サラリーマン時代、給料から天引きされる保険料などについてほとんど関心を持っていなかった。
毎月渡される給料袋はそのまま妻に渡し、家計のやりくりも全部妻に任せっぱなしだったからだ。

私が勤めていたテレビ局には退職後も74歳まで会社の健康保険組合に加入できる制度があり、退職した際にその手続きをしたため夫婦で年間30万円ほどを払い込むことでこれまで通り元の勤務先の保険証を利用していた。
ところが、妻の両親が相次いで亡くなり岡山にある駐車場を相続したことから、去年妻の年収が会社の規定をオーバーすることがわかった。
真面目な妻は退職時に会社から渡された書類を引っ張り出し、「配偶者の年収が規定が超えることがわかった際には直ちに届け出ること」という一文を見つけたのだ。
妻に急かされてテレビ局の健康保険組合に連絡を取ると、かつてアナウンサーだった後輩が担当者だった。
「相続があって妻の年収が規定をオーバーしようなんだ」
私がそう伝えると、その元アナウンサーは「それが確実となった翌月から奥様は退会していただくことになります」と答えた。
妻は私の被扶養者として保険組合に残る資格を喪失するらしい。
私自身はそのまま会社の健康保険に残ることは可能だと言うのだが、妻が抜けても支払う保険料は変わらないと言う。
つまり、私がこのまま会社の健康保険に加入したまま妻が単独で国民健康保険に移った場合、これまでよりもかなり保険料支払いが増えるということになる。

妻と相談した結果、この際2人揃って国民健康保険に移るのが賢明だろうという結論に至った。
いずれにせよ、会社の健保組合に残れるのは最長で75歳まで。
その後はどのみち国保のお世話になるのだから、一足早くボケないうちに手続きをした方がいいだろうということになったのだ。
その結論を元アナウンサー氏に伝えると、「それでは資格喪失証明書を郵送しますので、それを持って市役所で手続きをしてください」と言われた。
ただ一つ問題があった。
資格喪失のタイミングがちょうど1月1日ということで、市役所が年末年始の休みに入ってしまうことだ。
武蔵野市役所に問い合わせると、年末に一足早く手続きをすることはできないらしく、新年の業務が始まる1月5日以降に窓口に来て欲しいと言われた。
要するに、1月1日から5日までの間、無保険の期間ができるということである。
この間に怪我や病気で病院を受診することがあれば、全額負担した上で後から還付を受けることになるらしい。
とにかく、お正月はなるべくおとなしくして怪我をしないよう心がけるほかなさそうである。

こうして年明けを待って、仕事始めとなる1月5日。
私と妻は朝一番で武蔵野市役所に出向き、国民健康保険に加入する手続きを行なった。
新年早々ということで窓口が混雑するのではないかと心配したのだが、拍子抜けするほどのどかな様子で、会社から送られてきた「資格喪失証明書」を提出すると、窓口の人がテキパキと手続きをしてくれた。
健康保険証として利用しているマイナンバーカードに情報が反映されるまでに10日ほどかかるので、『その間はこの紙を病院の窓口に出してください』と言って「資格情報のお知らせ」と書かれた紙切れを渡される。
保険料はそれぞれの年収によって変わるらしく、後日請求書が送られてくるので、それに従って払い込むことになるようだ。
マイナンバー保険証に情報が反映される1月半ばまではまだ中途半端な状態が続くものの、これで今年から晴れて国民健康保険にお世話になることになる。
これでもう完全に、長年勤めたテレビ局との関係はおしまいとなり、肩書きのない一人の高齢者としてこの先の人生を生きていくことになるのである。

同じ日の午後、学生時代の友人たち5人と吉祥寺で新年会。
私が幹事役として予約していた中華料理店には、長蛇の列ができていた。
この歳になるとみんなあちこち体の不調を抱えていた。
それでも2軒目、3軒目とハシゴして、最後はハモニカ横丁の「美舟」の座敷で昭和の気分を堪能した。
幸いこの日のメンバーは全員畳の上に座れたが、膝が悪くて畳は無理という仲間もいる。
相対的に言えば、私は同期の中では健康な方だと思う。
それでもいつ何が起きるかわからない前期高齢者である。
それを自覚しながら、なるべく体を動かし、一日も長く人生を楽しめれば、もう他には望むことはない。
そんなことを強く意識した2026年の年明けである。