🇹🇹 トリニダード・トバゴ/ポート・オブ・スペイン 2024年2月13日
トリニダード・トバゴ滞在2日目の13日は、カーニバルの最終日である。
午前10時にタクシー運転手のディオンさんに迎えにきてもらいホテルを出発した。

前日と同じように首都ポート・オブ・スペインまでの25キロをなるべく渋滞に巻き込まれないよう山道を迂回する。
途中展望台のような場所があり、ここから街を見下ろすことができた。
カリブ海諸国唯一の産油国であるトリニダード・トバゴは、天然ガスや石油を主にアメリカに輸出していて、ポート・オブ・スペインの中心部には高層ビルも見える。

カーニバルのメイン会場がある「クイーンズ・パーク・サバンナ」、通称「サバンナ」は中心部の北側に広がっている広大な広場だ。
その広さは東京ドームの22個分以上、一周すると約3.5キロあるという。

この日は、カーニバル会場に直行するのではなく、サバンナの周りを反時計回りに歩いてからメインステージに行くことにしていた。
サバンナの北側に面したこのお屋敷は大統領官邸である。
古い洋館だが、警備はほとんど皆無のようだ。
トリニダード・トバゴは早くから共和政を取っていてイギリス国王ではなく、大統領が国家元首であるが、あくまで象徴的な存在で実権はこの奥にオフィスを持つ首相が握っている。

大統領官邸の並びには植物園や動物園があり、角を曲がってサバンナの西側には「マグニフィセント・セブン」と呼ばれるイギリス植民地時代に建てられた7つの歴史建造物が並んでいる。
北から「Stollmeyer’s Castle Killarney」。
1904年完成に個人の住宅として建てられ、第二次大戦中はアメリカ軍に接収された頃から「Castle」と呼ばれるようになったという。

その南に建つのが「Whitehall」。
カカオ農園の経営者によって1904年に建てられた。

続いては「Archbishop’s House」。
カトリックの大司教の公邸として1903年に建てられたものだ。

お隣は「Roomor」、別名をアンバートの家といい、1904年にアンバート氏という人によって建てられたものの、彼はすぐに手放さざるを得なかった館だという。

5軒目は「Mille Fleurs」。
この街の初代市長一家の家として1904年に建てられた。

6軒目は「Hayes Court」。

そして「マグニフィセント・セブン」の最も南に位置するのが「Queen’s Royal College」。
1902年から建設が始まったこの学校は今も男子中等教育の中心として利用されているが、建物の前にはカーニバルの大きな看板が立ち、お祭り気分を盛り上げるのに一役買っていた。

このカレッジはサバンナの南西の角に位置し、カーニバル会場に向かう動線にあたるため、このあたりまで来ると派手な衣装に身を包んだ人たちの姿が急に目立ち始めた。

道路のあちこちに着色された部分が目につくが、これは私が到着する前夜に行われた「J’ouvert(ジュベ)」と呼ばれる名物イベントの痕跡だ。
ジュベは、ペンキと泥を混ぜたものを自分の体に塗ったり、人とかけあったりしながら、深夜の街を爆音のソカとともにパレードするというもの。
若い頃、南米を貧乏旅行していて、いきなり知らない村で村人から一斉に水をぶっかけられたことがあるが、それが色つきの粉に変わったものと考えればよさそうだ。
有名なスペインのトマト祭りなども同じ仲間だろう。

会場が近づくにつれて、露出度の高い女性たちの姿も増えてくる。
カーニバルの会場の外でも平気で半裸で歩く姿には少しびっくりした。

頭に大きな鳥を乗せた女性がいたり…

肌が白い明らかに外国からの参加者と見られる男女も。
明らかに前日とは違う本気モードを感じる。

こうしてサバンナを半周してメインステージにたどり着いた頃には、すでに11時を回っていた。
前日と違って、この日は朝から客席がかなり埋まっている。
やはり有力マスバンドが集まる最終日は、期待度が違うらしい。

