伯母が苦労して作り守ってきたブドウ畑がどのような構造になっているのか、解体しながらしっかり理解したいと思ったからだ。

ビニールを外し終わったブドウ畑は、見通しが良くなって、とても清々しい。
何か新しいことが始まるという期待感に溢れている。
できれば来年の春ぐらいまでにはブドウ棚を倒したいと思っているが、急ぐことはない。
ゆっくりと時間をかけて、来年いっぱいかけて更地に戻し、再来年から何か作物が作れるようになればそれでいいのだ。

回収したビニールは、45リットル入りのゴミ袋で15個ほどになった。
おそらく廃棄する農業資材を安く捨てる方法はあるのだろうが、私たちは明日岡山を去るので、一般ゴミとして捨てることにした。
ゴミ袋を車に押し込み、2度に分けてゴミ置き場まで運んでいく。

来年には、刈った草を処分して、針金のトンネルを外し、張り巡らされたワイヤーを切り、最後には棚を支えている重いコンクリートの支柱と倒さなければならない。
せいぜい怪我をしないように気をつけながらやるとしよう。
何事もお金を払ってやってもらうのは簡単だが、自力でやるからこそ新たな発見が得られるのだ。
ブドウ棚を倒すという新たな経験は、きっと私に新鮮な興奮を与えてくれることだろう。