パレードはすでに始まっていて、ステージ上では、前日よりも格段に華やかなショーが展開されていた。
メインのダンサーだけでなく、多くのメンバーが羽飾りを身につけてソカのリズムに合わせて全身でカーニバルを楽しんでいる。

最初、スタンドに座って見ていたのだが、ステージの両サイドにもっと近くから写真が撮れる立ち見席があるのに気づきそちらに移動する。
ここならかなり近くから踊り子たちの写真が撮れそうだ。

前日に比べて、若い人が多い気がする。
頭から足までさまざまな飾りを身にまとい、煌びやかな装いだ。

ただ、肉付きの良い女性が多いのは前日と変わらない。
確かに、痩せているよりもボリュームがある方が、大勢で踊る場合舞台映えするようにも感じる。

この子は外国人なのだろうか、明らかに周囲に比べて肌が白い。
こうして現地の人たちと同じ大胆な衣装を身に纏って互いにステージ上で記念撮影する外国人女性たちの姿も目立った。

それでも踊りはやはり現地の人たちの方が断然うまい。
日頃からソカのリズムの中で生きている人たちの動きは、自然そのものに見える。

まさにはち切れんばかりのエネルギーを全身から発散しながら踊る。
踊る…踊る。

マスバンドごとに羽飾りの色を統一しているグループも多く、この青い羽飾りのグループはひときわ鮮やかだった。

アフリカ系の人たちが中心ではあるが、インド系と見られる人たちも参加している。
トリニダード・トバゴの人口は、奴隷の子孫であるアフリカ系が41%、農園労働者「苦力」の子孫であるインド系が41%、混血が16%とこの島が辿った苦難の歴史をその人口比が如実に表している。

島の支配権も、スペインからフランス、オランダと渡り、最後はイギリスの植民地となった。
さまざまなな文化が混じり合い、言葉が通じてない人々をつなぐ「共通語」として、この島からカリプソやソカというカリブ海を代表する音楽が生まれた。
フランスが持ち込んだと言われるこのカーニバルも、そうしたトリニダード・トバゴ生まれの音楽と共に独自の進化を果たしたのである。

もっと近くからダンサーたちの写真を撮りたいと思い、一旦有料エリアから出て、メインステージに上がる前のスタンバイエリアに行ってみた。
前日とは比べものにならないほど人でごった返しており、前日と違って規制線も張られてダンサーたちに近づくことができない。

仕方ないので、並んでいる屋台で昼メシを済ませる。
この日食べたのは「シャークサンド」(50TTD =1100円)だ。
シャークってことはサメ?と思いながら食べたが、普通のフィッシュバーガーのような感じで、たいして美味くもないのに高い。

そんな中で、1台のトレーラーに目が留まった。
通常のスピーカーを満載したトレーラーではなく、荷台にたくさんの「スティールパン」を載せている。

カリブ海の打楽器として知られるスティールパンも、トリニダード・トバゴが発祥の地だ。
イギリス統治時代、伝統楽器のドラムの使用が禁止された黒人たちは竹や缶を叩いてドラムの代わりにしていたが、古くなったドラム缶の修理をする中で叩く場所を変えることで音が変わることを発見しスティールパンの原型が作られたと言われる。
再び桟敷席に戻った時、このスティールパンのチームがステージに上がって来たのでだが、残念なことに他のトレーラーから流れる大音量のソカにかき消されて、すぐ近くに来てからようやく人間が叩き出す生のリズムが耳に届いた。
かつては大人数で打ち鳴らすスティールパンが祭りの主役だったのだろうが、優雅なカリプソに代わってヒップホップなど欧米の音楽を取り込んだよりアップテンポなソカが主流となる中で、スティールパンはすでに伝統楽器になってしまったようだった。

午後になると日陰にいても熱気を感じるほど暑くなってきた。
屋台で売られていた冷えたマンゴジュースが乾いた喉だけでなく全身に沁みていくのがわかる。
パレードに参加していた外国人男性が逃げるように日陰に駆け込んできた。
どうやら熱中症を訴えているようだが、同じマスバンドのリーダーから戻ってくるように手招きされて困っている。
午後はステージの様子を動画でも撮っておくことにした。
写真だとどうしても若い女性ばかりを被写体に選んでしまい、トリニダードのカーニバルから感じる「多様性」が伝わらないと思ったからだ。
この祭りの主役はむしろ太ったおばさんたちではないかと思うほど、私とさして変わらないような高齢の女性たちが堂々と前面に出て「我こそが主役」とばかりに猛然とアピールするのである。
素晴らしいと思った。
みんながバラバラに自分の好きなように踊り、審査員やカメラにアピール姿を見ながら日本社会との違いを感じる。
人の目を意識して生きにくさを感じる人が増えている。
そんなことはどうでもいい。
生きたいように生きればいいの、そう言われているような気がした。

自らを解放して自由になることで初めて自分とは異なる他者の存在を認める寛容さに繋がるのではないか。
こんな開放的な祭りができるのは国民性の違いと言ってしまえばそれまでだが、この国民性を生み出した歴史は日本人に比べてずっと過酷なものだった。

自由を奪われて過酷な労働を強いられた人たちの間から多様性が生まれ、自分たちを苦しめた旧宗主国からの観光客も受け入れてみんなでカーニバルを楽しむというところからは、私たちも学ぶべき点があるように思えた。

もう一つ私が気になったのが、性的な表現である。
この踊りの中には明確にサックスをイメージさせる動きが多い。
日本ではたちどころにPTAで問題になりそうだが、祭りというものは本来豊作と子孫繁栄を願う儀式で、世界的にセックスと縁が深い。
日本にもそうしたお祭りはたくさんあったが、昨今露骨に性を感じさせるものは社会から排除される傾向にあるように感じる。

声高に少子化対策が叫ばれる一方で、明るい形での性表現は忌避され、二次元的な歪んだ性商品が蔓延する日本で若者たちが子供をどんどん産むようになるとは思えない。
こういうお祭りの時ぐらい、もう少し性を解放してあげた方がいいのではないか、そんなことも感じた。
カーニバルに参加する男性だけでなく、女性たちも自ら進んで腰を振り胸を揺らしてフェロモンを撒き散らし、自分の女性としての魅力をアピールしている。
それはまるで、野生動物が見せる性愛行動にも似ていて人間が本来持っている本能を呼び覚ますための儀式のように私は感じた。
性とは、決して忌むべきものではなく、人間にとって必要不可欠な要素なのだから。
それにしても、この自由奔放なステージを採点する審査員も大変だ。
朝からずっとこの大音量の中に身を置いて、どこをどのように評価するのだろう?
それでもじっと見ていると、確かにマスバンドごとに優劣はある。

ものすごく盛り上がっているグループがやってくると、ステージ上に「MARSHALS」と書かれた黒服を着た一団が整列し、混乱がエスカレートしすぎないようにコントロールする。
彼らは単なるイベントの進行係なのか、それとも警察みたいな人たちなのかはわからない。
でも、こういう人がいなければ、いつまで経ってもステージを降りようとしないグループもいるのだ。

いずれにせよ、「トリニダードのカーニバル」は多様性の祭典だった。
見物するよりも自ら参加して自分を解放する祭りである。
容姿も年齢も国籍も人種も関係ない。
ただ、大音量で響き渡るソカのリズムに身を委ねて自らの中に眠る本能を呼び覚ます儀式だと私には思えた。

結構お金はかかったけれど、この祭りは本当に見られてよかった。
もっと若ければ、私も参加して自分を解放してみたい欲求に駆られるが、一日中この炎天下で踊る体力は流石にもうないと痛感した。
ただ日陰で見ていただけなのに、どっと疲れが出てホテルに戻ると倒れるように眠りについた。